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悪役などと呼ばれても
しおりを挟む「また何かやらかしたみたいだね」
先程、生誕祭で凛々しい横顔と共に挨拶を述べていた人物と同一人物には思えない緩んだ笑顔で、サフィール殿下は人の気も知らず呑気にソファへと身を委ねていた。
控えの間に戻り礼服を着替えた殿下の元へ向かうと、人の目がないのを良いことに弛みきった姿で出迎えられた。
脱いだ上着は肘置きに掛けたまま。タイは中途半端に外しているため首もとに引っ掛かっている。そのままシャツを脱ごうとして、タイが引っ掛かり諦めたのだろうか。二つ目まで外されたボタンからは引き締まった胸元が覗いていた。
込み上がるため息を飲み込みきれず、盛大に吐いて見せたが殿下は気にする素振りも見せない。
「殿下、着替えなら執事もメイドもいるでしょう?」
「やだよ。挨拶終わって疲れきったところに、やれ『次のお召し物はこちらでございます』とか『殿下、そのまま座られるとしわになります』とか、いちいち言われたくない」
子供か。
はぁあああと長い溜め息を吐いた殿下の、油断しきって丸くなった背中を蹴り飛ばしてやりたかったが、裾の長いドレスでは難しかった。
代わりに脱ぎ散らかされた上着を拾い上げると、シワにならないように畳み直す。
そして、ソファに抱き止められている殿下の首からタイを外した。
「ん。ありがとう」
「どういたしまして。はぁ。普段も公務と同じくらいにしっかりしていただきたいものです」
「それは無理だよ」
無理なわけないだろうに。
公務ではしゃんとしてみせるのだから、出来ないはずがない。
「で、今日は何したの? 大臣がティアナのこと絶賛していたよ」
「別に、いつも通りのお仕事です。殿下に近付く悪い虫を払っていただけのことです」
「どうしてそれで大臣の絶賛に繋がるのか理解できないよね。なんかうまいことやって、女の子苛めるのと自分の評判上げるの同時にやったんでしょう?」
殿下の言うことは寸分違わず当たっていて、言い返すことができなかった。
苛める、というのには語弊があると主張したいけれど、やっていることはその通りだったため黙るしかない。
別にこちらも好きでやっているわけではない。あくまでもそれが仕事なのだ。
こちらの苦労を知っているためか、殿下は苦笑を浮かべて肩を竦める。
「先代の言い付けとはいえ君も中々に大変な役目だよね」
「そうですね。もう慣れましたし、必要なことだとも思っていますから気にはしていませんが、わざわざ身内から偽りの婚約者を付けて、正妃に相応しくない女性が殿下に近付くようなら排除しろ、というのは物騒な話ですよね」
そう、婚約者と言われてはいるがそれは対外的なものでしかなく、実際の役割は殿下の虫除けなのだ。
陛下の妹である母を持ち家柄には申し分がなく、幼い頃から立ち振舞い、教養、さらには護身術まで叩き込まれた完全無欠のご令嬢。
それが、このティアナ・ウィニスに求められた役割。
本性は口も悪ければ性格も悪い。護身術のお陰か手癖も悪い。それを知っているのは殿下だけなのだけど。
「ティアナ、君、同世代のご令嬢達からヒールって呼ばれているの知っている?」
「ヒール? なんですかそれは」
聞いたことのない言葉だった。畳んだ上着を殿下に渡して、空いていた椅子に腰を下ろすと殿下を向いて首を傾げた。
「先月、ようやく不可侵条約が締結した北の島国があっただろう? あの国は娯楽が栄えていて、この間後宮入りした王女が手土産に多くの娯楽を持ってきてくれたんだ。あぁ、王女とはいっても年齢は陛下とそう変わらないのだけれどね。出戻りでもう子は期待できないとか言っていたかな。まぁ、そんなことはどうでもよくてね。その中でも特に架空物語が面白くて、そう、『聖女戦記』という物語に出てくる女性に君そっくりの登場人物がいて……」
「殿下、前置きが長くて話が頭に入ってきません」
興奮した様子で語る殿下の瞳はきらきらと輝いているけれど、生憎こちらはその前置きはどうでもいい。
おそらく、とても面白い物語だったのだろう。話は聞くから、先に疑問に答えてくれないものか。
「あぁ、ヒールっていうのはまさしくその登場人物のことだよ」
「わたくしに似ているという?」
「そう。悪役って意味らしい」
悪役。眩しいばかりの笑顔で殿下は一切の気遣い無く言い放った。
笑顔を返そうとしたけれど、顔の筋肉がぴくぴくとひきつっている。愉快そうに笑う殿下を蹴り飛ばしたい。ドレスだから無理だけど。
親指で眉間を押さえ、長い息を吐き出した。
悪役。口の中で繰り返した。
そう言われるのは構わない。呼ばれるだけのことはしているつもりだ。
ただ、納得はしても落ち込むものは落ち込む。
「まぁ、そう気を落とさなくてもいいよ。例えティアナの性格が正真正銘悪役のようであっても、私がティアナの良さを知っているんだからね」
「わたくしは全く嬉しくありません……。あと、励ますのか貶めるのかどちらかにしてください」
「はは。私相手にそんなこと言うのはティアナくらいだよ」
全く、何が楽しいのやら。
こちらとしては、さっさと本当の婚約者を見つけてほしいのに。そうすれば、この偽婚約者もお役御免だ。
虫除けの仕事は、殿下が相応しい相手を見つけるまでの期間限定。
この国は大陸の中でも強大な軍事力を持ち、周辺諸国を征服するのはそう難しいことではない。しかし、各国が手を組み共同で戦争を仕掛けてきたとなれば話は別だ。
それを防ぐために、この国は周辺諸国と不可侵条約を結んでいる。条約と同時に、各国の王女を妾としてこの国に差し出すことになっているのだ。それが妾という名の人質であることは言うまでもないが、周辺諸国に拒否権はなかった。
不可侵条約と共に武力提供までも約束するものだから、他国としては結ばざるを得ない。
そのため、この国には妾が多い。正妃は国内の人間から選ばれるが、時代によっては妾が寵愛を受けることも珍しいことではない。
この偽婚約者制度が必要となったのは、過去に妾が寵愛を受けた時代に嫉妬に狂った正妃が妾の子を殺し、妾が自害してしまうという事態が発生したからであった。不当に人質の命を奪ったとして、妾の母国との開戦の危機にまで話は悪化したという。
圧倒的に軍事力をもっているのはこちらだけれど、他国を不用意に敵に回さないための条約なのだからたかが正妃の嫉妬心で国交に溝を作るわけにはいかない。
だから、この偽婚約者という存在が必要になるのだ。
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