悪役令嬢は自らの手で理想の正妃を育てあげる

河合青

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未来の正妃候補として

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「ティアナ様、私に勉強を教えていただけませんか?」
「……勉強を?」
「はい。私は多くのことを学びたいと思っていますが、学園内は女が進んで勉強をするのを好まない風潮があるようで……。先生に聞いてみても『そんなことよりも淑女としての振る舞いを身に付けなさい』と言われて取り合ってもらえず……独学にも限界はありますし……。でも、ティアナ様は学園内で一番の才女として有名ですから……ん? この場合才女はおかしいのかな……」
 ぽつぽつと言葉を紡ぐマリーは一見すると暗い印象を受けるが、語る言葉は確かに正しいもので俺は無意識のうちに頷いていた。
 才女、の辺りで一人首を傾げる姿には、微笑ましさすら感じるほどだ。
 もしかしたら。
 俺の探し求めていた女性。知性と理性を兼ね備え、多くの妾を抱えることとなる殿下の隣に立つに相応しい女性の資質を、彼女は持っているのではないか。
 未来の婿探しよりも勉学に興味を持ち、他人の秘密を前にしても言いふらすことを考えない。それに、まだ年齢も十三歳と若い。俺が勉強を教えつつ彼女を教育すれば、理想的な正妃に相応しい女性に成長するのではないだろうか。
 俺は自分の考えに、自分で感動した。
 そうだ。正妃に相応しい女性を探すのではなく、適正のある女性を教育した方が確実に決まっている。
 幸いにも、これは彼女自身が望んだことでもある。この俺に、先生になってほしいと先に言ったのは彼女だ。
「……わかった。俺が君の教師になってあげよう」
「本当ですか!」
 ぱっと顔を上げたマリーは、上気させた頬に相変わらずの乏しい表情を乗せて、きらきらとした瞳をこちらに向けている。
 感情が表に出にくいせいか愛想は悪いが、感情の機微がわかりやすいため可愛いげのない娘には見えないのが救いだ。
 正妃としては女性としての可憐さや美しさも必要となる。マリーの顔立ちは無表情のせいでわかりにくいが、学園の少女たちの中でも可愛らしい方だった。
 長い睫毛に澄んだヘーゼルの瞳。緩く波打つ栗色の髪は柔らかく、桜色の唇はふっくらと果実のような弾力を持つ。好奇心を詰め込んでできた瞳の輝きと、疑うことを知らぬ真っ白な眼差しの前では自分の醜さが浮き彫りになるようだ。
 勢いのままに立ち上がった彼女。意外にも衝動的な姿に驚いて言葉が出せずにいると、気づいた彼女は頬を染めてゆっくりとソファに座り直した。
 先程よりも体を小さくして、顔を隠すように俯いている。
 一人で随分と忙しい子だ。思わず笑みを溢すと、マリーは俯いていた顔を上げて、益々恥ずかしそうに目を伏せるのだった。
「ちなみにだけれど、君が気にしていた水面の件は光が水面に反射するからだ。地面は光を反射しない。光があって人は物を見ることができるから、光を反射できる物質なら同じことが起きる」
「そうだったのですか? では何故光があると物が見えるのでしょう?」
「それはわからない。ただ、夜は周りが見えないだろう? だが、月でも火でも明かり……つまり光があれば物が見えるということは現実として証明されている。生憎、光そのものがどういったものか証明することはできないから何故光があれば物が見えるのかという疑問には答えられない。……回答としてはこれで満足か?」
「は、はい」
 マリーは頷くと、じっと俺を見つめて次の疑問を口にする。
「あの、では夏が暑いのは何故ですか?」
「そうだな……そもそも、夏というのはこの国で定めた七の月から九の月のことを指す。他の国では夏が寒い場合もあるらしい。ということは、太陽からの日差しはこの大陸全体に平等に降り注いでいることになる。……ちょっと待っていろ」
 この話を口頭だけで説明するには無理があった。
 マリーを座らせたまま、俺は本棚にしまっていた大陸全土の地図を引っ張り出した。
 カップを退かして地図をテーブルに広げると、各国の地理関係とそこから推測される気温の違いを説明する。夏が暑いというよりも、たまたまこの国が一年で暑い時期が夏だっただけにすぎないことを説明すると、彼女は熱心に頷いて地図を食い入るように見つめていた。
 その後も彼女の質問攻めは続き、俺はその一つ一つに答えていく。
 目を丸くしたかと思えば、落ち着いた様子で頷いて、興奮したように次の質問をしたと思えば、予想外の答えだったのかがっかりと肩を落とす。
 普段話をする相手といえば殿下ばかりだったから、思ったことがすぐ動作として出てくる相手との会話は新鮮だったし、何より楽しかった。
「ティアナ様、凄いです……。物知りなんですね」
 マリーの目から光が見える。俺を焼こうとする尊敬の熱視線。
「別に、知識なんてその気になれば誰でも身に付けられるだろ」
 ここまで直球な善意や敬意というものを受けたことがないから、どうして良いかわからずにそっけない返事しかできない。
 でも、マリーは気にする様子は見せずに大きく首を振った。
「そのようなこと、ありません。誰にでも出来るからといって、ティアナ様の知識の価値が霞むわけではありませんから」
 相変わらず、表情は乏しい。
 けれど、大きく振られた首や、やや強い口調の言葉が十分に彼女の想いを伝えてくれた。
「あの、そういえば、ティアナ様とお呼びしてよろしいのですか? 本当のお名前があるのでしょうか?」
「いや、これが本名だ。俺は生まれたときからティアナという名で殿下の婚約者に相応しい娘として育てられてきたからな。別の名があるわけでもない。ティアナで良い」
「はい。これからご指導の程よろしくお願い致します、ティアナ様」
 立ち上がり、頭を下げたマリーに対して、頷くことしかできなかった。
 彼女に黙って、正妃に相応しい教養を叩き込もうとしている自分への若干の罪悪感。まぁ、殿下の婚約者になれると言われて嫌がる娘がいるとは考えられないが。
 俺の前では長い付き合いな分ふざけたところも多い方だが、式典や公務は真面目にこなすし、学園内での成績も文武両道、顔だって贔屓目に見ても整っている方なので非の打ち所がない。
 仮に王子でなく、どこかの侯爵家の令息だったとしても変わらず人気だったのではないかと俺は思っている。
 それに、ロードナー伯爵家にとってもマリーが殿下の婚約者となれば今の苦労からも救われるはず。
 少し強引な気はするが、みんなが幸せになれる良い方法だろう。
「しばらくは毎日俺の部屋まで来い。何を学びたいか、今の知識はどの程度か。それを確認し、今後の予定を立てる」
「はい」
「もし、授業で気になることがあれば日中に教室まで来ても構わない。昼は基本的に図書館にいる」
「はい、ありがとうございます」
「あとは絶対に俺が男だということは人に言うな。これを破ったら君だけではなくロードナー伯爵にも迷惑がかかることになる」
 彼女であればわざわざ釘を刺さずとも大丈夫だろうとは思うが、念のためだ。
 案の定、マリーは神妙な面持ちで頷いてみせた。そこに、俺を騙そうという色はなかった。
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