爪弾き者の第一王女は敵国の年下王子の妻となる

河合青

文字の大きさ
上 下
28 / 56
1.望まれぬ婚姻

28

しおりを挟む
 アリアは一人悩んでいた。
 原因は、水仕事で荒れた彼女の手の中に収まる王印の半身のせいであった。
「ミレイニア様のところになんて行けないよ……」
 リーゼロッテの言い分は理解できた。しかし、性根が正直者のアリアにはリーゼロッテを売るような真似をしてまで王城に居続けたいとは思えなかった。
 アリアは一人、ため息を吐く。
 王城と城下町を隔てる大門の見える井戸に腰掛け、アリアは行き交う人の流れをぼんやりと眺めていた。それは本来、時間を浪費すると呼ばれる行為であったが、リーゼロッテが国王に呼び出されてしまった今、アリアには時間を浪費するくらいしかすることがない。
 逆に言えばそれはこの一週間の間、アリアには手が空く暇もなかったということでもある。
「ちょっと、あの子……」
「リーゼロッテ様の……」
 渡り廊下を歩く侍女達がアリアへと聞こえるように声を張り上げる。しかし、アリアがそちらを見ればすぐに目を逸らしそそくさと歩き出してしまった。
 リーゼロッテがミレイニアをチェスで負かせたことは、あっという間に城中に広まってしまった。当然、それは今までのリーゼロッテの評価を引っくり返すことなど出来ず、むしろミレイニアを慕う貴族の令嬢達を敵に回すこととなった。
 その結果、今までは明確にリーゼロッテへと敵意を見せることのなかった侍女達までもが、露骨な態度を示すようになった。爵位ある家の娘達と同様に一人の人間を邪険に扱うことで気に入られようとしているのだろう。その気持ちはアリアにもわからなくはなかった。
 二人組の背中が遠くに消えるのを見届け、アリアは大きく肩を落とした。
 今はまだ遠巻きに悪態を付く程度で留まっているが、この先事態がどう転ぶかはわからない。リーゼロッテが城を出たことで今までの悪意の矛先がすべてアリアに向かうかもしれない。そんなものはただの杞憂かもしれない。
 アリアはリーゼロッテほどには物事の先を見る力はなく、自分がどうすればいいのかなど検討も付かなかった。
「……どうしたいかならわかるのに」
「なにがわかるんだ?」
「きゃあ!? マ、マリンハルトさん!」
 独り言のつもりでいたため、突然後ろから掛けられた声にアリアはびくりと肩を震わせた。
 振り返った先にいたのがマリンハルトでひと安心であったが、独り言を聞かれた気恥ずかしさですぐに顔を俯けてしまう。
 不貞腐れたようなアリアの態度に苦笑を溢し、マリンハルトはアリアと背中合わせになるように井戸の反対に腰を下ろした。
「リーゼロッテ様はどうしたんだ?」
「国王陛下の元です」
「そうか、デュッセル様が……」
 意外さを隠しきれずにマリンハルトは頷いた。しかし、父親としての顔ではなく、国王としてリーゼロッテに声を掛けるのだとしたら想像の範疇である。
 井戸に腰を下ろしたというのに、マリンハルトは何も言わない。アリアはこっそりと背中を振り返るが、マリンハルトは正面を向いたまま灰色の王城を見上げていた。
「……まだ出発しなくてもいいのですか?」
「大門の方がまだ人の出入りがあるからな。あれが静かになった頃に出ることにする」
「そうですか。……道中、気を付けてくださいね」
 マリンハルトは頷くが、それ以上会話を続けようとする様子は見られない。
 しかし、立ち去る気配もないのでアリアは躊躇いながらも声を掛けることを止めなかった。話すことが嫌だというのならどこかへ移動すれば良いのだ。元々この場所にいたのはアリアなのだから、必要以上にアリアが気を遣う必要はない。
「少し話をしてもいいですか?」
「ああ」
 アリアは背中越しに燃えるような赤毛を盗み見た。マリンハルトの胸の中には、リーゼロッテへの想いが赤毛のように燃え上がっていることはよく知っている。
 知った上で、アリアはずっと自分の胸の中で引っ掛かっていた心を形にした。
「私、本当はリーゼロッテ様が思うような優しい人間ではないんです」
「ん?」
「リーゼロッテ様に親切にしていたのだって、少しは下心があったんです」
 この一週間は特にリーゼロッテの世話をすることが増えたが、元々アリアは他の侍女達よりはリーゼロッテに対して好意的であった。
 しかし、それは完全なる親切心だけから生まれたわけではない。
 ミレイニアのような王女達の侍女はほとんどが良家の娘で、地方出身のアリアが仕えられるような相手ではない。地方出身者はアリアだけではないが、そういった者達は特に出世の見込みもなく、ただ下働きとして一生を終えていく。
 それでも十分な給与は与えられ、実家への仕送りにも不自由はないためアリアも現状に大きな不満があるわけではなかった。
 だが、それでも現状よりも良い待遇が望めるのならそれを願うのはおかしな話ではないだろう。
「リーゼロッテ様なら私のような平民の出でもお近づきになれますし、誰もお世話をしたがらないから逆に皆からは有り難がられたりしていたんですよ」
 侍女間でもリーゼロッテの存在は煙たがられており、積極的にお世話をすることでミレイニア付きの侍女達から睨まれることを恐れられていた。そのため、侍女達の間でアリアは皆の避ける仕事を積極的に行うとして有り難がられていた。それも、今は状況が変わってしまったが。
 今まではミレイニア付きの侍女達もアリアのことなど気にも止めていなかったのだ。それはアリアが公の場に出ることも、ミレイニアの目に止まるようなこともなかったためである。リーゼロッテの世話をしようがアリアの身に被害が及ぶようなことはなかった。
「いくら城で爪弾き者にされているとはいえ、リーゼロッテ様は正当な第一王女です。……その恩恵を全く期待しないわけありません」
「まあ、それは当然だろうな。別にお前が特別計算高いというわけでもないだろう」
「……でも、それでも私にそういう下心があったのは事実です」
「俺としてはそれくらいの下心がある方が納得できるがな。大した面識もない奴が下心なくリーゼロッテ様の力になりたいだなんて言ってきても信用できない」
 マリンハルトは特に落胆する様子も見せず、淡々とした口調でそう告げた。初めからマリンハルトはアリアの下心には気付いていたのだろう。それを知って、アリアは微かに目を伏せる。
「……全部が全部仕事の下心だけじゃないんだけどな」
 そっと呟いた言葉はマリンハルトには届かない。
 アリアは大きくため息を吐くと、顔を上げて赤く染まった空を見上げた。
「リーゼロッテ様、私に王印を渡したんです」
「王印を……? いや、まあリーゼロッテ様ならやりかねないか」
 目を丸くして振り返ったマリンハルトと目が合い、アリアは慌てて顔を背けた。マリンハルトは不思議そうにアリアへと視線を向けるが、特に追求することもなく先程のアリアの言葉について問いかける。
「それで、どうする気だ?」
「……これを持ってミレイニア様の元に行くと行ったら、マリンハルトさんはどうしますか?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。

かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。 ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。 二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

処理中です...