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第12話 勇者、職場見学を受け入れる
〜3〜
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「フェリシア、です」
事務所に来たフェリシアは、前と同じ三つ編みで相変わらずテンションの低い話し方をしていた。
しかし、退職を決めたせいか活力に満ちていて表情は溌剌としている。羨ましい。
「今日はよろしくお願いします」
フェリシアは深々と頭を下げて、そのまま菓子折りを差し出して来た。
見学をさせるだけなのにそんなものは受け取れない、と俺が断る前に、食べ物の匂いを察したコルダが間に入ってがっちり受け取ってしまう。
「ありがたくいただくのだ!コルダ、貰える物は貰っておくタイプなのだー」
コルダは俺が何か言う前に、リビングの隅に駆けて行って包みを勝手に開け始めた。
事務所で一番仕事をしないマスコット的存在のコルダを見て、緊張で強張っていたフェリシアの表情が少し和らぐ。
そして、事務所で二番目に仕事をしないリリーナは、知らない人が事務所に入って来たから物音1つ立てずに2階の自室に籠っている。
「フェリシアさん、何か見たい所とかありますか?」
「いつも通り、で、大丈夫」
フェリシアにそう言われて、俺はいつも午前中は何をしていただろうかと考えた。
周辺の山に危険な魔獣がいないかパトロールをする事が多い。それから、来るべき時に備えて魔術の知識を深めたり。あとは色々理由はあるが兎も角、英気を養っていたような気がする。
「勇者様は、朝ご飯の後は山を散歩しているか、テラスで本を読んでいるか、リビングで寝直しているかです」
「ふーん……」
フェリシアが低いテンションを更に低くして、俺に乾いた視線を向けて来た。
勇者の仕事を見学したくても、魔獣との戦いの恐れがある山のパトロールに一般市民が同行するのは危険だ。
勇者が使う魔術を教えたくとも、高度な魔術書の内容を専門的に学んでいないフェリシアが理解するのは難しい。
そして俺は、見学者がいるのに居眠りを始めるほど愚かでは無い。もう少しフェリシアの様子を見てから判断しよう。
「ニーアの、仕事は?」
「私ですか?私は……朝、役所に寄ってからここに来て、朝ご飯を作ったらお掃除と洗濯してます」
「朝ご飯と、掃除、洗濯」
「はい。誰もやらないので。それから、市と勇者様の連絡役も仕事なので、勇者様宛の書類をここに置いておきます」
ニーアは、リビングに置いてある4人掛けの丸テーブルを指差した。食事やお茶のためのテーブルだが、テーブルから椅子まで書類で埋まっていてその一帯は使えなくなっている。
「すごい、山になってる……」
「勇者様が見たり見なかったりするので、期日がある書類は後でもう一回催促します。そうすると勇者様はやったりやらなかったりするので、私が代わりにやったりします」
「それ、ニーアの、仕事?」
「勇者様の補佐が仕事ですから。それから、うーん……あとは、買い物に行ったりします」
「……買い物?」
「皆さんのご飯とか、事務所に置いておく来客用のお茶とかお菓子とか」
「接客も……するの?」
「はい。勇者の来客対応も魔法剣士の仕事です!でも、ここにお客様は滅多に来ないので、一応、御茶菓子の予算を取っているので買いますが、大体事務所で消費しています」
「ふーん……」
フェリシアのテンションが地に落ちている。
このまま事務所にいると、どんどん勇者の威厳が失われていく。即刻中止すべきだ。
俺は一度出した昼寝用のクッションをソファーの下に片付けた。
+++++
そして、俺はニーアとフェリシアを連れて街にパトロールに出掛けた。
晴れた午前中、街には穏やかな雰囲気で住人も観光客ものんびり街を歩いている。勇者が必要な事件の気配は無い。真面目な顔をして歩いているのもすぐに飽きてきた。
露店で売っているアイスを俺が3人分買う流れになり、それを食べつつ道端のベンチで休憩していた。
「仕事中に、アイス、食べていいの?」
ミルクアイスを食べていてフェリシアが聞いてくる。
俺は「仕事で頭を使うのに糖分が必要だから」とか、それなりに納得できそうな理由をいくつか考えたが、多分言わない方がいいだろうなと考えて何も言わなかった。
チョコアイスに夢中になっているニーアは「知らないけど、いいみたいです」と身も蓋も無い投げやりの答えを返す。
「朝ご飯と午前のお茶と、お昼ご飯と午後のお茶と、夕ご飯と夜食がありますから」
「ずっと食べてる……」
「はい。リリーナさんとコルダさんは、ずっと食べてます」
「ニーアが、準備するの?」
「誰もやらないので、大体そうですね」
せっかくアイスを食べて表情を緩めていたフェリシアが、またテンションの低い表情に戻った。
食事に関してはニーアに甘えている部分が多い。しかしそれは、妹と弟がたくさんいるニーアが家で作り過ぎたお菓子をよく持って来てくれるからだ。リリーナのように床に転がって作ってくれと駄々をこねたことは、俺は一度も無い。
せめて俺の名誉だけでも回復させるべく説明しておこうかと考えた時、遠くの方で「魔獣が出たぞ!」という叫び声が聞こえた。
ニーアはすぐに仕事用の顔に戻って、声がした方角を見上げる。
「2番街の方ですね……勇者様!」
ニーアに呼ばれて、俺は合点承知とニーアのアイスを受け取った。
ニーアはベンチを足場にして素早く屋根を駆け上がり2番街の方に姿を消す。そして、俺とフェリシアはベンチに残される。
「勇者様は……何、しているんですか?」
「アイス持ってる」
「……は?」
もう一度言おうかと思ったが、聞こえているようだから俺は黙った。
2番街は、ホーリア市民が多い通りだ。出て来た魔獣も透視魔術で確認したら子犬サイズだったし、その程度なら住民は皆魔法で自分の身を守れる。
今の叫びは初めて聞く声だったから、多分昨日か今日来た観光客だ。年中魔獣が出現するホーリアに慣れていなくて、大袈裟に騒いでいるらしい。
そして、俺はただアイスを持っているだけではない。
アイスが溶けないよう、気象に影響しない程度に俺の手の周辺だけ温度を下げている。
ここでアイス自体の温度を下げてしまうと、冷え過ぎて固くなってしまうから、美味しく食べられる溶けないギリギリの状態をキープしている。
そういう高度な魔術をさり気無く使ってしまうのが、首席卒業の勇者の凄い所だ。
しかし、フェリシアに説明しても、もう一度「は?」と言われるだけだろうから、俺は苺アイスを食べながら沈黙し続けていた。
事務所に来たフェリシアは、前と同じ三つ編みで相変わらずテンションの低い話し方をしていた。
しかし、退職を決めたせいか活力に満ちていて表情は溌剌としている。羨ましい。
「今日はよろしくお願いします」
フェリシアは深々と頭を下げて、そのまま菓子折りを差し出して来た。
見学をさせるだけなのにそんなものは受け取れない、と俺が断る前に、食べ物の匂いを察したコルダが間に入ってがっちり受け取ってしまう。
「ありがたくいただくのだ!コルダ、貰える物は貰っておくタイプなのだー」
コルダは俺が何か言う前に、リビングの隅に駆けて行って包みを勝手に開け始めた。
事務所で一番仕事をしないマスコット的存在のコルダを見て、緊張で強張っていたフェリシアの表情が少し和らぐ。
そして、事務所で二番目に仕事をしないリリーナは、知らない人が事務所に入って来たから物音1つ立てずに2階の自室に籠っている。
「フェリシアさん、何か見たい所とかありますか?」
「いつも通り、で、大丈夫」
フェリシアにそう言われて、俺はいつも午前中は何をしていただろうかと考えた。
周辺の山に危険な魔獣がいないかパトロールをする事が多い。それから、来るべき時に備えて魔術の知識を深めたり。あとは色々理由はあるが兎も角、英気を養っていたような気がする。
「勇者様は、朝ご飯の後は山を散歩しているか、テラスで本を読んでいるか、リビングで寝直しているかです」
「ふーん……」
フェリシアが低いテンションを更に低くして、俺に乾いた視線を向けて来た。
勇者の仕事を見学したくても、魔獣との戦いの恐れがある山のパトロールに一般市民が同行するのは危険だ。
勇者が使う魔術を教えたくとも、高度な魔術書の内容を専門的に学んでいないフェリシアが理解するのは難しい。
そして俺は、見学者がいるのに居眠りを始めるほど愚かでは無い。もう少しフェリシアの様子を見てから判断しよう。
「ニーアの、仕事は?」
「私ですか?私は……朝、役所に寄ってからここに来て、朝ご飯を作ったらお掃除と洗濯してます」
「朝ご飯と、掃除、洗濯」
「はい。誰もやらないので。それから、市と勇者様の連絡役も仕事なので、勇者様宛の書類をここに置いておきます」
ニーアは、リビングに置いてある4人掛けの丸テーブルを指差した。食事やお茶のためのテーブルだが、テーブルから椅子まで書類で埋まっていてその一帯は使えなくなっている。
「すごい、山になってる……」
「勇者様が見たり見なかったりするので、期日がある書類は後でもう一回催促します。そうすると勇者様はやったりやらなかったりするので、私が代わりにやったりします」
「それ、ニーアの、仕事?」
「勇者様の補佐が仕事ですから。それから、うーん……あとは、買い物に行ったりします」
「……買い物?」
「皆さんのご飯とか、事務所に置いておく来客用のお茶とかお菓子とか」
「接客も……するの?」
「はい。勇者の来客対応も魔法剣士の仕事です!でも、ここにお客様は滅多に来ないので、一応、御茶菓子の予算を取っているので買いますが、大体事務所で消費しています」
「ふーん……」
フェリシアのテンションが地に落ちている。
このまま事務所にいると、どんどん勇者の威厳が失われていく。即刻中止すべきだ。
俺は一度出した昼寝用のクッションをソファーの下に片付けた。
+++++
そして、俺はニーアとフェリシアを連れて街にパトロールに出掛けた。
晴れた午前中、街には穏やかな雰囲気で住人も観光客ものんびり街を歩いている。勇者が必要な事件の気配は無い。真面目な顔をして歩いているのもすぐに飽きてきた。
露店で売っているアイスを俺が3人分買う流れになり、それを食べつつ道端のベンチで休憩していた。
「仕事中に、アイス、食べていいの?」
ミルクアイスを食べていてフェリシアが聞いてくる。
俺は「仕事で頭を使うのに糖分が必要だから」とか、それなりに納得できそうな理由をいくつか考えたが、多分言わない方がいいだろうなと考えて何も言わなかった。
チョコアイスに夢中になっているニーアは「知らないけど、いいみたいです」と身も蓋も無い投げやりの答えを返す。
「朝ご飯と午前のお茶と、お昼ご飯と午後のお茶と、夕ご飯と夜食がありますから」
「ずっと食べてる……」
「はい。リリーナさんとコルダさんは、ずっと食べてます」
「ニーアが、準備するの?」
「誰もやらないので、大体そうですね」
せっかくアイスを食べて表情を緩めていたフェリシアが、またテンションの低い表情に戻った。
食事に関してはニーアに甘えている部分が多い。しかしそれは、妹と弟がたくさんいるニーアが家で作り過ぎたお菓子をよく持って来てくれるからだ。リリーナのように床に転がって作ってくれと駄々をこねたことは、俺は一度も無い。
せめて俺の名誉だけでも回復させるべく説明しておこうかと考えた時、遠くの方で「魔獣が出たぞ!」という叫び声が聞こえた。
ニーアはすぐに仕事用の顔に戻って、声がした方角を見上げる。
「2番街の方ですね……勇者様!」
ニーアに呼ばれて、俺は合点承知とニーアのアイスを受け取った。
ニーアはベンチを足場にして素早く屋根を駆け上がり2番街の方に姿を消す。そして、俺とフェリシアはベンチに残される。
「勇者様は……何、しているんですか?」
「アイス持ってる」
「……は?」
もう一度言おうかと思ったが、聞こえているようだから俺は黙った。
2番街は、ホーリア市民が多い通りだ。出て来た魔獣も透視魔術で確認したら子犬サイズだったし、その程度なら住民は皆魔法で自分の身を守れる。
今の叫びは初めて聞く声だったから、多分昨日か今日来た観光客だ。年中魔獣が出現するホーリアに慣れていなくて、大袈裟に騒いでいるらしい。
そして、俺はただアイスを持っているだけではない。
アイスが溶けないよう、気象に影響しない程度に俺の手の周辺だけ温度を下げている。
ここでアイス自体の温度を下げてしまうと、冷え過ぎて固くなってしまうから、美味しく食べられる溶けないギリギリの状態をキープしている。
そういう高度な魔術をさり気無く使ってしまうのが、首席卒業の勇者の凄い所だ。
しかし、フェリシアに説明しても、もう一度「は?」と言われるだけだろうから、俺は苺アイスを食べながら沈黙し続けていた。
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