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第24話 勇者、真夜中の平穏を守る
〜1〜
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高原のホーリアでもようやく暖かい日差しが降り注ぐようになってきたとある午後。
オルドグで無事にマントとライセンスを取り返し、オグオンからの通信にも事務室の呼び出しにも怯えることなく穏やかに過ごしていたが、今の俺は3番街の酒屋の店先で絶体絶命のピンチを迎えていた。
食後の散歩で酒屋を通りかかった時に、老い先短い店主が暇そうにしていたから、可哀想に思ってボードゲームの相手をしてやっていた。
首席卒業の勇者の俺は、素人相手なら何回やっても負けることはない。何なら聖騎士の駒が半分でも余裕だし、盾のマスを使用禁止にしても全然勝てる。
そう大口を叩いて、6ゲーム目が始まったところだ。
ヨボヨボの店主は俺の手が止まったのを見て店の掃除をしつつ、珍しくハリのある声で俺の持ち時間をカウントダウンしている。
楽しそうなところ水を差すようで悪いが、そこまでハンデを貰って勝ったところで、それは本当に勝利と言えるのだろうか。
若造から同情されてもぎ取った勝利を、店主は心の底から喜ぶことができるのだろうか。
俺がそう問いかけようか考えていると、3番街の通りに子供の声が聞こえて来た。
リトルスクールの授業が終わって、子供が家に帰って来る時間だ。
掛け回っているガキの集団の1人が、正面の靴屋に帰ろうとして、俺を見つけて駆け寄って来た。
「あー勇者だー」
2日に一度は洗うようにしている俺のマントを、ニーアの弟のユーリがぐいぐいと引っ張って来る。
俺は盤上を見つめたまま「今忙しい」と返事をした。
何人いるのか把握しきれないニーアの兄弟の下から数えた方が早い弟のユーリは、職人の家に生まれただけあって腕は確かだ。
背負っている大きな革の鞄は、店で余っている材料を繋ぎ合わせて作ったものなのに、子供の過酷な通学路の遊びに耐えている。
しかし、その中には食べられそうな木の実とか、綺麗な模様が入った石とか、強そうな虫とか、そういう物しか入っていない。
「勇者、オバケ!」
「俺はオバケじゃない」
「ちーがーうー!オバケ退治してー!」
「この前のテストはどうだったんだ?」
「そ、そんなこと、どうでもいいじゃん!」
どうでもよくない、と俺は一度浮かせた駒を盤上に戻した。突破口かと思ったが、この指し手だと24手目で負ける。
ユーリは勉強や経営にはまだ欠片も興味を持てない年頃だが、現時点で靴屋の跡継ぎになる予定だ。
ニーアは嫌々魔法剣士をやっているからすぐに辞めて店を継ぐだろうと思っていたら勇者になるし。
熱心に店の手伝いをしているルークはやけに金にがめついと思ったら、一財産築いて首都に移住する計画を立てているし。
他の息子達は出口の見えない反抗期に突入するし。
靴屋を継いでくれそうなのは素直で心根の優しいユーリだけだが、果たして独り立ちできるまで面倒を看られるかどうか。
自分がいなくなった後の事を考えると、幼いユーリがあまりに不憫だ。
と、ゴーシュが妻の墓前で涙を滲ませて語るのを、俺は何故付いて行ったのか覚えていないけれど、隣で供え物の酒を失敬しながら貰い泣きしていた。
そして、翌日には俺がユーリの勉強を見ることが決まっていた。
多分、その場の雰囲気と酔いに任せて適当な事を言ったんだと思う。
「8thストリートのホテルにオバケが出るんだって。退治しに行こう!」
「オバケ退治は勇者の仕事じゃない」
「えー……勇者がなんとかするから大丈夫って、オレ、みんなに言っちゃった」
「なんでそんな適当な事を言ったんだ」
「だって、ニーアが勇者はなんでも出来るって。オバケ退治も楽勝って言ってたんだもん」
「お前のお姉ちゃんは言動が個性的なんだ」
俺が顔も上げないのを見て、ユーリは地面に尻を付けてマントを引っ張り始めた。
子供の力で敗れるような貧弱なマントではないが、マントは無事でもそれを着ている俺の首は千切れそうになる。
「えー!退治しようよー!オバケ出るんだよー!見に行こうよー!」
ユーリはマントを掴んだまま、駄々をこねて地面で転がり始めた。
しばらく放っておけば服が汚れるのを見兼ねたルークが、前の店から出て来て拳骨と一緒に回収してくれるはずだ。
しかし、勇者が関わると人の話を聞かなくなるのはニーアだけではない。
問題はホーリア市のトップである市長だ。
俺は市長から仕事を頼まれてたとしても、嫌な事は嫌だと言える人間だが、ニーアと束になって来られたら厄介だ。止める人間が誰もいない。
市長の適当な理論で言いくるめられたニーアが、オバケ屋敷でも墓地でも俺を引き摺って連れて行く未来が見える。
頼まれた時に俺の仕事ではないときっぱり断れるように、こちらも事前に少し知恵を付けておきたい。
「わかった」
俺は店主に止められる前に素早く盤と駒を片付けた。
勝負を放棄した訳ではない。業務時間中に市民と遊んでいた証拠を隠滅したのと、俺が少し綺麗好きなだけだ。
「やった!退治する?!」
俺はユーリの問いには返事をしなかったが、ユーリはオバケに会えると嬉しそうにマントに絡まりながら俺を引っ張って行った。
+++++
歩いている間に、ユーリはいつの間にか俺によじ登って、首を跨いで肩に座って足を揺らしていた。
最近、街を歩いているとガキが寄って来てマントを引っ張って来ることが多いのは、恐らくユーリの同級生が真似をしているからだ。
邪魔だから下して自力で歩かせたいところだが、少し目を離すとユーリは蝶を見つけて追い掛けて行く。俺が勉強を教えている時もこの調子だから、この前のテストも駄目だったんだろう。
「ニーア、今日は帰ってくる?」
「もうすぐ試験だから無理だ。忙しいんだろう」
「ふーん……」
ユーリが小さく唸って、俺の髪を握る指に力が籠った。
「……いいもん。ニーア、卒業して勇者になったら帰って来るもんね」
「そうだな」
俺は頷いたが、いくら優等生のニーアでも、養成校では同じようにはいかない。
昨日はニーアの勉強に付き合っていたが、あの様子だと1年、2年で卒業とはいかないだろう。
「あれ?ニーアが帰って来たら、勇者は?ニーアの部下になるの?」
「俺は、その頃はアウビリスを担当しているだろうな」
「あーオレ、知ってる!左遷って言うんだろ」
「栄転だ。間違えるな」
「あ、ここ!」
人の話を聞かないユーリが指差したのは、8thストリートの入口にある何の変哲もない高級ホテルだった。前に一度来たことがあると思ったら、クラウィスが勇者の事務所に来る前に勤めていたヴェスト・トロンベだ。
「ここでね、夜中にどこからか泣き声が聞こえたり、真っ赤な服を着て斧を持った男が歩き回ってるんだって……」
自分で言って怖くなったのか、ユーリは俺の頭にしがみ付いてぶるりと震えた。まさか、人の肩の上で漏らしたりはしないだろうな。
ユーリを肩車したままホテルを眺めていると、正面入り口の重そうなガラス扉がドアマンに開けられて、宿泊客が1人出て来た。傍らの従業員が鞄を差し出して、深くお辞儀をして客を見送る。
見覚えのある小柄な女の子は、俺がクラウィスに変装してこのホテルに侵入した時に出会ったデリアだった。
「勇者様、何か?」
ホテルの中に戻ろうとしたデリアは、俺とユーリに気付いて足を止めた。
俺は前にリコリスに引き渡されたことに対して文句を言いそうになったが、その時の俺はクラウィスの姿をしていたから、デリアと勇者はこれが初対面だ。
少し通りかかっただけだと言って立ち去ろうとしたが、肩の上でユーリが体を揺らした。
「このホテル、オバケが出るんだよね!」
「存じ上げません」
ユーリが無邪気に失礼な事を尋ねても、デリアは表情を変えずに冷たく突き放すように言う。
「だ、だって、みんな言ってるよ!泊まると呪われるって!」
「存じ上げません」
デリアが沈みかけた日を背にして繰り返して、影になった姿で瞳だけが光っていた。
ユーリが頭の上で泣きそうな声を出して、俺は背中に漏らされる前に足早に撤退した。
オルドグで無事にマントとライセンスを取り返し、オグオンからの通信にも事務室の呼び出しにも怯えることなく穏やかに過ごしていたが、今の俺は3番街の酒屋の店先で絶体絶命のピンチを迎えていた。
食後の散歩で酒屋を通りかかった時に、老い先短い店主が暇そうにしていたから、可哀想に思ってボードゲームの相手をしてやっていた。
首席卒業の勇者の俺は、素人相手なら何回やっても負けることはない。何なら聖騎士の駒が半分でも余裕だし、盾のマスを使用禁止にしても全然勝てる。
そう大口を叩いて、6ゲーム目が始まったところだ。
ヨボヨボの店主は俺の手が止まったのを見て店の掃除をしつつ、珍しくハリのある声で俺の持ち時間をカウントダウンしている。
楽しそうなところ水を差すようで悪いが、そこまでハンデを貰って勝ったところで、それは本当に勝利と言えるのだろうか。
若造から同情されてもぎ取った勝利を、店主は心の底から喜ぶことができるのだろうか。
俺がそう問いかけようか考えていると、3番街の通りに子供の声が聞こえて来た。
リトルスクールの授業が終わって、子供が家に帰って来る時間だ。
掛け回っているガキの集団の1人が、正面の靴屋に帰ろうとして、俺を見つけて駆け寄って来た。
「あー勇者だー」
2日に一度は洗うようにしている俺のマントを、ニーアの弟のユーリがぐいぐいと引っ張って来る。
俺は盤上を見つめたまま「今忙しい」と返事をした。
何人いるのか把握しきれないニーアの兄弟の下から数えた方が早い弟のユーリは、職人の家に生まれただけあって腕は確かだ。
背負っている大きな革の鞄は、店で余っている材料を繋ぎ合わせて作ったものなのに、子供の過酷な通学路の遊びに耐えている。
しかし、その中には食べられそうな木の実とか、綺麗な模様が入った石とか、強そうな虫とか、そういう物しか入っていない。
「勇者、オバケ!」
「俺はオバケじゃない」
「ちーがーうー!オバケ退治してー!」
「この前のテストはどうだったんだ?」
「そ、そんなこと、どうでもいいじゃん!」
どうでもよくない、と俺は一度浮かせた駒を盤上に戻した。突破口かと思ったが、この指し手だと24手目で負ける。
ユーリは勉強や経営にはまだ欠片も興味を持てない年頃だが、現時点で靴屋の跡継ぎになる予定だ。
ニーアは嫌々魔法剣士をやっているからすぐに辞めて店を継ぐだろうと思っていたら勇者になるし。
熱心に店の手伝いをしているルークはやけに金にがめついと思ったら、一財産築いて首都に移住する計画を立てているし。
他の息子達は出口の見えない反抗期に突入するし。
靴屋を継いでくれそうなのは素直で心根の優しいユーリだけだが、果たして独り立ちできるまで面倒を看られるかどうか。
自分がいなくなった後の事を考えると、幼いユーリがあまりに不憫だ。
と、ゴーシュが妻の墓前で涙を滲ませて語るのを、俺は何故付いて行ったのか覚えていないけれど、隣で供え物の酒を失敬しながら貰い泣きしていた。
そして、翌日には俺がユーリの勉強を見ることが決まっていた。
多分、その場の雰囲気と酔いに任せて適当な事を言ったんだと思う。
「8thストリートのホテルにオバケが出るんだって。退治しに行こう!」
「オバケ退治は勇者の仕事じゃない」
「えー……勇者がなんとかするから大丈夫って、オレ、みんなに言っちゃった」
「なんでそんな適当な事を言ったんだ」
「だって、ニーアが勇者はなんでも出来るって。オバケ退治も楽勝って言ってたんだもん」
「お前のお姉ちゃんは言動が個性的なんだ」
俺が顔も上げないのを見て、ユーリは地面に尻を付けてマントを引っ張り始めた。
子供の力で敗れるような貧弱なマントではないが、マントは無事でもそれを着ている俺の首は千切れそうになる。
「えー!退治しようよー!オバケ出るんだよー!見に行こうよー!」
ユーリはマントを掴んだまま、駄々をこねて地面で転がり始めた。
しばらく放っておけば服が汚れるのを見兼ねたルークが、前の店から出て来て拳骨と一緒に回収してくれるはずだ。
しかし、勇者が関わると人の話を聞かなくなるのはニーアだけではない。
問題はホーリア市のトップである市長だ。
俺は市長から仕事を頼まれてたとしても、嫌な事は嫌だと言える人間だが、ニーアと束になって来られたら厄介だ。止める人間が誰もいない。
市長の適当な理論で言いくるめられたニーアが、オバケ屋敷でも墓地でも俺を引き摺って連れて行く未来が見える。
頼まれた時に俺の仕事ではないときっぱり断れるように、こちらも事前に少し知恵を付けておきたい。
「わかった」
俺は店主に止められる前に素早く盤と駒を片付けた。
勝負を放棄した訳ではない。業務時間中に市民と遊んでいた証拠を隠滅したのと、俺が少し綺麗好きなだけだ。
「やった!退治する?!」
俺はユーリの問いには返事をしなかったが、ユーリはオバケに会えると嬉しそうにマントに絡まりながら俺を引っ張って行った。
+++++
歩いている間に、ユーリはいつの間にか俺によじ登って、首を跨いで肩に座って足を揺らしていた。
最近、街を歩いているとガキが寄って来てマントを引っ張って来ることが多いのは、恐らくユーリの同級生が真似をしているからだ。
邪魔だから下して自力で歩かせたいところだが、少し目を離すとユーリは蝶を見つけて追い掛けて行く。俺が勉強を教えている時もこの調子だから、この前のテストも駄目だったんだろう。
「ニーア、今日は帰ってくる?」
「もうすぐ試験だから無理だ。忙しいんだろう」
「ふーん……」
ユーリが小さく唸って、俺の髪を握る指に力が籠った。
「……いいもん。ニーア、卒業して勇者になったら帰って来るもんね」
「そうだな」
俺は頷いたが、いくら優等生のニーアでも、養成校では同じようにはいかない。
昨日はニーアの勉強に付き合っていたが、あの様子だと1年、2年で卒業とはいかないだろう。
「あれ?ニーアが帰って来たら、勇者は?ニーアの部下になるの?」
「俺は、その頃はアウビリスを担当しているだろうな」
「あーオレ、知ってる!左遷って言うんだろ」
「栄転だ。間違えるな」
「あ、ここ!」
人の話を聞かないユーリが指差したのは、8thストリートの入口にある何の変哲もない高級ホテルだった。前に一度来たことがあると思ったら、クラウィスが勇者の事務所に来る前に勤めていたヴェスト・トロンベだ。
「ここでね、夜中にどこからか泣き声が聞こえたり、真っ赤な服を着て斧を持った男が歩き回ってるんだって……」
自分で言って怖くなったのか、ユーリは俺の頭にしがみ付いてぶるりと震えた。まさか、人の肩の上で漏らしたりはしないだろうな。
ユーリを肩車したままホテルを眺めていると、正面入り口の重そうなガラス扉がドアマンに開けられて、宿泊客が1人出て来た。傍らの従業員が鞄を差し出して、深くお辞儀をして客を見送る。
見覚えのある小柄な女の子は、俺がクラウィスに変装してこのホテルに侵入した時に出会ったデリアだった。
「勇者様、何か?」
ホテルの中に戻ろうとしたデリアは、俺とユーリに気付いて足を止めた。
俺は前にリコリスに引き渡されたことに対して文句を言いそうになったが、その時の俺はクラウィスの姿をしていたから、デリアと勇者はこれが初対面だ。
少し通りかかっただけだと言って立ち去ろうとしたが、肩の上でユーリが体を揺らした。
「このホテル、オバケが出るんだよね!」
「存じ上げません」
ユーリが無邪気に失礼な事を尋ねても、デリアは表情を変えずに冷たく突き放すように言う。
「だ、だって、みんな言ってるよ!泊まると呪われるって!」
「存じ上げません」
デリアが沈みかけた日を背にして繰り返して、影になった姿で瞳だけが光っていた。
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