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1.望まれぬ婚姻

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 立っていたのは王城付きの侍女で、マリンハルトの後輩であった。
「どうかしたか?」
「マリンハルトさんもいたんですね。あのですね、どうかした、じゃないですよ! リーゼロッテ様に陛下から御呼びだしがあって来たんです」
 マリンハルトの顔を見るやいなや、娘は不機嫌そうに顔をしかめてマリンハルトに詰め寄った。
「リーゼロッテ様のご婚約が決まったことはもう知っているでしょう? そうなればデュッセル陛下から直々に御通達があるに決まってるじゃないですか! 気付かなかったとは言わせませんよ」
「ア、アリア……」
「マリンハルトさんがリーゼロッテ様のこと大っ好きで婚約なんて嫌で嫌で仕方ないなのはわかっていますけど、仕事はちゃんとしてください。どうしてお召しかえしていなんですか!」
 アリアの言葉にマリンハルトは返す言葉がなかった。
 国王から直々に呼び出しがあることも、そのために準備をしておかなければならないこともわかってはいたがアリアの言う通り自分の気持ちが理由で手を動かすことが出来なかった。
 唇を噛んだマリンハルトの表情から全て図星であったことを察したアリアはそれ以上は責めることをせずに、座ったままのリーゼロッテの元へ向かった。
「リーゼロッテ様、あまりお時間がありませんから髪だけでも結い上げてしまいましょう」
「あの、私はこのままでも構いませんが……」
「何を仰いますか! 先ほどのミレイニア様とのやり取り拝見致しました。そのままのお姿で陛下の元に参上すればまた嫌味を言われます。そもそも、召しかえたところで何か言ってはくるでしょうけど、だからといって何もしないのは侍女として許せないわ……」
 アリアはぶつぶつと呟きながらリーゼロッテの背後に回ると、リーゼロッテの制止など無視して彼女の髪に櫛を入れた。
 ミレイニアに対して何か嫌な思い出でもあるのだろうかと勘繰りたくなるアリアの言動に、二人はあえて触れずに目を見合わせた。リーゼロッテ付きの侍女となった時点で、ミレイニアやその取り巻きからいい扱いをされないだろうことはどちらもよくわかっている。
 敢えて言葉にして尋ねることに意味があるとは思えなかった。
「……では、よろしくお願いしますね、アリア。マリンハルトは向こうの棚から髪飾りと羽織物を出してください。それがあれば少しは見れたものになるでしょうから」
 王家にしては色味が暗いと蔑まれることの多いリーゼロッテの琥珀の髪を、アリアは手を止めることなく眺めていた。
 既に二十歳となり、望まれぬ姫だと陰口を叩かれてきたリーゼロッテにやっと訪れた縁談が、敵国であったレイノアール王家との縁談だなんて不憫でしかないとアリアは思う。
 だから、もしもリーゼロッテに少しでも婚姻を望まぬ気持ちがあるのなら、アリアはマリンハルトに協力して彼女を逃がす手助けをしてもいいと考えている。
 長く城に勤め、正妃のリーゼロッテに対する数々の嫌がらせを目の当たりにしてきたアリアは、マリンハルトほどではないがリーゼロッテの力になることに抵抗はない。
「……リーゼロッテ様、本当によろしいのでしょうか?」
「何のことですか?」
「レイノアールとの婚約のことです」
 リーゼロッテの命に従って髪飾りを用意していたマリンハルトも、アリアの言葉で手を止めた。
 二人の位置からでは、座っているリーゼロッテの表情は窺えない。黙ったままのリーゼロッテに耐えきれず、アリアは言葉を紡ぎ続けた。
 嫌だと言ってほしい。それが、溢れる言葉に乗っかり漏れ出ていくことには気付かぬまま。
「出過ぎた真似とは承知していますが、このままではリーゼロッテ様は利用されるだけです。それに、和平だっていつまで続くか……」
「……利用というのなら、それは妹たちも同じことです。父上はとても平等な方。正妃の子であろうが、ただの村娘の子であろうが、等しく私たちは王家の血を持つ娘で、政治のための道具でしかないのです」
 平等だなんて嘘だとマリンハルトは思う。本当に平等であったのなら、リーゼロッテは第一王女として早々に国王となる者を婿として迎え入れただろう。
 アリアもマリンハルトと同じ意見を持ったようで、言いにくそうに口を開いた。
「……ですが、それならどうしてグレイン様はミレイニア様に婿入りなさったのですか。あの方が王位を求めるなら……陛下が平等とお考えならば第一王女であるリーゼロッテ様の婿となるべきだったのでしょう?」
「それは、父上の考え方と周りの考え方が違っているからです。父上は娘たちを等しい道具と考えていましたが、周囲は私たちに優劣があると考えている。それだけのことです」
 今回の婚姻は、私が最も相応しい。そう言って、リーゼロッテは窓の外へと目を向ける。
「もし、その通りだったとしても、リーゼロッテ様は顔も知らない、自分を愛してくれるかもわからない相手との婚約に本当に納得されているのですか?」
「はい。私はずっと、そういう婚姻を結ぶのだと思い生きて来ましたから」
 憂うでも、嘆くでもなく、朝になれば日が昇ることに疑問を抱かぬ幼子と同じ瞳でリーゼロッテは微笑んだ。
「妹達もみな、自ら望んだ相手と結ばれたわけではありません。それは私も同じことです。でも……それでも、いいのです。想いはきっと、後からついてくるものでしょうから」
 アリアの手が止まったことに気付き、リーゼロッテは振り返ると年上の侍女へと微笑んでみせた。
「心配をしてくれてありがとうございます、アリア。ですが私はレイノアール王家に嫁ぐことに迷いはありません」
「リーゼロッテ様……」
「国のために夫となる人間を愛するのが、王女としての私の役目です。そして、あの雪深い国に愛したくなるような方が待っているような気がするのです」
 リーゼロッテの笑顔に、アリアはこれ以上なにも言えなくなった。
 嘘も強がりもなく、本心からレイノアール王家への嫁入りを受け入れる心が、彼女の笑顔に映されていた。
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