爪弾き者の第一王女は敵国の年下王子の妻となる

河合青

文字の大きさ
上 下
43 / 56
2.雪の降る国

11

しおりを挟む
 ただ笑顔を振り撒くだけの王女様よりも、どこか刺のある女の方が好ましい。それは確かにゴーゼルの持論ではあったが、あくまでも快楽を求める遊びの恋愛に関してだけの話であるのだと、目の前の娘と対峙しながらゴーゼルは確信した。
「申し訳ございません、リーゼロッテ様。ヴィオレッタが道中でリーゼロッテ様から頂いたお手紙を紛失致しまして、彼からお話を伺ったときに初めて耳にしたお話にございました」
 その場で、テーブルに頭が付きそうな程に深々とゴーゼルは頭を下げた。謝罪の気持ちに嘘はないのだと、リーゼロッテに理解してもらわなければならない。
 実際、ゴーゼルの中には罪悪感と後悔が大きく渦巻いていた。
 リーゼロッテの婚約の報がゴーゼルの耳に届いた時、何か入り用の物があれば依頼があるだろうとすぐに手配できるよう在庫の確認や流通網の確認は怠らなかった。しかし、王都から戻ったヴィオレッタにリーゼロッテからの依頼がなかったか、確認することはしなかった。
 普段から二人の間に会話が少ないことも理由の一つではあるが、最大の原因はゴーゼルがまさかリーゼロッテがヴィオレッタを通してオズマン商会に依頼をするとは思いもしなかったからだ。
 ヴィオレッタがリーゼロッテを好ましく思っていないことは周知の事実だ。自分に敵意を抱いている相手に頼み事をして、希望通りに事が進むなど普通は考えられない。
 それにまさか、リーゼロッテが自分を相手に取引の場で優位性を奪いに来るとは思いもしなかった。
 それでも万が一を考えて尋ねておけば良かったと、自分自身の短慮さにゴーゼルは腹を立てていた。今となっては何を言ったとしても、言い訳にしかならないのだから。
「そうだったのですね。ですが、私もそれを仕方がなかったの一言で済ませてしまうわけにはいきません。どうにかならないのでしょうか?」
 柔らかな口調ではあったが、それは間違いなくゴーゼルへの命令であった。
 ゴーゼルは顔を上げると、先程の注文書とは別の書類を机上に並べた。
 そこには、リーゼロッテが依頼した各種鉱石の名称と個数、そして金額が並べられている。
「……ご依頼の品はこちらで合っておりますか?」
 差し出された書類を受けとると、リーゼロッテはさっと字面に目を通す。そして、合計の金額を確認すると微笑と共に書類をゴーゼルへと手渡した。
「ええ、合っております。マリンハルトに確認頂いたのですね」
「はい。それで、今すぐにご提供できる数というのが……」
 ゴーゼルは別の書類を手に取ると、先程の希望商品の一覧の隣にそれを並べた。
 記載されている名称は同様で、そこには赤い文字で個数と金額が記入されていた。
「こちらに書かれている数がリーゼロッテ様の出発に合わせてお渡しできる数になっております。残りを私たちがレイノアール国までお運びする形でのご提供とさせていただけるのでしたら……」
 記載分だけを先に渡し、残りは後からレイノアール国に届ける。その方法をゴーゼルはリーゼロッテに提案したが、彼女は良い顔をしなかった。
「……レイノアール国には鉱山が多くはなく、特に石炭の採れる炭鉱は少ないと伺っております。それ故に、我が国程の工業面が発展がしていないと」
「えぇ。リーゼロッテ様の仰る通りにございます」
「おそらくレイノアール国が今回の和平条約で期待するのはその辺りになるのではないかと睨んでおります」
 リーゼロッテの言葉に、ゴーゼルは頷く。それについてはゴーゼルも見込んでいることで、だからこそ今ここで対応を間違えてリーゼロッテを客として逃がすわけにはいかなかった。
「ですが、アカネース国から大金で石炭や鉄を買い取ったとしても、上手く活用できるかもわからなければ中々手出しは出来ないでしょう」
「そうでしょうね。何事も初めて手を出す事業というのは失敗の危険と隣り合わせです」
「ですから、私は自分の資産として多くの鉱石をレイノアール国に持ち込みたいのです。何一つ後ろ楯のない身で元敵国に嫁ぐにあたって、武器になるものが欲しいと思ったのです」
 リーゼロッテに言われてしまえば、ゴーゼルは自分の提案がリーゼロッテの望みを叶えるには不適であることを察せざるを得なかった。
 自身の考えを一通り述べ、リーゼロッテは一度口を閉ざした。真っ直ぐに向けられた蒼の瞳は雲一つない空のようで、見つめられ続けてしまっては息が詰まりそうだ。
 しかし、ここでのゴーゼルの対応がこの先のオズマン商会とレイノアール国の命運を握っているといっても過言ではない。
 ゴーゼルが最も避けたいのは、リーゼロッテが仕方なくゴーゼルの提案を受け入れるという形を取られることであった。欠品のある状態で渋々了承を得る形となってしまえば、ゴーゼルはリーゼロッテに借りを作ることになってしまう。
 これがレイノアール国を背後に持つリーゼロッテとの初回の商談であることを考えると、今回で対等の取引が出来なければ尾を引くことは明らかである。
 ゴーゼルは微笑みを讃えたまま、頭を回転させる。真っ直ぐに見つめるリーゼロッテの瞳が、引き下がるタイミングを見計らうようにゴーゼルへと縫い付けられていた。彼女を逃がさぬようにその瞳を捉えたまま、ゴーゼルは余裕たっぷりの笑みを浮かべてみせた。
「……北に一つ、小さな鉱山があります。年間の産出量もうちで所有する鉱山の中では低い方ですが、我が領地からそれほど遠くないことと、石炭、鉄、稀に銀が採れることもあり決して悪くはない山です」
 思い至った一つの可能性を口にする。眉一つ動かさず、動揺の色は浮かべずに、ゴーゼルはゆっくりと言葉を続けた。
「この金額で、山を一つ買われてはいかがでしょうか?」
「山を、ですか?」
 丸く見開かれたリーゼロッテの瞳には、隠しきれない驚きが浮かび上がる。この娘は本当に驚くとこんな顔をするのか、と頭の片隅に思い浮かべながら、ゴーゼルは糸のように細い瞳に曲線を描く。
 彼女を敵に回すつもりは毛頭ないが、ゴーゼルは十も下の娘の良いように転がされてやるつもりも初めからなかった。
 国内外まで商人として名を知られた男が、後手に回ったとはいえ商談で負かされることはあってはならない。
「リーゼロッテ様が大量の鉱石を背負ってレイノアール国に入国するということは叶いませんが、紙切れ一枚でも大きな武器になると思えませんか?」
 リーゼロッテは指先でそっと唇に触れると、瞼を落としてしばらく押し黙っていた。考える時間はどれだけ与えても構わない。ゴーゼルは黙って彼女が再び口を開くときを待ち構えた。
 手応えは、ある。リーゼロッテの瞳が彼女の提示した鉱石のリストから離れないのがその証拠だ。
 ゴーゼルは余裕のある曲線を目元に浮かべ、懐の広さを見せつけるように急かす言葉の一つも掛けない。
 それは待ちくたびれるには短い時間であったが、ゴーゼルにとっては胃が痛む程に長い時間に思えた。
「……その話、詳しくお聞かせ願えますでしょうか?」
 慈悲深い天使のような柔らかな微笑みを浮かべるリーゼロッテが、ゴーゼルの目には悪魔のようにも映っていた。彼女はアカネースの城の奥で、爪弾き者として生涯を終えさせるのが国のためだったのではないかと思ってしまう。
 天使のごとき慈悲深さを仮面として心の内に持ちながら、悪魔を思わせる冷徹さを胸の内に隠し持つ彼女が、アカネースという枷を外されたときにその悪魔をこの国に向けないという保証がどこにある。彼女に少しでもこの国を恨む心があったのなら、レイノアールという国に荷担したとしてもおかしくはない。
 しかしそれは、ゴーゼルが気に病むことではない。
 彼はアカネースという国の未来よりも、オズマン商会の長として部下や家を守ることを最優先に考えていれば良い。そのためには、リーゼロッテと鉱山の取引を成功させる。
 仮に彼女が敵に回るようなことがあったとしても、アカネース国内の一領主としてではなく、頼りになる優秀な商人としてリーゼロッテに認識されることができれば、彼女の刃が向けられることはないだろう。
 リーゼロッテとはゆっくりと顔を合わせて話す機会は今日が初めてであったが、商人として多くの人間と顔を合わせてきたゴーゼルには彼女が信頼における人物であると判断できた。
 その人となりはよく知らないが、少なくともリーゼロッテは感情ではなく損得や立場で物を考えられる人間である。恋人としてのお付き合いは遠慮だが、取引相手としては申し分ない。
「承知いたしました。お話しさせていただきます」
 頷く彼女の表情に、ゴーゼルは成功を確信し、正確な資料を用意するために立ち上がった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。

かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。 ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。 二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

処理中です...