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2.雪の降る国

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 オズマン家の邸宅であり、オズマン商会の本拠地でもある屋敷の中でも、最も上級の調度品で彩られた応接室にリーゼロッテは通された。
 壁に掛けられた絵画、飾られた生花、静かにこちらを見つめる彫刻、そのどれもが美しく人の心を掴む。
 現在リーゼロッテが腰を下ろしているソファも同様に、体を包み込むような弾力は母親の腕のように心地が良く、疲れきった体であれば寝入ってしまってもおかしくはない。
「長旅、お疲れ様でした。道中変わりはございませんでしたか?」
 傍らに立ち控えるマリンハルトが控えめに声を掛けた。ゴーゼルが応接室に訪れるにはまだ時間がありそうだと判断し、マリンハルトは言葉を続けた。
「ご伝言も伝えております。やはり、ヴィオレッタ様はゴーゼル様に手紙をお渡しにはなられなかったようです」
「そうでしょうね。問題はありません」
 リーゼロッテは緩く微笑むと、真っ直ぐに伸びた背筋のまま飾られた絵画に目を移した。
 真っ白に染め上がった山と、その山から上る朝日を描いたその作品は、冷たさと温かさが程よいバランスで解け合っていた。
 その視線を追ったマリンハルトは、リーゼロッテの視線の先にあるものが雪の絵画であることを知る。これからの生活を、絵の奥に描いているのだろうか。それを思うと、胸が痛んだ。
「失礼致します、リーゼロッテ様」
 規則正しいノックの音に続いて、ゴーゼルが応接室に姿を現した。
 汚れ一つないシャツに濃紺の上着を羽織った姿は、貴族ではなく商人の姿である。
 深く頭を下げるゴーゼルに応えるようにリーゼロッテは立ち上がり、礼を返した。マリンハルトも後に続く。
 顔を上げたゴーゼルは二人へと深い笑みを向けると、手のひらを向けてリーゼロッテの座っていたソファを示した。
「どうぞ、お座りになってください」
「ありがとうございます」
 リーゼロッテとゴーゼルはテーブルを挟み、向かい合ってソファに腰を下ろした。マリンハルトは変わらず傍に立ったままである。
「王都からの長旅、お疲れさまです。私の領地でお会いするのは初めてでしたね」
「えぇ。ゼニカの街より北に訪れたことはなかったので。まだレイノアール国に入っていないのにこちらは冷えますね」
「あちらはもっと寒いですからね。ですので、そちらの彼から依頼頂いた防寒具についてはレイノアール国内で流通しているものを取り寄せました。やはり、国内で生産されるものでは心もとないと思いまして」
「それは有り難いことですが、金額的に問題はないのですか?」
「提示頂いている予算の中には収まっておりますよ」
 挨拶もそこそこに始まった依頼品の確認はスムーズに進んでいく。
 机上に並べられた注文書に記載された商品一覧の上を、リーゼロッテの指先がなぞっていった。
 嫌がらせで駄目になってしまった防寒具を始めとする衣類、新調が必要となった装飾具、その他些細な日用品など、数にしてみれば大した量ではないが、その一つ一つをリーゼロッテは丁寧に確認をしていった。
「この耳飾り、真珠をあしらったものにしては価格が安いように思えるのですが……」
「最近、真珠貝の養殖技術を確立させた国がありまして、その関係で今までよりお安くご提供できるようになったのです」
「依頼よりもドレスが一着多いようですが、これは?」
「依頼品が提示金額の内に収まりましたので、勝手とは思いながら差額で一つご用意させていただきました。こちらは、現在レイノアール国のご令嬢の間で流行のデザインですので、一着持っていても損はないかと判断いたしました」
「それは、ありがとうございます。私はどうにも流行に敏感ではないものですから、心配り感謝いたします」
 細かな指摘が入っても、嫌な顔一つせずゴーゼルは丁寧に返答していく。
 一通りの確認を終え、リーゼロッテは契約書に了承の意をもって自身の名をサインした。
 これで、レイノアール国への嫁入り道具は一通り補填出来たことになる。しかし、リーゼロッテがオズマン商会に依頼したのはこれだけではなかったはずだ。
「やはり、ゴーゼル様にお願いして正解でした。希望の品を提示金額の中で収めていただくだけではなく、私が思い至らなかった必需品まで手配いただけたのですから。それに、これだけの物を数日の間に用意頂けるとは、さすが大陸に名だたるオズマン商会ですね」
「いやいや、そんな大層なものではございませんよ。商売というものはお客様を満足させなければ存続できませんからね。それに、リーゼロッテ様がご提示された金額は品物に対して無理がなく妥当なものでしたから、こちらも品物を集めやすかったですよ」
 それはよかった、と微笑んでリーゼロッテは背筋を正した。彼女にとっては、ここからが本題となる。
 ここまでは、マリンハルトに早馬を出させて依頼した内容だ。しかし、リーゼロッテにはもう一つゴーゼルへと依頼した品がある。
「ところで、ヴィオレッタから鉱石の購入の件について依頼をさせていただきましたがこちらはどうなっておりますか?」
 仮面のように貼り付けられた笑みの奥に潜む心を見せぬよう、リーゼロッテは言葉の刃を構えた。
 穏やかな笑みを崩さぬゴーゼルであったが、一瞬返答に詰まった。その隙を逃さず、リーゼロッテは言葉を重ねる。
「結構な量と金額をお願いすることになりましたから、ヴィオレッタに渡す方が早いと思ったのですが、やはりお時間が足りなかったでしょうか?」
 相手を気遣うような言葉を口にしているものの、リーゼロッテの表情には微塵も動揺が見られない。
 彼女はわかっているのだ。ヴィオレッタは一週間前にはこちらに戻っており、七日という時間があればゴーゼルは多少の無茶であってもリーゼロッテの要求に応じようと手を回せただろうことを。
 何故なら、今ゴーゼルの目の前にいるのはアカネース国の人間でありながら、レイノアール王家と深い繋がりを結ぶことになる数少ない人間なのだから。レイノアールにも商圏を広げていきたいゴーゼルにとっては、多少の損は承知の上で恩を売りたい相手なのだ。
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