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Section9:空を翔(か)る者たち

68:空対空

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 西暦二二〇四年一月三日
 仮想世界〈プルステラ〉セントラル・ペンシル上空

 何もかも終わらせよう――わたしはそう決めていた。
 ディオルクのくだらない遊戯おあそび。それを束ねる冥主の、未だ謎に包まれた目的。例え何であろうと、わたしは許さない。
 ここは、何年も悩み抜いた挙げ句に旅立ちを決め、現世に半身を置いてきた人々の、最後の命綱であり、楽園なのだ。それを、竜達と冥主が弄び、ことごとく台無しにしている。
 追い詰められた人々は心をも操られ、生きるために平気で人を裏切る。……集落の人々はきっと、ディオルクに何かを吹き込まれたのだろう。

「ヒマリ。キミは今、きっと怖い顔をしているだろうね」

 キリルくんは振り返りもせずに言った。

「キミの気持ちは痛いほどに分かるよ。仲間だと思っていた人に裏切られた時、追い詰められた時……それがどんなに苦しいことか」

 キリルくんの声は、いつになく殺意の籠もった、ぞっとするものだった。

「……だから、僕も許さない。裏切りの種をばら蒔いたドラゴンは、僕の敵でもある」

 あのクリスマスの夜に聞かされた、キリルくんの家の事情。
 人に裏切られるのってそんなに苦しいものなのかと、その時は他人ひとごとのように聞いていたけど、わたしが集落の人に追い詰められたのだって違いはない。現世を捨ててこの世界に来たことも。ヒトという生き物は、いざとなれば生き残るためにケモノにだって成り果てるし、ケモノだって共食いをする。
 だから、許せないのは、人に裏切られたことじゃない。種として当然の生存本能や心を弄んでいる、ディオルクの行為そのものなのだ。

「だが、何が起こるか分からない」お兄ちゃんが言った。「これから乗り込むのは、プルステラの中心にそびえる塔だ。つまり、この世界の支配者に牙を剥くことになる」
「分かってる。それでも、平穏を望むなら最後まで戦って勝ち取りたいの!」

 ――この、母さんが焦がれた青い空の世界を。

「って言うと思ったよ。だったら、一蓮托生だな!」

 わたしがヒマリとしてプルステラに降り立った日からずっと見守ってきてくれたお兄ちゃん。まるで現世にいた時からそうだったように、わたしとお兄ちゃんは本当の兄妹のように過ごしてきた。
 いつもは家族として、ある時は同世代の親友として。
 現世でもそうだったように、人と人が出会うのは仮想世界であっても同じようなものだ。
 ただ、わたしは、ちょっとねじ曲がった不思議な縁でみんなと出会えた。
 わたしがミカゲ ヒマリとしてこの地にやってこなかったら、今頃は違う集落の違う人達と知り合っていただろう。
 だけど――もしかしたら――平和さえ続けば、この世界の住人全員と友達になることだって夢ではないと思う。お金さえあれば幾らでも好きなモノが買えてしまうのと同じように。
 それって、わたしがヒマリでなくても、何者であっても、いつかはお兄ちゃんにめぐり合えるってことなんだ。
 多様な日常、変わらない世界。不変の中で幾らでも生まれ変われる可能性。永遠の命――。
 プルステラが永遠の楽園として在り続けるためには、やはり怪物や竜のような危険因子を取り除く必要がある。
 だから、戦うしかない。
 戦わなければ、この世界に来た意味は失われてしまうのだから――。

「見えたぞ! セントラル・ペンシルだ!」

 キリルくんの鋭い声で、わたしは顔を上げた。
 以前訪れたことのあるセントラル・ペンシルだが、こうしてきっちりと外側から拝むのは初めてだった。
 五つの大陸同士がぶつかり合う世界の中心で、雲を突き抜ける程真っ直ぐにそびえ立つ、真っ白な巨塔。それは花の雌しべのようにも見える。
 そのてっぺんに、まるで蜜を吸いに来た蜂の如く群がっているのは四体のドラゴン達だった。

「ようこそ、セントラル・ペンシルへ。あなた方がディオルクの言っていた連中ですか」

 遥か上から、青い竜が言い放った。丁寧な言葉で話してはいるが、どこか馬鹿にしているような口調だ。
 わたしは胸いっぱいに息を吸うと、声を張り上げた。

「ディオルクはどこにいるの!?」
「彼は塔の中です。どうやら、今日は虫の居所が悪いらしいので、我々が代わりにお相手致しますよ」

 背筋が凍りつく。
 相手は四体のドラゴンだ。能力も分からない連中ばかり。
 覚悟はしていたけど、これだけの竜が空を覆い尽くすと圧倒される。

「空中でまともに身動きが取れないこちらに対して、キミたちは四体だな」

 わたしの考えを代弁するように、キリルくんが言った。

「一人ずつ相手する気はないのか? それとも、単に臆病なだけか」
「そんなことはせん」緑色の竜が嗄れた声で笑った。「一度に食いかかれば我々とて戦いづらい。ここは一手ずつ、順番に相手するとしよう。ここまで来たせめてもの情けだ。だが――」
「……中には入れさせん。絶対にな」

 緑竜の言葉を引き継いで、赤色の竜が雄々しい声で言葉を繋げた。
 わたし達は一斉に武器をインベントリから取り出す。いつものククリや剣じゃない。空中戦用に用意した、強度の高い弓矢だ。
 まともにやって勝てる相手ではない。けど、逃げるわけにもいかなかった。

「行くぞ!」

 赤い竜が大きな顎を開き、火球を放った。
 ……と、同時に、ぐんと身体が左横へと引っ張られる感覚。キリルくんの操作で傾いた大鷲は攻撃を避けながら、一旦高度を下げる。
 赤竜は小さく舌打ちをして、大人しく後ろに退いた。……どうやらルールはきっちり守るらしい。

「次は我が!」

 初めに話しかけてきた青い竜が目の前に現れ、すぐさま大きく息を吸った。

「くっ! マクロ:『#W__ウォール__シールド』発動!」

 キリルくんの呼びかけで前方に鋼鉄の小さな五角形の盾がいくつも出現し、鱗のように噛み合って一枚の壁となった。大鷲は急停止し、足で壁を蹴って真後ろへと退避する。
 青い竜は吹雪を放ったのだろう。盾は裏側にまで霜が渡り、凍りついた。

「……ほう。ディオルクが言うだけはありますね」
「どれ、我も参るとしようかの」

 今度は緑の竜が背後から迫ってきた。
 ブレスを吐く様子はない。接近戦に持ち込むというのか。

「させるか!」

 お兄ちゃんが狙いも付けずに続けざまに矢を放ったが、飛び石を渡るが如く足で踏みつけられ、叩き落とされた。
 矢は折れて次々と真っ二つになり、空中で砂のように消滅する。

「ヒマリ!」
「うん!」

 お兄ちゃんは弓矢をしまって剣を取り出すつもりだ。インベントリを操作する間、彼はかがみ込んだ。
 その背中の上から、わたしは弓を引き絞る。

「無駄だ!」

 軽く首を捻って避けられる。
 一体どんな攻撃をしようというのか。緑竜はまだ一手を繰り出していない。尚も距離を縮めてくる。
 わたしは更に弓を引き絞り、次々と矢を放った。
 緑竜は速度を落とさずに身体をぐるりと回転させて尻尾で矢を叩き、目を見開いて長い首を真っ直ぐに伸ばしてきた。

「お兄ちゃん!!」

 ――ほぼ、同時だった。
 緑竜が牙で襲いかかると見せかけて右腕から伸びる紫色の鋭い鉤爪を振り下ろし、お兄ちゃんはそれを止めるように身長の二倍はあるかというランスをインベントリから出現させると同時に、前へ突き出していた。

「何とぉッ!?」

 緑竜の掌に深々と食い込んだまま、ランスはお兄ちゃんの手を離れた。
 予想外のリーチに驚愕した緑竜はその場に留まると、感嘆するように鼻を唸らせた。掌からは毒々しい紫色をした血が滴っている。
 槍は腐食し、ボロボロと崩れ落ちた。……きっと、アイツの体液には毒が含まれているのだろう。

「なら、お次は……」

 いつの間にか背後――キリルくんの正面に四匹目の真珠色の竜が現れていた。
 キリルくんは大鷲を急上昇させようと試みるが、そいつは軽く羽ばたいただけで直ぐに正面へ回り込んでしまう。

「私は、殺すと決めた獲物を絶対に逃がさない」

 透き通った女性の声色を持つそのドラゴンは、どんな攻撃を繰り出すのか予想が付かない。
 炎、吹雪、毒爪――そのどれでもないとすると……。

 ――次の瞬間。
 真珠色の鱗がチカチカと瞬いた。
 何が、と思った時には、もう遅い。
 わたし達の目は眩み、目の前で何が起きているか把握出来なくなった。

「くっ! まずい!」

 キリルくんが珍しく焦りの混じった声で叫んだ。
 彼はもう一度シールドを繰り出した……らしいけど、その前に激しい衝撃と鼓膜が破けそうになる轟音で身体中に重力を感じた。
 叩き落とされたんだ――そう思った頃には、既に意識は飛びかけていて――。

「飛行能力を得たことは素直に評価するが、今の貴様らには過ぎたる代物よ」

 最後に、ここにいないはずの黒竜の一声が、微かに耳に届いた――。


 ◆


「ちょっと、ディオルク! 何で邪魔するのよ!」

 ベノッフェンの抗議に、その前に立つ黒竜は振り返りもせずに答える。

「既に『一手』喰らわせただろう。次は我の番だと思ってな」
「な……!」
「それとも、あのままトドメを刺せば冥主が喜ぶとでも思ったのか?」

 真珠色の雌竜は口を閉ざすと、フン、と鼻を鳴らした。

「まぁ……でも、助からないわね。落ちた場所が致命的だわ」
「……ふむ。確かに、これは迂闊だったな」

 客人を死なせてしまうことは冥主の望むところではなかった。加減はしておけ、と言っていたからだ。
 だが、ディオルクは確信していた。こんなことで死ぬような連中ではない、と。
 、彼が最後の一撃を喰らわせる必要があった。

「ディオルク」青竜が言った。「あなたは彼らを庇うのですか?」
「庇うだと?」黒竜はようやく振り返った。「ヤツらをどうしようが、我の勝手だ。王が民を守るのは当然の権利であろう?」
「その王様が、民を傷つけるのも、ね」ベノッフェンが皮肉混じりに続けた。「貴方は暴君? それとも人望厚き領主様?」
「……その言葉、そっくりそのまま返してやろう、ベノッフェンよ。貴様はそれでも、使命を果たしているつもりなのか?
 我は、暴君でも無ければ、民を喜ばせる領主でもない。我は支配者であり、冥主の命に従っているだけだ」

 ベノッフェンは宝石のように輝く瞳を細め、まるで別人のような冷たい声で問いかけた。

「……ディオルク。我に嘘が通るとでも?」
「余計な詮索は無用だ、ベノッフェンよ。用は済んだ。……皆も持ち場に帰るがよい。ここは我の領土だ」

 ベノッフェンを除く三体のドラゴンはつまらなさそうに目を細め、身体を翻すと、何も言わずに各々の大陸へと飛び去った。
 最後まで残っていたベノッフェンも、最後にもう一度ディオルクを一瞥すると、ディオルクに背を向けて南方の彼方へと飛び去った。
 残された黒竜は、少女達が落ちて行った広いジャングルに目を細め、どこか名残惜しそうに自らの領土である北の彼方へと戻っていった。


 ◆


 西暦二二〇四年一月三日
 仮想世界〈プルステラ〉アジアサーバー セントラル・ペンシル近辺 ジャングル

 ……身体の節々が痛い。
 痛みに耐えるだけでどれだけかかっただろう。今は僅かな月明かりだけが、この場所の輪郭を浮かび上がらせていた。

「……お兄ちゃん……キリルくん……」

 かろうじて紡いだ言葉も、小声で遠くまで届かない。
 仰向けになったまま起き上がることも叶わず、DIPを操作するほどの体力も残されていなかった。
 ここは何処だろう。何処の森に落ちてきたのだろう。

「…………星空……」

 そういえば、集落の自宅でこんな星空を眺めながら寝ていたことがあったっけ。
 あんなに近い空が、今はずっと遠くに感じる。
 力を振り絞って手を伸ばしても、あの星々を掴むのは無理だと……そんなこと、分かっているのに。

 ――ごめんね、母さん。

 心の中で詫びる。
 どんなに頑張っても、どんなに足掻いても……今はきっと、あの星空に届かないのだろう。
 もしかしたら……この先永遠に――。

「ヒマリッ!」

 遠くから駆けつけてくるお兄ちゃんの声で我に返った。
 頭を動かすと、そこに血と泥まみれになったお兄ちゃんの顔があった。

「怪我してる……」
「何言ってるんだ。お前こそ、酷い怪我だぞ」

 お兄ちゃんは自分そっちのけでわたしの身体を横にし、背中じゅうに傷薬のスプレーを満遍なくかけてくれた。
 ……これも懐かしい。
 初めてこの世界に来て、泣きながら裸足で走って足裏を擦り剥いた時、理由も聞かずに手当てしてくれたっけ。

「……ごめんな」

 お兄ちゃんは一言、そう謝った。

「なんで、謝るの?」

 理由は分かっていたけど、わたしは尋ね返した。
 お兄ちゃんは苦笑する。

「カッコつけても、お前のこと、守れなかったからさ」

 わたしは少しだけ笑ってみせた。

「……今、守ってるじゃん。そういうところ、本当のお兄ちゃんらしいよ」
「恥ずかしいこと言うなよ……」
「ううん。本当にお兄ちゃんだ。……タイキあなたがお兄ちゃんで良かった」

 お兄ちゃんは驚いて目を丸くした。
 それから、ふっと笑って、わたしを抱えた。

「キリルがあっちで待ってる。今日はここでキャンプをしよう」


 ◆


 五分ほど歩いた先に、キリルくんが焚き火をして待っていた。
 周囲の木の枝には、何やら小さな装置が間隔を空けて取り付けられている。

「ヒマリ!」

 キリルくんは直ぐに駆け寄ってきて、わたしの手を取った。
 少し火照っていて、温かい。

「ああ、無事で良かった!」
「キリルくんも。……ところで、あの枝にあるモノは何?」
「獣避けの結界装置さ。ここには凶暴な獣や怪物がうようよいるんでね」

 耳をすませると、確かにどこからか唸るような声が聞こえてくる。直ぐ近くに狼でもいるのだろうか。

「あの黒い竜はとんでもないところへ叩き落としてくれたよ」
「じゃあ、最後の一撃はやっぱり……!」
「ああ。ディオルクの仕業だ」お兄ちゃんが続けた。「大鷲は粉々になった。もう空を飛ぶことは出来ないな」

 移動手段として甲冑車はあるが、巨大な根が剥き出しで、足元がガタガタとしたこのジャングルでは役に立ちそうもない。
 ……今更ながら、自分達の置かれた状況にさあっと青ざめる。

「もしかして、歩いてこのジャングルを抜けなくちゃならないの?」

 キリルくんはまだ泥だらけの顔で頷いた。

「そのまさかさ。僕らは獣から逃げながら、近くの集落を捜し当てる必要がある」
「おまけに、このジャングルはとてつもなく広いらしい」お兄ちゃんが続けた。「直線で横断したとしても、最低一週間はかかるだろうな。まるで樹海さ」
「そんなに!?」
「それだけじゃない。何らかのジャミングが働いていて、DIPのコンパスや通信機能が使えないから、方角は日の方向を頼りにするしかないだろう。
 ……だが、どっちの方角に何があるかが分からない。セントラル・ペンシルが北かもしれないし、南かもしれない……そういうことだ」
「…………」

 全身が疲労と絶望感で包まれた。
 わたしは地べたに腰を下ろしたまま、これからどうしたらいいのかとひたすらに考えたけど……答えは何も出て来なかった。

「とにかく、今日は一旦休んで、明日考えよう。慌てたって何の解決にもならないからさ」

 キリルくんに言われ、肩を叩かれると、それだけで瞼が重くなった。
 キリルくんが何かしたってわけじゃない。

 ……わたしは、それだけ疲れきっていたのだった。
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