6 / 56
1.望まれぬ婚姻
6
しおりを挟む
立っていたのは王城付きの侍女で、マリンハルトの後輩であった。
「どうかしたか?」
「マリンハルトさんもいたんですね。あのですね、どうかした、じゃないですよ! リーゼロッテ様に陛下から御呼びだしがあって来たんです」
マリンハルトの顔を見るやいなや、娘は不機嫌そうに顔をしかめてマリンハルトに詰め寄った。
「リーゼロッテ様のご婚約が決まったことはもう知っているでしょう? そうなればデュッセル陛下から直々に御通達があるに決まってるじゃないですか! 気付かなかったとは言わせませんよ」
「ア、アリア……」
「マリンハルトさんがリーゼロッテ様のこと大っ好きで婚約なんて嫌で嫌で仕方ないなのはわかっていますけど、仕事はちゃんとしてください。どうしてお召しかえしていなんですか!」
アリアの言葉にマリンハルトは返す言葉がなかった。
国王から直々に呼び出しがあることも、そのために準備をしておかなければならないこともわかってはいたがアリアの言う通り自分の気持ちが理由で手を動かすことが出来なかった。
唇を噛んだマリンハルトの表情から全て図星であったことを察したアリアはそれ以上は責めることをせずに、座ったままのリーゼロッテの元へ向かった。
「リーゼロッテ様、あまりお時間がありませんから髪だけでも結い上げてしまいましょう」
「あの、私はこのままでも構いませんが……」
「何を仰いますか! 先ほどのミレイニア様とのやり取り拝見致しました。そのままのお姿で陛下の元に参上すればまた嫌味を言われます。そもそも、召しかえたところで何か言ってはくるでしょうけど、だからといって何もしないのは侍女として許せないわ……」
アリアはぶつぶつと呟きながらリーゼロッテの背後に回ると、リーゼロッテの制止など無視して彼女の髪に櫛を入れた。
ミレイニアに対して何か嫌な思い出でもあるのだろうかと勘繰りたくなるアリアの言動に、二人はあえて触れずに目を見合わせた。リーゼロッテ付きの侍女となった時点で、ミレイニアやその取り巻きからいい扱いをされないだろうことはどちらもよくわかっている。
敢えて言葉にして尋ねることに意味があるとは思えなかった。
「……では、よろしくお願いしますね、アリア。マリンハルトは向こうの棚から髪飾りと羽織物を出してください。それがあれば少しは見れたものになるでしょうから」
王家にしては色味が暗いと蔑まれることの多いリーゼロッテの琥珀の髪を、アリアは手を止めることなく眺めていた。
既に二十歳となり、望まれぬ姫だと陰口を叩かれてきたリーゼロッテにやっと訪れた縁談が、敵国であったレイノアール王家との縁談だなんて不憫でしかないとアリアは思う。
だから、もしもリーゼロッテに少しでも婚姻を望まぬ気持ちがあるのなら、アリアはマリンハルトに協力して彼女を逃がす手助けをしてもいいと考えている。
長く城に勤め、正妃のリーゼロッテに対する数々の嫌がらせを目の当たりにしてきたアリアは、マリンハルトほどではないがリーゼロッテの力になることに抵抗はない。
「……リーゼロッテ様、本当によろしいのでしょうか?」
「何のことですか?」
「レイノアールとの婚約のことです」
リーゼロッテの命に従って髪飾りを用意していたマリンハルトも、アリアの言葉で手を止めた。
二人の位置からでは、座っているリーゼロッテの表情は窺えない。黙ったままのリーゼロッテに耐えきれず、アリアは言葉を紡ぎ続けた。
嫌だと言ってほしい。それが、溢れる言葉に乗っかり漏れ出ていくことには気付かぬまま。
「出過ぎた真似とは承知していますが、このままではリーゼロッテ様は利用されるだけです。それに、和平だっていつまで続くか……」
「……利用というのなら、それは妹たちも同じことです。父上はとても平等な方。正妃の子であろうが、ただの村娘の子であろうが、等しく私たちは王家の血を持つ娘で、政治のための道具でしかないのです」
平等だなんて嘘だとマリンハルトは思う。本当に平等であったのなら、リーゼロッテは第一王女として早々に国王となる者を婿として迎え入れただろう。
アリアもマリンハルトと同じ意見を持ったようで、言いにくそうに口を開いた。
「……ですが、それならどうしてグレイン様はミレイニア様に婿入りなさったのですか。あの方が王位を求めるなら……陛下が平等とお考えならば第一王女であるリーゼロッテ様の婿となるべきだったのでしょう?」
「それは、父上の考え方と周りの考え方が違っているからです。父上は娘たちを等しい道具と考えていましたが、周囲は私たちに優劣があると考えている。それだけのことです」
今回の婚姻は、私が最も相応しい。そう言って、リーゼロッテは窓の外へと目を向ける。
「もし、その通りだったとしても、リーゼロッテ様は顔も知らない、自分を愛してくれるかもわからない相手との婚約に本当に納得されているのですか?」
「はい。私はずっと、そういう婚姻を結ぶのだと思い生きて来ましたから」
憂うでも、嘆くでもなく、朝になれば日が昇ることに疑問を抱かぬ幼子と同じ瞳でリーゼロッテは微笑んだ。
「妹達もみな、自ら望んだ相手と結ばれたわけではありません。それは私も同じことです。でも……それでも、いいのです。想いはきっと、後からついてくるものでしょうから」
アリアの手が止まったことに気付き、リーゼロッテは振り返ると年上の侍女へと微笑んでみせた。
「心配をしてくれてありがとうございます、アリア。ですが私はレイノアール王家に嫁ぐことに迷いはありません」
「リーゼロッテ様……」
「国のために夫となる人間を愛するのが、王女としての私の役目です。そして、あの雪深い国に愛したくなるような方が待っているような気がするのです」
リーゼロッテの笑顔に、アリアはこれ以上なにも言えなくなった。
嘘も強がりもなく、本心からレイノアール王家への嫁入りを受け入れる心が、彼女の笑顔に映されていた。
「どうかしたか?」
「マリンハルトさんもいたんですね。あのですね、どうかした、じゃないですよ! リーゼロッテ様に陛下から御呼びだしがあって来たんです」
マリンハルトの顔を見るやいなや、娘は不機嫌そうに顔をしかめてマリンハルトに詰め寄った。
「リーゼロッテ様のご婚約が決まったことはもう知っているでしょう? そうなればデュッセル陛下から直々に御通達があるに決まってるじゃないですか! 気付かなかったとは言わせませんよ」
「ア、アリア……」
「マリンハルトさんがリーゼロッテ様のこと大っ好きで婚約なんて嫌で嫌で仕方ないなのはわかっていますけど、仕事はちゃんとしてください。どうしてお召しかえしていなんですか!」
アリアの言葉にマリンハルトは返す言葉がなかった。
国王から直々に呼び出しがあることも、そのために準備をしておかなければならないこともわかってはいたがアリアの言う通り自分の気持ちが理由で手を動かすことが出来なかった。
唇を噛んだマリンハルトの表情から全て図星であったことを察したアリアはそれ以上は責めることをせずに、座ったままのリーゼロッテの元へ向かった。
「リーゼロッテ様、あまりお時間がありませんから髪だけでも結い上げてしまいましょう」
「あの、私はこのままでも構いませんが……」
「何を仰いますか! 先ほどのミレイニア様とのやり取り拝見致しました。そのままのお姿で陛下の元に参上すればまた嫌味を言われます。そもそも、召しかえたところで何か言ってはくるでしょうけど、だからといって何もしないのは侍女として許せないわ……」
アリアはぶつぶつと呟きながらリーゼロッテの背後に回ると、リーゼロッテの制止など無視して彼女の髪に櫛を入れた。
ミレイニアに対して何か嫌な思い出でもあるのだろうかと勘繰りたくなるアリアの言動に、二人はあえて触れずに目を見合わせた。リーゼロッテ付きの侍女となった時点で、ミレイニアやその取り巻きからいい扱いをされないだろうことはどちらもよくわかっている。
敢えて言葉にして尋ねることに意味があるとは思えなかった。
「……では、よろしくお願いしますね、アリア。マリンハルトは向こうの棚から髪飾りと羽織物を出してください。それがあれば少しは見れたものになるでしょうから」
王家にしては色味が暗いと蔑まれることの多いリーゼロッテの琥珀の髪を、アリアは手を止めることなく眺めていた。
既に二十歳となり、望まれぬ姫だと陰口を叩かれてきたリーゼロッテにやっと訪れた縁談が、敵国であったレイノアール王家との縁談だなんて不憫でしかないとアリアは思う。
だから、もしもリーゼロッテに少しでも婚姻を望まぬ気持ちがあるのなら、アリアはマリンハルトに協力して彼女を逃がす手助けをしてもいいと考えている。
長く城に勤め、正妃のリーゼロッテに対する数々の嫌がらせを目の当たりにしてきたアリアは、マリンハルトほどではないがリーゼロッテの力になることに抵抗はない。
「……リーゼロッテ様、本当によろしいのでしょうか?」
「何のことですか?」
「レイノアールとの婚約のことです」
リーゼロッテの命に従って髪飾りを用意していたマリンハルトも、アリアの言葉で手を止めた。
二人の位置からでは、座っているリーゼロッテの表情は窺えない。黙ったままのリーゼロッテに耐えきれず、アリアは言葉を紡ぎ続けた。
嫌だと言ってほしい。それが、溢れる言葉に乗っかり漏れ出ていくことには気付かぬまま。
「出過ぎた真似とは承知していますが、このままではリーゼロッテ様は利用されるだけです。それに、和平だっていつまで続くか……」
「……利用というのなら、それは妹たちも同じことです。父上はとても平等な方。正妃の子であろうが、ただの村娘の子であろうが、等しく私たちは王家の血を持つ娘で、政治のための道具でしかないのです」
平等だなんて嘘だとマリンハルトは思う。本当に平等であったのなら、リーゼロッテは第一王女として早々に国王となる者を婿として迎え入れただろう。
アリアもマリンハルトと同じ意見を持ったようで、言いにくそうに口を開いた。
「……ですが、それならどうしてグレイン様はミレイニア様に婿入りなさったのですか。あの方が王位を求めるなら……陛下が平等とお考えならば第一王女であるリーゼロッテ様の婿となるべきだったのでしょう?」
「それは、父上の考え方と周りの考え方が違っているからです。父上は娘たちを等しい道具と考えていましたが、周囲は私たちに優劣があると考えている。それだけのことです」
今回の婚姻は、私が最も相応しい。そう言って、リーゼロッテは窓の外へと目を向ける。
「もし、その通りだったとしても、リーゼロッテ様は顔も知らない、自分を愛してくれるかもわからない相手との婚約に本当に納得されているのですか?」
「はい。私はずっと、そういう婚姻を結ぶのだと思い生きて来ましたから」
憂うでも、嘆くでもなく、朝になれば日が昇ることに疑問を抱かぬ幼子と同じ瞳でリーゼロッテは微笑んだ。
「妹達もみな、自ら望んだ相手と結ばれたわけではありません。それは私も同じことです。でも……それでも、いいのです。想いはきっと、後からついてくるものでしょうから」
アリアの手が止まったことに気付き、リーゼロッテは振り返ると年上の侍女へと微笑んでみせた。
「心配をしてくれてありがとうございます、アリア。ですが私はレイノアール王家に嫁ぐことに迷いはありません」
「リーゼロッテ様……」
「国のために夫となる人間を愛するのが、王女としての私の役目です。そして、あの雪深い国に愛したくなるような方が待っているような気がするのです」
リーゼロッテの笑顔に、アリアはこれ以上なにも言えなくなった。
嘘も強がりもなく、本心からレイノアール王家への嫁入りを受け入れる心が、彼女の笑顔に映されていた。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
夫を愛することはやめました。
杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
王太子妃は離婚したい
凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。
だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。
※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。
綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。
これまで応援いただき、本当にありがとうございました。
レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。
https://www.regina-books.com/extra/login
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
元侯爵令嬢は冷遇を満喫する
cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。
しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は
「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」
夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。
自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。
お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。
本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。
※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる