爪弾き者の第一王女は敵国の年下王子の妻となる

河合青

文字の大きさ
上 下
47 / 56
2.雪の降る国

15

しおりを挟む
 ゴーゼルとの取引も無事に纏まり、明日にはレイノアール王国の迎えの馬車に乗って国境へと向かう。
 リーゼロッテにとっては、今日が最後のアカネース国の夜となるかもしれなかった。ゴーゼルが用意した来客用の宿の最も豪勢な一室の窓際に立ち、リーゼロッテは街の風景を見渡している。
 その横顔を、入り口付近に控えたマリンハルトが見つめていた。彼も同様の宿に、質は劣るが一室を用意されている。叶うなら彼は、リーゼロッテが眠るまで、側に控えていたかった。
 マリンハルトの我が儘を、リーゼロッテが咎めることはしなかった。廊下には護衛としてゴーゼルの部下が控えているため、間違いが起こるということもないだろう。
 彼女をこの瞳に写すことが出来るのは、この夜が最後となる。マリンハルトはこの先に同行することはできない。遠くを見つめる瞳に、もう一度自分を写してはくれないだろうか。そんな叶わぬ夢を見る。
「ゴーゼルが話のわかる方で安心しました」
 まるで独り言のように、リーゼロッテは呟いた。瞳は街に向けられたまま、マリンハルトは映さない。
 返事を期待しているわけではないのだろう。証拠に、リーゼロッテは一人言葉を続ける。
「こちらの出した金額で、まさか鉱山を一つ手に入れられるとは私も予想外でした。ゴーゼルにとっても、レイノアール国という国には期待が大きいようですね」
 リーゼロッテは窓辺から離れると、テーブルへと近付いて上に広げていた鉱山の権利書を手に取った。ゴーゼルとの間に結ばれた取引は、アカネース国北部に位置するゴジア山の経営権を買い取るというものであった。
 しかし、リーゼロッテに経営の知識があるわけではないため、実質的に鉱山を管理するのは変わらずオズマン商会の仕事となる。リーゼロッテはゴジア山で産出された鉱石のうち、前月の産出量の四割を自身の資産として受け取る契約となっていた。
 人件費や道具、流通に関わる諸々の費用はオズマン商会で持つというのだから、四割の鉱石というのは決して少なくはない。
 今回の取引は、レイノアールという国の後ろ盾があってのものだ。リーゼロッテも良く理解しているようで、利益の配分については特に反論を示さなかった。
 ゴーゼルを相手に怯むことなく向き合うリーゼロッテは、マリンハルトの知らない彼女のようにも思えた。それもそのはずである。マリンハルトは、この先遠く離れた地で暮らすために手を回す彼女の後ろ姿など、一生目にしたくはなかったのだから。
「……そんな顔をするのなら、早く部屋に戻った方がお互いのためですよ」
 一瞥もくれぬまま、優しく投げられた言葉。マリンハルトは顔を上げ、権利書に目を通すリーゼロッテへと苦しそうに唇を噛み締める。
「辛いのは、俺だけですか」
 ぎり、と嫌な音を立ててかち合った奥歯の更に深く、腹の底から絞り出された声はか弱く。
 リーゼロッテの耳に届いたのは、奇跡に等しいだろう。彼女は権利書を手にした腕を胸に抱き、僅かに首を縦に振った。
「そうですよ、マリンハルト。辛いのは貴方だけ。……私は少し、寂しいだけです」
 今すぐにでも、逃げ出したいと言ってほしかった。マリンハルトはこの一週間、その言葉を涙が干上がるほどに待ち望んでいた。
 しかし、同時に知っていた。
 リーゼロッテは逃げることを望まない。彼女の瞳に、レイノアールの王子は既に映っている。
 叫びだしたい衝動が胸の奥に沸き上がる。このまま、強引にでもリーゼロッテを拐ってしまうことは容易い。
 これから先、リーゼロッテの瞳に自分が映り込むことはない。ならば、離れた土地にいて二度と会えないよりも、彼女の瞳が向けられなくとも側にいた方が幸せではないか。
「マリンハルトは私にとっては兄のような存在でしたから、離れるのは寂しく思います」
「兄……」
「手の掛かる妹で申し訳ありませんでした」
 妹だなんて、一度たりとも思ったことはない。マリンハルトの言葉を牽制するように、リーゼロッテは微笑みと共に頭を下げる。言葉の行く先を見失った想いは、マリンハルトの胸の中で消化されないまま積もり重なった。
「……手の掛かる、だなんて。むしろ聞き分けの良い手の掛からない妹だったと思いますよ」
 心にもない言葉が、すんなりと唇から溢れ落ちた。聞き分けが良いのは自分も同じ。
 ありがとう、と囁かれたリーゼロッテの小さな声は、最後の夜に溶けて消えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。

かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。 ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。 二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

続編  夕焼けの展望台に罪はない

仏白目
恋愛
 夕焼けの展望台でプロポーズすると幸せになれるんだって! の続編 離婚して半年 傷心のミランダはコッペンデール王国から離れ、故郷のメメント王国に帰り1人暮らしをしている いまだに心の中にある虚しさを誤魔化す為に仕事に没頭していた そんな時、ある町の薬師の手伝いを依頼されたミランダは同僚の薬師と3人で訪れる事になる そこでもコッペンデールの夕焼けの展望台のプロポーズは若者達の噂になっていて・・・

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

【完結】私の望み通り婚約を解消しようと言うけど、そもそも半年間も嫌だと言い続けたのは貴方でしょう?〜初恋は終わりました。

るんた
恋愛
「君の望み通り、君との婚約解消を受け入れるよ」  色とりどりの春の花が咲き誇る我が伯爵家の庭園で、沈痛な面持ちで目の前に座る男の言葉を、私は内心冷ややかに受け止める。  ……ほんとに屑だわ。 結果はうまくいかないけど、初恋と学園生活をそれなりに真面目にがんばる主人公のお話です。 彼はイケメンだけど、あれ?何か残念だな……。という感じを目指してます。そう思っていただけたら嬉しいです。 彼女視点(side A)と彼視点(side J)を交互にあげていきます。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...