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1.望まれぬ婚姻

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「どうかしましたか?」
「マリンハルト! お前、こいつら何とかしろよ。全然帰ろうとしないんだよ!」
「マリンハルト! あんたからもこの頭の固い兵士様に言ってやっておくれよ!」
 声を掛けた瞬間に、衛兵とアンナの両方に詰め寄られるマリンハルト。
 辛うじて両者の主張は聞き取れたが、同時に距離を詰められては対応のしようがない。
「話がわからないことにはどうしようもありません。何があったのですか?」
 マリンハルトは下手に出つつ、衛兵に尋ねる。衛兵はうんざりとした様子で溜め息を吐くと、冷たい視線をアンナたちへと向けた。
「こいつらがリーゼロッテ様の婚姻への祝いの品を用意したって言うんだが、こっちとしては得体の知れないものをリーゼロッテ様にお渡しすることはできないからな。受け取れないって言っても全然納得しないんだよ」
「なんだい、その言い分は! だったら怪しいものではないか調べればいいだろう。なんのための衛兵だよ!」
「こちらの貴重な時間をお前たちなんかに使えるか!」
 説明をしていたはずが、いつのまにか再び言い合いに発展してしまう。
 マリンハルトは片手で頭を掻くと、衛兵とアンナ達の間に割って入った。
「皆さんからの品は俺の方で預かって、妙な物が仕込まれていないか確認し、リーゼロッテ様にお渡しするか判断します。……これで文句はありませんよね?」
 衛兵を振り返れば、男は眉間にシワを寄せて何やら口ごもる。
「いや、そもそも確認をすればいいという話ではなくて、平民風情がこの国の王女様に祝いの品を贈呈することがそもそもおこがましいだろう」
 マリンハルトとは目を合わせず、しどろもどろな衛兵の様子に男の真意を察したのはマリンハルトだけではなかった。
 アリアもアンナも、リーゼロッテを祝う行為そのものを否定しようとしていることに気付いてしまう。
「難癖付けてリーゼロッテ様への贈り物を断りたいってことかい? 本当に城のやつらってのは冷たいねぇ」
 見せつけるように溜め息を吐くと、アンナは衛兵を一睨みする。女性であるアンナに睨まれたところで怖くはないが、アンナを筆頭に集まっている町人たちも同様に厳しい視線を向けているため、衛兵は半歩後ずさった。
 しかし、いつまでもこの場で言い合いをしたところで何も解決はしない。マリンハルトはアリアの腕を引くと、アンナの前へと付き出した。
「え? マリンハルトさん?」
「アンナさん、それ、アリアへの贈り物ということにして城の中に入れましょう」
 二人に聞こえるように耳元へと顔を寄せ、マリンハルトは小さな声で告げた。アンナは黙って頷くと、アリアへと片目を瞑ってみせる。
 突然の展開に戸惑ったままのアリアはマリンハルトとアンナの顔を見比べて、後ろに集まっている町民たちを一人一人確認していく。
 アリアはあまり面識はないが、城下町を訪れたリーゼロッテと話している姿は見覚えのある者たちばかりだ。皆、アリアと同じようにリーゼロッテを思って集まってくれている。それがわかってしまえば、心の奥が熱を持つ。
「ここで話していても邪魔になりますから、向こうに行きましょう。私たちが説得しますから、衛兵さんはお仕事を続けてください」
 アンナの背を押し、自分を掴むマリンハルトの肘の辺りを掴み返すと、衛兵達へ頭を下げながら城門の外へと皆を導いた。
 衛兵たちにしてみれば彼らの相手をすること自体が迷惑であったため、素直に離れれるのであればそれ以上は特に追求する様子を見せなかった。
 堀の上に掛けられた吊り橋を渡りきり、衛兵達の目に付く範囲からなるべく距離を取った。
 ちょうど建物が影となり城門からは死角となる位置へと着くと、豪快な笑い声を上げてアンナがアリアとマリンハルトの背中を叩き出す。
「いやぁ、二人が来てくれて良かったよ。あの兵士様じゃあ話にならなかったからね」
「アンナさんがリーゼロッテ様に良くしてくださっていることはこちらも知っていますから。きっと、リーゼロッテ様もお喜びになられます」
「だといいんだけどねぇ」
 アンナに続くように皆が頷いた。
 マリンハルトが軽く見渡すだけでも、露天市に店を持つ者の過半数は集まっているようであった。以前レイノアールの第三王子と揉め事を起こした装飾品店の主人も、離れてはいるが輪に混ざっている。
 彼に声を掛けることはしない。マリンハルトは直接の面識はなく、問題があったということで男の顔を確認したことがあるだけであったため、声を掛けたとしても相手を驚かすだけでしかない。
「大丈夫です。きっとリーゼロッテ様は喜んでくださります!」
 力強いアリアの声に、皆が顔を上げる。リーゼロッテは、アリアがそばにいたことを嬉しいと言った。
 そんな彼女が、露天市の人々の気持ちを喜ばないはずがない。
 自身に満ちたアリアの笑顔が、人々の笑顔を呼び起こす。
「そうだよな。リーゼロッテ様はきっと喜ばれるさ! なんせこっちは一級品だからな!」
「ああ、あの人は俺の作ったパンでも喜ぶような人だ。大丈夫に決まってる!」
 活気に満ちた仲間たちを眺め、満足げに頷くアンナ。そして、彼女は腕に抱えていた包みをアリアへと手渡した。
「こいつは北のケノン公国で作られた絹だ。それも、一級品の中でも滅多にアカネースまでは回ってこないような特上品だよ」
「ケノン公国って……帝国の更に北ですよね? あの辺りはオズマン家が流通ルートを占拠しているのに、よく手に入りましたね」
 素直に驚いてみせたマリンハルトに対して、アンナは眩しいばかりの笑顔を浮かべた。
 そして、隣に立っていた二十代後半の男の肩に腕を回し、マリンハルトの前へと引っ張り出した。
 頬に散らばるそばかすが印象的な、純朴そうな青年である。
「この子がやってくれたのよ。遠い親戚にケノンに住んでいるらしくてね。無理を行って取り寄せてもらったのよ」
「間に合うかだけが不安だったんだけど、ついさっき早馬で届いたんだ。本当によかったよ」
 恥じらいと喜びを笑顔に乗せ、青年は片手で頬を掻いた。その仕草を目にし、アリアは青年の心に潜む仄かな恋心の存在に気付いてしまった。
 熱を持つ瞳を隠そうと揺れる指先は、アリアが日頃から目にしているものと同じであったから。
 青年は自分をじっと見上げているアリアに気付いてくしゃりと笑う。
「必ず、お届けします」
「うん。お願いします」
 淀みのない微笑みの前、アリアは受け取った包みを胸に抱き締めた。
 そして、マリンハルトを見上げてにっと歯を見せて笑う。
 リーゼロッテを慕う人々は自分達だけではないことを知り、その心強さに彼女の決意は固まったらしい。
「アンナさん、私からもひとつお願いしてもよろしいですか?」
「うん? なんだい?」
「リーゼロッテ様が城を出たら私も城仕えを辞めようと思っているんです。人手の欲しいお店があれば紹介して頂けませんか?」
「それくらいお安いご用さ。また明日うちの店においでよ」
 何があったのかは聞かずに、アンナは気前よく頷いた。
 城仕えの経験もあるアンナには、アリアが城を出る理由にも大方想像が付いている。それ故に、敢えて聞くべきでないことは承知していた。
 ここにいる者は皆、リーゼロッテの人柄に触れ慕う者たち。城の中で爪弾き者にされながらも、その心根を曲げなかった第一王女に惹かれた者同士、協力するのに理由などはいらなかった。
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