爪弾き者の第一王女は敵国の年下王子の妻となる

河合青

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1.望まれぬ婚姻

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「さて、着きましたよ」
 扉を開ければ、ミレイニアやエリザの居住区である。大広間の奥にそれぞれの私室が備えられており、日中であれば彼女たちを取り巻く夫人や令嬢たちとの談笑の場となる。
 その大広間へと繋がる扉を、リーゼロッテは両手で押し開けた。
 軋む音を立てて開かれた扉。
 その音に、広間に集まっていた娘たちの視線は集中した。
「あら、ごきげんようお姉さま」
「ごきげんよう、ミレイニア」
 一番に口を開いたのは、年頃の娘たちの中でも際立った美しさを放つミレイニアであった。
 生まれてから教え込まれ続けた動作でドレスの裾をつまみ上げ、ゆっくりと膝を追って一礼する。微かに揺れる金糸の髪から香る甘い花の香りに、周囲を囲む娘たちはうっとりと目を細めた。
 リーゼロッテも同様に返礼し、迷いなき足取りでミレイニアの前へ立つ。慌てて駆け寄ったアリアは、リーゼロッテの背に隠れるようにして後に続いた。
 リーゼロッテが堂々と足を踏み出せば踏み出すほど、周囲を囲む娘たちの瞳は険を増してゆく。
 どの娘も伯爵家の令嬢であり、使用人のアリアであっても見覚えのある顔ばかりであった。
「このようなところに、何かご用でしょうか? お姉さまは明日の支度でお忙しいのではなくて?」
「支度のために、こうしてミレイニアの元へと伺っているのですよ」
 優雅な笑みを浮かべるミレイニアの前に立ち、リーゼロッテは静かに告げた。言葉には動揺も恐れもなく、その不動さが足元に絡み付いた蕀のように音もなくミレイニアの逃げ場を奪う。
 しかし、ミレイニアもリーゼロッテを前に背を向けるつもりは毛頭なかった。リーゼロッテの来訪の理由に見当が付かないような顔をして、愛らしく首を傾げてみせる。
「ご支度のため、こちらへ? 私が何かお手伝いできることがあるとは思えませんが……」
 白々しい、とアリアは思う。しかし、それを顔に出すことは出来ずにリーゼロッテの背中越しにミレイニアの作られた笑顔を盗み見た。
「ミレイニアに手伝っていただきたいことなど、一つもありませんよ。私はただ、お願い事があって来たのです」
「お願い? それを手伝いと言うのではなくて?」
「いいえ、全く違います」
 リーゼロッテは聞き分けのない子供をたしなめるように首を左右に振ると、不機嫌そうに眉をしかめたミレイニアへと口角を吊り上げた。
「貴方が使う予定の馬車を、私に譲っていただけないでしょうか?」
 願いが馬車であることはミレイニアの思惑通りだったのだろう。待ち構えていた獲物の登場に、ミレイニアは作り物ではない微笑みで肩を竦めた。
「いやだわ、お姉さまったら。明日には出立だというのに、馬車を用意していなかったの? てっきり私は荷物が少ないから大きな馬車を使わなくていいのだと思っていましたのに」
 ミレイニアの侮蔑の言葉に、くすくすと隠すことのない笑いが生まれリーゼロッテを取り囲んだ。彼女たちは笑い声を発する以上のことはしないが、リーゼロッテを孤立させるには十分であった。
「ご自身の準備不足が原因なのでしたら、お願いの仕方にも相応しい態度があるとは思いませんか?」
「なっ……」
 思わず口を開いたアリアであったが、一斉に向けられた娘たちの視線に喉を強く握り潰される。
 温かみのない笑顔に囲まれ、リーゼロッテは覚悟を決めて顎を引いた。琥珀の髪の隙間から除く首筋に伝う汗を、アリアは見逃さなかった。
「……ミレイニア、お願いです。どうか、あの馬車を私に譲ってはいただけませんか?」
 頭を下げる動作に合わせ、耳に掛けていた髪が一筋溢れ落ちた。
 リーゼロッテが頭を下げるのならば、アリアもそれに続かねばならない。納得いかない気持ちは噛み殺し、アリアは深く頭を下げた。
 顔を上げなければ、胸の中に満ちる敵意を隠すために労力を割く必要はなくなった。アリアは唇を噛み締めると、ミレイニアの言葉を待った。
「いいですよ。私の条件を飲むと言うのならば、ですが」
 リーゼロッテは顔を上げる。条件など聞かなくても、彼女には頷く以外の選択肢はない。
 二人が顔を上げると、ミレイニアは満足そうに頷いた。彼女にしては珍しく、純粋に嬉しそうな微笑みであった。
「私と一勝負、お願いできますか?」
「勝負……ですか」
「ええ」
 予想外の提案だったのだろう。リーゼロッテの声は僅かに上擦っていた。
 同時に、緊張も走っている。リーゼロッテは背中で拳を握り締めると、ゆっくりとその手を開いて強張った体をほどいていく。
 見たことのないリーゼロッテの姿に、アリアは固くなった体で何とか息を呑み込んだ。
「勝負の内容は、チェスでいかがでしょう?」
「……構いません」
 周囲から歓声が沸き上がる。
 その全てがミレイニアのためで、彼女が完膚なきまでにリーゼロッテを打ちのめすことを期待しての歓声であることは娘たちの顔を見なくてもわかる。唇を噛み俯くアリアは、自分の靴の汚れに気付いて目を逸らした。
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