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Section12:真相

90:あの空の向こう側で

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 わたしは……ずっとオオガミ ユヅキのアニマを宿したミカゲ ヒマリになっていたんだ、と思っていた。
 けど、それは間違いだって言うのだ。

「お前は俺の分身だったユヅキに、記憶を上書きされただけに過ぎん。父さんと、カイの考えた浅はかな計画のせいでな」
「嘘だ、と言いたいけど、もしそれが本当なら……ユヅキの記憶を失くせば、ヒマリは帰ってくる?」
「無論だ。サーバから正常な記憶を抽出し、その肉体へと再転送する。今までの記憶については保証致しかねるが、ヒマリとしての記憶は正常に蘇る。それに、選定を完全に終えた後は、本来のプルステラに戻る。お前が探し当てたように、裏技を使って武器を造ることもなくなるだろう」
「……そっか」

 この一年間、偽者のヒマリと過ごしてきた「僕」は、その全てがずっと心の奥底で引っかかっていた。
 もし、自分を犠牲にしてでもヒマリが元通りになり、平和に暮らせるのなら、僕はもう、ここに残り続ける必要はないだろうなって。

「ディオルクが選んだのはお前ユヅキだったが、その役目は私が引き継ごう。お前の意志は元々私のものだったのだからな」

 ……でも、やっぱり悔しい。
 この一年間、出会った人みんなと別れてしまうだなんて。

 これからのヒマリはきっと幸せに暮らすだろう。
 わたしユヅキなんかよりずっと自然な姿で、出会ったみんなとまた、新しく友達になれるだろう。

「僕も……ヒマリと話がしたかったな……」

 冥主は軽く頭を下げると、「すまない」と一言謝り、

「可能な限り、その想いは伝えよう」

 その言葉を最後に、僕は何も話せなくなった。
 この身体から、僕だったものが抜き取られていく。

 あらゆる思い出が、走馬灯として一度ずつ脳裏に蘇っては、失われていく。

 肉体があれば、きっと涙を流していただろう。

 心の中であらゆる人々に別れを告げ──

 ──そして、僕は消えた。


 §


 朝の木漏れ日を受けて、ほんのり薄い紅のかかった白い花弁がひらひらと舞っている。
 目の前を歩く親友は嬉しそうにはしゃぎ回り、わたしは感動のあまりにポカンと口を開けてしまっていた。

「これ、サクラって言うんでしょ!? すっごくキレイ!」

 ──うん、とてもキレイだね!

「もうあれから一年経つんだね。新学期、楽しみだなぁ」

 一年……か。
 わたしにとっては、空白の二年が経つんだ。

 あれは、ほんの二カ月ほど前のことだった。
 わたしがふと目覚めると、目の前にお兄ちゃんがいて、その周りには、何故か見知らぬ人や、ドラゴンがいっぱいいた。

 よく分からないまま帰って来た新しいお家にはママとパパがいて、わたしの無事をとても喜んだ。ハグもしてくれた。
 何があったか全然分からなくて……何度か泣きだして。

 それでも、お兄ちゃんがゆっくり、いっぱい、説明してくれた。

 ……気付いたら、いつの間にかわたしは飛び級して中学生。
 今日から新しい学年で勉強することになってる。

 行きたくなければ、別に真面目に学校に行かなくてもいいらしい。
 何せここは、天国なんだし。

 でも、わたしはいろんなことを経験したかった。それが二年前からの願いだったんだ。
 せっかく、真っ白くて狭い部屋から、こんなにも色鮮やかな世界にやって来れたんだもの。隅々まで、世界を楽しみたいでしょ。

 例え、ここが天国だとしても。
 わたしが既に、死んでしまったとしても。

 それでも構わないじゃないか。

 ここには永遠の時間がある。
 全てが新しくて、全てが生まれたての世界。
 わたしも生まれ変わり、新しい人生を楽しんでいる。

 永遠の時を過ごし、変わらぬ平和の中で新しいことを学び、経験し、ただただ、楽しむ。──それが、生まれたての人類プルステリアという種族なんだから。

「あ、そうそう! 今日ね、新作の春物、作ったんだ!」

 新しく出来た親友は、相変わらず服を作るので忙しい。
 わたしは裁縫がとても苦手で、どちらかというと料理に興味を持っていた。
 だから今は、革を切るより、生地を切っている。……なんてね。

「学校が終わったら、コーデしてみよ!」

 ──うん、いいよ。

 わたしは二つ返事で頷く。多分、明日も明後日も、同じように答えると思う。

「そうそう、実はね、エリカさんとキリル先輩の服も──」

 他愛のない会話。尽きない話題。
 あの人達が守ってきた世界は今、本物の楽園になっている。
 そのことに、わたしは──わたし達は、感謝しなくちゃいけない。

(いつか、必ず会えるよね)

 わたしの留守を務めたあの人は、今もあの遠い空の向こうで生きている、だろうか。

 もし、願いがひとつ叶うなら、わたしはその人に会って、一言言いたい。



 友達をいっぱい作ってくれて、ありがとう──って。



「ヒーマーリーちゃーーーん!」
「ほら、ヒマリちゃん、走るよ!」

 ──わ、待ってよう!

 元気なあの子と、先日出会ったばかりのあの子。


 ……わたしはまだ、長い微睡みの中を彷徨っているのかもしれない。
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