爪弾き者の第一王女は敵国の年下王子の妻となる

河合青

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3.ただ一つの祝福を

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 前日まで降り続いていた雨が嘘のように止んだのは、神も今日という日が両国にとってどれ程重要なものかを理解しているからだろう。
 王都を濡らした雨は、幸いにもアカネース国の姫が一晩を過ごしたゼレノスの街までは足を伸ばさなかったらしい。よほど、太陽に気に入られた娘なのだろうか。
 本日の主役である少年は純白の衣装に身を包み、控え室の窓から晴れ渡る空を見上げた。
 雪の多いレイノアール王国では、冬季は常に灰色の雪雲が空を覆い、夏期になればほとんどが曇天で空は滅多に晴れることがない。
 目の前に広がる青空も、彼がこの国で目にしたのは一ヶ月ぶりだった。
 きれいな空だとは、思う。しかし、少年の心の曇天は決して晴れることはなかった。
「せめて神様くらいは祝ってくれないと、僕だってやってられないよ」
 一人ため息を吐き、少年は大きく肩を落とした。
 同じ晴れた空ならば、アカネース国で目にした茜色の夕焼け空の方がレオナルドの目には美しく映った。眩しすぎて眺め続けるには不適な色であったが、それでも身を包む温もりは灰色の空の下では遠く手は届かない。
 長年、戦争を続けてきたアカネース王国との間に停戦条約が結ばれた。
 理由は様々であったが、最も大きな理由は長い戦争による両国の疲弊だ。
 アカネース王国はかねてよりレイノアール王国へと停戦の要求を申し出ていた。
 しかし、先代のレイノアール王にとってアカネース国の制圧は悲願であり、王国繁栄のためにも譲れぬ道であった。その先代が病で亡くなり、現国王の英断でレイノアール王国は和平条約を結ぶ道へと大きく舵を切った。
 戦争で大きく疲弊したのは、防衛に回りがちであったアカネースよりも侵攻を繰り返したレイノアール国であった。
 この和平条約の下に両国間の人や物の出入りの規制を撤廃し、それぞれの特産物や文化、技術の行き来を可能とする。
 侵略による一方の国の発展ではなく、両国が共に進歩していく道を選んだ。
 そして、両国王家の婚姻による二国間の関係の強化が停戦条約の条件の一つにある。
 本日の婚姻をもって、正式に停戦条約は意味を為すこととなる。
 しかし、誰もがわかっているのだ。両国間の婚姻など、関係を深めるためのものではないのだと。
 レイノアール王国に嫁ぐアカネース王家の姫など、しょせんは人質でしかない。
 そしてアカネース王国にとっても、仮に人質に危害が加えられれば、正式に攻め込む理由となる。
 共存を望む両国王の思いに嘘はないだろう。しかし、人々が他国を完全に信用することが出来ず、婚姻という名の人質を必要とするのは避けられないことだった。
 レオナルドは巡らせていた考えを掻き消すように首を振る。
 自分も、そしてまだ見たこともないアカネースの姫も、同様に虚しく哀れな駒でしかないのだから何を考えても意味はない。
 所詮は、国のための人質同士。
 相手に同情はするが、それ以上の気持ちはない。あえて親しくしようとも思わない。
 互いに無難な距離感で、両国の和平の証として無礼なく生活が出来れば十分だろうと少年は考える。そのためにアカネースの姫の身を守ることはあっても、それは決して感情的な行動ではないだろう。
 現に、自分の部下を彼女の元へ向かわせたのもそうすることが当然だと判断したからであった。正妃の魔の手が忍び寄っているのならば、守るために手を尽くすのは夫としての義務だ。
 元より、レオナルドは誰を嫁に貰おうが変わりはなかった。地位に見合う嫁を貰い、自分の立場と相手の立場を重んじた距離感を保ったまま、決してその距離を埋めずに問題を起こさずに生きていくだけ。
「レオナルド様、準備はよろしいでしょうか」
 控えめなノックの音と共に、宰相が声を掛ける。
 否、レオナルドはそう答えてみようかと思い、実行するのは止めた。
 発想があまりにも子供じみていて、馬鹿馬鹿しくなる。
 例えば、迎えに来た者がアレクシスやジュルジュであったならそのような些細な戯れも楽しめただろう。しかし、彼らはすでに式の会場である大広間に控えているため、式の開始以前にレオナルドが顔を合わせることはない。
「……はい、問題はありません」
 自分自身の手で扉を開き、レオナルドは自分を待ち構える宰相を見上げた。
 柔らかで人当たりの良い笑みを浮かべているが、男の本心が穏やかでないことはレオナルドにもよくわかっていた。この宰相は前王よりも現王寄りの反戦派であるが、だからといってアカネース国に友好的ではない。
 これから嫁いでくる姫に対して、敵意をもって迎え入れるつもりでいるだろうことは張り付いた笑みから容易に推測できた。
 レオナルドの心など知るよしもなく、レイノアール王家の花婿姿を爪先から頭の先まで不躾に見回し、宰相は満足そうに頷く。
「良いですね。これなら、あちらに侮られることもないでしょう。向こうのドレスはどうにも安っぽく見えましたからね。違いを見せてやらねばなりません」
 そんなこと、勝手にやってくれ。レオナルドは心の中で舌打ちをし、歩き出した宰相に続いた。
 目の前には、大広間に続くきらびやかなドアが見える。
 この先に、まだ見ぬ隣国の姫が待つ。
 彼女は、どんな気持ちでレオナルドを待っているのだろうか。自分と同じように割りきった考えなのか、それとも不本意な婚約に納得が行かぬままそこにいるのだろうか。
 模範的な姫であることは耳にしている。それでも、この婚姻に理解は出来ても納得は出来ていない可能性は捨てきれない。
 考えたところで、レオナルドには知る手段などない。その手段があったところで、知りたいとも思わないが。
 レオナルドが彼女に思うことは、ただ一つ。
「……僕もあなたも、神様にしか祝ってもらえそうにないみたいだね」
 憐れな生け贄として生きていくしかない。同じ境遇の姫には同情以外の感情は抱けそうになかった。
「ん? どうかいたしましたか?」
「別に、何でもないです。早く行きましょう」
 まだ見ぬ婚約者に向けた言葉を、誰かに聞いてもらいたいとは思わなかった。
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