PARADOX

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《SCENARIO:H》 ー盟約ー

野外授業

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 子供というのは少しでも身体的特徴があれば、本気で毛嫌いしたり、平気で仲間外れにしたりする残酷な生き物だ。ましてや火傷の痕などという悪目立ちしかしない見た目の違いは、それだけで劣等種というレッテルを貼られる材料となってしまう。

 綾人は小学生の頃から友達の一人もおらず、周囲から真面な扱いを受けたことはない。集団での無視は当たり前で、容姿をいじる中傷など日常茶飯時だった。今とは違って気弱だった綾人は、クラスメイト達からの嫌がらせやちょっかいに耐えながら、毎日を孤独に過ごしていた。家にも居場所はなく、話し相手もいない。そんな四面楚歌の状況にすり減り、疲弊してゆく心をなんとか保ちながら、幼い綾人は精神の崩壊を免れるのが精一杯だったのだ。

 やがて積み重なるストレスが体調に現れる。何度か呼吸困難に陥り、脈が乱れて意識が朦朧をした。発作が癖になり、もはや生きる事さえ辛くなっていった。限界に近い綾人に反して、無情にもクラスメイト達のいびりは次第にエスカレートしてゆく。……本格的な暴力が始まったのは、中学1年の夏に差し掛かった時期だっただろうか。

 関わってくるな、と訴えただけだった。今まで無抵抗だったおもちゃの反抗的な態度が、余程癇に障ったのだろう。放課後、綾人は人気の無い所に無理矢理連れて行かれて、初めて手を出された。その場にいたクラスメイト全員が箍が外れたように綾人を殴り、蹴り続け、足腰が立たなくなる程の明確な危害を加える。最中、綾人は我慢してきた涙が自然と溢れた。それは、絶え間なく与え続けられる痛みにではなく、こんな虐待を受ける立場である自分の惨めさに、だった。

 その日、傷だらけでボロボロになって帰ってきた満身創痍の綾人に、あろうことか伯母は理由を聞きもせずに、ため息交じりに救急箱だけを放り投げただけだった。

 ……どんなに辛く苦しくても、誰も救ってはくれないのだ。この世に自分の味方なんて、どこにも存在しない。そうして綾人はこの先ずっとそれは変わらず、己の人生とは永劫の地獄なのだと諦観した。





                  ◇





 瞼に感じる、眩しい日差し。綾人はうっすらと目を開けた。

(寝てしまっていたのか……)

 桜の木の隙間から注がれる木漏れ日を、手をかざして遮る。綾人が寝転がっているのは、校舎からは死角になる緩やかな斜面の草むらだ。数十分前同様に、すぐ近くには綾人のスケッチブックが変わらず放置されている。1学年A組の生徒達は皆、美術の野外授業で校外に出ていた。
 
 隣にはなぜか、鉛筆を縦に構えて片目を瞑る琴音の姿がある。その正面には真ん丸と太った黒毛の野良猫。単独で人気の無い場所を選んだ綾人には、この状況に覚えがない。

「……何してる?」

「大きさを計ってるの」

 こちらを見向きもせず、琴音は目の前の黒猫を真剣に観察している。

 なるほど、形から入るタイプか。……ではなく、どうしてここにいるのかという意味の問いだったが、聞き直した所で納得のいく返答が得られるとは思えない。綾人は、それ以上琴音に詮索するのをやめた。

 琴音の体育座りの膝に支えられたスケッチブックを横目で覗くと、良く分からない三角形の物体が二つ並んで描かれていた。おそらくはこの黒猫の耳の部分なのだろう。そして、今日の課題は風景画である。勿論綾人にその勘違いを指摘しようなどという良心は一切なかった。

「俺にそんな奇抜な発想はなかった。珍しいモチーフを選んだな。きっと園原だけだ。上手く描けたら、皆に注目されるんじゃないか?」

 琴音が描いているのがなんなのかは直接口に出していないわけで、嘘は付いていない。綾人はふてぶてしく、琴音の背中を押す発言をした。

「え?そうかな。確かに、こんな逃げないおとなしい子って他にあんまりいないかも。あたし、小さい頃からお絵描きが好きだったし、もしかしたら本当に良い評価が貰えたりして」

 琴音は満更でもなさそうに、小さく喜色を表した。まんまと騙されていることも知らず、素直に褒め言葉と捉えたようだった。

「かもな、頑張れ。ところで……」

 綾人は周りを見渡した。周辺でデッサンをしている人間は見当たらない。

「仲の良い友達はどうした?俺ばかりに構っているとその内愛想を尽かされるぞ」

 誰にでも気軽に接する琴音だったが、取り分けその中でも一緒にいる所をよく見かける女子グループがある。しかし最近は綾人に付きっきりで、傍にいる割合の方が多い気すらしていた。

「いいの。最近一緒に居ると嫌な気持ちになる事が多いから」

「喧嘩でもしたのか?」

「そうじゃないけど、その……、綾人君の事をあんまり良く思ってないみたいで」

「ああ、そういうことか。だから俺には関わるなって言ったんだ」

 現状、昔のように矢面に立たされるような場面はないにしろ、この容姿のせいで一緒にいる人間が飛び火を受ける可能性は十分にあり得る。琴音のペースに翻弄されてうやむやになってきたが、そろそろ潮時だと感じ、綾人は決別の意思をはっきりと切り出そうとした。

「なあ、園原……」

「おかしいよね。見た目なんて……。同じ人間なのに」

 ―――同じ人間なのに。

 綾人は上半身をがばりと上げて、マジマジと琴音を見つめる。眉を潜めて憂いを帯びた横顔に、綾人は思わず息を飲んだ。

「な、何?」

「いや……」

 まだ脆弱だった自分が、誰かにかけられることを密かに望んでいた慈悲。もう諦めてしまった言葉だった。ここに来て静かに揺らぐ信条が、琴音をかくも美しく装飾してゆく。じわじわと心を染めだす得体の知れぬ何かに抗いながら、綾人は小さく頭を振った。

「……そういえば、その髪は染めているのか?」

 綾人は誤魔化す様に話題を変えた。

「ああ、そういえば話してなかったっけ。クォーターなの。隔世遺伝って言うのかな?お母さんやお父さんは真っ黒なのに、なぜかあたしの髪の色にだけ影響しちゃって」

「そうなのか。だから金髪にしてきた堀石だけが注意されて、園原はお咎め無しだったんだな」

 堀石は、竹中を含めた不良達のリーダー格であり、他クラスの女子に一番絡んでいた奴だ。

 入学式以降、ボスである堀石はお手本と言わんばかりに日に日に外見もらしくなっていった。短ラン、ピアスときて、先日いよいよ堀石は、ついに堂々と髪を派手に染めてきたのだ。職務上、やんわりと指導してきた教師達もさすがに本腰を入れて注意せざるを得ない様子で、HR直後に堀石は授業そっちのけで担任に連れられて行った。

 教室を出て行く時、琴音を引き合いに出して担任に文句を言っていたのを覚えている。事情を知らない堀石は、他の人間が許されるなら自分も免除されると思ったのだろう。翌日、あれだけ反発していた堀石が素直に従って元の黒髪に戻していたのは、そういう理由だったわけだ。

「あたし、この茶髪のせいで皆にからかわれてたの。よく一人で過ごしてたなぁ。だから、一緒にしてほしくないと思うけど、綾人君の気持ち少しだけ分かるんだ」

 確かに、生まれた時からこの色なら、そういった迫害にあうのかもしれない。しかし、琴音はそんな薄暗い過去があるなんて微塵も感じさせたことはなかった。

「嫌になったりしなかったのか?」

「仕方ないよ。自分は自分なんだから。だったら、もっと自分の中身を知って貰って、皆と打ち解けようって思ったの」

 琴音の裏表のない性格は、それに起因するものだったらしい。程度の違いはあれ、琴音は自分と同じように疎外される側の人間だったのだ。なのに己を見失わず、したたかに向き合っている。

「……強いな、園原は」
 
 どこから共なく吹くそよ風が、二人を優しく包み込んでゆく。他人といて心地よさを感じるのは初めてだった。そして綾人は知ったのだ。こうして話し合い、関わる事でしか分からない、その人間の隠された一面がある事を。
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