悪役令嬢は自らの手で理想の正妃を育てあげる

河合青

文字の大きさ
上 下
2 / 14

悪役などと呼ばれても

しおりを挟む

「また何かやらかしたみたいだね」
 先程、生誕祭で凛々しい横顔と共に挨拶を述べていた人物と同一人物には思えない緩んだ笑顔で、サフィール殿下は人の気も知らず呑気にソファへと身を委ねていた。
 控えの間に戻り礼服を着替えた殿下の元へ向かうと、人の目がないのを良いことに弛みきった姿で出迎えられた。
 脱いだ上着は肘置きに掛けたまま。タイは中途半端に外しているため首もとに引っ掛かっている。そのままシャツを脱ごうとして、タイが引っ掛かり諦めたのだろうか。二つ目まで外されたボタンからは引き締まった胸元が覗いていた。
 込み上がるため息を飲み込みきれず、盛大に吐いて見せたが殿下は気にする素振りも見せない。
「殿下、着替えなら執事もメイドもいるでしょう?」
「やだよ。挨拶終わって疲れきったところに、やれ『次のお召し物はこちらでございます』とか『殿下、そのまま座られるとしわになります』とか、いちいち言われたくない」
 子供か。
 はぁあああと長い溜め息を吐いた殿下の、油断しきって丸くなった背中を蹴り飛ばしてやりたかったが、裾の長いドレスでは難しかった。
 代わりに脱ぎ散らかされた上着を拾い上げると、シワにならないように畳み直す。
 そして、ソファに抱き止められている殿下の首からタイを外した。
「ん。ありがとう」
「どういたしまして。はぁ。普段も公務と同じくらいにしっかりしていただきたいものです」
「それは無理だよ」
 無理なわけないだろうに。
 公務ではしゃんとしてみせるのだから、出来ないはずがない。
「で、今日は何したの? 大臣がティアナのこと絶賛していたよ」
「別に、いつも通りのお仕事です。殿下に近付く悪い虫を払っていただけのことです」
「どうしてそれで大臣の絶賛に繋がるのか理解できないよね。なんかうまいことやって、女の子苛めるのと自分の評判上げるの同時にやったんでしょう?」
 殿下の言うことは寸分違わず当たっていて、言い返すことができなかった。
 苛める、というのには語弊があると主張したいけれど、やっていることはその通りだったため黙るしかない。
 別にこちらも好きでやっているわけではない。あくまでもそれが仕事なのだ。
 こちらの苦労を知っているためか、殿下は苦笑を浮かべて肩を竦める。
「先代の言い付けとはいえ君も中々に大変な役目だよね」
「そうですね。もう慣れましたし、必要なことだとも思っていますから気にはしていませんが、わざわざ身内から偽りの婚約者を付けて、正妃に相応しくない女性が殿下に近付くようなら排除しろ、というのは物騒な話ですよね」
 そう、婚約者と言われてはいるがそれは対外的なものでしかなく、実際の役割は殿下の虫除けなのだ。
 陛下の妹である母を持ち家柄には申し分がなく、幼い頃から立ち振舞い、教養、さらには護身術まで叩き込まれた完全無欠のご令嬢。
 それが、このティアナ・ウィニスに求められた役割。
 本性は口も悪ければ性格も悪い。護身術のお陰か手癖も悪い。それを知っているのは殿下だけなのだけど。
「ティアナ、君、同世代のご令嬢達からヒールって呼ばれているの知っている?」
「ヒール? なんですかそれは」
 聞いたことのない言葉だった。畳んだ上着を殿下に渡して、空いていた椅子に腰を下ろすと殿下を向いて首を傾げた。
「先月、ようやく不可侵条約が締結した北の島国があっただろう? あの国は娯楽が栄えていて、この間後宮入りした王女が手土産に多くの娯楽を持ってきてくれたんだ。あぁ、王女とはいっても年齢は陛下とそう変わらないのだけれどね。出戻りでもう子は期待できないとか言っていたかな。まぁ、そんなことはどうでもよくてね。その中でも特に架空物語が面白くて、そう、『聖女戦記』という物語に出てくる女性に君そっくりの登場人物がいて……」
「殿下、前置きが長くて話が頭に入ってきません」
 興奮した様子で語る殿下の瞳はきらきらと輝いているけれど、生憎こちらはその前置きはどうでもいい。
 おそらく、とても面白い物語だったのだろう。話は聞くから、先に疑問に答えてくれないものか。
「あぁ、ヒールっていうのはまさしくその登場人物のことだよ」
「わたくしに似ているという?」
「そう。悪役って意味らしい」
 悪役。眩しいばかりの笑顔で殿下は一切の気遣い無く言い放った。
 笑顔を返そうとしたけれど、顔の筋肉がぴくぴくとひきつっている。愉快そうに笑う殿下を蹴り飛ばしたい。ドレスだから無理だけど。
 親指で眉間を押さえ、長い息を吐き出した。
 悪役。口の中で繰り返した。
 そう言われるのは構わない。呼ばれるだけのことはしているつもりだ。
 ただ、納得はしても落ち込むものは落ち込む。
「まぁ、そう気を落とさなくてもいいよ。例えティアナの性格が正真正銘悪役のようであっても、私がティアナの良さを知っているんだからね」
「わたくしは全く嬉しくありません……。あと、励ますのか貶めるのかどちらかにしてください」
「はは。私相手にそんなこと言うのはティアナくらいだよ」
 全く、何が楽しいのやら。
 こちらとしては、さっさと本当の婚約者を見つけてほしいのに。そうすれば、この偽婚約者もお役御免だ。
 虫除けの仕事は、殿下が相応しい相手を見つけるまでの期間限定。
 この国は大陸の中でも強大な軍事力を持ち、周辺諸国を征服するのはそう難しいことではない。しかし、各国が手を組み共同で戦争を仕掛けてきたとなれば話は別だ。
 それを防ぐために、この国は周辺諸国と不可侵条約を結んでいる。条約と同時に、各国の王女を妾としてこの国に差し出すことになっているのだ。それが妾という名の人質であることは言うまでもないが、周辺諸国に拒否権はなかった。
 不可侵条約と共に武力提供までも約束するものだから、他国としては結ばざるを得ない。
 そのため、この国には妾が多い。正妃は国内の人間から選ばれるが、時代によっては妾が寵愛を受けることも珍しいことではない。
 この偽婚約者制度が必要となったのは、過去に妾が寵愛を受けた時代に嫉妬に狂った正妃が妾の子を殺し、妾が自害してしまうという事態が発生したからであった。不当に人質の命を奪ったとして、妾の母国との開戦の危機にまで話は悪化したという。
 圧倒的に軍事力をもっているのはこちらだけれど、他国を不用意に敵に回さないための条約なのだからたかが正妃の嫉妬心で国交に溝を作るわけにはいかない。
 だから、この偽婚約者という存在が必要になるのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

さようなら、お別れしましょう

椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。  妻に新しいも古いもありますか?  愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?  私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。  ――つまり、別居。 夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。  ――あなたにお礼を言いますわ。 【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる! ※他サイトにも掲載しております。 ※表紙はお借りしたものです。

王子の片思いに気付いたので、悪役令嬢になって婚約破棄に協力しようとしてるのに、なぜ執着するんですか?

いりん
恋愛
婚約者の王子が好きだったが、 たまたま付き人と、 「婚約者のことが好きなわけじゃないー 王族なんて恋愛して結婚なんてできないだろう」 と話ながら切なそうに聖女を見つめている王子を見て、王子の片思いに気付いた。 私が悪役令嬢になれば、聖女と王子は結婚できるはず!と婚約破棄を目指してたのに…、 「僕と婚約破棄して、あいつと結婚するつもり?許さないよ」 なんで執着するんてすか?? 策略家王子×天然令嬢の両片思いストーリー 基本的に悪い人が出てこないほのぼのした話です。 他小説サイトにも投稿しています。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

【完結】嫌われ公女が継母になった結果

三矢さくら
恋愛
王国で権勢を誇る大公家の次女アデールは、母である女大公から嫌われて育った。いつか温かい家族を持つことを夢見るアデールに母が命じたのは、悪名高い辺地の子爵家への政略結婚。 わずかな希望を胸に、華やかな王都を後に北の辺境へと向かうアデールを待っていたのは、戦乱と過去の愛憎に囚われ、すれ違いを重ねる冷徹な夫と心を閉ざした継子だった。

転生したら悪役令嬢だった婚約者様の溺愛に気づいたようですが、実は私も無関心でした

ハリネズミの肉球
恋愛
気づけば私は、“悪役令嬢”として断罪寸前――しかも、乙女ゲームのクライマックス目前!? 容赦ないヒロインと取り巻きたちに追いつめられ、開き直った私はこう言い放った。 「……まぁ、別に婚約者様にも未練ないし?」 ところが。 ずっと私に冷たかった“婚約者様”こと第一王子アレクシスが、まさかの豹変。 無関心だったはずの彼が、なぜか私にだけやたらと優しい。甘い。距離が近い……って、え、なにこれ、溺愛モード突入!?今さらどういうつもり!? でも、よく考えたら―― 私だって最初からアレクシスに興味なんてなかったんですけど?(ほんとに) お互いに「どうでもいい」と思っていたはずの関係が、“転生”という非常識な出来事をきっかけに、静かに、でも確実に動き始める。 これは、すれ違いと誤解の果てに生まれる、ちょっとズレたふたりの再恋(?)物語。 じれじれで不器用な“無自覚すれ違いラブ”、ここに開幕――! 本作は、アルファポリス様、小説家になろう様、カクヨム様にて掲載させていただいております。 アイデア提供者:ゆう(YuFidi) URL:https://note.com/yufidi88/n/n8caa44812464

若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!

古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。 そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は? *カクヨム様で先行掲載しております

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

処理中です...