元公務員が異世界転生して辺境の勇者になったけど魔獣が13倍出現するブラック地区だから共生を目指すことにした

まどぎわ

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第28話 勇者、日々を記す

〜1〜

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 自室の机に向かって書き始めようと引き出しを開けたが、中は空になっていた。先日送った手紙で使い切ってしまったのを忘れていた。
 ちょうどニーアが事務所に来ていたはずだとニーアの部屋をノックすると、ニーアは机に向かって勉強をしている。自室よりも静かで、養成校よりもリラックスできるから事務所は自習室に最適らしい。

「ニーア、便箋が……」

「あ、無くなっちゃいました?えっと……家にならまだあるんですけど……」

 声を掛けると、ニーアは机の引き出しを開けて中を探る。
 ニーアは基本的に養成校の寮に住んでいるから、それほど事務所に私物を置いていない。
 それでも机の中にはどこどこの勇者にファンレターを出す用の便箋や、普及用の勇者のブロマイドファイルが詰まっている。ファンレター用の便箋は各勇者専用の物だから、俺には分けてくれない。

「勇者様、ノーラ様との文通が続いてるみたいですし、自分で選んだ便箋で書いた方が喜ばれるんじゃないですか?」

「そうか……」

 俺は手紙文化に親しみがないから、便箋に拘る理由がわからない。
 俺とノーラの文通は、オグオンとヒラリオン大臣が表面上だけでも友好的に政を続けるように裏方を補強しているに過ぎないから、内容は日常のどうでもいい話だ。
 事務的な白い封筒だって構わないけれど、せっかくだからニーアの可愛い便箋を借りている。

 しかし、ニーアは養成校の生徒になった後も、どこかの街の勇者が功績を上げる度にファンレターを書いている。
 1回の枚数よりも出す回数。そして、認知されるために、その勇者に合わせて愛を込めて柄を選んで、毎回同じ便箋で。
 そういう情熱的な事情を知った後だと、自分で便箋を選んで手紙を書くというのが、途端に恥ずかしくなってくる。

「……良ければ今から買ってきますけど、経費で落ちますか?」

「ああ、領収書もらってきてくれ」

 俺が黙っているのを見て、ニーアが助け船を出してくれた。

 ニーアが出かけて行くのを見送って1階に行くと、キッチンの方から物音が聞こえて来る。
 クラウィスが昼食の準備をしているのかと思ったが、庭を見るとプールに潜って遊ぶコルダに付き合って、クラウィスは縁に座って足で水を弾いてフォカロルと遊んでいた。

「キッチンは誰が使ってるんだ?」

『リリーナさんが、先程から籠って何かやってまス』

 リリーナが、と俺が聞き返すと、クラウィスは頬を膨らませて頷いた。自分の聖域を犯されて少し機嫌を損ねている。

 リリーナがキッチンに入るのは、買い置きの食糧やお菓子を掴んで自室に持ち込む時くらいだ。お茶を淹れるくらいならできるが、クラウィスの方が上手に淹れるから最近は自分でやっているのを見た事がない。
 それなのに、クラウィスを追い出してまでキッチンで料理とは。
 有能だが、明後日の方向に凝り性のリリーナのやる事だ。すごく嫌な予感がする。

「リリーナ、何か手伝おうか……?」

 キッチンを覗くと、中はハーブの匂いが充満していた。床にガラス瓶や魔術書が散らばっていて、料理というより実験をしていた雰囲気だ。
 いつものシャツ一枚でキッチンに立っていたリリーナは、何やら小瓶の中身を灯りに透かして確かめた後、中身を一気に呑み干した。
 見た目だけなら薄幸の美少女のリリーナがそんなことをしているのを見て、この世を儚んで服毒自殺、とこの状況にぴったりのフレーズが頭に浮かぶ。

「リリーナ、今、何を飲んだ?」

 俺が聞き終わる前に、リリーナの体がふらりと傾く。倒れそうになった体を、壁に手を付いて何とか支えて苦しそうに立っていた。

「こ、来ないで……!」

「どうしたんだ?」

「いいから……!大丈夫……」

 リリーナの体がよろけて、駆け寄った俺の胸に倒れ込んだ。いつも白い肌が、異常に赤く火照っている。唇から苦しそうに息が漏れて、苦痛に耐えるように固く目が閉じられていた。さっきまでそんな素振りは一切なかったのに。
 まさか本当に毒を飲んだのか、とリリーナの肩を掴もうとした時、うえええぇぇと見本のような声と一緒に、リリーナが俺のマントに吐き出した。

「だ、だから来んなっつったじゃん!」

 リリーナが俺の胸に顔を埋めたまま怒鳴る。そのままもう1回呻き声が聞こえてきて、俺は何だか泣きたくなってきた。


 +++++


 クラウィスはキッチンを取り返して、少し機嫌を治していた。リリーナのせいで汚れた俺のマントを、テラスでじゃばじゃばと洗濯している。

『勇者様、ポケットの中身は無事だったので、洗ったら戻しておきまスね』

「悪いな。キッチンは後で俺が片付けておくから」

 リビングに寝かせたリリーナは、毛布に包まったまま青い顔で枕を抱き締めている。
 何やら愉快な事をやっているようだと近付いて来たコルダは、まだ海水で湿った手で哀れなリリーナの頭を撫でて慰めていた。

「それで、なんで惚れ薬なんて作ったのだ?」

「こ、この前のお祭り見て、人の恋愛感情を魔術で作り出せたらって思って……」

 結果は最悪でも、優秀な魔術師らしいリリーナの発想だ。
 惚れ薬のようなものは過去も腐るほど開発されているだろうが、一般的には流通していない。
 一応人道に反するという観点と、魔術師同士なら相手を何となくその気にさせる薬を使うより、直接思考を弄って好意を持たせた方が手っ取り早いからというのも理由の一つだろう。

 しかし、リリーナほどの魔術師が本気を出せば、立派な研究になるはずだ。
 今は失敗に終わったが、薬を飲ませて他人の感情を操作できるのなら、薬さえあれば魔術師以外でも簡単に発動できてしまう。まさにパンドラの箱を開けるような禁忌に触れる発明だ。

「それで……あの花と一緒に売れば金になるなって思って」

 リリーナはテーブルの花瓶に入った飴細工の花を指差して言った。
 リリーナは魔術師のくせに思考が俗世に染まり過ぎている。
 同情の余地なし、と俺はリリーナをおいて立ち上がった。

「リリーナが妙な事をしようとしたら止めてくれ」

「了解なのだー」

 コルダにリリーナの監視を頼んで、俺は散らかし放題のままになっているキッチンを片付けに向かった。
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