上 下
75 / 92
Section10:VR・AGES社

73:夜明けの特等席 - 2

しおりを挟む
 ──まただ。私はまた、果てしない長さの梯子を昇っている。
 こんな苦行、二度とやらないと思っていたのに、私は大佐に何度騙されたことだろう。

「……それでも、私は……」

 せめて「彼女」が無事でいられるなら──私はその幸せを願わずにはいられない。

 私の人生はアニマリーヴを行った時に既に終わっている。現世で生きる時間さえ、限界がある。
 ならば、永遠の夢を手にした「彼女」の安寧を守るために、今一度、私が犠牲を払うべきだ。

 機械的に手足を動かし、目的の十五階に到達する。
 これが百階とかでなくて助かった。出来れば大佐のように堂々と階段を使いたかったが。

「…………まぁ、大佐やエリックがここまで梯子を昇るなんてあり得ないですわね」

 筋力は生身ではない私の方が上回っている。
 だからこそ、私はこのようなジョーカーを引かされているのだ。

 必要とされている──それだけでいい。
 私が最も怯えているのは、決して命を失うことなんかじゃない。

 誰の目にも止まらぬ冷たい場所で、ひっそりと死を迎えることなのだ。

「大佐。着きましたわ」

 私は声を落として大佐に話しかけた。

『良くやった。いいペースだぞ。こちらはまだ十三階だ。……だいぶお出迎えもあった』
「でしたら、大佐とエリックもいいペースでしょうね。如何なさいますか?」

 銃撃の音。爆音の振動がこちらにも伝わってくる。……ちょっと派手にやりすぎじゃありませんか?

『……我々はそのフロアから敵を引き剥がす。クリアになったのを確認してから突入してくれ』
「了解」

 梯子から右足を伸ばす。生身の足にドアの淵の尖った感触が生まれる。
 左足と左手を梯子に残したまま、エレベーターのドアの隙間に右手の爪を差し込むと、爪の奥に仕込まれた小型のカメラが私の視覚に直接映像を伝達した。

(……プログラムされた動きじゃない!?)

 どんな複雑な警備用アンドロイドでも、特定のパターンを描いて動くはずだ。
 しかし、フロアにいるアンドロイドは個体ごとに大きな誤差があり、パターン通りに動いていてもそれはプログラムでは考えられない動きだ。

(誰かが操っている? 自律歩行ではないというの?)

 私は大佐から伝えられた三つのキーワードを思い出した。
 恐らく大佐は、元々抱いていた疑問に加え、このアンドロイドに関する疑問をも解消したいのだろう。

 ……また小さな爆音。今度は先程よりも大きく聞こえる。足元に伝わる振動も強い。
 大佐がこのフロアまでやって来たのだ。アンドロイド達は振り返り、一旦互いの顔を見合わせてから駆け出した。

「…………」

 馬鹿馬鹿しい、と呟きそうになるのを堪え、梯子に残した左半身を移動。
 僅かな足場で爪先立ちになりながら僅かなドアの隙間にナイフを差し込み、テコの原理で強引にドアを開いた。
 震える腕を振りながらフロアの状況を確認する。

 銃撃音は上から聞こえてくる。誘導は上手くいったらしい。
 そして、事前にブレイデンが調べ上げた通り、ネットワークが完全に封じられているエリアがここ。つまり、情報の宝庫である証拠だ。

(恐らくPCも独自のOSで組み込まれた情報用端末。……私のハッキングがどれだけ通用するか……)

 脊髄終糸ケーブルを繋いでアクセスを試みる。
 ……やはりアークと同じだ。知らない言語を扱っている感覚に置いていかれそうになる。

「ブレイデン、聞こえますか!?」

 私は、片耳を押さえながら、あまり呼びたくないアイツに接続した。
 今頃、監視付きで特別な個室に軟禁されているだろう。

『き、きき、聞こえてるよぉ。ひひっ! とうとうVR・AGESの、た、た、宝に触れられるんだねぇ』
「御託はいいから、ここを突破するのを手伝って下さい! 大佐もエリックも、どれだけ持つか分かりません!」
『そ、それじゃあ、キミの中継機能テザリングを、オ、オ、オンにしてほ、欲しいんだな。あ、あとは勝手にやらせてもらうよ』
「……分かりましたわ」

 以前もそうだったけど、コイツに色々弄られるのは……正直言って、あまり気乗りがしなかった。
 ましてや、私の身体をテザリングにするのは乙女の肌に触れる行為だ。あんなうさん臭い人間に触らせるのは、命令でもなければ断っていただろう。

『あ、あ、開けたよぉ……ひひっ!』

 ……私は直ぐにテザリングを切った。

「ありがとう。後はこちらでやりますわ」
『そ、そ、そうだねぇ。ぼ、ぼ、僕からやると遅くなるからねぇ』
「では、申し訳ありませんが、これから集中しますので通信を切りますわ」
『け、け、検討をい、祈るよぉ』

 私はこめかみを叩いて直ぐに通信を切った。
 相変わらずまどろっこしい話し方にイライラする。

(……何でこんなにイライラするのかしら?)

 疑問に思いながらもコンソールを叩く。
 大佐から調べるように伝達されたキーワードは、「現実化リアリゼーション」、「アンドロイド」、「アニマリーヴ」の三つだ。
 ……私には何故この三つを調べればいいのかが分からない。

「……現実化リアリゼーション研究に関する報告書……これかしら」

 一度パスが通ってしまえば、ザルも同然。調べ放題である。
 私はポケットから滴型の小さな記憶媒体を取り出し、左手で握りしめた。
 これはドロップオーブと呼ばれるもので、テザリングが可能な私の身体を通じてデータを記憶することが出来る。
 ダウンロードをしつつ、私は報告書の内容に素早く目を通した。



 ──†──†──†──†──†──†──

 現実化リアリゼーション研究に関する報告書


 ■現実化リアリゼーション技術の応用化について

 物質の電子データを参考に実際の物質に転換する技術、それが現実化リアリゼーションだ。
 今や現実世界のあらゆる物質や生物は電子データに置き換えることが出来、その逆も然りである。
 この技術により、九十九.七パーセントの模造品を電子データから作り出すことが出来る。現代における一種の錬金術と言っても差し支えない。

 では、現実では元々存在しないもの──例えばゲーム世界の物質・生物等はどうだろう。
 まず、結論から述べると可能だ。如何なる物質でもパラメータを調整するだけで創り出すことが出来る。
 これにより、地球環境の整備は格段に容易となり──
 …………

 ──†──†──†──†──†──†──



「……何よ、これ……」

 私は厭な冷や汗が背中を伝うのを感じた。
 ゲーム内の物質や生物を現世で再現する……?
 そんなことが出来てしまったら、この世界は──現世はどうなってしまうというのか。

 そもそも、アニマリーヴ・プロジェクトは仮想世界へアニマを送り込むだけの、仮想移住計画だったはず。
 汚染された地球環境は自然に修復されるまで待つということではなかったのか。

 私はドロップオーブを胸元で握りしめたまま片手でコンソールを叩き、アンドロイドについても検索した。



 ──†──†──†──†──†──†──

 2203年1月20日

 ヴァーチャル・エイジス本社警備チーム 各位

 社内警備用アンドロイド実用化について
 
 この度、四月から施行を開始するアニマリーヴ・プロジェクトに対応するため、本社タワー内警備においては別紙に記載されていますアンドロイド<VAA-101>を実用化する運びとなりました。
 つきましては、同封の利用申請書類、機密保持規約、VAA使用同意書へのサイン(いずれもデジタルサイン不可)と、下記に予定している身体検査、適合検査に「必ず」参加して頂きますようお願い申し上げます。
 
   日程:2203年2月3日
   時間:午前10:00~17:00頃まで
 
 ※何らかの都合により前述の日程に参加出来ない場合は十日前までに上長へ連絡すること。


 ヴァーチャル・エイジス社
 総務局

 ──†──†──†──†──†──†──



 ──これは社内用に配られた通知書のデータらしい。
 アンドロイドを「実用化」、そして、「利用申請」と書いてある。
 危険物を扱うかのような申請はまだ分かるが、身体検査や適合検査……とはどういうことなのか。
 この書類が複数人に配られたということは、一人につき一体を担当するということなのか?

 とんでもない事実が次々に浮上する。
 しかし、この場ですべての書類を確認している余裕はない。それとなく怪しいものを次々とダウンロードしていく。

 最後にアニマリーヴについてだ。これも容易に見つかるが、必要そうなものからあまり必要じゃなさそうなものまで多数見つかる。
 ファイル名からそれらしいものだけをピックアップしたいところだが……。

「そこまでだ」

 聞き覚えのない声が前方から発せられ、独りでに体が震えた。
しおりを挟む

処理中です...