14 / 56
1.望まれぬ婚姻
14
しおりを挟む
それから二人は意図的に王家や停戦の話を避けるように、露店を眺め歩き回り、気がつけば最初の装飾店の前に戻ってきていた。
橙色に染まっていた空は既に濃紺に塗りつぶされ、煌めく星たちが露店の装飾品のように散りばめられている。
「今日は本当にありがとうございました。レイノアールについて教えていただけたおかげで、準備が捗りそうです」
「それは良かったです。僕も色々と勉強になりました」
レオナルドが頭を下げると、イヴァンも黙ってレオナルドに続いた。
「そういえば、こちらはよろしかったのですか?」
彼女が指差したのは、声を掛けた際にレオナルドが見ていたチョーカーだった。
先ほど彼女自身が高過ぎると一蹴した商品であったが、もうそのような無粋なことは口にしない。
王都で待つもう一人の従者への土産として買おうと思っていた装飾品。イヴァンは甘やかさなくていいと言うが、レオナルドにとってはかけがえのない信頼できる従者だ。
「……買うことにします。アリアさんにも意見を聞かせてもらいたいところですね」
喜んで、と頷くアリアの奥で、苦虫を噛み潰したような顔をしているのはイヴァンだった。
レオナルドの視線に気付いて振り返ったアリアは、イヴァンの顔を見て片手で口元を隠しながら首を傾げた。
「バンさん? なんだか複雑な顔をしていますがどうかしましたか……?」
「いえ、ちょっと国に残した同僚を思い出していただけです」
「仲が悪いのですか?」
心配そうな声を掻き消したのは、レオナルドの笑い声だった。
「それはあり得ませんよ。二人は僕に仕える以前からの付き合いじゃないですか」
「だからこそです。長いからこそ色々と思うところがあるのです」
イヴァンは眉間にシワを寄せてはいるものの、口調はどこか柔らかい。その言葉に耳を傾ければ、同僚との関係が悪いものではないことは明らかだった。
レオナルドにつられて小さく吹き出したアリアの姿が目に入り、イヴァンは複雑そうに片眉を下げた。
「いらっしゃい、うちの商品は一級品だよ!」
先ほど商品を見ていた時には奥で作業をしていた店主が、レオナルドたちに気付いて笑顔で声を掛けた。
アカネース国の特徴である日焼けした茶色の髪を持ちながら、色素の薄い瞳を持つ男だった。もしかしたら、どこかでレイノアールの血が入っているのかもしれないとレオナルドは思う。
店主は明らかに接客用の笑顔をアリア、イヴァンへと向け、灰色掛かった瞳にレオナルドを写したとき、その表情を凍り付かせた。
「お前……っ、レイノアールの人間か!」
周辺に響いた男の声。
露店を構えていた商人たちや、そこに集まっていた人々の視線がレオナルドに集中した。
レオナルドの白い肌と白銀の髪は、暖色の中で一人浮いていた。むしろ、今まで露店商の用に敵意を見せる者がいないことの方が不思議なくらいであった。
男の瞳が憎悪に燃える。レオナルドに向けられた瞳であることに間違いはなく、レイノアールという国そのものに対する敵意であった。
レオナルドの前までやってくると、男は息を荒くし、今にも殴り掛かりそうな勢いでレオナルドを見下ろした。
控えていたイヴァンがレオナルドを守るように男との間に割って入る。
しかし、レオナルドはイヴァンの肩を掴むと目の前から退かし、男の前に立った。向けられた敵意がレイノアール国に対するものなら、レオナルドが受けなければならない。
明確な敵意を前に、怖くないと言えば嘘になる。だが、レオナルドは震えそうになる拳を握りしめ、男を見据えた。
「……確かに、僕はレイノアールの人間です」
「レイノアールの人間がどの面下げてアカネースの土を踏んでやがる!」
すでに夕日は落ちていた。
商人の男は赤い顔でレオナルドを睨み付ける。今すぐにでも殴り飛ばしてしまいたいと男は思うが、自分より十歳以上年の離れた相手に手を出すのは流石に良心が痛んだ。
これが同じ年頃の男であれば、場所も構わずに飛び掛かっていただろう。けれど、見るからに幼く、まだ十代の少年に見えるレオナルドに手を出すことは出来ずにいた。
「俺の親友は侵攻してきたレイノアールの奴等に殺された! 妹は兵士に連れていかれ、辱しめを受けて殺された! それだけじゃない! 故郷は焼かれ、俺たちはもう帰るところもなくなった!」
全てレイノアールの人間から受けた蛮行だ。男の怒りの前で、レオナルドは握りしめた拳に力を籠める。
レオナルドの胸を占めるもの。それは最早、恐れではなかった。
戦争がもたらす悲しみを、気付くことなく城で生きていた自分に対する無力感。兵士の横暴を抑えることをしなかった先王への嫌悪感。
そして、二度と同じ過ちを犯してはならないという強い誓い。
「……何を言っても言い訳にしかならないことは承知しています。ですが、レイノアール王国は……少なくとも今の国王は不要な略奪は望まない!」
芯の通ったレオナルドの声に、先ほどの怒声以上に視線が集まる。しかし、レオナルドはそれらの視線に構うことなく男との距離を詰めた。
「今回の戦争で無抵抗の市民に危害を加えた兵士は処刑されています。……全員を洗い出せたとは言えませんが、少なくとも貴方の言った兵士は今のレイノアール王国が許さない!」
「だから許せって言うのか! 罰を与えたのだからそれで水に流せと!?」
「違う!」
その声は、悲鳴のようだった。
「……貴方が僕に何を言おうが、貴方の友人や妹は戻りません。貴方がレイノアール王国を憎んだところで同じことです」
「お前……!」
「貴方の怒りは正しい。ですが、それを再びレイノアール王国に向けたとき、また戦争が始まるでしょう。今、両国は和平の道を歩もうとしています。貴方の怒りが戦争を呼び寄せたとき、次に犠牲になるのは未来の……貴方や僕の妻や子供になるかもしれない! そんなこと、あってはならないのです!」
痛みに身を裂かれる思いで、レオナルドは言い放った。男を傷つける言葉であることをわかっていながらも止まらなかったのは、初めてぶつけられた敵国の痛みに触れ、戦争の虚しさを痛感したからだ。
アカネース国を自分の目で見て、溢れる笑顔に心が揺れた。自国と同じように生きている人がいるという当たり前のことすら、目にするまで実感が沸かなかった。
しかし、今はアカネース国の日差しの熱を知り、人の心に触れた。
戦争を拒む気持ちは、北に控える帝国の脅威だけが理由ではなくなっていた。
「恨んだままでも、憎んだままでもいいんです! ただ、その思いを自分の中だけで殺してほしい! 他でもない、未来の大切な人々のために!」
男は奥歯を噛み締めて、レオナルドを見下ろしていた。
橙色に染まっていた空は既に濃紺に塗りつぶされ、煌めく星たちが露店の装飾品のように散りばめられている。
「今日は本当にありがとうございました。レイノアールについて教えていただけたおかげで、準備が捗りそうです」
「それは良かったです。僕も色々と勉強になりました」
レオナルドが頭を下げると、イヴァンも黙ってレオナルドに続いた。
「そういえば、こちらはよろしかったのですか?」
彼女が指差したのは、声を掛けた際にレオナルドが見ていたチョーカーだった。
先ほど彼女自身が高過ぎると一蹴した商品であったが、もうそのような無粋なことは口にしない。
王都で待つもう一人の従者への土産として買おうと思っていた装飾品。イヴァンは甘やかさなくていいと言うが、レオナルドにとってはかけがえのない信頼できる従者だ。
「……買うことにします。アリアさんにも意見を聞かせてもらいたいところですね」
喜んで、と頷くアリアの奥で、苦虫を噛み潰したような顔をしているのはイヴァンだった。
レオナルドの視線に気付いて振り返ったアリアは、イヴァンの顔を見て片手で口元を隠しながら首を傾げた。
「バンさん? なんだか複雑な顔をしていますがどうかしましたか……?」
「いえ、ちょっと国に残した同僚を思い出していただけです」
「仲が悪いのですか?」
心配そうな声を掻き消したのは、レオナルドの笑い声だった。
「それはあり得ませんよ。二人は僕に仕える以前からの付き合いじゃないですか」
「だからこそです。長いからこそ色々と思うところがあるのです」
イヴァンは眉間にシワを寄せてはいるものの、口調はどこか柔らかい。その言葉に耳を傾ければ、同僚との関係が悪いものではないことは明らかだった。
レオナルドにつられて小さく吹き出したアリアの姿が目に入り、イヴァンは複雑そうに片眉を下げた。
「いらっしゃい、うちの商品は一級品だよ!」
先ほど商品を見ていた時には奥で作業をしていた店主が、レオナルドたちに気付いて笑顔で声を掛けた。
アカネース国の特徴である日焼けした茶色の髪を持ちながら、色素の薄い瞳を持つ男だった。もしかしたら、どこかでレイノアールの血が入っているのかもしれないとレオナルドは思う。
店主は明らかに接客用の笑顔をアリア、イヴァンへと向け、灰色掛かった瞳にレオナルドを写したとき、その表情を凍り付かせた。
「お前……っ、レイノアールの人間か!」
周辺に響いた男の声。
露店を構えていた商人たちや、そこに集まっていた人々の視線がレオナルドに集中した。
レオナルドの白い肌と白銀の髪は、暖色の中で一人浮いていた。むしろ、今まで露店商の用に敵意を見せる者がいないことの方が不思議なくらいであった。
男の瞳が憎悪に燃える。レオナルドに向けられた瞳であることに間違いはなく、レイノアールという国そのものに対する敵意であった。
レオナルドの前までやってくると、男は息を荒くし、今にも殴り掛かりそうな勢いでレオナルドを見下ろした。
控えていたイヴァンがレオナルドを守るように男との間に割って入る。
しかし、レオナルドはイヴァンの肩を掴むと目の前から退かし、男の前に立った。向けられた敵意がレイノアール国に対するものなら、レオナルドが受けなければならない。
明確な敵意を前に、怖くないと言えば嘘になる。だが、レオナルドは震えそうになる拳を握りしめ、男を見据えた。
「……確かに、僕はレイノアールの人間です」
「レイノアールの人間がどの面下げてアカネースの土を踏んでやがる!」
すでに夕日は落ちていた。
商人の男は赤い顔でレオナルドを睨み付ける。今すぐにでも殴り飛ばしてしまいたいと男は思うが、自分より十歳以上年の離れた相手に手を出すのは流石に良心が痛んだ。
これが同じ年頃の男であれば、場所も構わずに飛び掛かっていただろう。けれど、見るからに幼く、まだ十代の少年に見えるレオナルドに手を出すことは出来ずにいた。
「俺の親友は侵攻してきたレイノアールの奴等に殺された! 妹は兵士に連れていかれ、辱しめを受けて殺された! それだけじゃない! 故郷は焼かれ、俺たちはもう帰るところもなくなった!」
全てレイノアールの人間から受けた蛮行だ。男の怒りの前で、レオナルドは握りしめた拳に力を籠める。
レオナルドの胸を占めるもの。それは最早、恐れではなかった。
戦争がもたらす悲しみを、気付くことなく城で生きていた自分に対する無力感。兵士の横暴を抑えることをしなかった先王への嫌悪感。
そして、二度と同じ過ちを犯してはならないという強い誓い。
「……何を言っても言い訳にしかならないことは承知しています。ですが、レイノアール王国は……少なくとも今の国王は不要な略奪は望まない!」
芯の通ったレオナルドの声に、先ほどの怒声以上に視線が集まる。しかし、レオナルドはそれらの視線に構うことなく男との距離を詰めた。
「今回の戦争で無抵抗の市民に危害を加えた兵士は処刑されています。……全員を洗い出せたとは言えませんが、少なくとも貴方の言った兵士は今のレイノアール王国が許さない!」
「だから許せって言うのか! 罰を与えたのだからそれで水に流せと!?」
「違う!」
その声は、悲鳴のようだった。
「……貴方が僕に何を言おうが、貴方の友人や妹は戻りません。貴方がレイノアール王国を憎んだところで同じことです」
「お前……!」
「貴方の怒りは正しい。ですが、それを再びレイノアール王国に向けたとき、また戦争が始まるでしょう。今、両国は和平の道を歩もうとしています。貴方の怒りが戦争を呼び寄せたとき、次に犠牲になるのは未来の……貴方や僕の妻や子供になるかもしれない! そんなこと、あってはならないのです!」
痛みに身を裂かれる思いで、レオナルドは言い放った。男を傷つける言葉であることをわかっていながらも止まらなかったのは、初めてぶつけられた敵国の痛みに触れ、戦争の虚しさを痛感したからだ。
アカネース国を自分の目で見て、溢れる笑顔に心が揺れた。自国と同じように生きている人がいるという当たり前のことすら、目にするまで実感が沸かなかった。
しかし、今はアカネース国の日差しの熱を知り、人の心に触れた。
戦争を拒む気持ちは、北に控える帝国の脅威だけが理由ではなくなっていた。
「恨んだままでも、憎んだままでもいいんです! ただ、その思いを自分の中だけで殺してほしい! 他でもない、未来の大切な人々のために!」
男は奥歯を噛み締めて、レオナルドを見下ろしていた。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
旦那様は大変忙しいお方なのです
あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。
しかし、その当人が結婚式に現れません。
侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」
呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。
相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。
我慢の限界が――来ました。
そちらがその気ならこちらにも考えがあります。
さあ。腕が鳴りますよ!
※視点がころころ変わります。
※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる