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1.望まれぬ婚姻

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 リーゼロッテのマリンハルト解雇の宣言は、聞いていた者達に大きな衝撃を与えた。
 しかし、衝撃に続いてリーゼロッテへと与えられるのは、憐れみの皮を被った嘲笑だった。
「お久しぶりですね、お姉様」
 王座の間から各居城へ続く広々とした廊下で、元第三王女のヴィオレッタがリーゼロッテを呼び止めた。
 ヴィオレッタはまだ十七という若さでありながら、七年前に地方の有力なオズマン伯爵家に嫁入りをしている。
 アカネース北部に領地を持つオズマン伯爵は、元々は一商人でしかなかった。しかし、現当主ゴーゼルの曾祖父が北部の鉱山所有権を買い取ったことで巨万の富を築き、爵位を与えられたのだ。
 オズマン一族が鉱山を手にするまでは、鉱石は主に国内で消費されており、その品質が他国と比べて群を抜いていることなど誰も知らなかった。しかし、アカネースで産出される鉱石が良質であることを知ったオズマン家は多くの鉱山を買い取ると、彼らが代々築き上げた流通網に乗せて他国へと売り捌いた。
 すると国内のみで消費していた時とは比べ物にならない値が付き、みるみるうちにアカネース王国の高品質の鉱石の存在が大陸中に知れ渡った。
 オズマン家は得た財を元手に他国の製鉄技術を取り入れた工場を建てたり、仕事のない者たちへと鉱山や工場での仕事を提供するといった工業への発展にも尽力を尽くした。
 表向きは功績が称えられで爵位が与えられたことになっているが、実際のところは王家が力を付けすぎた商家を取り込みたかっただけに過ぎない。
 そのため、親族関係を維持するために姫が嫁入りするのも今回が初めての話ではなかった。
 ヴィオレッタも今までの婚姻と同様に、オズマン家を王家に繋ぎ止めるための駒でしかない。
 幼い頃から現実を思い知っていたのだろう。美しい紫掛かった瞳はいつも不満そうに細められ、どこか生意気な印象を与えている。
 ミレイニアと同様にエリザから生まれてきたというのに、二人とは似ていない砂色の髪は肩の長さで短く切り揃えられ、目立たぬように後ろで団子状に纏められていた。
「ええ。ヴィオレッタもお元気そうで何よりです」
 ヴィオレッタは柔らかく微笑むリーゼロッテに鼻を鳴らすと、後ろに控え俯くマリンハルトへと攻撃的な笑みをぶつけた。
「いつもは噛み付くようにこっちを睨むのに、今日は随分と元気がないのね。まあ当然よね。立派な忠犬も今はただの野良犬なんだから」
 挑発でしかないとわかっていながらも、マリンハルトは耳に張り付く笑いが煩わしく顔を背けた。
 それは細やかな抵抗であったが、ヴィオレッタの自尊心を満たすには十分であった。どうせリーゼロッテは何を言っても望むような反応が得られないのだ。それならば、反応を示す方を刺すしかない。
「ああ、野良犬というのは間違いだったかした。お優しいお姉さまのおかげで、捨てられても路頭に迷うことはないものね。次はどんなご主人様に尻尾を振るのかしら……」
「……ヴィオレッタ」
 静かな声が、ヴィオレッタの笑みに水を差す。
 相変わらず悠然とした笑みを浮かべたまま、リーゼロッテは自身の右袖を左手の人差し指で軽く二度叩く。
「袖がほつれていますよ。後できちんと侍女に直していただいたらどうですか?」
「……! ま、まぁ。気が付きませんでした」
「確かに敢えて自分で気にすることではありませんよね。私もあまり気にしたことはありません。私が気付くより先にマリンハルトが直してくれますから」
 羞恥に俯いたヴィオレッタは、左手でほつれた袖を隠す。ひどく目立つほつれではない。恥じるのは、ヴィオレッタの身の回りを世話する人間が袖のほつれを見逃して平然としていることを、他の誰でもなくリーゼロッテに指摘されたからであった。
 ヴィオレッタの動揺など気付かぬような顔をしているが、リーゼロッテもオズマン伯爵の元に嫁いだヴィオレッタが形だけの妻でしかないことは聞いているだろう。
 もうすぐ四十となるゴーゼルだが、未だに女遊びの噂が絶えない。その上、ヴィオレッタとの間に子がいないことを考えれば、ヴィオレッタがどれほど惨めな思いを日々重ねているか想像は容易だ。
 虫をも殺さぬような顔をしていながら、リーゼロッテはこれ以上マリンハルトの心を抉ることを許さない。微笑みの裏側に隠された敵意を読み取り、ヴィオレッタは一歩引きながらも内心ではほくそ笑んでいた。少しでもリーゼロッテの鋼の心に傷が付けられたのならば、例え自身が惨めな思いをしようとも満足としよう。
「……しかし、お姉様も不運でしたね。まさかレイノアールに嫁ぐことになるだなんて」
「そんなことはありません。むしろ、少し楽しみなくらいです」
「それはこの城から出られるからかしら?」
 二人の間に、横からよく通る声が割って入った。
 聞きなれたその声に、両者は正反対の反応を返す。
 ぱっと顔を上げ、顔中に喜色を広げるヴィオレッタ。そして、変わらず揺るがぬ瞳を声の主に向け、形式的に微笑んでみせるリーゼロッテ。
「改めて、ご結婚おめでとうございます……お姉様」
 ミレイニアは悠然とした態度で口角だけを吊り上げて、第二王女らしく完璧な所作で一礼をし微笑んだ。
 血を分けた姉の姿を捉え、ヴィオレッタの声は意識せずとも弾んでしまう。
「お姉様! 今日もお美しいですね」
「貴方も素敵よ、可愛いヴィオレッタ。この間はありがとう。貴方が贈ってくれた宝石はどれも素敵だったわ」
 ミレイニアに微笑まれ、ヴィオレッタは僅かに頬を染めながら肩を縮めた。照れ臭そうな、嬉しそうな、そんな愛らしい表情はリーゼロッテの前では一度も見せたことがない。
 ミレイニアの隣には、旦那であるグレインが控えていた。彼は一歩前へ出ると、騎士らしくリーゼロッテの足元に跪いた。
「リーゼロッテ様、ご結婚おめでとうございます」
「ありがとうございます、グレイン。貴方も騎士団長に就任したと伺いました。おめでとうございます」
 顔を上げて微笑むと、グレインはリーゼロッテの手を取り触れるだけの口づけを落とした。
 彼は現在三十二歳と騎士団長に就任するには歴代でも飛び抜けて若く、次期国王候補としての期待を籠めての人事であることが伺われる。
 実年齢よりは若く見られることが多いのは清潔さと爽やかさを兼ね備えた艶のある蜂蜜色の髪のおかげだろう。顔立ちは凛々しく、ミレイニアの隣に並んでも見劣りはしない。
 立ち上がりミレイニアの隣に戻ったグレインは、穏やかな微笑をリーゼロッテへと向けている。しかし、それが形上のものであることはミレイニアにはよくわかっていた。
 第一王女という存在を疎んでいるのは、自分よりも隣の男だ。そのことを、ミレイニアは痛ましいほどに理解している。
「今まで戦争をしていた敵国に嫁ぐなどという重要な任は、リーゼロッテ様以外には不可能でしょう」
「貴方が何を根拠にそのようなことを申しているのか検討もつきませんが、期待を裏切らぬように務めを果たしてみせます」
 本心からそう思っているかのように響く言葉を受けて、リーゼロッテは微かに表情を固くする。
 ミレイニアの目にも、リーゼロッテが警戒心をもってグレインに返答をしているのが感じ取れた。リーゼロッテの心まではわからないが、グレインが掴めぬ人間であることには同意ができる。
 結婚し、夫婦となっても、ミレイニアにはグレインの心が見えてこない。
 地位を得るためにミレイニアに婿入りしたことは確かだろう。しかし、内心でミレイニアをどのように思っているかまでは全くわからない。
 だからといって、夫婦として大きな問題があるわけでもない。父であるデュッセルもまた考えの読めない人間であるため、王には必要な素質なのではないかと受け止めることにしている。
「……そちらのマリンハルトも、気が向くのなら我ら騎士団に入団する道も考えてみてくれないか?」
 突然声を掛けられ、マリンハルトは目を丸くしてグレインを見返した。
 考えてもいない話であったため、間の抜けた顔をしているが本人はそれに気付いていない。
「君はリーゼロッテ様の侍従でありながら、有事の際には護衛としても働いたと聞いている。その腕前が確かなものであることも評判になっているよ」
 有事の際。それはリーゼロッテの暗殺を狙った輩から彼女の命を守った際だ。
 グレインの言葉を理解した瞬間、マリンハルトの怒りに火が付いた。
「どの口が……!」
 平然とした顔をしているグレインのような、第一王女の存在を邪魔だと思う者たちが企てた暗殺。マリンハルトに剣を握らせた張本人が、よくも無関係な顔で騎士団に入れなどと口に出来たものだ。
 冷静さを欠いているマリンハルトの頭では、グレインに楯突くことの意味が理解できていない。彼の頭を占めているものは、純粋な怒りだった。
「マリンハルト、止まりなさい!」
「……! リーゼロッテ様……」
 制止の声と共に、リーゼロッテはマリンハルトの腕を掴み首を振った。
 リーゼロッテの声が、マリンハルトに判断力を取り戻させる。彼女のためにも、燃え上がった怒りは耐えねばならないのだ。
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