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13.恋人候補、でもいいか?
しおりを挟む「……アンタたち、ついにデキたの?」
「え?」
金曜。店の前で合流したオレたちは、いつものようにママのバーへと顔を出した。
カウンターには二人分の空きはなく、テーブル席へと座り高瀬のオススメの大食い動画を見せてもらっていたら、いつものグラスを二人分手にしたママが不思議そうにオレらを見下ろしていた。
「距離感変わったんじゃない?」
「あはは、まだデキてはないですよ」
「やだ、意味深~」
「何にもないから」
片手でママの背中を押せば、冷た~いなんて頬を膨らませてカウンターへと帰っていく。
一緒にいる分にはわからないけど、周りからは変わって見えるんだろうか。
そう思うと何だか気恥ずかしく、さっきのように無邪気に動画を楽しむことは難しくなってしまった。
「どうかしたんですか?」
「いや……」
「あ、もしかして意識してます?」
躊躇いなくそう言い切る高瀬に、オレは気まずさを覚えつつも渋々頷く。どうせコイツには誤魔化しても無駄だ。
「俺はいつ本当にデキてもいいですからね」
「はいはい」
「本気ですよ」
わかったって。余計なことに悩んでいた自分がバカみたいだな。
苦笑と共に高瀬のスマホへと視線を戻せば、メッセージの受信を知らせる通知が大食いをしている配信者の頭の上に浮かんで、消えた。
表示されていたフルネームの名字は覚えてないけれど、目に入った早雪という名前には見覚えがあった。
高瀬の元カノで、多分まだ相手側に未練のある子。
自分の中にあるモヤモヤとした感情が顔に出たんだろう。高瀬はそっと目を伏せると、「すみません」と一言立ち上がった。
「ちょっと、話してきます」
「え?」
「前にも一度、ちゃんと伝えたんです。俺、気になる人がいるから復縁は考えられないって」
テーブルの上に無造作に置かれていたオレの手に、そっと触れると高瀬は一度店から出ていった。
指先が撫でるように触れただけ。
それなのに、名残惜しさに胸は痛み、オレはテーブルの上でぎゅっと拳を握りしめた。
高瀬がオレに対して、誠実に向き合おうとしてくれていることはよくわかっている。元々軽い調子のヤツだったというだけで、初めから人付き合いに関しては真剣だった。
不誠実なのは、オレの方だ。
高瀬から向けられる好意に、応じることも突き放すこともせずにいる。どっちつかずの状態で、都合よく自分に好意的な相手のことをキープしているだけだ。
こんなの良くないとは思っているけど、オレ自身が高瀬に抱く想いの名前をまだ付けられずにいた。
「ああいうの、ホント困るよね」
突然後ろから声を掛けられ、驚いて振り返れば名前は知らないがなんとなく見覚えのある男がグラスを片手に立っていた。
「一人じゃ退屈でしょ? 隣いい?」
イエスもノーも答えずにそいつへと怪しむ視線を送っていたが、構うことなくオレの隣へと腰を下ろした。
バーでは出会いを求める男も多い。
オレも最初の頃はこういうゲイの集まる場で相手を探してみようと思い通い始めた。いつのまにかそんなことよりもママの気さくな人柄に惹かれて常連になっていたけど。
だからこうして誰かに声を掛けられることもほとんどなかった。最近は高瀬といたから余計になんだろう。
もちろん、ママが決めたルールもある。パートナーがいる相手を口説くのは禁止だ。
だけど、高瀬はただの友人で、パートナーではない。たからルール違反などではなく、一瞬カウンターに立つママと目が合ったけど止める素振りは見せなかった。
「直接話すのは初めてだよね?」
「そうですね。顔には見覚えがありますけど」
「それは嬉しいな」
男は慣れた手付きでオレの太ももへと触れる。不快感が真っ先に全身を駆け抜けていった。
オレが振り払おうとするよりも早く、男は微笑みを浮かべてオレの顔を覗き込む。
「彼じゃ君の気持ちは理解できないんじゃない?」
その一言がオレの胸に深く突き刺さり、抵抗出来ないまま、オレは男を見つめ返した。
「悪い子じゃないんだろうけど、結局ノンケな彼に抱かれたい君の気持ちなんて理解出来ないよ」
「なんで」
「ネコでしょ? そんなのわかるよ」
本当に見抜かれているのか、たまたまバーでしていた会話が聞こえたからなのかはわからない。
それでも、男の一言はオレには甘い誘惑でしかなく、グラスに波紋が広がっていくように動揺を隠し切れなかった。
「確かに君の見た目だと抱かれたいって言い寄られる方が多そうだよね。キリッとしていて、頼りになるお兄さんって雰囲気あるし」
さっきまでオレの太ももに触れていた手が、頬に触れようとする。流石にその手は掴んで止めた。
でも、男は気にする事無く反対の手でオレの顎を持ち上げる。
「オレは好みだけどね、君みたいな子。この後どう?」
オレの気持ちを見透かしたような男の誘いを、すぐに突っぱねることが出来なかった。
ここみたいにゲイであることを隠さなくても良い場にいても、見た目の雰囲気からネコであることが言い出しにくくなっていた。
声をかけられて、タチじゃなかったんだとガッカリされたこともある。相手に悪気はなくて、セックスの相手を探してたんならそりゃ条件に合わない相手に声を掛けてしまったことへの残念さはあるだろう。
だけど、そういう一つ一つの積み重ねに、少しずつ自分がどう振る舞えば良いのかわからなくなっていったのも事実だった。
だからこうして、オレをネコだとわかったうえで声を掛けて貰えることは嬉しく思ってしまう。
これが、高瀬だったら良かったのに。
そんなことを思っている自分に気付いてしまったから、オレは男の誘いを受ける気になんてなれなかった。
「悪いけど、今日は連れがいますから」
「だからさ、彼じゃ君の気持ちはわからないって」
「最初から全部なんてわからないから一緒にいるんでしょう?」
オレの言葉に、男は理解出来ないという顔をして嫌な笑を浮かべる。顎に触れていた男の手を払えば、逆に手首を掴み返され、振り解こうと睨み付けたが男は力を強めるばかりだった。
「離せって」
「なんだよ、こっちは忠告してやってんだろ」
何が忠告だ。高瀬のこと、何も知らないくせに。
店内で騒ぎを起こしたくないから控えめに断っていたが、多少乱暴になっても構わない。
そう思い腕を振り払おうとしたオレの肩に、そっと手の触れる感触があった。
「一人にしちゃって、ごめんなさい」
「高瀬……」
座っていたオレを見下ろして微笑んだ高瀬は、そのまま男へと顔を向けた。
「この人、俺の連れなんです。ちょっかい出すのはやめてもらえますか?」
「ちょっかい出してんのはそっちだろ? 女が好きなら女とセックスしてればいいだろ」
「それはこっちのセリフです。男なら誰でもいいんなら、他の人に声掛けてくれませんか?」
怒気を含んだ男の態度にも怯む様子はなく、高瀬は笑顔を浮かべたままオレの手首を掴んでいる男の腕を引いた。
「チッ、何本気になってんだが」
捨て台詞のように吐き捨てると、男は高瀬の手を振り払い立ち上がった。そのまま、一度も振り返ることはせずに元の席へと戻っていく。
その様子を見守ってから、高瀬は元々座っていた正面のソファでなく、さっきまで男が座っていたオレの隣へと腰を下ろした。
「狭いだろ」
「まぁ、そう言わずに」
二人掛けでも十分に広いソファのはずなのに、高瀬がぴったりと体を寄せて座っているから窮屈で仕方無い。
もう一度文句を言おうと顔を上げたら、じっとオレを見つめる高瀬と正面から目が合った。
「あの子にはちゃんと説明したんで、もう連絡が来ることはないと思います」
「そっ、か」
はい、と頷いた高瀬は空いていた右手でオレの左手を取ると、好き勝手に指を絡めて握り締める。
「……さっきのヤツの話ってどこから聞いてた?」
「話は全然。バーの中賑やかなんで会話なんて聞こえないですよ。恭ちゃん先輩の嫌そうな顔が見えたから割り込んだだけです」
気の抜けた笑みを浮かべた高瀬の横顔を眺めている。さっきの男に触られた時はちょっとでも気持ち悪かったのに、高瀬には全くそれを感じない。
「……あのさ、高瀬」
「はい?」
「恋人候補、でもいいか?」
「へ?」
正直、まだ高瀬と付き合うことには不安がある。こいつはノンケなのに本当にいいのかとか、そもそもオレのこと抱けるのか、とか。
だけど、いつまでもどっち付かずの状態でふらふらと一緒にいるのも違うだろう。
不安はある。もう少し、お前と一緒に過ごしながら、考える時間がほしい。
だけど叶うなら、お前が良い。
それくらいはちゃんと伝えてやらないとズルいだろう。
そう思っていたのに、高瀬は目を丸くしてオレを見返すと、おかしそうに吹き出して握り締めていた指先に力を込めた。
「何で笑うんだよ!」
「だって……とっくに俺、恭ちゃん先輩の恋人候補だったでしょう?」
言わなくたってわかりますよ、と高瀬は笑う。
その声はバーの喧騒に掻き消されることなく、オレの鼓膜を軽やかに揺らしていった。
「本当に真面目ですよね、恭ちゃん先輩って」
「……お前がモテるってこと忘れてた」
そりゃあオレより察しも良ければ手慣れてもいるよな。溜め息を吐いたオレの指先からするりと高瀬の手が抜け出して、そのまま当然のように座っていたオレの腰へと回された。
「あはは、でも、そうやって言葉にしてくれたなら俺ももっと遠慮なく恭ちゃん先輩に近付けますね」
「今まで遠慮してたのか?」
「してましたよ! 嫌がることはしなくないですし」
遠慮しててあれか、と首を傾げるオレに対して、高瀬は気にする事無く笑っていた。
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