爪弾き者の第一王女は敵国の年下王子の妻となる

河合青

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2.雪の降る国

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「お初にお目にかかります。わたくし、レオナルド様の御命令で王女様をお迎えに上がりました。名はジョルジュ・エスト。気軽にジョルジュ、とお呼びなさってください」
 翌日の正午、リーゼロッテの宿舎を訪ねたのはレイノアール王国の使いだという三人の男であった。
 その中の一人、顔を隠す仮面が目を引く青年が、まるで道化師のような演技掛かった口調でリーゼロッテの足元へと膝を付いた。残りの二名はジョルジュに不満げな視線を送りながら、その場で深く礼をしている。
 既にリーゼロッテ側の出立準備は整っている。元々荷はオズマン商会の馬車で、彼らがレイノアール国へと運ぶ商品と共に運ぶ予定となっていたため、レイノアールからの馬車にはリーゼロッテだけが乗り込むこととなる。
「では、道中お気をつけて。なにかありましたら、私の部下もご同行いたしますからお声掛けください」
「ありがとうございます、ゴーゼル。……ヴィオレッタも、お元気で」
 見送りの場には、ヴィオレッタも顔を見せていた。彼女は複雑な胸中を隠すように目を伏せると、小さな声で「お姉様も」とだけ応えた。
 ゴーゼルとヴィオレッタだけではない。見送りにはその他のオズマン商会の社員も顔を見せている。
 第一王女を一目見たいという野次馬根性の者もいれば、レイノアールに旅立つ同僚を見送りに来た者もいる。しかし、その中にマリンハルトの姿はなかった。
 リーゼロッテはそれ以上声を掛ける相手もなく、足元に跪くジョルジュに顔を上げさせる。
「それではジョルジュ。それにお二方も。今日からはレイノアール国の人間として、よろしくお願い致します」
「レオナルド様の奥様ということは、わたくしにとっても仕える主ということになりますから。この命を掛けて、貴方様をお城へとお連れいたします」
 ジョルジュの一言一言に、他の男たちが厄介そうに眉をしかめたのをリーゼロッテは見逃さない。既に何らかの思惑が動き出していることを察するには十分であった。

 レイノアール国へ入国を果たして、四日目の夜。王都に近く国の流通の要となっている大都市ゼレノスで最も大きな宿泊施設が、旅の最後となるだろう。
 王都へ向かう商人の通り道となるこの町では多くの宿で警備の私兵を抱えているため、治安の良さは国内一である。
 ゼレノスで最も高価かつ私兵の腕が立つ宿に部屋を取ったリーゼロッテ達は、明日の王都入りの準備を終え、思い思いの時間を過ごしていた。
「旅の疲れが溜まっていらっしゃるというのに、お手数をお掛けしてしまって申し訳ありませんでした」
「いいえ。私も自分の目で確認した方が安心できますから構いません」
 レイノアール行きに同行したオズマン商会の青年タキへと微笑み掛けたリーゼロッテ。つい先ほどまで、彼女はタキに頼まれ荷の点検に付き添っていたのだ。
 積み荷の点検を終え、タキはリーゼロッテを部屋に送るため隣を歩く。
 これまでの道中ではジョルジュがリーゼロッテの側を離れず、馬車にも同席していたのだが、ゼレノスの街で問題は起こらないだろうと考えているのか珍しくその姿はない。
「これでリーゼロッテ様のお荷物と我々の商品が混ざる心配はございませんから、明日の荷下ろしもスムーズに行えると思いますよ。……ところで、リーゼロッテ様。そちらは何なのでしょうか?」
 穏和な笑みを浮かべていたタキは、不思議そうな目をリーゼロッテの腕に抱えられている箱に向けた。胸に抱ける程度の大きさの木箱は、商品に紛れてオズマン商会の積み荷に混ざってしまっていたリーゼロッテの荷物である。
「これは城を出るときに従者から贈られたものです。街の者が用意したものらしく、私も中身は見ていないのですが……」
 リーゼロッテの言葉に、タキは瞳を輝かせる。王都に住む人間がリーゼロッテのために贈り物を用意する。それがどのような品であるのか、一人の商人としては興味を引かれた。
「中身、見てみませんか?」
 二十代半ばである年上のタキに子犬のような期待に満ちた眼差しを向けられてしまえば、リーゼロッテも苦笑するしかなかった。
 この人懐っこく悪意のない笑顔で多くの客から信用と好感を奪っていくタキを、レイノアール国との商談の頭に選んだゴーゼルの人選は間違っていないだろう。現に彼は、同行するレイノアールの騎士達と街に着くたびに食事を共にとる程には距離を詰めている。
 リーゼロッテは頷くと、抱えていた木箱の蓋に手を掛けた。痛いほどに注がれるタキの視線は、木箱から一瞬たりとも離れはしない。
「これは……」
「布……いえ、絹ですね。少しよろしいですか?」
 タキはリーゼロッテの了承を得ると、木箱に畳まれていた絹を手に取った。その際に、丁寧に畳まれていた絹の間から何かが滑り落ち、木製の廊下に鈍い音を立てて転がった。
「申し訳ありません……て、これ王印?」
 慌てて拾い上げたタキは、その金属版に掘られた薔薇の意匠に目を丸くした。服の袖で付いていた埃を払うと、困惑を隠しきれない表情でリーゼロッテへと王印を手渡した。
「どうしてこのようなところに?」
「……心当たりは、ありますが」
 まさか、リーゼロッテも王印がこのような場所にあるとは思わなかったのだろう。ぽかんと口を開けたまま、恐る恐るタキから王印を受け取った。
 アリアの身を守るために渡した王印が、リーゼロッテの元に戻ってきた。それが何を意味するかがわかったとしても、この行動に出たアリアの意図がリーゼロッテには掴みきれない。
「アリア……」
 無意識のうちに、リーゼロッテは彼女の名を口にしていた。王印を返すということは、ミレイニアの元へは行かなかったということだろう。ならば今、アリアがどこで何をして生活をしているか。それを知る術が今のリーゼロッテにはない。
 不安に塗り潰された瞳の色に気付き、タキは場の雰囲気を変えるようにわざと明るい声を出した。
「これ、ケノン公国の絹ではありませんか? うわースゴいなー。自分も数えるほどしか見たことないですよ」
 何があったのかを問うことは簡単であったが、リーゼロッテが簡単に口にするとは思えなかった。それならば、と彼はあえて頭の悪そうな声と語彙力でその場の雰囲気を吹き消そうとする。
「私も一着で良いからケノン産の絹で作った服が欲しいんですよね。ゴーゼルさんはいくつか持ってるみたいですけど、私のような未熟者では着てみたところで身の程に合っていないからカッコ悪くてなっちゃいますよ」
「未熟だなんてご謙遜を。貴方は一目でこれがケノンのものだと見抜いたではありませんか。それにその若さでレイノアール行きの任を与えられているのですから、期待されているということでしょう?」
「いやいや、ただ独り身の若者で身寄りもありませんから遠出させるのに丁度良かっただけです」
 尚も謙遜の姿勢を変えないタキに、リーゼロッテはいつも通りの穏やかな微笑みを向ける。彼女の微笑みに、タキはとりあえずほっと息を吐いた。
 しばらく歩みを進めていくと、上階に繋がる階段の前に辿り着く。リーゼロッテの部屋は上階にあるため、タキとはここで分かれることとなる。
「ここまでで結構です。それでは、また明日」
 会釈をして階段を登り始めたリーゼロッテを慌てて追いかけ、タキはその隣に足を並べた。
「お部屋までお送りします。リーゼロッテ様に何かあっては困りますから」
 いくら国内で最高級の警備を誇る宿泊宿とはいえ、ここは元敵国なのだ。タキが不安に思うのは当然であったが、リーゼロッテは苦笑と共に首を横に振った。
「大丈夫ですよ。少なくともこの建物の中に不審な人物は入ってこれませんし、私を殺して得をするような者も現状ではいないでしょう」
「ですが、損得は関係なしに恨みから貴方を狙う者がいるかもしれません」
「そうだとしたら、危険なのはアカネースの人間であるタキも同じことです。この宿は今後活発になる両国間の貿易でアカネースからの客を得たいと考えているそうですから、尚更に私の身に危険が及ぶ真似は避けたいでしょう」
 リーゼロッテの部屋のある最上階は部屋自体の数が少なく、警備兵は他の階と同数を控えさせている。当然それぞれの部屋には鍵が掛かっており、部屋を空けた隙に何者かが侵入するということも不可能であった。
 柔らかな声音であったがはっきりとした拒絶にタキはこれ以上説得を試みることは叶わなかった。しかし、一人行かせるわけにはいかず動けないままでいると、リーゼロッテはタキの肩を軽く叩いた。
「お気遣いありがとうございます。でも……貴方に部屋と前で別れるところを誰かに見られたとして、そこから根も葉もない噂を立てられてしまっては困りますから」
 これには、タキも納得せざるを得なかった。嫁入りを前にした女性が他の男と密会をしていたなどと噂をされてしまっては、今後の和平にも影響が出るかもしれない。
「……承知いたしました。では、お気をつけて」
 渋々頷いたタキは、リーゼロッテの背中が見えなくなるまでその場を動くことはしなかった。
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