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その人は恋を知らない

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「だから、言ったよね? 『ついにティアナも相手を見つけたんだね』ってさ」
 マリーが帰ったのを見計らったように俺の部屋にやってきた殿下は、壁に背を預け楽しそうに笑みを浮かべていた。
 先程のダンスの件もあり、俺に苛立ちは最高潮に達した。殿下を相手に八つ当たりするわけにはいかず、だからこそ益々言葉に棘が籠もってしまう。
「……わたくしになんのご用でしょうか、殿下」
「今は私室なんだから、地でいいんじゃないか?」
「……俺に用ですか?」
 殿下は満足気に微笑んで、ソファに腰を下ろしたままの俺に歩み寄ると扉の方を振り返った。
「見たよ、例の君の溺愛する姫君。随分と可愛らしいね」
「……そんなものではありません。彼女は、俺が責任持って立派な正妃候補に育て上げます」
 殿下を見上げれば、殿下は眉を潜めてこちらを見下ろした。
 何か不満があるときに殿下の目だ。マリーでは不服だったというのだろうか。まぁ、顔の好みを理由にされたら俺も黙るしかなくなってしまうが。
 黙ったままの殿下の瞳には、憐れみの色が浮かべられていた。悲しみ、かもしれない。
 俺も、無言で殿下を見つめ返した。
 殿下に相応しい未来の正妃に育つのは、彼女しかいない。それも当然だ。この俺が、責任を持って面倒を見ると決めたのだから。
「……ティアナ、君は本当によく私に仕えてくれていると思う。君は戸惑うかもしれないが、私にとって君は唯一信頼できる友でもある」
「戸惑うだなんて、そのようなこと。俺にとっても、サフィール殿下は唯一心を開ける存在です」
「だったら、素直になった方がいい」
 殿下の言いたいことが、よくわからない。
 不満が顔に出たのだろうか。殿下は我が儘な弟をあやすように苦笑と共に俺の肩をそっと撫でた。
「マリーを正妃に相応しい娘になると思ったのは、ティアナにとって理想的な娘だったからだろう?」
「そうですよ。彼女は真面目に勉学に励み、他人を貶めるような心も持っていません。少々頼りないところもありますが、根性はありますし……」
 まだ少女だが、一年、いや半年もすれば俺が長年を掛けて辿り着いたティアナにも負けない娘になるだろう。
 それが理想的な正妃の姿ではないのか。何が間違っているというのか。俺には殿下のお考えが理解できない。
「ティアナは本当に気付いていないのか? ……いや、それもそうか。君は恋を知らないから」
「恋って……。何を言っているんですか俺は……」
「君の目でみたマリーが素敵だったから、正妃に相応しいなんて思ったんだろう? 実際にティアナの話すマリーの姿は、君が理想として求め続けたティアナそのものだったよ」
 違う、と昨日までの俺であれば即座に否定していただろう。
 しかし、今の俺には心当たる節がゼロではない。マリーの熱っぽい瞳が、今でも目を閉じれば思い出された。
 殿下の言葉を受けて、あれは本当に熱の籠った眼差しだったのだろうかと疑問に思えてしまった。あれは、俺がそうであって欲しいと願って見せた幻なのではないかと、そんな不安が胸をよぎった。
 もしそうだとすれば、殿下の言う通り俺の心は彼女に囚われていることになるではないか。
「仮に俺が彼女に好意を抱いていたとしても、それは殿下に関係ありません。マリーには素質があります。そこに間違いはないでしょう」
「私だって、ティアナの目に間違いがあるとは思っていないよ。だから、マリーがこの国が求める正妃になれるだろうことに疑いはない。でも、私は友の想い人を奪うような真似はしたくはない」
「殿下、そもそもマリーにとって殿下の婚約者となることは何も悪いことはないでしょう。彼女だって、それを望むはずです」
 殿下の婚約者は、この国の娘であれば誰もが羨む席だ。マリーにとっても、それは変わらないだろう。
 俺よりも、殿下の婚約者になった方がマリーは幸せになれる。それは、紛れもない真実であった。
「……殿下がご心配なさるのでしたら、俺から彼女の気持ちを確認しましょう。俺が彼女の面倒を見ていたのも全て殿下の婚約者とするためだと、伝えます」
 殿下はそれ以上は何も言わずに頷いた。納得していないのは、顔を見れば明らかだった。
 俺は逃げるように目を伏せて、机の上に開いたままの歴史書に視線を落とした。一つ一つの歴史の歩みに興味深そうに目を輝かせ、俺の話を一生懸命に聞く少女。
 知らないことを知り嬉しそうに目を細めるマリーに、いつの間にか俺は惹かれていたのだろうか。それとも、殿下の言葉が正しいのであれば初めから彼女に惹かれていたのかもしれない。
 マリーと共に過ごす時間が、大切になっていたことは事実だ。もっと教えたい。もっと力になりたい。もっと、側にいたい。
 少しずつ知識を付け、立ち振舞いも美しくなっていく彼女を見守ることが、楽しみになっていた。そして、楽しみ以上の感情が生まれていたことを今日知ってしまった。
 彼女に触れて、躍りを教えたあの時、俺は言ってほしかったんだ。
 俺に触れられて、頬を染めているのだと。
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