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第一章 七歳の決断
#13:初飛行 - 2
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西の空が赤くなり始めていた。今から王宮に向けて飛ぶにしても夜を避けることは出来ないだろうな、とライアットは思った。
厩舎に戻ったエフィリオは、まるで元気がない。いつもなら任務を終えた後に大きな肉の塊をペロリと平らげるのだが、今日は全くの手つかずだった。
(主人の不幸を感じ取っているのか……? 賢いやつだ)
ライアットは身を屈めて厩舎に入り、床に伏しているエフィリオの頭を撫でようと手を伸ばした。しかし、ぐるんと回した頭が鋭い目つきだったので、慌てて手を引いた。
「おい、エフィリオ。サイラスがああなっちまって機嫌が悪いのは分からんでもないが、どうか言うことを聞いてくれねえか」
エフィリオは牙を見せることはなかったが、目を離そうともしなかった。
ライアットは根気よく話を続けた。
「お前のご主人様を助けるには王宮へ行かなくちゃならねえ。今、あいつを助けられるのは俺だけなんだ。正騎士が話をつけないと、それだけケイネスを連れてくるのが遅れちまう。……なあ、エフィリオ。分かってくれ! 明日までなんだよ!」
だが、どんなに必死に説得しても、エフィリオは態度を改めない。終いには聞き飽きた、とでも言うように顔を伏せ、目を閉じた。
「くそっ! 分からず屋め!!」
こうなれば、もう一頭の雷獣に掛けあってみるしかない。だが、あの雷獣はまだ幼く、人を乗せたこともないのだ。
どうしたものかと考えあぐねていると──
「ライアットさん……」
いつの間にか目の前に、心配そうに見上げているシュテラが立っていた。
「エフィリオ、ダメだったの?」
吸い込まれそうなほど美しい碧眼が、まるで波打つ海の如く揺らめいている。
その瞳をじっと見ていられなくなったライアットは、思わず目を逸らした。
「何事も上手くいくと思ってたんだが、そう甘くはねえよな……。俺は今から馬で街中の薬師をあたってみる。何もしねえよりはずっといいだろう」
酒呑みで、豪快で、いつも余裕たっぷりのライアットが、いつになくいかつい肩を落としている。
彼は厩舎の入り口でぽかんと見届けているシュテラの脇を通り、とぼとぼと馬を預けた反対側の厩舎へ歩いて行った。
やがて、ライアットを乗せた馬が勢い良く飛び出すと、辺りはしんと静まり返った。
「……何もしないよりは……」
何もしていないのは自分の方だ、とシュテラは思った。部屋でサイラスを想い、ただ祈ったり看病することだけが今のサイラスの役に立つだろうか。
(そうだ、そんなわけないじゃない!)
少しずつ心の中で薄れていく母の顔と、あの時母を救えなかった後悔を記憶の海から引きずり出す。
大人でさえ敵わない程の力があったというのに、それを活かさずに一生後悔するというのは、母親のことだけでもう充分なのだ。
「聴きなさい!! エフィリオ!」
シュテラの声が厩舎を震わせた。
伏せていた白い頭がすっと持ち上がる。
「分かっているわよね。お義父様は死にそうなの! 今、わたしたちが王宮へ行ってケイネスさんって人を連れてこないと、あなたのご主人様とは二度と会えなく……なる、のよ……!!」
会えない、という言葉を口にした瞬間、シュテラは自然と涙を零していた。
命を救ってくれた恩人。厳しくも騎士の家のしきたりを教えてくれた義父。自分が憧れるべき騎士の長。
恩返しをしようと決めていたのに、今救えなければ何も果たせないじゃないか!
「お願い! 大事なお義父様を救うためなの……っ!」
すると、願いが通じたのか、エフィリオの巨体がぐぐっと持ち上がった。
その瞳は、ライアットを見る時とは違う。お前に任せる──そう言いたげな、信頼に満ちた瞳だった。
「ああ、エフィリオ……!」
白い雷獣はゆっくりとした足どりで厩舎を出て、シュテラの前で伏せるようにしゃがみ込んだ。乗れ、とでも言っているようだ。
「でも、わたし……」
シュテラは鐙に足をかけようとして躊躇った。ライアットは待て、と言ったのだ。しかし、本来乗るべきライアットは、その場にいない。
そこへ、エドワードとマリアーナが駆けつけてきた。当然ながら、監視役のテリー、エーラまでもが後からやってくる。
「シュー! 何してんだ!!」
マリアーナが血相を変えて怒鳴るが、逆にそれがシュテラの心から迷いの綱を断ち切るきっかけとなった。
「見れば分かるでしょ! 王宮へ行くのよ!」
「やめろ! ライアットさんに言われたのを忘れたのか!?」
シュテラはテリーを睨み付けた。それだけでテリーは一歩たじろぐ。
それを見て、シュテラは腹の奥底でぐつぐつと煮えたぎる感情を一気に爆発させた。
「もし、あなたがエフィリオに乗る勇気があるのなら、喜んで譲ってもいいわ! でも、出来ないんでしょう!? この非常時に、命懸けで雷獣の背に乗る勇気もないお飾りのバカ騎士!! だったら黙ってわたしに任せればいいのよ!」
皆があっと声を上げる間もなく、シュテラはとうとう鐙に足をかけ、その勢いで素早くエフィリオの背に跨がった。
──雷は落ちなかった。それどころか、収まるべき所に収まった、と言っても過言ではないぐらいに、二人は一体となっていた。
「シュー! あなた、何てことを!!」
遅れて走ってきたオリビアとカサンドラ、マシューまでもが、息を切らせながら顔を真っ青にした。
シュテラは申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになったが、これが最善なのだと自分に言い聞かせた。
「……お義母様、ごめんなさい。でも、お義父様を救うためなら、わたし、何だってするから」
「どうしてそこまで……! あなたは──」
オリビアはその先に言おうとしていた言葉を飲み込み、首を横に振った。
「…………分かりました。あとの責任は全て私が背負います」
子供たちはもちろんだが、大人たちまでもが目を丸くした。いったい、どういう風の吹き回しなのだろう。誰もがそう思った。
「ただし、エーラさんを連れて行きなさい。それが条件よ。……よろしいですわね、エーラさん?」
「承知しました、レディー・オリビア」
エーラは胸に手を当て、頭を垂れた。騎士団長の妻の命は、騎士団長と同じぐらいの権限がある。
エーラにとっては自分の素性を知りかけているオリビアのことが気がかりだったが、サイラスを死なせては何の意味もない。きっと、そのことも踏まえての人選なのだろう。
「シュー、エフィリオを説得しなさい」
「うん。……エフィリオ、あの人も乗せてくれる?」
エフィリオはエーラを一目見た後、問題ない、とでも言うようにゆっくりと目を閉じた。
「大丈夫だよ!」
「では、失礼します」
律儀にエフィリオに頭を下げてから、エーラは鐙も使わずにエフィリオの背に飛び乗り、シュテラの後ろにぴったりと付いた。……やはり、雷は落ちなかった。
「……ふう、大丈夫そうね。これならきっとケイネスさんも乗せられるわ」
オリビアのほっとした表情に、シュテラも若干緊張の糸が緩んだ。
だが、任務はこれからなのだ。
一方、テリーはゆっくりとエフィリオの後方に回り込んでいた。
新人のエーラを乗せたのだから、雷が落ちるなんてことはきっとデタラメなのだろう。そう思ったのだ。
しかし、エフィリオの背に触れようと手をかざした瞬間。
「いだあッ!!?」
その手に小さな稲妻が落ち、テリーは地面を転がり回った。
それを見た誰もが、腹を抱えて大笑いした。
「テリーってほんっとにバカだな! 雷獣を見たことがねーのかよ!」
「まあ、マリィったら! はしたないですわよ。……ふふふ」
咎めるオリビアでさえ、笑いを隠しきれないぐらいだ。テリーの心はずたぼろになった。
「……ライアットさんがいなくて良かった……」
ここにライアットがいれば立ち直ることもなかっただろう。しかし、今の一件で、シュテラの心はだいぶ楽になっていた。
「それじゃあ、お義母様。行ってきます!」
「お待ちなさい。……カサンドラ、アレを」
「はい」
いつの間に用意していたのか、カサンドラは金貨の詰まった袋と、温かい臙脂色のマントをシュテラに渡した。
マントを広げると、なんと、騎士団の印が大きく金糸で縫われているではないか。サイラス騎士団の正式なマントだが、どういうわけかシュテラの背丈に合うように作られていた。
シュテラは驚きながらも金貨の袋を腰に結わえ、マントを羽織った。本来ならもう少し旅用の格好を用意して出かけるべきなのだが、そんな時間はなかったので非常に助かった。少なくとも、マントは素性を明かすための印にもなる。これさえあればサイラス騎士団の遣いであることが証明出来るだろう。
「いずれ王宮に行く時が来ると思って前もって用意しておいたのだけど、ぴったり合うようで良かったわ」
「ありがとう、お義母様」
最後に首元の紐を締め、シュテラは礼を述べた。
「シュテラお嬢様、どうかお気をつけて」
「カサンドラ……せっかくのドリア、すっかり冷めちゃったね」
その原因を作ったのはシュテラ本人だったので、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「ご心配なく。後でいくらでも作り直します。ですから、無事に戻ってきて下さい。ご主人様と一緒に食べられるよう、たっぷりとご用意いたしますから」
「うん!」
オリビアがカサンドラの横に並んだ。
「今から行っても王宮までは半日かかるわ。夜飛び回るのは危険だから、次の村で一度降りて宿に泊まりなさい。日が昇る前に旅立つと良いでしょう。宿はエーラさんにお任せします。ただし、言いつけは絶対に守るように。あなたの力は、本来他の者には知れてはいけないのだから」
「分かりました、お義母様」
オリビアはエーラに向き直った。
「エーラさんも、シューのことをお願いします。あなたのような方がうちの騎士団に来たことが気がかりだけど、どうかこの子のことは……」
エーラは頷いた。
「ええ。無論、そのことは承知いたしております」
オリビアはそれを聞いて安堵した。決して危害を加えるような人ではない──それだけは、あの銀の髪と赤い瞳が約束していた。
それに、彼女を騎士団に連れてきたのは他でもない、同じく素性を知っているはずのサイラスだ。何か理由を抱えているのだろう。
(もしかして、あの時送った文……)
思い当たる節がある。少し前、サイラスが寝室で言っていたことだ。きっとあの時の文は、エーラに送ったものなのだろう。そう考えると、胸のつっかえが取れた。
オリビアはエフィリオに乗るシュテラの体を抱き寄せ、その耳元に告げた。
「それじゃあ、お願いするわねシュー。道中、気をつけて行くのよ」
「はい!」
オリビアがシュテラから離れたのを合図に、一同は屋敷の正面へと続く道を開ける。
シュテラは手綱を引きながら叫んだ。
「エフィリオ! 行って!」
その合図で、エフィリオは力強く駆け出した。
「行けぇええ! シュー!」
通りすぎる間にマリアーナが拳を突き上げて声を張り上げた。
「シュー、頑張って!!」
エドワードも精一杯の声で応援した。
振り返ると、そこにいた皆の姿はあっと言う間に豆粒よりも小さくなっていた。体に感じる振動がなくなったと思うと、エフィリオは巨大な翼を広げ、振り落とされそうなほど急な角度で空へと舞う。
シュテラにとっては、これがエフィリオとの初飛行となった。
厩舎に戻ったエフィリオは、まるで元気がない。いつもなら任務を終えた後に大きな肉の塊をペロリと平らげるのだが、今日は全くの手つかずだった。
(主人の不幸を感じ取っているのか……? 賢いやつだ)
ライアットは身を屈めて厩舎に入り、床に伏しているエフィリオの頭を撫でようと手を伸ばした。しかし、ぐるんと回した頭が鋭い目つきだったので、慌てて手を引いた。
「おい、エフィリオ。サイラスがああなっちまって機嫌が悪いのは分からんでもないが、どうか言うことを聞いてくれねえか」
エフィリオは牙を見せることはなかったが、目を離そうともしなかった。
ライアットは根気よく話を続けた。
「お前のご主人様を助けるには王宮へ行かなくちゃならねえ。今、あいつを助けられるのは俺だけなんだ。正騎士が話をつけないと、それだけケイネスを連れてくるのが遅れちまう。……なあ、エフィリオ。分かってくれ! 明日までなんだよ!」
だが、どんなに必死に説得しても、エフィリオは態度を改めない。終いには聞き飽きた、とでも言うように顔を伏せ、目を閉じた。
「くそっ! 分からず屋め!!」
こうなれば、もう一頭の雷獣に掛けあってみるしかない。だが、あの雷獣はまだ幼く、人を乗せたこともないのだ。
どうしたものかと考えあぐねていると──
「ライアットさん……」
いつの間にか目の前に、心配そうに見上げているシュテラが立っていた。
「エフィリオ、ダメだったの?」
吸い込まれそうなほど美しい碧眼が、まるで波打つ海の如く揺らめいている。
その瞳をじっと見ていられなくなったライアットは、思わず目を逸らした。
「何事も上手くいくと思ってたんだが、そう甘くはねえよな……。俺は今から馬で街中の薬師をあたってみる。何もしねえよりはずっといいだろう」
酒呑みで、豪快で、いつも余裕たっぷりのライアットが、いつになくいかつい肩を落としている。
彼は厩舎の入り口でぽかんと見届けているシュテラの脇を通り、とぼとぼと馬を預けた反対側の厩舎へ歩いて行った。
やがて、ライアットを乗せた馬が勢い良く飛び出すと、辺りはしんと静まり返った。
「……何もしないよりは……」
何もしていないのは自分の方だ、とシュテラは思った。部屋でサイラスを想い、ただ祈ったり看病することだけが今のサイラスの役に立つだろうか。
(そうだ、そんなわけないじゃない!)
少しずつ心の中で薄れていく母の顔と、あの時母を救えなかった後悔を記憶の海から引きずり出す。
大人でさえ敵わない程の力があったというのに、それを活かさずに一生後悔するというのは、母親のことだけでもう充分なのだ。
「聴きなさい!! エフィリオ!」
シュテラの声が厩舎を震わせた。
伏せていた白い頭がすっと持ち上がる。
「分かっているわよね。お義父様は死にそうなの! 今、わたしたちが王宮へ行ってケイネスさんって人を連れてこないと、あなたのご主人様とは二度と会えなく……なる、のよ……!!」
会えない、という言葉を口にした瞬間、シュテラは自然と涙を零していた。
命を救ってくれた恩人。厳しくも騎士の家のしきたりを教えてくれた義父。自分が憧れるべき騎士の長。
恩返しをしようと決めていたのに、今救えなければ何も果たせないじゃないか!
「お願い! 大事なお義父様を救うためなの……っ!」
すると、願いが通じたのか、エフィリオの巨体がぐぐっと持ち上がった。
その瞳は、ライアットを見る時とは違う。お前に任せる──そう言いたげな、信頼に満ちた瞳だった。
「ああ、エフィリオ……!」
白い雷獣はゆっくりとした足どりで厩舎を出て、シュテラの前で伏せるようにしゃがみ込んだ。乗れ、とでも言っているようだ。
「でも、わたし……」
シュテラは鐙に足をかけようとして躊躇った。ライアットは待て、と言ったのだ。しかし、本来乗るべきライアットは、その場にいない。
そこへ、エドワードとマリアーナが駆けつけてきた。当然ながら、監視役のテリー、エーラまでもが後からやってくる。
「シュー! 何してんだ!!」
マリアーナが血相を変えて怒鳴るが、逆にそれがシュテラの心から迷いの綱を断ち切るきっかけとなった。
「見れば分かるでしょ! 王宮へ行くのよ!」
「やめろ! ライアットさんに言われたのを忘れたのか!?」
シュテラはテリーを睨み付けた。それだけでテリーは一歩たじろぐ。
それを見て、シュテラは腹の奥底でぐつぐつと煮えたぎる感情を一気に爆発させた。
「もし、あなたがエフィリオに乗る勇気があるのなら、喜んで譲ってもいいわ! でも、出来ないんでしょう!? この非常時に、命懸けで雷獣の背に乗る勇気もないお飾りのバカ騎士!! だったら黙ってわたしに任せればいいのよ!」
皆があっと声を上げる間もなく、シュテラはとうとう鐙に足をかけ、その勢いで素早くエフィリオの背に跨がった。
──雷は落ちなかった。それどころか、収まるべき所に収まった、と言っても過言ではないぐらいに、二人は一体となっていた。
「シュー! あなた、何てことを!!」
遅れて走ってきたオリビアとカサンドラ、マシューまでもが、息を切らせながら顔を真っ青にした。
シュテラは申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになったが、これが最善なのだと自分に言い聞かせた。
「……お義母様、ごめんなさい。でも、お義父様を救うためなら、わたし、何だってするから」
「どうしてそこまで……! あなたは──」
オリビアはその先に言おうとしていた言葉を飲み込み、首を横に振った。
「…………分かりました。あとの責任は全て私が背負います」
子供たちはもちろんだが、大人たちまでもが目を丸くした。いったい、どういう風の吹き回しなのだろう。誰もがそう思った。
「ただし、エーラさんを連れて行きなさい。それが条件よ。……よろしいですわね、エーラさん?」
「承知しました、レディー・オリビア」
エーラは胸に手を当て、頭を垂れた。騎士団長の妻の命は、騎士団長と同じぐらいの権限がある。
エーラにとっては自分の素性を知りかけているオリビアのことが気がかりだったが、サイラスを死なせては何の意味もない。きっと、そのことも踏まえての人選なのだろう。
「シュー、エフィリオを説得しなさい」
「うん。……エフィリオ、あの人も乗せてくれる?」
エフィリオはエーラを一目見た後、問題ない、とでも言うようにゆっくりと目を閉じた。
「大丈夫だよ!」
「では、失礼します」
律儀にエフィリオに頭を下げてから、エーラは鐙も使わずにエフィリオの背に飛び乗り、シュテラの後ろにぴったりと付いた。……やはり、雷は落ちなかった。
「……ふう、大丈夫そうね。これならきっとケイネスさんも乗せられるわ」
オリビアのほっとした表情に、シュテラも若干緊張の糸が緩んだ。
だが、任務はこれからなのだ。
一方、テリーはゆっくりとエフィリオの後方に回り込んでいた。
新人のエーラを乗せたのだから、雷が落ちるなんてことはきっとデタラメなのだろう。そう思ったのだ。
しかし、エフィリオの背に触れようと手をかざした瞬間。
「いだあッ!!?」
その手に小さな稲妻が落ち、テリーは地面を転がり回った。
それを見た誰もが、腹を抱えて大笑いした。
「テリーってほんっとにバカだな! 雷獣を見たことがねーのかよ!」
「まあ、マリィったら! はしたないですわよ。……ふふふ」
咎めるオリビアでさえ、笑いを隠しきれないぐらいだ。テリーの心はずたぼろになった。
「……ライアットさんがいなくて良かった……」
ここにライアットがいれば立ち直ることもなかっただろう。しかし、今の一件で、シュテラの心はだいぶ楽になっていた。
「それじゃあ、お義母様。行ってきます!」
「お待ちなさい。……カサンドラ、アレを」
「はい」
いつの間に用意していたのか、カサンドラは金貨の詰まった袋と、温かい臙脂色のマントをシュテラに渡した。
マントを広げると、なんと、騎士団の印が大きく金糸で縫われているではないか。サイラス騎士団の正式なマントだが、どういうわけかシュテラの背丈に合うように作られていた。
シュテラは驚きながらも金貨の袋を腰に結わえ、マントを羽織った。本来ならもう少し旅用の格好を用意して出かけるべきなのだが、そんな時間はなかったので非常に助かった。少なくとも、マントは素性を明かすための印にもなる。これさえあればサイラス騎士団の遣いであることが証明出来るだろう。
「いずれ王宮に行く時が来ると思って前もって用意しておいたのだけど、ぴったり合うようで良かったわ」
「ありがとう、お義母様」
最後に首元の紐を締め、シュテラは礼を述べた。
「シュテラお嬢様、どうかお気をつけて」
「カサンドラ……せっかくのドリア、すっかり冷めちゃったね」
その原因を作ったのはシュテラ本人だったので、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「ご心配なく。後でいくらでも作り直します。ですから、無事に戻ってきて下さい。ご主人様と一緒に食べられるよう、たっぷりとご用意いたしますから」
「うん!」
オリビアがカサンドラの横に並んだ。
「今から行っても王宮までは半日かかるわ。夜飛び回るのは危険だから、次の村で一度降りて宿に泊まりなさい。日が昇る前に旅立つと良いでしょう。宿はエーラさんにお任せします。ただし、言いつけは絶対に守るように。あなたの力は、本来他の者には知れてはいけないのだから」
「分かりました、お義母様」
オリビアはエーラに向き直った。
「エーラさんも、シューのことをお願いします。あなたのような方がうちの騎士団に来たことが気がかりだけど、どうかこの子のことは……」
エーラは頷いた。
「ええ。無論、そのことは承知いたしております」
オリビアはそれを聞いて安堵した。決して危害を加えるような人ではない──それだけは、あの銀の髪と赤い瞳が約束していた。
それに、彼女を騎士団に連れてきたのは他でもない、同じく素性を知っているはずのサイラスだ。何か理由を抱えているのだろう。
(もしかして、あの時送った文……)
思い当たる節がある。少し前、サイラスが寝室で言っていたことだ。きっとあの時の文は、エーラに送ったものなのだろう。そう考えると、胸のつっかえが取れた。
オリビアはエフィリオに乗るシュテラの体を抱き寄せ、その耳元に告げた。
「それじゃあ、お願いするわねシュー。道中、気をつけて行くのよ」
「はい!」
オリビアがシュテラから離れたのを合図に、一同は屋敷の正面へと続く道を開ける。
シュテラは手綱を引きながら叫んだ。
「エフィリオ! 行って!」
その合図で、エフィリオは力強く駆け出した。
「行けぇええ! シュー!」
通りすぎる間にマリアーナが拳を突き上げて声を張り上げた。
「シュー、頑張って!!」
エドワードも精一杯の声で応援した。
振り返ると、そこにいた皆の姿はあっと言う間に豆粒よりも小さくなっていた。体に感じる振動がなくなったと思うと、エフィリオは巨大な翼を広げ、振り落とされそうなほど急な角度で空へと舞う。
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