悪役令嬢は自らの手で理想の正妃を育てあげる

河合青

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悪役令嬢の真実

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 どうか、殿下に相応しい素敵な女性と出会えますように。
 そんな馬鹿みたいな願い事を寝起きの頭でぼんやりと思い浮かべる。いつからかは思い出せない。殿下には、絶対に言えない。
 鏡に映る自分の姿。随分と伸びてしまった緋色の髪に櫛を入れ、鏡の中の自分を見つめ溜め息を吐いた。
 仮にとはいえ、殿下の婚約者なのだからみっともない姿を外に晒すわけにはいかない。
 しわも汚れもないシャツとスカートを身に付けて、最後の確認にと鏡の中の自分に向かってとびきり可愛らしい女の子をイメージして微笑んでみる。
「我ながら完璧」
 ついでに、鏡の前でくるっと回る。軽やかに舞うスカートの裾ももちろん一切折れ曲がったりはしていない。
 昨日は殿下の生誕祭で休みだったけれど、この国では貴族の子息令嬢は十三歳から十六歳までの間は寮制の国立学園で教育を受けなければならない義務がある。
 これは王家の血を引く者であっても例外は無い。特別に広々とした一人部屋を貰ってはいるけれど、基本的に勉強の内容は他の貴族たちと変わらなかった。
 王族貴族は国の将来を担う者達であると考えた先代は若者達に高水準で安定した教育を施したいと考えた。それによって、王都に建設されたのが国立学園だ。十三歳から十六歳までの間は無償で国内最高峰の教育を受けることができ、希望する者は学費が掛かるもののさらに高度な教育環境の整った高等科へと進学することも出来る。
 本来であれば全ての国民に教育を義務付けたいところであったが、農村では子供は貴重な働き手であるため家を出すのは難しいらしい。
 将来的には農村の子達にも教育の場を与えたいと陛下も仰っていた。そのためには国全体が豊かになる必要があり、だからこそ妃同士の争いなどに邪魔されるわけにはいかなかった。
 両手で軽く自分の頬を叩き、肺の中の空気を全て入れ換える。
 女という生き物は、日々戦いの連続なのだ。

 教室へと繋がる渡り廊下を、足音を立てること無く滑るように歩いていく。
 悪役だなんて呼ばれているものだからか、学園内で共に過ごす友人と呼べる存在は一人もいなかった。
 それはそれで気が楽で良いけれど。
 午前中の授業が終わり、昼食のための休憩時間を一人図書館で過ごすのが最近の趣味だ。さすがに四六時中殿下の側にいるわけにもいかず、空いている時間があるのなら有意義に使いたかった。
 今日の授業では近隣諸国で起きたいくつかの戦争がちらっと話題に出てきたけれど、その詳細にまでは触れられなかった。王位を引っくり返すほどの戦争ということだから、発生した原因くらいは知っておきたい。良い資料があればいいのだけど。
 そんなことを考えながら歩いていると、ふと、大きな水音のようなものが耳に届いた。
 続けて、何か大きなものが何度も水面を叩くような音。
 そして……。
「た……て……、だれっ……たす……て!」
「人の声……? まさか!」
 助けを求める人の声に、考えるより先に足は走り出す。
 水の音から推測するに、誰かが池にでも落ちたのだろう。渡り廊下から校舎を人気のない特別教室棟の方向に回り込めば、確か観賞用の池があったはず。
 急ぎ駆けつければ予想通り、池の真ん中で大きな水しぶきが上がっていた。
「助け、て……!」
 懸命にもがく女の子の声。
 すぐに制服の上着を脱ぎ捨てると、池の中へと飛び込んだ。
 思ったよりも冷たく、重い水。大した必要性もない池なのだから、足が付かないほどに深く掘る必要はないのではないかと設計者には文句を言いたい。
 水を吸い、重くなっていく衣服。水の底に引きずり下ろそうとする力に負けぬよう、ただ腕を動かし彼女の元へと辿り着く。
「落ち着いて! わたくしに体を預けて!」
 後ろから彼女の両脇に自分の腕を差し込み、こちらの胸の上に彼女の背中を乗せるようにしてその体を引き寄せる。
 水面を叩いていた両腕は、こちらに気付いたことで動きを止めた。
「そう、良い子ね。そのまま、力を抜いてなさい」
 ぼんやりとした瞳をこちらに向け、彼女は小さく頷いた。よかった、意識はある。
 背泳ぎの要領で岸まで戻り、転がすようにして彼女を池から押し上げる。水に引き寄せられる感覚を煩わしく思いながら自分も池から出ると、彼女は何度も咳をして、口の中に入ってしまった水を吐き出していた。
「大丈夫?」
 彼女の背中を出てやると、まだ返事をする余裕がないのか彼女は頷き、胸を押さえた。
 肩甲骨辺りまで伸ばされた栗色の髪は体にべったりと張り付いてしまっている。まだ午後の授業もあることを考えるとどうにか乾かしてやらなければ体調を崩してしまうかもしれない。
 胸元のタイの色は二学年下の生徒が着用する色で、確かにまだ幼さが抜けきらない顔立ちをしていた。
 何度か深呼吸を繰り返し、ようやく落ち着いてきたのか彼女は顔を上げる。
 大きなヘーゼルの瞳が、真っ直ぐにこちらを見上げていた。
「……え? ティアナ、様……?」
 この顔を見て、彼女は目を丸くする。
 確かに、驚くのも無理はないかもしれない。
 何せ、悪者として有名なこのティアナ・ウィニスに助けられてしまったのだから。意外だったのだろうか。それとも、何か罰でも受けるのではないかと恐れているのだろうか。
 そう思っていたのはこちらだけだったようで、彼女の驚きの理由はもっと別のところにあった。
「……ティアナ様、ですよね?」
「えぇ。他のどなたに見えるのかしら?」
 にっこりと微笑んでみせるが、彼女はもうその微笑みなど興味もないようで、視線を落とし黙り混んでいる。
 視線を、落とす。
 つまり、彼女はこちらの笑顔など見向きもせず、水に濡れて衣服が張り付いてしまったこちらの体を見ているというわけで。
「……み、見ないで!」
 しまった、と思ったときにはもう遅い。
 慌てて投げ捨てた上着を引き寄せ胸元を隠すが、手遅れであった。
 少女は、無防備にも口を開けたまま、まばたきを繰り返し、濡れた唇から恐れていた言葉を溢す。
「……え? ティアナ様……男の、人?」
 それは俺が生まれてから今まで隠し通してきた、サフィール殿下の婚約者であるティアナ・ウィニスの正体であった。
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