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2.雪の降る国
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灰色の雪雲の先には、眩しく輝く太陽があるのだろうか。
レイノアール王国は今日も、地上に落ちない太陽の光を諦めてほの暗い昼間を過ごしている。
首都レゾアンは、遠目には要塞と見間違える高い城壁に囲まれた街である。
中心部に近づくにつれて階段のように高くなっていく都市を、緩やかな傾斜をもつ城壁が階層ごとに仕切っている。城壁によっては日の光を遮られる地区も存在しているが、数少ない太陽の光よりも驚異となり得る雪を避けることを優先とさせた結果であった。
城壁に沿って流された雪は地下に集められ、レゾアンの水源として利用される。地下は地上よりも温かく、雪も簡単に水へと変わる。
最も高い場所にある中央部には王城が。そこを一階層とし、上層から順に四つの階層でレアゾンは構成されていた。
高層階ほど身分の高い人間が住み、平民たちは多くが三、四階層に集中している。レゾアン市民の八割は三、四階層に住んでいるため、街も賑わいを見せているのは下層が中心となっている。
四階層よりも更に外側には田畑が広がっている。城下町に住む農民の農地は全て城壁の外側にあった。
王城が建てられている一階層は王族のみが暮らしており、雪の降り積もる庭園があることから『白の庭園』と呼ばれている。
まだ雪の積もらぬ庭園が見える渡り廊下で、レオナルドは一人溜め息を吐いた。つい先程アカネース国からの長旅を終えた矢先に、向こうの王女との婚姻が決まったことで母親の呼び出しを受けていたため、必要以上の体力を使ってしまった。
「……疲れた」
聞きたくもない母親の小言を聞くこと一時間ほど。その全てがアカネースの姫を快く思わないゆえの嫌味だったため、レオナルドも全て聞き流し何一つ記憶には残っていない。
冬が近付いていても花は咲く。庭園を彩る花々を眺め、思い出すのはアカネース国の夕焼け空とあの娘の言葉だった。
「愛する……か」
レイノアール国は、少なくともレオナルドの母であるこの国の正妃はアカネースの姫を愛さない。彼女を敵に回すならば、それに従う者も多いだろう。
正妃のナタリーは手段を選ばない人間だ。少しでもアカネースの姫がアレクシスの王位を揺るがすような振る舞いをすれば、命の危険もあるだろう。
例えアカネースの姫が何もしなくても、隣国の第一王女というのはナタリーにとって厄介な存在になる。
「興味を持たないのが一番安全なのかな……」
「ほうほう、それで?」
「え? うわ、ジョルジュ!」
隣から聞こえた声に驚いて顔を上げると、誰もいなかったそこには見慣れた従者の姿があった。
「お疲れですね。これはお母様にこってりと絞られましたか」
レオナルド直下の近衛騎士は二人。アカネース国に同伴したイヴァンと、現在目の前にいるジョルジュの二名である。
年齢は二十八と、イヴァンより四つも上なのだが、纏う雰囲気はイヴァンの方が格段に落ち着きがある。
「レオナルド様とアカネースの姫との婚姻の報が届けられた日には、それはもう凄い怒りようでしたよ。正妃様の怒りで今年は雪が降らないのではないかと思うくらいでした」
浮わついた笑みのよく似合う声音でジョルジュは告げた。しかし、実際に笑みを浮かべているのかは、ジョルジュが付けている仮面のせいで判別は難しい。
レイノアールには珍しくはっきりとした栗色の髪は肩に掛かる長さまで無造作に伸ばされている。白い肌に反して黒の仮面が目立っており、仮面から覗くムーングレイの丸い瞳は黒の奥で霞んでしまう。
首筋に延びる焼け爛れた肌が、彼の仮面が何を隠すための物であるのかを語らずとも説明していた。
何もしなくとも目を引く出で立ちなのは、その高身長のためではなく、奇異な仮面姿のせいである。城内では不気味がられることが多く好印象を持たれてはいないが、ひと度城下へと下りれば女性からはミステリアスな雰囲気が素敵だと言い寄られ、子供からは大道芸をせがまれる人気者でもあった。
「絞られたって、別に僕はなにもしていないよ」
「何もしていなくても何か言うのがあの方ですよ。大方、今回の婚姻について色々と釘を刺されたってとこでしょう?」
目が笑っている。レオナルドが非難めいた視線を送れば、ジョルジュは降参するように両手を挙げてみせた。
「怖い顔しないでくださいよ。大変だなとは思っているんですよ」
「同じくらいに面白がっているのがわかるんだって。何がそんなに面白いのか……」
「いや、だってレオン様がご結婚ですよ? 俺としては嬉しくて仕方がないですよ」
これは決して冗談ではないことが、レオナルドには付き合いの長さでわかった。
ジュルジュがレオナルドに対して強い親愛の念を持っていることに疑いはない。気安い口調の裏には積み重ねてきた時間がある。
自分の結婚を喜んでいることは、レオナルドも嬉しかった。しかし、それを直接言葉にするのは気恥ずかしく、ジョルジュから顔を背けてしまった。
ジュルジュがにやにやと口角を吊り上げるものだから、尚更素直に口にするのも癪だ。
「……とにかく、母様には気を付けなければ。あの人は何を仕出かすかわからないから」
「そうは言いますけど、俺もイヴァンもいますからレオン様が心配するような事態にはならないと思いますよ」
危機感の欠けたジョルジュを責めるように睨み、レオナルドは拳を握り締めた。
「貴方はあの人の怖さを知っているはずだ! それなのに……」
感情的に荒げられたレオナルドの声が渡り廊下に反響する。一瞬のうちにジョルジュは周囲に視線を巡らせ、誰もいないことを確認すると申し訳なさそうに目を伏せた。
「今のは俺の失言でした。申し訳ありません」
「……別に、怒ってはいないよ。ただ……やりきれなくなっただけ。ジョルジュが悪いわけじゃない」
「そう言っていただけると救われます……」
落ち着いた振る舞いを心がけているため滅多なことでは声を荒げたりはしないが、やはりレオナルドもまだ十五の少年だ。ジョルジュ自身忘れがちになるが、まだまだレオナルドは未熟である。
そんな主人に結婚を強いるこの国の冷徹さと、変わることのできない無力さを仮面の内側に秘め、ジョルジュは明るい声で懐から封の切られた一枚の手紙を取り出した。
「そうそう、イヴァンから報告が届きました」
心中を悟られぬことのない陽気な声音に欠片も不審がることなく、レオナルドは微笑を浮かべるとほっと胸を撫で下ろした。
「よかった。イヴァンは元気そうだった?」
「そうですね。特に問題なく、侍従に紛れて城に潜り込んでいたみたいですよ。ご自身で確認されるのが一番かと」
イヴァンは元々情報収集に長けた一族の生まれである。多くの間者を抱え統率するだけではなく、本人たちも隠密行動を得意とした生まれながらに影の世界を住み処とする者だ。
現在は唯一の生き残りとなってしまったイヴァンであったがその隠密行動の腕は健在で、領主の不正を暴くために相手の屋敷に入り込んではレオナルドに情報を伝えるというのはよくあることであった。
確かにレオナルドはアカネース国の第一王女について出来る限り人となりを調べてほしいと命じたが、まさか王城にまで入り込むとは思ってもいなかった。驚きに言葉を失ったレオナルドへ、ジュルジュは雪雲をも吹き飛ばせそうな快活な笑い声を上げる。
「今さら驚くことですか。イヴァンに任せればわからないことなどありませんよ」
「僕もそれには同意するけど……アカネース国の警備が緩いのかイヴァンが凄いのかどちらかわからないから何とも答えにくいよ」
「イヴァンの能力は当然高いとして、丁度王女の婚姻の準備で人手が欲しかったみたいですよ」
やや納得のいかない様子のレオナルドであったが、今は遠い隣国の警備を気にしたところで仕方がない。
それよりも、レオナルドが今考えなければならないのは未来の妻についてである。
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四階層よりも更に外側には田畑が広がっている。城下町に住む農民の農地は全て城壁の外側にあった。
王城が建てられている一階層は王族のみが暮らしており、雪の降り積もる庭園があることから『白の庭園』と呼ばれている。
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「……疲れた」
聞きたくもない母親の小言を聞くこと一時間ほど。その全てがアカネースの姫を快く思わないゆえの嫌味だったため、レオナルドも全て聞き流し何一つ記憶には残っていない。
冬が近付いていても花は咲く。庭園を彩る花々を眺め、思い出すのはアカネース国の夕焼け空とあの娘の言葉だった。
「愛する……か」
レイノアール国は、少なくともレオナルドの母であるこの国の正妃はアカネースの姫を愛さない。彼女を敵に回すならば、それに従う者も多いだろう。
正妃のナタリーは手段を選ばない人間だ。少しでもアカネースの姫がアレクシスの王位を揺るがすような振る舞いをすれば、命の危険もあるだろう。
例えアカネースの姫が何もしなくても、隣国の第一王女というのはナタリーにとって厄介な存在になる。
「興味を持たないのが一番安全なのかな……」
「ほうほう、それで?」
「え? うわ、ジョルジュ!」
隣から聞こえた声に驚いて顔を上げると、誰もいなかったそこには見慣れた従者の姿があった。
「お疲れですね。これはお母様にこってりと絞られましたか」
レオナルド直下の近衛騎士は二人。アカネース国に同伴したイヴァンと、現在目の前にいるジョルジュの二名である。
年齢は二十八と、イヴァンより四つも上なのだが、纏う雰囲気はイヴァンの方が格段に落ち着きがある。
「レオナルド様とアカネースの姫との婚姻の報が届けられた日には、それはもう凄い怒りようでしたよ。正妃様の怒りで今年は雪が降らないのではないかと思うくらいでした」
浮わついた笑みのよく似合う声音でジョルジュは告げた。しかし、実際に笑みを浮かべているのかは、ジョルジュが付けている仮面のせいで判別は難しい。
レイノアールには珍しくはっきりとした栗色の髪は肩に掛かる長さまで無造作に伸ばされている。白い肌に反して黒の仮面が目立っており、仮面から覗くムーングレイの丸い瞳は黒の奥で霞んでしまう。
首筋に延びる焼け爛れた肌が、彼の仮面が何を隠すための物であるのかを語らずとも説明していた。
何もしなくとも目を引く出で立ちなのは、その高身長のためではなく、奇異な仮面姿のせいである。城内では不気味がられることが多く好印象を持たれてはいないが、ひと度城下へと下りれば女性からはミステリアスな雰囲気が素敵だと言い寄られ、子供からは大道芸をせがまれる人気者でもあった。
「絞られたって、別に僕はなにもしていないよ」
「何もしていなくても何か言うのがあの方ですよ。大方、今回の婚姻について色々と釘を刺されたってとこでしょう?」
目が笑っている。レオナルドが非難めいた視線を送れば、ジョルジュは降参するように両手を挙げてみせた。
「怖い顔しないでくださいよ。大変だなとは思っているんですよ」
「同じくらいに面白がっているのがわかるんだって。何がそんなに面白いのか……」
「いや、だってレオン様がご結婚ですよ? 俺としては嬉しくて仕方がないですよ」
これは決して冗談ではないことが、レオナルドには付き合いの長さでわかった。
ジュルジュがレオナルドに対して強い親愛の念を持っていることに疑いはない。気安い口調の裏には積み重ねてきた時間がある。
自分の結婚を喜んでいることは、レオナルドも嬉しかった。しかし、それを直接言葉にするのは気恥ずかしく、ジョルジュから顔を背けてしまった。
ジュルジュがにやにやと口角を吊り上げるものだから、尚更素直に口にするのも癪だ。
「……とにかく、母様には気を付けなければ。あの人は何を仕出かすかわからないから」
「そうは言いますけど、俺もイヴァンもいますからレオン様が心配するような事態にはならないと思いますよ」
危機感の欠けたジョルジュを責めるように睨み、レオナルドは拳を握り締めた。
「貴方はあの人の怖さを知っているはずだ! それなのに……」
感情的に荒げられたレオナルドの声が渡り廊下に反響する。一瞬のうちにジョルジュは周囲に視線を巡らせ、誰もいないことを確認すると申し訳なさそうに目を伏せた。
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イヴァンは元々情報収集に長けた一族の生まれである。多くの間者を抱え統率するだけではなく、本人たちも隠密行動を得意とした生まれながらに影の世界を住み処とする者だ。
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「今さら驚くことですか。イヴァンに任せればわからないことなどありませんよ」
「僕もそれには同意するけど……アカネース国の警備が緩いのかイヴァンが凄いのかどちらかわからないから何とも答えにくいよ」
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