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第一章 七歳の決断
#09:グリュプス - 2
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休憩を終えた騎士団の小隊は、更に薄暗い森の奥地へと進軍していった。
後からつけていたシュテラたちは、騎士たちの会話がなくなって更に緊張が高まっているのを感じていた。うっかり枝を踏みつけたりでもすれば、それだけで槍を向けられるだろう。
辺りも愉快なセミの声が聞こえなくなり、代わりに乾いた足音と、鳥たちのキーキー、ホーホーという不気味な鳴き声だけがこだましていた。
「マシュー・ベイゼンの小屋だ」
サイラスが沈黙を破って指差した。前方に、煙突から煙を立てる小さな小屋が見える。
初めてここに来るテリーが訝しげな顔で近くの先輩騎士に尋ねた。
「一体、どなたなんです? こんな薄暗い森の中に……」
「行けば分かる。少し黙ってろ」
テリーは不服そうに首をすぼめる。
一方、隠れてついてきたシュテラたちは、その後方の倒木にしばらく身を潜めていた。
「小屋があるね」
「ああ。マシューって男の小屋だ。確か、グリュプスの動きをいつも一人で見張ってる」
マリアーナは以前サイラスから聞いた話を思い出した。
「一人で? 危なくないの?」
「別に正面きって戦うわけじゃないからな。それに、グリュプスのことについてはアイツ以上に詳しいやつがいないんだ。もう、かれこれ二十年ぐらいそこにいるって噂だよ」
シュテラは弾かれたようにマリアーナを見上げた。
「そんなに……!? じゃあ、グリュプスってもう二十年も倒されていないの?」
「いや──」
エドワードが口を挟んだ。
「倒されてはいるけど、この狩りは毎年恒例なんだよ」
一体どういう意味なのか、とシュテラが疑問を口にする前に、騎士たちの何名かが小屋に入っていったを見て口を噤んだ。
外に残されたのは新人のテリーや、中堅の騎士たちだった。
「向こうに回り込もうぜ。話が聞きたい」
「大丈夫かな……」
幸い、茂みは多くて回り込むのは簡単だった。日を浴びていない土はすっかり湿って腐葉土になっており、歩いても大した音が立たないのだ。
家の裏側から壁に耳を当てる。わずかだが、話し声が聞こえた。
「サイラス殿、ライアット殿。お久しゅうございます。昨年ぶりですかな?」
聞き覚えのない初老の声がする。これがマシューという人物なのだろう。
「マシュー。あまり来れなくてすまんな。気付けばあっと言う間に一年が経ってしまった」
「いや、仕方ありませぬ。サイラス殿もお忙しい身でしょうし、年に一度会えるだけでも充分でございます」
「そう言って貰えて私も嬉しいよ。出来れば今度は冬にでも訪ねようじゃないか。……ライアット、アレを出してくれ」
「ほらよ、爺さん。こいつは土産だ」
威勢のいいライアットの声がした。
「おお、何とかたじけない! これは……千年竜酒でございますか!」
「先月、王宮から戴いたばかりなんだ。グリュプス退治の先祝いってことで爺さん宛にな」
「それはそれは……何とお礼を申し上げれば良いやら」
これを聞いたマリアーナは呆れ顔になった。
「大人ってずるいよな。何かあると直ぐ酒で解決しようとするんだから」
「まぁ、気持ちは分かるよ、マリィ。でも、人を動かすには充分なんだ」
エドワードが苦笑交じりに言った。
すると、シュテラはマリアーナの袖を軽く引いた。
「ねぇマリィ。どうしてお酒だと人が動くのかな?」
年少のシュテラにはまだ理解が足らなかった。
「そりゃあ、大人の大好物だからだ」
「それって、美味しいのかなあ?」
「さあ。美味いんじゃないか? 飲んだことないけどさ。今度飲んでみるか?」
悪い誘いをするマリアーナに、エドワードは慌てて制止する。
「ダメだよマリィ。あんなもの口に付けたら、ヘロヘロになってお父様に叱られるよ」
「冗談だって」
子供たちがそんなやり取りをしている間に、騎士団とマシューはグリュプス退治の話に移っていた。
「まったく、今年も活きのいいヤツが南から来てますよ。夢喰い狼が何匹か餌にされてました」
「迷惑なことに繁殖期らしいからな。つがいなら、二頭来ているはずだが」
「二頭しか来ませんよ、あんなもの。南の地方で争って勝ったつがいが、卵を産みにやって来るんですから」
マシューは投げ槍気味に言った。
「だが、根絶は不可能だ。こうして毎年やってくる二頭だけで精一杯なんだからな」
「なあに。今年も俺が仕留めてやりますぜ、ダンナ」
「……ライアット。いい加減その呼び方を替えてくれないか。我々は山賊じゃないんだ」
途端に騎士たちの豪快な笑い声が小屋中を震わせた。
「こりゃあすまねえな、『サイラス騎士団長』。それより俺が言うのもなんだが、そろそろ倒しに行かねえか? 日が暮れちまうぜ」
「そうだな。行きにも時間を食ったし、今日は子供たちのために早めに帰るとオリビアに約束しているんだ」
それを聞いてしまった子供たちは、少しばかり胸が痛んだ。
ここのところ、子供たちが寝る前に帰って来れないサイラスに、子供たちはたまには夕飯を一緒に食べようと誘っていたのだ。恐らく、そのことで負い目を感じているのだろう。
子供たちのために頑張っている父親を追ってきたことがバレてしまったら、当のサイラスはどう思うだろうか。
「なら、とっとと出かけるとするか。爺さん。案内は頼んだぞ」
「ええ。承知致しました」
子供たちの罪悪感とは無関係に、騎士団は行動を開始する。彼らはマシューを先頭に、更に森の奥地へと進んで行った。
「……どうする? もっと追う?」
マリアーナが躊躇いがちにシュテラに訊いた。
「多分、もう少しだと思うんだけど……」
言い出しっぺのシュテラも、さすがに気が引けた。夢喰い狼相手なら、傍にいても迷惑にはならないだろうと考えていたのだ。
しかし、今から挑むのはそれを餌にするような大物だ。万が一隠れているのがバレたら、グリュプス退治に支障を来すかもしれない。
振り返ったシュテラは残念そうに微笑んだ。
「……帰ろう、マリィ、エド。お義父様の邪魔になっちゃうし」
「だな。ここまで見たら充分だぜ」
「進む、だなんて言った時はどうしようかと思ったよ」
「あはは。さすがにそれは……」
言いかけて、シュテラの顔がさっと青ざめた。
笑った表情が次第に真顔で硬直し、その青の視線の先は二人の遥か後方を捉えていた。
「おい、シュー、何だよそんな顔して……」
厭な予感があった。
後ろに何かがいる。だが、振り返ってはいけないのだ、と。
「マ、マリィ、エド……その、言いにくいんだけど……」
「お、おい、そういうのやめろよ……」
「冗談、だよね……?」
マリアーナとエドワードは合わせ扉の如く、恐る恐る同時に振り返った。
「…………っ!?」
二人は息を呑んだ。見上げても遮るぐらいの何かがそこにいる。
鉤爪のように曲がった鮮やかな黄色いくちばしからはねっとりとした赤黒い液体が滴り、威嚇するように開かれた黒い翼は暗い森に更なる闇を落とした。
暗闇に浮かぶ鋭い二つの眼光が、すう、と子供たちに向けられ、その瞬間、苦々しい獣臭さと錆び付いた鉄の入り交じった酷い臭いが鼻を突いた。
それが何であるか判断するのに時間は要らなかった。
シュテラも、マリアーナも、エドワードも、互いに顔を見合わせながら目を大きく見開く。
「………………逃げろぉおおおおおおおっ!!」
後からつけていたシュテラたちは、騎士たちの会話がなくなって更に緊張が高まっているのを感じていた。うっかり枝を踏みつけたりでもすれば、それだけで槍を向けられるだろう。
辺りも愉快なセミの声が聞こえなくなり、代わりに乾いた足音と、鳥たちのキーキー、ホーホーという不気味な鳴き声だけがこだましていた。
「マシュー・ベイゼンの小屋だ」
サイラスが沈黙を破って指差した。前方に、煙突から煙を立てる小さな小屋が見える。
初めてここに来るテリーが訝しげな顔で近くの先輩騎士に尋ねた。
「一体、どなたなんです? こんな薄暗い森の中に……」
「行けば分かる。少し黙ってろ」
テリーは不服そうに首をすぼめる。
一方、隠れてついてきたシュテラたちは、その後方の倒木にしばらく身を潜めていた。
「小屋があるね」
「ああ。マシューって男の小屋だ。確か、グリュプスの動きをいつも一人で見張ってる」
マリアーナは以前サイラスから聞いた話を思い出した。
「一人で? 危なくないの?」
「別に正面きって戦うわけじゃないからな。それに、グリュプスのことについてはアイツ以上に詳しいやつがいないんだ。もう、かれこれ二十年ぐらいそこにいるって噂だよ」
シュテラは弾かれたようにマリアーナを見上げた。
「そんなに……!? じゃあ、グリュプスってもう二十年も倒されていないの?」
「いや──」
エドワードが口を挟んだ。
「倒されてはいるけど、この狩りは毎年恒例なんだよ」
一体どういう意味なのか、とシュテラが疑問を口にする前に、騎士たちの何名かが小屋に入っていったを見て口を噤んだ。
外に残されたのは新人のテリーや、中堅の騎士たちだった。
「向こうに回り込もうぜ。話が聞きたい」
「大丈夫かな……」
幸い、茂みは多くて回り込むのは簡単だった。日を浴びていない土はすっかり湿って腐葉土になっており、歩いても大した音が立たないのだ。
家の裏側から壁に耳を当てる。わずかだが、話し声が聞こえた。
「サイラス殿、ライアット殿。お久しゅうございます。昨年ぶりですかな?」
聞き覚えのない初老の声がする。これがマシューという人物なのだろう。
「マシュー。あまり来れなくてすまんな。気付けばあっと言う間に一年が経ってしまった」
「いや、仕方ありませぬ。サイラス殿もお忙しい身でしょうし、年に一度会えるだけでも充分でございます」
「そう言って貰えて私も嬉しいよ。出来れば今度は冬にでも訪ねようじゃないか。……ライアット、アレを出してくれ」
「ほらよ、爺さん。こいつは土産だ」
威勢のいいライアットの声がした。
「おお、何とかたじけない! これは……千年竜酒でございますか!」
「先月、王宮から戴いたばかりなんだ。グリュプス退治の先祝いってことで爺さん宛にな」
「それはそれは……何とお礼を申し上げれば良いやら」
これを聞いたマリアーナは呆れ顔になった。
「大人ってずるいよな。何かあると直ぐ酒で解決しようとするんだから」
「まぁ、気持ちは分かるよ、マリィ。でも、人を動かすには充分なんだ」
エドワードが苦笑交じりに言った。
すると、シュテラはマリアーナの袖を軽く引いた。
「ねぇマリィ。どうしてお酒だと人が動くのかな?」
年少のシュテラにはまだ理解が足らなかった。
「そりゃあ、大人の大好物だからだ」
「それって、美味しいのかなあ?」
「さあ。美味いんじゃないか? 飲んだことないけどさ。今度飲んでみるか?」
悪い誘いをするマリアーナに、エドワードは慌てて制止する。
「ダメだよマリィ。あんなもの口に付けたら、ヘロヘロになってお父様に叱られるよ」
「冗談だって」
子供たちがそんなやり取りをしている間に、騎士団とマシューはグリュプス退治の話に移っていた。
「まったく、今年も活きのいいヤツが南から来てますよ。夢喰い狼が何匹か餌にされてました」
「迷惑なことに繁殖期らしいからな。つがいなら、二頭来ているはずだが」
「二頭しか来ませんよ、あんなもの。南の地方で争って勝ったつがいが、卵を産みにやって来るんですから」
マシューは投げ槍気味に言った。
「だが、根絶は不可能だ。こうして毎年やってくる二頭だけで精一杯なんだからな」
「なあに。今年も俺が仕留めてやりますぜ、ダンナ」
「……ライアット。いい加減その呼び方を替えてくれないか。我々は山賊じゃないんだ」
途端に騎士たちの豪快な笑い声が小屋中を震わせた。
「こりゃあすまねえな、『サイラス騎士団長』。それより俺が言うのもなんだが、そろそろ倒しに行かねえか? 日が暮れちまうぜ」
「そうだな。行きにも時間を食ったし、今日は子供たちのために早めに帰るとオリビアに約束しているんだ」
それを聞いてしまった子供たちは、少しばかり胸が痛んだ。
ここのところ、子供たちが寝る前に帰って来れないサイラスに、子供たちはたまには夕飯を一緒に食べようと誘っていたのだ。恐らく、そのことで負い目を感じているのだろう。
子供たちのために頑張っている父親を追ってきたことがバレてしまったら、当のサイラスはどう思うだろうか。
「なら、とっとと出かけるとするか。爺さん。案内は頼んだぞ」
「ええ。承知致しました」
子供たちの罪悪感とは無関係に、騎士団は行動を開始する。彼らはマシューを先頭に、更に森の奥地へと進んで行った。
「……どうする? もっと追う?」
マリアーナが躊躇いがちにシュテラに訊いた。
「多分、もう少しだと思うんだけど……」
言い出しっぺのシュテラも、さすがに気が引けた。夢喰い狼相手なら、傍にいても迷惑にはならないだろうと考えていたのだ。
しかし、今から挑むのはそれを餌にするような大物だ。万が一隠れているのがバレたら、グリュプス退治に支障を来すかもしれない。
振り返ったシュテラは残念そうに微笑んだ。
「……帰ろう、マリィ、エド。お義父様の邪魔になっちゃうし」
「だな。ここまで見たら充分だぜ」
「進む、だなんて言った時はどうしようかと思ったよ」
「あはは。さすがにそれは……」
言いかけて、シュテラの顔がさっと青ざめた。
笑った表情が次第に真顔で硬直し、その青の視線の先は二人の遥か後方を捉えていた。
「おい、シュー、何だよそんな顔して……」
厭な予感があった。
後ろに何かがいる。だが、振り返ってはいけないのだ、と。
「マ、マリィ、エド……その、言いにくいんだけど……」
「お、おい、そういうのやめろよ……」
「冗談、だよね……?」
マリアーナとエドワードは合わせ扉の如く、恐る恐る同時に振り返った。
「…………っ!?」
二人は息を呑んだ。見上げても遮るぐらいの何かがそこにいる。
鉤爪のように曲がった鮮やかな黄色いくちばしからはねっとりとした赤黒い液体が滴り、威嚇するように開かれた黒い翼は暗い森に更なる闇を落とした。
暗闇に浮かぶ鋭い二つの眼光が、すう、と子供たちに向けられ、その瞬間、苦々しい獣臭さと錆び付いた鉄の入り交じった酷い臭いが鼻を突いた。
それが何であるか判断するのに時間は要らなかった。
シュテラも、マリアーナも、エドワードも、互いに顔を見合わせながら目を大きく見開く。
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