ランペイジ!~国を跨いだ少女の騎士道物語~

杏仁みかん

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第二章 子従として出来ること

#26:山火事 - 1

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 シュテラとマリアーナが屋敷に戻った直後のことだ。
 突如、トゥクルスヘッジの四合目で爆音と共に火の手が上がった。白い峰に滴る血のように真っ赤に燃え広がる様子は、アルカストルやサイラスの屋敷からでも容易に確認出来た。

「サイラス様! 山火事です!」

 カサンドラの慌てた報告に、静かだった食卓は一瞬にして騒然となった。
 サイラスは直ぐに席を立ち、食堂の窓に張りついて霊峰を覗き見た。その表情がみるみるうちに焦りに変わる。あの辺りにはアルドレア軍のベースキャンプがあるはずだ。

「シュー! 直ぐにエフィリオを出せ! 北方の監視塔へ向かう!」
「は、はい!」

 シュテラは、フォークとナイフを放り投げると、高い椅子から飛び下りて駆け出した。

「あなた……!」

 サイラスは、心配そうに見つめるオリビアの額に軽い接吻をし、「子供たちを頼むぞ」と一言残して食堂を足早に出て行った。
 取り残されたサイラスの子供たちは、未だにぼうっと突っ立っているオリビアに強く問いかける。

「母様! アタシ達は!?」
「何か手伝うことない!?」

 オリビアは、はっと我に返って顔を引き締め、子供たちに指示を飛ばした。

「早馬で騎士団の詰め所へ行きなさい! ライアットさん達が動く前に、サイラスの行き先を報せるのよ!」
「分かった!」


   §


 ミールズでは、けたたましく警鐘が鳴り響いていた。エフィリオに乗ったサイラスとシュテラは、駆け足で街中を十字に往復させながら家の中への避難を呼びかけ、そのまま空へと飛び立った。
 サイラスは、幼いシュテラを慌てて連れてきてしまったことに少々後悔や迷いを感じていたが、今は少しでも人手が欲しかった。エフィリオを操れるのは自分とシュテラしかこの場にいないのだ。

「シュー。付き合わせてしまって悪かった」

 いくら自分の判断を正当化しても、サイラスは謝らずにはいられなかった。

「いいえ、お義父様。子従ペイジとして当然の義務です!」

 小さな胸を張って応えるシュテラに、サイラスはなるべく穏やかに背中越しに告げた。

「私が謝るのは、お前の『そういうところ』が凄く危なっかしいからだ」
「えっ?」
「いずれはお前を頼りにしたいが、本来なら別の誰かを使っているところだ。だから、未熟なお前に無理を強いることに、私は謝っている。自分の力を過信するな、ということだよ、シュー。お前はまだ、ペイジの中でも下の下であることを自覚せよ」
「……分かりました」

 一月前であれば、大丈夫、やれる、と言い返したかもしれない。しかし、あの旅の途中に誘拐されそうになり、恐怖に飲まれて力を発揮出来なかったことや、ほんの少しの油断でノエルに打ちのめされたという経験を振り返れば、自分の母親と同じく、大人の言うことに素直に耳を傾けるべきなのだと考えるようになったのだ。

「成長したな、シュー。誇りに思うぞ」
「えへ、えへへ……」

 このように、褒められると鼻の下が伸びてしまう辺りはまだまだ、といったところではあるが。


 トゥクルスヘッジに近づくと、白い煙がもうもうと漂ってきた。サイラスとシュテラは、あらかじめ準備した布で口元を覆った。
 飛行高度を下げ、監視塔の周囲を大きく滑空しながら螺旋状に下降していくと、監視塔のてっぺんで手を振る騎士がいた。

「サイラス殿!」
「状況は!?」
「四合目東側のベースキャンプで何者かの奇襲があったようです! 死者多数、生き残りは五名以下と思われます!」

 悪い予感が的中した。これは意図的に放たれた炎なのだ。

「戦闘はまだ続いているのか!?」
「いえ! 爆発は三度起こり、その後は撤退した模様!」

 いったい、何者がこの爆発を仕掛けたのだろうか──サイラスはあらゆる可能性を頭の中で巡らせた。
 アルドレア軍のベースキャンプは全部で三つある。西、中央、東の三箇所で、今回襲撃されたのは東側だ。霊峰の斜面はほぼ崖状になっており、人が歩けるような山道は、頂上からだと一本に限られる。そのせいもあって、キャンプを建てられるのはこの三箇所でしかなく、帝国の軍勢が攻めこんでくる際にも、必ず一本道の山道を通る必要があった。
 帝国が扱う黒魔術は獣が嫌うため、生きた動物に騎乗することはなく、その代わりに死者を召還して使役を行っている。召還されるのは主にスケルトンの類で、過去には古代の竜族も目撃されていた。
 しかし、例え飛行生物のスケルトンでも皮膚や肉を持たずして空を滑空することは不可能だ。儀式などで受肉してしまうと、それは召還時の制約──死は力なり。朽ちて重ねた時を巻き戻すことなかれ──に違反するので、存在が維持出来なくなる。また、魔術による飛行は長時間の維持が難しく、それ故に空から攻め込むことは出来ない。……つまり、帝国軍に空から奇襲された、とはとても考えにくいだろう。
 ──以上のことから、帝国軍が攻めてきたとは考えにくいのだが、原因を特定するには現場を調査する必要があった。

「やはり、一度様子を見てきた方が良さそうだな」
「お願いします! 我々も後から徒歩で部隊を向かわせます!」

 サイラスはかぶりを振った。

「いや、それには及ぶまい。この麓から向かうと山道は西へ逸れ、大きく迂回する羽目になる。今からぞろぞろと移動していては、問題があった時に対処出来なくなるだろう。よって、貴殿らはここで監視を続けよ。何かあれば信号弾で合図するのだ」
「しょ、承知しました! どうかお気をつけて」

 サイラスは軽く頷き、エフィリオを赤々と燃える山道へ向かわせた。
 現在、アルカストルが総力を上げて開発しているという乗り物が完成すれば、監視塔から山道までの直通ルートが確保されるというが、これもあと五年以上はかかるという見込みだ。それまでは何としてもあらゆる敵の攻撃を食い止めなければならない。

「シュー、これより先は火事の現場に近づく。私が降りたら、お前は風上でエフィリオと共に待機するのだ」

 ある程度予想していた言葉に、シュテラはムッとなって言い返した。

「イヤよ! わたしも行く! もう二度と『あんなこと』、絶対に起きて欲しくないもの!」

 前科を取り上げられると、サイラスも頭が上がらない。グリュプスの一件だけでどれだけ周りの皆を心配させたか……。
 何より、母を失った経験のあるシュテラにとって、身内の死は何よりも辛いことだ。無論、サイラスもそのことは分かっているつもりである。

「分かっておくれ。お前を連れてきたのは、もしもの時のために生還者と共にエフィリオを屋敷に帰す役割があるからなのだ」
「ヘリクツで誤魔化さないで! お義父様のそういうところが凄く危なっかしいんだから!」
「……むう。娘にそんな風に言い返されては、ぐうの音も出ないな」

 まるでオリビアに叱られているようだ、とサイラスは苦笑した。マリアーナとは違うしっかり者の娘に、こんな状況でも微笑ましく思えてくる。

「分かった。お前は連れていけないが、無理はしないようにする。それでどうだ?」
「……イヤだけど、譲ってあげる。調査と救護は五分以内で済ませましょう?」

 やはり苦笑するしかない。どっちが親でどっちが娘なのか。或いは、成長した子供たちにはこんな風にだらしないところを突かれてしまうのだろうか。……何にせよ、シュテラの考え方は、冷静にさえなれば、大人のそれをも上回るのだった。

「ようし。腕の見せ所だな」

 サイラスは近づいてきた現場の全体像をさっと目に焼き付けた。
 小屋は完全に倒壊し、上を向いた壁には大きな穴が空いている。周辺には人が二人、血を流して倒れている。生死は不明。それ以外いるとすれば、小屋の中で瓦礫に挟まれているか、崖下へ転落したか、或いは山道へ逃げているかのいずれかだろう。

「攻撃があったのは間違いない。……そこだ、エフィリオ! 火の手が少ないところに着けるのだ!」

 サイラスは腰にぶら下げた水をさっと頭に振りまいた。
 残った水をシュテラに渡し、サイラスはエフィリオの背に立つ。

「気を付けて!」

 ハラハラしながら、シュテラも同じようにして水を被った。
 サイラスはひとつ頷いてからエフィリオの背を蹴って飛び下り、何もない土砂の上で着地し、その衝撃を受け身で流した。

「五分経ったらここへ来てくれ」
「分かったわ!」
「よし! エフィリオ、シューをあっちへ運んでくれ!」

 腕を振って合図すると、エフィリオは直ぐに急上昇を始める。一人になったシュテラはエフィリオの首元にたぐり寄せるようにして近づき、そのまましがみついた。
 エフィリオはぐんと急旋回し、炎の壁から離れた外側の山道に着地する。炎は周辺の木々を巻き込んで次々燃え移っており、放っておけば山全土に広がってもおかしくはない。

「どうにかして、この炎を消せないかしら」

 大きな岩を転がして丸太ごと崖下へ落とす方法を最初に思いついたが、それでは危険な落石に変わるだけだ。そこにいるサイラスもろとも巻き込みかねない。
 降り積もる雪を使って雪崩を起こすことも考えた。しかし、雪を一箇所に集めるのも時間がかかるし、その間に燃え広がって意味をなさなくなる。

「だめだ。いくら考えても思いつかないよ」

 と、俯いたその時。斜面の上からパラパラと不自然に砂利が転がってくるのが見えた。
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