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Section8:キリル

56:不遇なる一等星 - 3

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 数日が経って、父親を語る男は逮捕された。
 シベリア鉄道に乗って西へ逃れようとしていたところを取り押さえられたらしい。
 盗聴や、車を動かしたリモコンを作った痕跡など……自宅からは色々なものが見つかった。

 バカな父親だ。それだけの頭が働くのなら、証拠を残さずに動けただろうに。
 それとも、お母さんさえ殺せれば、自分はどうなってもいい、だなんて思ったのか。
 警察の尋問に対し、父親は、犯行を起こした理由を、こう答えていた。

 ――キリルは、働けばいい金づるになると思っていた。でも、俺なんか父親と認めていないし、半分は俺の息子だってのに、妻に奪われて……独り占めされて……惨めでやってられなかったんだ。……だから殺した。その後で、キリルを殺し、俺も死ぬ予定だった……。

 結局、アイツの身勝手な理由が全てだった。
 父親と認めて貰う前に、愛されようという努力すら無かった。

 刑事は僕に尋ねた。父親に、何か言いたい事はあるか、と。

「何も……ありません」

 これ以上、関わりたくなかった。
 父親だけじゃない。もう、誰とも、関わりたくない。

 たった一週間。
 少し間違えた道が、全てを悪い方へと転落させてしまった。
 ……これでも……これでも、現実を見ろって言うのか。

 運命とは、なんて冷酷無比なのか。
 人間という生き物は、どれだけ不平等に出来ているのか。
 どんなに優れた頭脳で計算しても、運命を解で導くことは難しい。

 学校へ行けない。母親もいない。脚も使えない。
 世間には、才が無くとも稼げる人だっている。一度ステップを上れば、驚く程簡単に、次々と上り詰めていく。
 僕ら二人三脚の綱は、脚ごと断たれ、地面に伏してしまった。
 立ち上がろうとする気力さえ失い、ただ、時間だけが無情に過ぎていった……。


 ◆


 半年ぐらい経って、僕は自宅へ帰って来た。そこまで運んでくれたのは、病院の女看護師だった。
 車椅子に乗り換えた後、中まで送って貰うはずだったが、自分から断った。ここからは、一人になりたかった。
 カタチだけ礼を言い、別れる。看護師は心配そうに僕を見守り、しばらくはずっと、そこに留まっていた。
 預かった鍵を戸に差し込み、回す。……ただそれだけの事なのに、寒さのせいか、手が震えて、動かなかった。

 ようやく鍵を回し、ドアを引いて出来た僅かな隙間に、楔を差し込むように車椅子をねじ入れる。……ここは、いずれ動きやすいように変えなくちゃならないな。

 玄関を上がると、靄のように佇む暗闇が広がっていた。旅に出る前に、カーテンや雨戸を全部締め切っていたせいだ。
 半年も経ったというのに、懐かしい家の残り香がする。明らかに、ここで住んでいたという、幸せの痕跡だった。
 ……でも、そこにたった一人の家族の声はなく、今でも、お母さんの幻聴が聞こえてくるようだった。

『お帰り、キリル。おやつ、食べる?』

 と、のんびりとしたお母さんの声が、僕の脳裏で呼びかけてくる。

「うん……食べるよ」

 誰もいないのに、答えずにはいられない。
 実際に冷蔵庫を漁ってみたが、賞味期限の切れた食べ物が僅かに転がっているだけだった。

「はは……お母さん……おやつ、ないや……買ってこないとね」

 そう言ったら、お母さんは、なんて言うだろう。

『じゃあ、お母さんが買ってくるから、キリルはお部屋で待ってなさい』

 それとも……。

『じゃあ、キリル、ついでに、お遣いに行ってくれるかしら? 牛乳も切らしていたのよね』

 そんな風に答えるだろうか。

 解が二つだなんて。
 こんな簡単な解も、一つに絞れないのか……。

「うっ……うぐっ……うううっ……!」

 視界が歪んでいく。
 お母さんの前では、絶対に泣かないって……決めたはずなのに。

「お、おかあ、さ……ん……! ううっ、うああああああっ!」

 嘘だ、と思いたかった。
 これまでに起こった不幸は全部嘘で、これは夢なんだって。
 でも、脚が無いという痕跡きずあとは、お母さんがいない事実を等しく示している。
 夢なんかではない。何もかも、失ってしまったのだ。

 ……解は一つに絞られてしまった。
 僕は、一人になった、と。
 それまで暖かかった身体も、心も、じわじわと孤独と寒さに体温を奪われていく。
 このまま死ねたら……本当に死ねたら、どんなに楽だろうか。

 でも、僕にそれだけの勇気は無かった。
 どんなに辛くても、いつも乗り越えてきた。
 少しずつ、小さな思い出を積み重ねてきた十年を……やっぱり、安易に失いたくはない。

 この世は、絶望しかない。
 でも、あと四年。たった四年だけ待てば、僕は生まれ変われる。
 アレは、仮想世界なんだ。僕の頭脳があれば、何だって出来るはず。

 ……例えば……そう。
 お母さんを、擬似的に蘇らせることだって。

 それは、新しく生まれた、一つの可能性。求めていた、一つの解。
 心は、瞬時に暖かさを取り戻した。
 それどころか、抑えきれない熱い感情が、ふつふつと煮えたぎっている。

 この瞬間、僅かにあった生きる希望は、全て、黒い貪欲へと塗り潰されていった。


 ◆


 それからの僕は、母さんが遺してくれた僅かな保険金だけで生き延び、全ての希望をプルステラへ捧げた。
 プルステラの事を徹底的に調べ、未熟故に、どうしても判らないところは仲間に訊くことにした。

 ……そう、仲間だ。
 一年程前から遊んでいたVAHというゲームには、世界トップクラスのプログラマーやハッカー、ウィザードといった連中が群がっている。
 僕は、自らその輪に入り、現実よりも積極的な「キリル」を演じた。

 世界でも有数の頭脳達は、こぞってプルステラの解析を進めようとしていた。
 しかし、出来たばかりのプルステラは、余りにもセキュリティが堅く、ちょっとした事でも覗き見る事は叶わなかった。
 そのため、憶測だけが飛び交い、結局は、誰かが先行で潜り込み、あちら側から解析を進めていくという方針になった。
 最初のアニマリーヴを実行するのは、仲間の内の六割程度。半年ぐらい経過した後に向かうのが、更に三割。……その中には、僕も含まれている。
 最後の一割……例えば、ウケ狙いでメタボ気味のアバターにした「豚」こと、ブレイデン・パーカーなんかは、現世に残り続けるメンバーの一人だった。彼は、無法と言う名の自由となる現世に留まる方が、ずっと楽しいと考えていた。
 豚たちは、何らかの手段を用いて外部からアクセスルートをこじ開け、内部にいる僕らに連絡を寄越す事を考えていた。
 その際、ゲーム内で信用出来る情報屋に仲介を頼み、僕ら自身は、決して常人では来れないエリアに各々の基地となる建物を構え、連絡を待つ事にした。
 というのも、プルステラへサービスを移行するという噂が飛び交っているからだ。
 もちろん、万が一、移行が行われなかった場合も想定し、別途連絡を取る方法が、数十通りも提案された。
 例えば、曰く、セントラルペンシルのどこどこサーバー側のロビーに毎月決まった日に待ち合わせする。
 曰く、その国で最も高い山奥に山小屋を建てて待ち続ける。
 曰く、コミュニティチャンネルがあれば、専用チャンネルを作ってそこで会話する……などなど。

 そんな緻密な作戦が着々と進む中、僕は、カイという、機械人のアバターの不思議な少年に出会った。
 彼は、いつもプログラマー達の会合に出席していたが、特にプログラマーを名乗る程の腕はなかった。
 なのに、どういうわけか、彼はみんなから慕われている。

「やあ、キリル」

 彼はある日、会合をやっていた裏路地で、ろくに話した事もないのに、気さくに声をかけてきた。それが始まりだった。

「カイ。キミは何で、いつもここにいるのさ。攻略すべきコンテンツは、まだいっぱいあるだろ?」

 カイは鋼鉄の頭を掻いた。

「いやあ。兄ちゃんが猛勉強しててさ。構ってくれないんだよ。そいつが終わるまでは、オレも先を進めるのは控えようかなって」
「だったら、キミも勉強すればいい。ここにいる連中から、プログラムを教わるのも一つの手だよ」
「もちろん、そうしてる。……キリルはどうなんだ? ゲームとしては遊ばないの?」
「そういう気分にはなれないな。僕は……キミとは違うんだから」

 言ってから、しまった、と思った。
 コイツは、人の素性に触れたがるのだ。何かあるな、と思わせると、とことん首を突っ込みたがる。

「良ければ、聞かせてくれよ。オレで良かったら相談相手になるぜ」

 だが、それも悪くない、と思い始めていた。
 孤独でいることに、耐えきれなくなっていたのだ。

 僕は、事故の事を英語の筆談で話した。あまりログには残したくない出来事だった。
 カイは、終始ずっと口を挟まず、座り込んでじっとその文字を眺め続けていた。
 父親が逮捕された、という辺りで、僕は指を動かすのを止めた。
 これが全てだ、というようにカイに目を向けると、表情の判らない彼は、腕を組んでうーん、と唸った。

「……キリルはさ、オレのこと、どう思ってる?」

 唐突な質問だった。だけど、答えは決まってる。

「平和バカ」
「……言うと思ったよ。まあ、そう思われるよな」

 カイは立ち上がると、僕が書いた文字を足で踏み消して、筆談ではなく、言葉で話を続けた。

「キリルの悩みはこうだ――『現実で嫌な事があったから、仮想世界にずっといたい。自分とは違う平和バカが羨ましい』」
「……まあ、その通りだよ、平和バカ」

 嫌な物言いだが、僕は素直に認める。
 ……ところが、彼は簡単に言ってのけたのだ。その悩みに対するこたえを。

「現実が嫌なら、この世界にずっといればいいじゃないか」

 コイツは……何でこうも簡単に、お母さんと逆の話が出来るんだろう。

「実はオレ、兄ちゃんとまともに本音で会話出来るの、この世界ぐらいしかないんだ。兄ちゃんはすげー頭いいから、現実じゃ、オレのこと、きっと馬鹿にしてる。多分、家のことをほっぽって、ゲームばっかりやってるってイメージだよ。
 ……だけど、そんな真面目腐った兄ちゃんは、現実だけなんだ。ここでは平等に、普通のプレイヤーとしてオレに接してくれてる。
 恥ずかしがり屋の兄ちゃんはさ、まるで別人みたいなロールで、まるで他人事のように、現実世界での本音を語るんだ。あの時の『アイツ』の気持ちはこうで、実はこういうことだったんだ、って。だから、オレも、それに乗ってあげてる。ここにいれば、本当の兄ちゃんの気持ちが判るし、オレも本音で話せるから。
 ……だからさ、何も現実だけで過ごす必要はないって思うんだ。嫌だったら、現実から逃げ出すってことも、時には必要なんじゃないかな」

 現実を見ろ。そう言われ続けていた僕に、その一言は全くの真逆で……何か特別なものを感じていた。
 そういう接し方だって、あったんだ。

「……カイって、変わってるよな」
「まぁ、よく言われるよ」

 そう言って、カイは鋼鉄の仮面の中で、笑った。

 それ以来、僕とカイの関係は、急速に縮まっていった。
 彼が、彼の兄と話せない間、僕が話し相手になってやった。
 ……いや、話し相手になってくれていたのはアイツの方かもしれない。何せ、現実世界では、ただの引きこもりで、誰とも会話をしていなかったのだから。

 話す内容は、他愛のない世間話がほとんどだった。
 今日は学校でこんなことがあってさ……と、まるで交換日記をするかのように語り合っていた。

 僕は、そんなカイの事を、仲間ではなく、唯一無二の親友として認めるようになっていった。
 周囲の人間が、彼を認める理由が、何となく理解できた。認めないのはきっと、現実世界での彼の兄ぐらいなものだろう。
 ……ということは、もしかしたらカイも、現実世界では、違う自分でいるのかもしれない。カイは、自分自身すらイヤな奴だと思い込んでいるんだろうか。
 そんな疑問が何度も首をもたげたが、僕なんかが訊く勇気は無かった。


 ◆


 月日は、瞬く間に過ぎていった。
 VAHでは、カイとの交流を深める一方で、現実世界では、プルステラへの移住資金を稼ぐべく、ソフトウェアの開発会社を自ら立ち上げ、たった一人で、安めのセキュリティソフトなんかで大量に儲けを出した。
 なんだ。簡単じゃないか。初めからこうしていれば良かったんだ。
 学校に行くという、妙なプライドやリスクなんて要らなかった。
 一会社の経営者として、企業として、人に貢献出来る技術があったというのに。

 でも、会社の経営は、目標や終着点なんかではない。あくまでプルステラへ行くための稼ぐ手段であり、一時的なものだった。

 現実世界が嫌いなのは、今でも変わらない。
 僕が接する、或いは、接してくれる人間もまるでいなかった。

 ……いや、一人だけ。
 僕に謝りに来た人間が、一人だけいた。

 僕ら親子を地獄に叩きつけた一人、フィリップだった。
 突然鳴ったチャイムに、もどかしくもPCの作業を打ち切って、車椅子で玄関に向かい、ドアを開けると、フィリップは本当に反省しているようで、今にも泣きそうな顔を浮かべていた。
 半年ぶりに見た彼の姿は、驚くほど痩せ細っていた。

「……その、キリル……色々と……ごめんよ。謝っても、きっと赦してくれないだろうけどさ……」
「ああ。そうだね。赦さない」

 僕は、冷酷に答えた。
 懺悔をする人間ですら、赦す気になれなかった。

「それでも、謝らせてくれ。オレが悪かったんだ。お前が羨ましくて……つい、あんなイタズラを」

 本当なら、もう、赦すべきだろう。
 彼は子供なのだ。僕と同い年だけど、ずっと子供らしい子供だった。
 むしろ、おかしいのは僕の方だ。
 警察の捜査に協力したり、会社を立ち上げたり……そんな事をする子供は、他にいない。

 そんな僕は、頭を下げ続けているフィリップを冷ややかに見下しながら、抑揚のない声で一言、告げた。

「……運命は巻き戻らない。いくら仮想世界でやり直せるって言ったってね」

 罪の重さに耐えきれなくなったのだろう。フィリップは、みっともない大声で泣き喚いた。
 それでも、僕の背負った罪とは、釣り合いも取れないぐらいの軽さだ。
 玄関の向こうで泣きながら帰っていくフィリップの小さな背を見つめながら、僕は静かに、ドアを閉めた。

 締め切った部屋に暗闇と静寂が戻り、胸の奥が、チクリと痛んだ。
 仲直りをするチャンスだった。今のフィリップなら、最高の友達になれた。
 ……きっと、そのはずだった。

 なのに、僕は……、僕こそ大人げない対応で、彼を切り捨ててしまったのだ。

「……子供なのは、どっちだよ」

 もう、誰が手を差し伸べても、この現実世界においては、誰も頼りに出来ないし、頼りにされないだろう。

 ――別に構わないさ。VAHには、カイがいるんだ。彼がいれば、誰も要らない。

 ……そう思っていた。
 三年後、自分のアニマリーヴが目の前に迫った時までは。


 ◆


 VAHのサービス終了が正式に告知され、同時に、プルステラへの移植までが決定された。
 計画は、プルステラ版VAHでの連絡からということで落ち着いた。
 会合の後で、僕はカイを、自分が用意した洋館に招いた。

 以前、彼は自力で、この洋館に辿り着いた事があった。
 本気になれば、洋館のセキュリティで追い出すぐらいのことは出来るのだが、恩人であるカイに向かってそのようなイタズラを仕掛けるのには気が引けた。

「消えちゃうの、残念だな」

 カイは、力なく呟いた。
 いつもよりか、ずっと元気の無い声で、心配になる。

「なに、残すなんていくらでも出来るさ。望めば、キミのデータだって残してやれるよ」

 カイは首を横に振った。

「本当はさ……ウチの兄ちゃんには秘密なんだけど、プルステラへ行くの、止めようと思うんだ」

 僕は驚いて、聞き返した。

「えっ……!? どうして!?」

 プルステラへ行くんだって……アレだけはしゃいでたのに。てっきり、百パーセント行くものだと思っていた。
 彼のお兄さんと、何かあったんだろうか。
 それだけの決断を歪める、何かが。

「……オレ、現世に未練があるんだ。母さんもそのまま残していけないしさ。
 兄ちゃんは、母さんの夢を叶えるために、オレは、母さんを見守るために。……いいだろ? 兄弟で分担するんだ」
「うーん……僕は、一人っ子だから、そういうの解らないけど。……でも、ホント羨ましいな。僕も、キミのように生まれたかったよ」

 兄弟がいるって、どんな感覚なんだろう。
 お母さんとは、きっと違った感覚なんだろうな。
 毎日一緒に遊んだり、はしゃいだりして。
 友達がずっと傍にいる……そんな感覚なのかな。
 それとも、ずっとケンカしっぱなしで、お母さんを困らせたりするんだろうか。……或いは、それも、いいのかもしれない。

「なあに。現実じゃ難しいけどさ、お前ならプルステラで自由に生きられるさ。だから、自信を持てよ!」

 バン、と強く背中を叩かれる。鋼鉄のビンタを喰らったようで、痛い。
 まったく、悩みがあるのはどっちの方だよ。

「……僕は、カイといられないのが本当に辛いんだ。キミが行かないって言うのなら、僕だって残りたいぐらいだよ」

 カイは、声のトーンを落として尋ねた。

「キリルは、現世に残って何かしたいことでもあるのか?」
「……なにも。現世じゃ、あんな身体だし。今やっている仕事だって、元々プルステラのための資金繰りだから、未練もないよ」
「だから、VAHにいるんだろ? 現実の自分を忘れられる、第二の人生として過ごせるVAHに。……でも、ここだって直ぐにサービスが終わる。今度はプルステラに移るんだ。そうなったら、本当に現世にいる意味が無くなっちまう」

 夢の世界は崩壊し、別の場所に移される。
 そのために、僕らも夢を追いかけ、移動しなければならない。

「……そしたら、ここでカイにも会えなくなっちゃうんだな。寂しいよ」
「まあ、キミが行くかどうか決めるのは、最後の直前まで変えられるからさ。……もし、プルステラへ行くんだったら、一つだけ頼みがあるんだ。オレの代わりに、兄ちゃんの助けになってくれないか?」
「僕が? どうして?」
「兄ちゃんは多分、オレがいなくなることで不安に感じるはずだ。行くって最初に決めてたの、オレのほうだったからさ。だから、必ず、プルステラ版のVAHでオレか、それに代わる何かの手がかりを求めて、やって来るはずだ。その時に、オレのアバターを使って、この洋館に来るよう、導いて欲しいんだよ」

 カイの方から頼みを持ちかけるなんて……意外だった。
 だが、断る理由はない。僕は、カイに色々と助けられたのだから。

「それには、今から色々仕込む必要があるな。あと、僕がプルステラへ行くことが前提じゃなきゃだめだ」
「よし、それじゃあ、二段構えにしようぜ。まさかの事態もあるかもしれないわけだし。……確か、サービス再開はハロウィンの前後ぐらいだって聞いたんだ。ちょうどお前がプルステラへ行く頃だよな」
「そうだね」

 その情報は、カイじゃなきゃ知り得ない情報だった。
 彼は……ある特殊なルートでこの情報を知ったのだった。
 公式では、再開する日時は、まだ明確にされていない。

「その時にログイン出来たら、兄ちゃんのIDには、まず謎掛けでメールを送り、オレのアバターの位置を報せるんだ。万が一ログインしない……つまり、キミがプルステラに来られない場合か、或いは兄ちゃん自身がIDを入れ換えてしまった場合には、何も報せなくていい。……キミを除いて、本当に頼れる人間がいないからね。必要だったら、どこかでオレの噂を自分で調べるだろうさ」

 頼れる人間が自分だけと聞いて、僕は内心、舞い上がった。最も、嬉しい一言だった。

「なるほど。カイのアバターには、明らかにキミと判るメッセージと、この場所への案内を持たせといて……僕はここで構えていればいいんだね」
「うん。兄ちゃんのことだ。きっと、洋館へは、どうにかして来れると思う。人を使ってでもね。そもそも、時間なんて幾らでもかかっていいんだからさ」

 そうまで言われると、カイのお兄さんとやらがどんな人物か、ますます興味が湧いてくる。

「それで思い出したけど……、僕の方でも、ここを知っている知人は何人かいるんだ。いちいち対応するのが面倒だから、一応、僕と同じような思考パターンのNPCを、留守中の間だけ切り換えられるよう、設定しておこう。内密に話すなら、ここよりか東ロシアサーバーに来るように伝えなきゃね。……となると、尚更、僕がアニマリーヴしなくちゃならなくなるなぁ」

 カイは……表情こそ伺えないが、きっと悲しそうな顔をしたに違いない。
 彼は、微かに俯き、僕の肩にぽん、と手を置いた。

「……キリル。本当に、ごめんな。一緒に行けなくて」
「いや、いいよ。やることが出来たし、それだけで、生きる気力も湧いたんだ。むしろ、キミのお陰さ。ありがとう。
 いつか、現世と繋げられるように、僕が抜け道を探し出すよ。出来ないはずはないんだ。行くことが本当に可能ならね」
「そっか……。そう言って貰えて安心した。頼んだぜ、キリル」
「うん」

 僕らは拳と拳を打ち付けた。
 間もなく出会えなくなる、唯一無二の親友。
 彼の想いは、僕が引き継がなければならない。

 カイのお兄さんのためだけじゃない。僕自身のためでもある。
 僕がプルステラで生きる理由とは、誰かの導き手になるということなんだ。

 ――お母さん。ようやく判ったよ。

 仮想世界プルステラは、現実ではない。見方によれば、アニマリーヴとは、現実逃避とも言える。
 でも、これから現実となる世界でもある。結局、現実を見て生きていかなくてはならない。

 僕はずっと、VAHのような永遠の仮想世界に夢を見ていたのだ。
 プルステラで成すべき役目が出来た以上、現実へ還るべきだ。

 プルステラで、今度こそ、人の役に立とう。
 それこそが、現実で生きる、ということなんだ――。


 ◆


 ――そして、二二〇三年の十月三十日。
 僕は、ボロボロの肉体を捨て、ついに、仮想世界プルステラへと旅立った――。
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