PARADOX

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《SCENARIO:H》 ー盟約ー

登校

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 目の前に立つ少年は、睨みつけるようにこちらを覗きこんでいる。

 口元まで届きそうな長い前髪から見え隠れする一重で切れ長の釣り目は、気に食わぬ物事の一切を拒絶し牽制しているかのように鋭く、少し高めの鼻筋、耳元から顎先にかけて細るシャープな顔立ちを合わせてみると、高圧的で陰険な雰囲気が強く、近寄る者全てを陥れようとする狡猾さが滲み出ていた。

 いや、実際それはとあるバイアスによる勝手な主観で、ありのままのそれらの素材が悪質な心証を与えているわけではないのだ。無関心な人間から見れば、本来は可もなく不可もなくといった薄い印象なのだろう。

 しかし、今の自分は誰もが一目見て善人ではないと判断するはずである。現に、己の過去を振り返ってみて、物心ついた時から今まで出会った数多くの人間の中のただの一人でさえ、自分に向ける好意を示す表情は伺えなかった。

 綾人あやとは、その感触を確かめるように強く押し付けながら、自分の頬にゆっくりと指を這わせる。己の卑屈の根幹。いつもながらに不自然な粗い手触りがした。

 性格は顔に出るとよく言うが、経緯はどうであれ、荒んでいく内面が表情筋に反映されていった結果がこうであるというのなら、確かに的を射ている。常に強張り、顔を緩ませることなどほとんどなかった人生だ。醜態を助長するかのような、尖った下地だというのも納得である。

 とはいえ、見た目通りに悪行を重ねているのかといえばそうではない。他者に見境なく進んで危害を加えた覚えもなく、言葉巧みに騙して罠にはめた覚えもなかった。ただ何食わぬ顔で寄り付く者を強く拒み、突き放すだけだ。……それは捉え方によっては粗暴ともとれるのかもしれないが。

 ふいに足元から聞こえてきたドアの開閉音に我に返り、綾人は部屋角に置かれたスタンドミラーから少し横に視線を外し、本棚の上にあるデジタル時計を見やった。まだ登校するには少し早い。そうしてまた正面に対峙する己に向き直る。

 外出前に鏡を確認するのは恒例の儀式だ。こうして何度も執拗に拝むのには理由がある。それは身だしなみを確認するわけでも、自惚れでもない。ただ、ありのままを受け止め、揺るぎないアイデンティティをより一層強固のものにする為の、必要不可欠な過程なのだ。

 今日は高校の入学式で、綾人にとって新生活の門出であったが、がらりと変わる環境を心配する初々しい気持ちも不安も何もなかった。強いて言うのなら、新品の学ランのごわつきが気になる程度だった。

 人生に節目などない。これまでの境遇に比べればそんなものは些末な変化だ。

 そこから数分の睨み合いの末、そろそろ頃合いかと、綾人はテーブルに置かれた鞄を取り、部屋を出て階段を下りる。玄関で靴を履きながら、真横に位置するダイニングにもう一人の住人の気配を察し、顔を向けた。勿論相手も気づいているはずだが、綾人に構う素振りは一切見られない。

「いってきます」

 聞き取れるかも怪しい小さな声だったが、普段言うことの無い挨拶を口にし、綾人は後悔した。そんな気はなかった。けれどこうして漏れてしまったのは、心のどこかで同伴してくれる事を期待していたということなのか。

 ……些末な変化なのだ。何も、何一つ変わらない。綾人は相手の返事のないままに、自宅を後にした。





                  ◇





 綾人の住む街は昔ながらの地方の団地で、比較的隣近所との関わり合いが強く、都市部では見られない深い親睦と交流がある。知人同士の慣れ合いといっては聞こえが悪いが、要は他人への警戒心が薄く、コミュニティ間の垣根が低いということだ。

 「おはようございます。近頃ようやく暖かくなってきましたね」

 街中で偶然出勤が重なった大人達が、親しみを込めた笑みを浮かべて会釈を交わす。このように外で顔を合わせることがあれば、挨拶がてら一言交えるのが日常茶飯事である。

 綾人がその横を通り過ぎようとすると、大人達は綾人の存在に気づいてちら見したが、声をかけることもなく何事もなかったかのように互いの会話を進めた。

 綾人に対しての大人達の態度は、何も毛嫌いしてのことではない。その方が綾人の家との付き合いに支障をきたさず円滑であるからだ。周防すおう家の息子は、この街の住人にとって気軽に干渉出来る対象ではなく、安易に踏み入ってはならない領域だった。
 
 そんないつもの光景に気分を害するわけでもなく、綾人は慣れた足取りで住宅街の道を進んでゆく。よく知る街並みを抜けて開けた大道路に差し掛かると、前方から踏切の警報音が鳴り響いた。綾人は車道に架けられた横断歩道を渡って歩み寄り、遮断機の前に立った。

 田舎の電車は30分に1本あるかないかで、今まさに通り過ぎようとしている車両には、時間帯的に多くの学生達が乗車していることになる。間近にある駅を出て徐々に加速してゆく電車の窓からはやはり、車内目一杯に押し詰められた学ランやブレザーを着た高校生達の姿が伺えた。

 綾人の入学先は、この線路を渡った後に現れる桜並木の広場を越えた先の、商店街へと続く道端にあるA高だ。もたもたしていると、雪崩れるように下車した他のA高の生徒達と合流してしまう。

 いや、奇異の目に晒されるのは何も今に始まった事ではない。様々な場数を踏んできたのだ。この期に及んで、人様の反応に神経を逆撫でされることなどなく、波風が立つこともないだろう。綾人はただ、出来るなら他人との場を共有する機会は少ない方がいいと考えているだけだった。

 しかし、近くに駅がある手前、電車の出発時の速度の関係上、ここの遮断機は中々上がらないのだ。警報音はゆるやかな一定のリズムで打ち鳴り、急ごうとする綾人の焦燥感を掻き立てた。もはや電車通学の生徒達が改札口は通過してしまっただろう猶予を与えた後、遮断機はようやく上がり始める。綾人は警報の解除と共に、足早に線路を通過した。

 まあ、踏切に引っかかってしまった時点で手遅れだったのだ。

 結局蟻の行列の如く連なる群衆と出くわしてしまい、綾人はあえて人だかりの少ない反対側の路肩を歩くことにした。中学はA高とは逆方向だった為、朝の登校時にこのような大勢の人間と遭遇することはなかった。だが、これからは嫌が応にも避けられない事象である。

 所々で散ってゆく社会人とは別に、同じ目的地を目指す群衆の中には、単独で黙々と学校へ向かう生徒や、会話に花を咲かせながら和気藹々と通学路を辿る学生グループ、親を連れた新入生が多数見受けられる。

(あれって……)

 やはり、というべきか、早々に一人の生徒が己の身体で死角を作りながら隠れて綾人に指を差し、仲間にぼそぼそと耳打ちしていた。興味を示した仲間がちらちらと綾人に目を配る。それを皮切りに気づく者が増え、方々からたくさんの視線が注がれた。

 注目の的となっているのは、綾人の顔にある痛々しい火傷の痕だった。

 近隣の住人に腫物扱いにされている原因。綾人は幼少期に、自らが引き起こした火事で両親を失い、伯父の養子になった。子に恵まれなかった伯父夫妻は兼ねてから養子を望んでおり、弟の子というもあって伯父は快く綾人を歓迎したのだ。

 まだ幼かった綾人から見ても、伯父の愛情は決して義務感などではなく、伯父はまるで本当の子供のように接してくれていた。対して伯母は、綾人を家族に迎え入れることを反対していたようだった。それもそうだろう。中身はどうあれ、見た目に一生残る傷を抱えた子供など、誰だって敬遠したい所だ。

 とはいえ、伯父の生前には、伯母はぎこちないながらも、綾人に打ち解けようとする姿勢が垣間見えていた。が、不幸にも若くして病気ですぐ伯父は他界してしまい、周防家にはなんら血の繋がりがない伯母と綾人が残されてしまった。

 そんな伯父の死に取り乱した伯母は、生涯忘れることのない呪いの言葉を幼い綾人に送ったのだ。

(お前は両親を殺し、夫を殺した悪魔の子だ)

 勿論伯父の病気は運悪く綾人の引き取り時期と重なっただけで、因果関係は全くない。それでも綾人は、自分は不幸を呼び寄せる人間なのだと思い込んでしまった。それから火傷の痕を見る度に自らを戒め、綾人は幸福とは無縁の人生を送る事を心に決めた。

 その経緯から、事情を知る住人達にとって、綾人の存在はタブーなのである。

 もう過ぎた事だ、と綾人は思った。なぜあの時、燃え盛る炎に魅入られたのかは分からない。確かな事は、これが一生背負わなければならない親殺しの烙印だということだった。

 己に輝かしい未来などはない。社会的に成功したり、結婚したりするのは以ての外だ。ただなるべく迷惑をかけないよう他人に関わらずひっそりと生きて、ひっそりと死ぬだけ。綾人はこの世においての自身の配役を、高校生にして確定していたのであった。
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