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ティアナの日常
しおりを挟む自分を見上げる二つの瞳に、隠すこと無く宿る敵意の炎。
彼女の本質とは裏腹の真っ白なドレスは、怪我をしたかのように赤に染まっている。この手が掴む空のグラスを見れば、何が起きたのかは誰にでもわかるだろう。
こちらを睨み付ける彼女の苛烈な瞳。しかしその取り巻き達は、存在を限りなく透明に近付けようと身を縮めて俯いている。それでいい。別にこちらも、誰彼構わずに喧嘩を売っているわけではないから。
「……ティアナ様、これはどういうことでしょうか? まさか、ティアナ様のような御方が、手が滑ったなどという言い訳はなさらないでしょうね?」
「えぇ。言い訳など致しません。わたくしは、貴女を狙いましたの。真っ白なドレスよりもそちらの方が似合っているわよ」
よかったじゃない。そう囁いて、端から見れば憎たらしいほどの愛らしい笑顔を浮かべてみせる。案の定、彼女は益々眉間のシワを深めて音が鳴るほどにきつく奥歯を噛み締めた。
今日はこれからサフィール殿下の15回目の生誕祭が催される。この国の時期国王となる方の生誕祭となれば、年頃のご令嬢達が色めき立つのも当然のこと。
だからこそ、こちらも仕事が忙しくなる。
ほとんどの人は広間で歓談中。今のバルコニーに人気はなく、例えばここから彼女達を突き落としたとしても誰にも気付かれないだろう。
流石に、そこまでする必要はないけれど。あくまでも殿下にまとわりつく悪い虫を払えれば十分だから、人の命を奪うような真似までは流石にしたくない。
「何故……何故貴女のような性悪が殿下の婚約者なのですか! 騙されているに違いありませんわ! あぁ、お可哀想な殿下……!」
白く滑らかな手が彼女の顔を覆う。悲観的で、まるで歌劇のような泣き真似には思わずため息が溢れた。
女性に免疫のない純粋培養の青年貴族でもなければ騙せそうにない三流芝居。そんなもの、こちらには全く意味がないのに。
「貴女……お名前はなんだったかしら? 貴女もよくわたくしにそのような口がきけるわね。わたくしの母が陛下の妹であることを承知の上なのかしら」
彼女は一瞬、息を詰まらせた。けれど、すぐに瞳は力を取り戻し、人一人呪い殺せそうな強さでこちらを見上げた。
その根性は評価されるべきだけれど、生憎その気の強さは殿下の后としては相応しくない。だから申し訳ないけれど、いえ、そこまで申し訳ない気持ちもないけれど、こちらも自分の仕事のために貴女は排除しなければならない。
ゆっくりと、一歩を踏み出した。
距離を保ちながら後ずさる彼女は、自分が何をしていたかも忘れて背後の手すりに手を付いた。
「あ! ヴィテル様!」
取り巻きの娘達の悲鳴が辺りを包み込む。その時、ようやく彼女も今まで自分達がこの場所で何をしていたかを思い出したようだ。
「え! あぁ! 嫌っ、助けて!」
手摺を止めるネジは、ほんの少し力を掛ければ外れてしまうだろう。
そのことを、彼女達はよく知っていたはず。
だって、その手摺のネジを緩めたのは他でもない彼女自身なのだから。
誰をここに呼び出して、突き落としたかったのかは知らない。そこまで知る必要も、こちらにはない。
ヴィテル嬢はそんなこともすっかり忘れて、自分で緩めた手摺に体重を掛けてしまった。彼女の体重を受けて、ギィと耳障りな悲鳴を上げる。
取り巻き達が悲鳴を上げ、広間にいた人々もこちらの様子に気付いた。
すかさず、崩れた手摺と共にバルコニーから放り出されそうになったヴィテル嬢の手を掴み、力任せに引き寄せた。眼下に広がる大地が見えない手でヴィテル嬢を掴んでいたけれど、それよりもこちらの腕の力の方が強い。
「大丈夫かしら?」
憎い相手に助けられ腸が煮えくり返っているだろう彼女は、恨みがましい眼差しを向けながらもこの手を振り払うことはできず、血が滲むほどに唇を噛み締めていた。
「貴女にお怪我がなくて良かったわ。突然蜂が飛んできたときには驚いて貴女にぶつかってしまってごめんなさいね。まさか、手摺が腐っていたなんて思わなかったわ」
集まっていた人々は、安堵の息を吐いた。そして、誰からともなく拍手の音が広がっていく。
それも、当然だった。
この瞬間だけを見れば、周囲の人間からは不運にもバルコニーから落ち掛けていたヴィテル嬢を助けた正義のヒロインに映ったはずだ。彼女のドレスを汚す赤い液体も、悪意故とは思われないだろう。
ヴィテル嬢は唇を噛み締めたまま何も言わない。取り巻き達も同様だった。
「流石はティアナ様ですな。次期王妃に相応しい度胸と優しさを兼ね備えていらっしゃる」
誰かが、大袈裟にそんな褒め言葉を叫んでいる。
同調するように膨らむ拍手。
欠片も嬉しくはないけれど、微笑み一つ浮かべて軽く会釈をしてみせた。
趣味ではないきらびやかで可愛らしいドレスを身に付けて、幼い頃から叩き込まれた笑顔の仮面を貼り付ける。
表面上は、野に咲く花のように慎ましく。
けれど内側は、雷雨のように苛烈で無慈悲に。
それが、王太子殿下の婚約者であるティアナ・ウィニスという令嬢なのだから。
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