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Section6:北方への旅路
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西暦二二〇三年十一月十四日
仮想世界〈プルステラ〉日本サーバー 郊外
一日、また一日と過ぎる毎に、秋は終わりへ向かって葉を落としていく。
落ち葉の数に比例し、朝夕は初冬の寒さが身に沁みるようになった。
旅先の進路は、エリカの意見を元にお兄ちゃんが最終決定を下している。無知なわたしは、それに従うしかない。
お兄ちゃんは、なるべく平坦で、多少遠回りになってでも蒸気甲冑車で走れる道を選んだ。
二人の豊富な知識と経験のお陰で、わたしは何の苦労もなく旅を続けられている。不便だと思うようなことは無い。
わたしは今、とても幸せだ。素晴らしい家族に恵まれている。まずは、その事に感謝しなければならない。
いつも傍にいてくれるお兄ちゃん。……確かに過剰にべったりしすぎなこともあったけど、今ではそれがありがたくも感じられる。
彼がいなければ、わたしはヒマリとして生きることに自身を見出せなかっただろう。一人だったわたしに、家族という一筋の光明を与えてくれたのが、ミカゲ タイキという存在だった。
一方、エリカとは、こうして一緒に暮らしてみると、面倒見のいいお姉さんという印象が強い。
自分が経験したことは、出し惜しみせずにわたし達に提供してくれる。そんな、裏表のない性格なのだ。
二人とも、ユヅキであるわたしと、血の繋がりがあったわけではない。
本当の家族で肉親だったら、近すぎて窮屈に思えただろう。友達なら、逆に遠慮がちになったに違いない。
付かず、離れず。
それが、家族であり、友達でもある、わたし達の関係なのだ。
◆
長い甲冑車での旅で話題が尽きてしまうと、エリカは自分の家の事情について自ら語ってくれた。
頼んだわけでもなく、エリカがただ、そうしたかったのだ。
「……私にはね、兄がいたの。タイキみたいに頼れるお兄ちゃんが」
わたしは、どういうわけかエリカが一人っ子だとばかり思っていたので、意外だと思った。
「ウチは貧しくてね。アニマリーヴにかけられるお金もそんなに無くて。五年……いや、もう六年になるかしら。兄は、私が十四歳の時にこっそり家を出て、どこか、出稼ぎに行ったの。毎月、幾らかお金は届いたけど、宛て先は不明。郵便局に問い合わせても秘密にしているらしく、連絡は付かなかった。一体、何処にいるのか、それきり一度も帰って来なかったわ」
「寂しかった?」
顔色を伺うように尋ねると、エリカは小さく微笑み、それから籠の暗い天井を見上げた。
「……そうね。当時は寂しくないって思ってたけど。……でも、意地張ってただけなのよ。アニマリーヴのせいで家族がバラバラになって……両親だけじゃない、親戚や友達も、みんなアニマリーヴだ、新世界だって……。私には、それが許せなかった。生まれた世界を大切にしないで、何処とも解らない世界へ旅立つ。失敗すれば死ぬかもしれないのよ? なのに、みんな喜んでそれに乗ろうとしている。……まるで宗教だった」
宗教、と吐き捨てるように言ったエリカは、げんなりとした表情を見せる。
「だから、私と、同じ考えを持っている何人かの学生とで、一緒にデモ活動を行ったの。家族や友人を引き離したアニマリーヴに反対するためにね。……でも、周りはそうは思っていなかった。アニマリーヴに賛同する人からすれば、私達の方がカルト染みていたのよ」
「……おかしな話だね。計画に乗っちゃったわたしが言うことじゃないけど」
「いやいや」エリカは慌てて否定した。「それが普通なのよ。みんなが頷けば、それが世の中の普通でもあるの」
ふと、甲冑を走らせているお兄ちゃんへ視線を移すと、どこか浮かない顔をしていた。
エリカの話を聞いて、お兄ちゃんなりに亡くなった最初のヒマリのことでも思い出しているのだろうか。
エリカは、そのまま話を続けた。
「この辺りは前に話したかもしれないけど……そんな活動を続けていたもんだから、直ぐに軍に捕まっちゃったわ。でも、アニマ・ポートの管理をしている軍人さんから、身分証を渡された。行けなくなった人の分があるから、そういう人の無念を代わりに晴らせって。……騙されたって思ったけど、その時はもう、色々疲れてたのもあったし、もういいやって思ったわ。このまま生き続けても、ゾーイと一緒に充分な人生を送れないまま死んでいくだけだもの。
……結局、私は寂しかったのよ。兄を失い、家族はアニマリーヴに乗っかって……、友人達も、みんないなくなった。最終的に、地球上に私とゾーイだけが残っていたら、きっと孤独で頭がどうにかしそうだったから…………とうとう、決断した」
それは、エリカだけの気持ちじゃない。
きっと、アニマリーヴをした人間は誰もがそう思ったのだ。
孤独になるぐらいなら、死を覚悟で新世界へ旅立つ。孤独は死よりも怖いものだ……と。
わたしだって同じだ。アニマリーヴに失敗するより、現世で確実に死を迎える方が怖い。
それに、母さんとの約束がある。これだけは、カイや父さんに譲りたくなかった。
何人もの人が、アニマリーヴ・プロジェクトをきっかけに揉め事を起こし、実際にアニマリーヴをするより早く家庭が崩壊していったのを、この目で見てきたからだ。
例えば、近所のおしどり夫婦だった二人はこんな感じだった。
――あなた! プルステラへ行くって言ってるけど、そんなつもりなんて初めっからないんじゃないの!?
――お前こそ、いざって時にボタンを押さないつもりだろう!? いなくなった隙に俺の財産を横取りしようって魂胆だな!?
……当時小学生だったわたしは、そんなアニマリーヴ・プロジェクトの被害者達を憐れんだ。
そして、いくら仲が良くとも、欲のためには、いざという時に家族を裏切ることさえある、ということも知った。
以来、家族の絆や、関係そのものが不安になり、家族への信頼と信用を、徐々に失くしていった。
母さんが死んでからは、本当に冷たい関係になってしまっていた。きっとそれが、カイにはつまらなく見えていたのかもしれない。
だから、わたしは、逆に計画に乗っかって、母さんの夢を意地でも叶えてやる、という気になったのだが、エリカの方はきっと、流されることそのものが嫌だったのだろう。
アニマリーヴ計画のために平穏な日々をかき乱され、家族や友人、大切なお兄さんまでもを失ってしまった。
そんな流れに、反発したかったのだ。
「……お兄ちゃん、どうしてるかな」
溜め息混じりに呟くエリカに、わたしはどうにかして元気付けてあげたいと思った。
肉親を思う気持ちは、わたしだって一緒なのだ。
「案外、こっちに来ているんじゃない?」
「うん、その可能性は考えたわ。……でも、まだ現世にいる。そんな気がしてならないの」
「直感?」
「そう、直感。もしかしたら、アニマポートかどこかで、ほんの少しでもすれ違ってたりなんかしてね」
エリカは何を期待しているのか。
お兄さんに、現世に留まって欲しい、などと考えているのだろうか。
それとも、生きていて欲しいという意味で、そんなことを言ったのだろうか。
訊いてみようか、とも思ったけど、さすがに気が引けた。
きっと、エリカ自身、無駄なことだと判った上で話しているのだ。
話すことで、気を紛らわせることだってある。そんな話には、何も訊かず、ただ聞いているだけでいい。
「……何か建物が見えるな」
話が一旦途切れた頃に、お兄ちゃんが前方を見据えて言った。
直ぐに確認したエリカが「ああ」と声を上げた。
「アレがフラグピラーよ。あそこからセントラル・ペンシルへ移動できるの」
◆
赤い円筒形をしたフラグピラーの内部は、以前、エリカが写真を送ってくれた通りの美しい光景だった。
赤いモミジの葉のエフェクトが天井のどこからか雪のように降り続けており、四角く取り囲んだ休憩用のベンチの後ろからは獅子威しの音も聞こえる。
日本らしいと言えばらしいが、こんな象徴が実際に見られたのは、一体何年前の日本だっただろう。
アカネちゃんの集落もそうだ。本物の日本を失ってから、それらしいものを造っても、何の意味もなさないはずなのに。
……でも、わたしは思うのだ。日本人の心だけは、絶対に失ってはいけないのだと。
このエフェクトも、獅子威しも、日本人の心を失う勿れ、という戒めに違いない。少なくともわたしは、そう思い続けたい。
日本の古き文化も、自然も、母さんが愛したものだから。
「えっと……そこのゲートね。アレを潜ったらセントラル・ペンシルへ行けるわ」
エリカが指差す赤いゲート。わざわざ鳥居を模した形をしており、その先が油膜のように絶えず虹色に歪んでいる。
プルステラへ来た時に一度だけ使った、あのゲートと同じ転送システムなのだろう。
経験済みのエリカがまず先行し、その次にわたし、最後にお兄ちゃんの順で潜っていく。
ゲートを潜った瞬間、身体が軽くなって浮かび上がる感覚と共に、景色が白み、見えない力がわたしの意識をあっと言う間に何処かへと運んでいった。
驚く間も無く、ものの数秒で景色が元通りになると、わたし達は全く違う場所に立っていた。
視界だけじゃない。雑踏の音や、匂いも、明らかにさっきと違っている。
そこは、広くて乳白色の、清潔感のあるロビーだ。
形状は概ね二等辺三角形で、出口は広い一辺、奥へ行くほど狭まっているが、それでも、通常の空港のロビーに匹敵する広さではないだろうか。
外側の壁沿いには様々なショップが並んでいる。ここだけ妙に近代的だなと思いきや、手作りの衣料品店に靴修理屋、革工房、雑貨屋、食品店といった、集落にもありそうな販売店ばかりだった。
やはり、欲しいものは自分で造る。そういう精神はここでも健在なのか。
中央の尖った角の部分には、扇状に膨らんだつるつるした壁と頑丈そうな扉があり、その前にNPCと思われる係員が待機している。
その手前には、手続きを行うらしいカウンターのような細長いブロックが、何列か放射状に広がるように並んでおり、扉方面へ近付くほどブロック同士の間隔が狭まっている。
「あれはなに?」
「そこで最初に、東ロシア行きの手続きをするの。タッチパネルの端末で行き先を選択して、手をかざすだけで大丈夫よ」
そんなエリカからの説明を受けながら、端末の前の行列に並び、順番を待つ。
真横に来てみると、長方形に伸びるブロックは、実は横向きに並べられた端末であることが判った。
一つずつ仕切りで分けられた端末の群れは、さながら銀行のATMコーナーのようでもある。
端末が多いお陰で、ほどなく順番が巡ってきた。
エリカの指示通り、行き先である「東ロシア」のボタンをタップし、掌マークに自分の掌を重ねる。
ピコン、と軽い音がしたと思うと、たったそれだけで手続きが完了してしまった。
受領の印として、手首には実体の無い、白い光の腕輪が嵌められている。行き先のサーバーに着くまで、この腕輪が通行証替わりになるらしい。
わたし達は、端末から少し離れた休憩用のソファーに集まった。
お兄ちゃんはその場に荷物を下ろし、ゴソゴソと何かを引っ張り出そうとする。
「エリカ、ヒマリ。ロシアは寒いだろうから、今のうちに防寒着を出しておこう」
「あ、そうだね」
インベントリを開くためにDIPを操作すると、何やら着信があることに今頃気づいた。
デリバリンクだ。何かが届いていたらしい。
「もしかして、これって……」
期待に胸を膨らませながら開けてみると、予想通り、ミカルちゃんからのお届けものだった。
今日、ロシアサーバーへ移ることを予想していたのか、たまたま偶然なのか。
どちらにせよ、ミカルちゃんはこの最高のタイミングで冬着を送ってくれたのだった。
「耳当てと手袋まで付いてる……。あ、こっちはお兄ちゃんとエリカの分だ」
「え、何だって!?」
荷物をいじっていたお兄ちゃんの手が止まる。
届け物には、ご丁寧に、添え状も一緒に入れてあった。
「えーと、『サイズが解らないので、当てずっぽうですが、フリーサイズのコートを用意しました。お気に召すよう祈っています。寒い所らしいので、気を付けて下さい』……だって」
「……小学生なのに良く出来た子だなあ。今度、何か土産を送らないと」
そうね、とエリカも感心しながら自分の分のコートを確認している。まるで、宝物に出会ったような目でうっとりとしながら。
「あぁ、いい手触りだわ。それに、わたしの赤毛に合わせて白と赤で色を合わせてあるのよ、これ」
友達が褒められると、まるで自分の事のように嬉しい。
今まで、家族の中でミカルちゃんの作品の良さを体感したのは自分しかいなかった。こうして、ミカルちゃんのファンが増えると、喜びを感じずにはいられないのだ。
すかさず、ありがとうのメールを打ち込みながら、一方ではミカルちゃんの事を二人に自慢する。
「ミカルちゃんってそういう子なんだー。いつもは天然っぽい感じでのほほーんってしてるけど、いざって時は人の事を気にかけてくれる。……わたしにとって、最高の友達だよ」
「そうね。これだけ想ってくれているから……別れた時のヒマリの気持ちが、少しだけ判った気がするわ」
改めてそう言われると、何だかくすぐったい気もするけど。
とにかく、簡単ではあるが、感謝のメールを送信した。夜頃にはまた、ちゃんとしたメールを送ることにしよう。
「よし、そろそろ準備はいいか?」
すっかり防寒着に身を包んだお兄ちゃんが言った。
わたしもエリカも、上から羽織るだけなので、既に着替えを終えている。
「大丈夫のようだな。……それで、エリカ、何処へ行けばいいんだ?」
エリカは丸い壁のある場所を指差した。
「そこの丸い壁の先が、ペンシルリードって呼ばれているところよ。各サーバーへ移動するためのフロアなの」
「同じサーバーなのに、わざわざ中央を通る必要があるのか?」
「ええ。何処へ行くにしても、あの場所は必ず通らなくちゃならないわ。ペンシルリードの出口、つまりゲートを潜ると、そのままフラグピラーへ転送されるからよ。私がイギリスから日本に来たように、他のサーバーへ行く時は、ペンシルリードの前にステップルームのある通路へと接続されるの」
なるほど、扉の向こうが必ずしも見た目通り、と言うわけではないのか。
つまり、あの扉を潜ると、違うサーバーならステップルームへ、同じサーバーならそのままペンシルリードへ繋がっているというわけか。
「そうそう、ステップルームのことで、ちょっと思い出したことがあるんだけど……今、少しだけ話していいかしら?」
エリカが深刻そうな顔をして告げたので、お兄ちゃんに、聞いていいかと目配せした。
お兄ちゃんは小さく頷いた。
「そこまで、急ってわけでもないしな」
「ありがとう。……実はね、ステップルームにはテレビが置かれていたの。点けてみたらニュースをやっていたわ」
ニュース? テレビ番組ということは……放送局がプルステラにあるってことなのか?
……いや、そういうわけじゃなさそうだ。テレビなんてものは、今までにプルステラで見たことがない。
そんな状況で放送しても何の意味も成さないだろう。
「それって……現世の映像ってこと?」
「ええ。もしかしたら動画かなって思ったんだけど、そうでもないみたい。……映像にね、カボチャが置いてあったのよ。ジャック・オー・ランタンが」
エリカが日本へやって来たのはハロウィンの前だ。ジャック・オー・ランタンを飾ることぐらい、珍しくないんじゃないのか。
「映像はイギリスのアニマ・ポートで、わたしも行った事がある場所なの。登山体験が出来るアトラクション施設があって、その脇には弁当屋さんがあったわ」
「……えっと、エリカ。話が見えてこないんだけど」
わたしの抗議に、エリカは構わず、尚も話し続けた。
「弁当屋のメニューには、一年分の限定商品の献立表が写真付きで載っていた。これから出すものを見て、アニマリーヴの前の、最後の記念にふさわしいものを選べるようにね。……そこに載っていた今年の十月のメニューは、ジャック・オー・ランタンを模したプラスチック製の容器に入ったバタールサンドだったの。その容器と同じものが、映像の隅に映っていたわ」
お兄ちゃんは眉に皺を寄せたまま何度かぱちくりと瞬きをした。
「……すまん、俺にはよく解らないんだが……それが、一体どうしたって言うんだ?」
エリカは結論を言うことを躊躇っているようだ。
うーん、と困った顔で頭を掻き、言い辛そうに、ゆっくりと話しだした。
「その……生中継が出来るのよ、現世と。……端的に言えば、何らかの手段で現世とプルステラは、映像で繋げることが出来る……ってこと」
結論を聞いたわたしとお兄ちゃんは唖然とした。一瞬、息を止めさえもした。
完全隔離されたはずのプルステラから、現世の様子が解る――もしかしてそれって、とても重要なことじゃないのか。
言い換えると、それは……。
『…………現世と、連絡が取れるって言うの?』
あまり大声で言わない方がいい、と判断して、わたしはチームチャットで二人にだけ聞こえるよう話した。
エリカは小さく、ゆっくりと頭を傾けて頷いた。
「恐らくは、だけどね」
……何となしに、天井を仰いだ。動揺したから、というのもある。
高い天井ではあるが、別段不思議な点はない。
ただ、上の階層が気になった。
ここは、仮想世界の中心地だ。世界中の人々が集結する、五つのサーバーで成り立つ巨大な塔だ。
だったら、上の階層には、この仮想世界を創った責任者でもいるんじゃないだろうか。
彼らは、一体何故、ステップルームにわざわざ秘密を暴露するような真似を施したのか。
わざと何かに気付かせようとしているのか……そんな意図を感じずにはいられない。
「……行こう、ヒマリ、エリカ。その話題は、キリルへの土産に取っておくべきだ」
お兄ちゃんは荷を背負い、歩き始めた。
確かに、わたし達だけではいくら話し合ったところで結論が出るわけでもない。
エリカが見たというカボチャも、たまたま同じ容器を使った、というだけかもしれない。
それを気のせい、で済ませるのも軽率ではあるが、こういう話は専門家に訊くべきだ。
◆
「わ、何コレ……!?」
さっきの部屋の何倍も大きなフロア――ペンシルリードに足を踏み入れた途端、エリカやお兄ちゃん……わたしの身体の色までもが、くすんだ色に変貌していた。
周囲を歩く人も同じだ。みんな、気にせずに何処かへ向かって歩いている。
背後を振り返ると、このフロアの中央、則ち、セントラル・ペンシルの芯となる壁といくつかの扉があり、ここが先程の丸い壁に相当する部分になっている。三角形が五つ集まって五角形、ということか。
「色が抜けたように見えるのは、転送中の負荷を軽減するため、らしいわ」色褪せた姿のエリカが説明した。「今回は同じサーバーの東ロシアヘ行くから、この通路を出れば直ぐに着けるはずよ」
足元には、行き先を示す矢印が浮かび上がっている。端末で入力した情報が、こんな所に反映されるわけだ。
「ここを通る人達は、同じセントラル・ペンシルの他のフロアにいる人達なのかな?」
「ええ。唯一、ここだけが共通のサーバーで接続されているわ」
しかし、身体がこんな色だと、何だか落ち着かないな……。
誰かに身体の隅々まで覗かれているような気分になる。こんな所、さっさと出て行きたい。
矢印の先を目で辿ると、奥の壁には「EAST RUSSIA」と書かれたゲートがあった。
「ここを抜けると、東ロシアなんだね」
さっさと潜ってしまいたいが、今更ながら、自分のいた国から遠ざかるというのは不安でもある。
……まぁ、そもそもプルステラ自体、現世に比べれば外国にいるようなものなのだが、わたしにとっての日本サーバーは、既に故郷のような安心感を抱いていた。
「ここからは私も初めての領域よ」
エリカは緊張の面持ちで告げ、胸に両手を当てて呼吸を整えた。
一方、お兄ちゃんは一見すると落ち着いているが、やはり緊張しているのか、表情が堅くなっている。
「……準備はいい? 行くよ?」
尋ねると、二人はぎこちなく首を縦に振り、歩みを進めた。
さっきと同様にエリカが先頭を切ってゲートを潜り、わたしが入り、そして、お兄ちゃんが潜るのを確認するか否かというところで、景色が白み――。
視界が開けると、そこは既に、東ロシアのフラグピラーだった。
仮想世界〈プルステラ〉日本サーバー 郊外
一日、また一日と過ぎる毎に、秋は終わりへ向かって葉を落としていく。
落ち葉の数に比例し、朝夕は初冬の寒さが身に沁みるようになった。
旅先の進路は、エリカの意見を元にお兄ちゃんが最終決定を下している。無知なわたしは、それに従うしかない。
お兄ちゃんは、なるべく平坦で、多少遠回りになってでも蒸気甲冑車で走れる道を選んだ。
二人の豊富な知識と経験のお陰で、わたしは何の苦労もなく旅を続けられている。不便だと思うようなことは無い。
わたしは今、とても幸せだ。素晴らしい家族に恵まれている。まずは、その事に感謝しなければならない。
いつも傍にいてくれるお兄ちゃん。……確かに過剰にべったりしすぎなこともあったけど、今ではそれがありがたくも感じられる。
彼がいなければ、わたしはヒマリとして生きることに自身を見出せなかっただろう。一人だったわたしに、家族という一筋の光明を与えてくれたのが、ミカゲ タイキという存在だった。
一方、エリカとは、こうして一緒に暮らしてみると、面倒見のいいお姉さんという印象が強い。
自分が経験したことは、出し惜しみせずにわたし達に提供してくれる。そんな、裏表のない性格なのだ。
二人とも、ユヅキであるわたしと、血の繋がりがあったわけではない。
本当の家族で肉親だったら、近すぎて窮屈に思えただろう。友達なら、逆に遠慮がちになったに違いない。
付かず、離れず。
それが、家族であり、友達でもある、わたし達の関係なのだ。
◆
長い甲冑車での旅で話題が尽きてしまうと、エリカは自分の家の事情について自ら語ってくれた。
頼んだわけでもなく、エリカがただ、そうしたかったのだ。
「……私にはね、兄がいたの。タイキみたいに頼れるお兄ちゃんが」
わたしは、どういうわけかエリカが一人っ子だとばかり思っていたので、意外だと思った。
「ウチは貧しくてね。アニマリーヴにかけられるお金もそんなに無くて。五年……いや、もう六年になるかしら。兄は、私が十四歳の時にこっそり家を出て、どこか、出稼ぎに行ったの。毎月、幾らかお金は届いたけど、宛て先は不明。郵便局に問い合わせても秘密にしているらしく、連絡は付かなかった。一体、何処にいるのか、それきり一度も帰って来なかったわ」
「寂しかった?」
顔色を伺うように尋ねると、エリカは小さく微笑み、それから籠の暗い天井を見上げた。
「……そうね。当時は寂しくないって思ってたけど。……でも、意地張ってただけなのよ。アニマリーヴのせいで家族がバラバラになって……両親だけじゃない、親戚や友達も、みんなアニマリーヴだ、新世界だって……。私には、それが許せなかった。生まれた世界を大切にしないで、何処とも解らない世界へ旅立つ。失敗すれば死ぬかもしれないのよ? なのに、みんな喜んでそれに乗ろうとしている。……まるで宗教だった」
宗教、と吐き捨てるように言ったエリカは、げんなりとした表情を見せる。
「だから、私と、同じ考えを持っている何人かの学生とで、一緒にデモ活動を行ったの。家族や友人を引き離したアニマリーヴに反対するためにね。……でも、周りはそうは思っていなかった。アニマリーヴに賛同する人からすれば、私達の方がカルト染みていたのよ」
「……おかしな話だね。計画に乗っちゃったわたしが言うことじゃないけど」
「いやいや」エリカは慌てて否定した。「それが普通なのよ。みんなが頷けば、それが世の中の普通でもあるの」
ふと、甲冑を走らせているお兄ちゃんへ視線を移すと、どこか浮かない顔をしていた。
エリカの話を聞いて、お兄ちゃんなりに亡くなった最初のヒマリのことでも思い出しているのだろうか。
エリカは、そのまま話を続けた。
「この辺りは前に話したかもしれないけど……そんな活動を続けていたもんだから、直ぐに軍に捕まっちゃったわ。でも、アニマ・ポートの管理をしている軍人さんから、身分証を渡された。行けなくなった人の分があるから、そういう人の無念を代わりに晴らせって。……騙されたって思ったけど、その時はもう、色々疲れてたのもあったし、もういいやって思ったわ。このまま生き続けても、ゾーイと一緒に充分な人生を送れないまま死んでいくだけだもの。
……結局、私は寂しかったのよ。兄を失い、家族はアニマリーヴに乗っかって……、友人達も、みんないなくなった。最終的に、地球上に私とゾーイだけが残っていたら、きっと孤独で頭がどうにかしそうだったから…………とうとう、決断した」
それは、エリカだけの気持ちじゃない。
きっと、アニマリーヴをした人間は誰もがそう思ったのだ。
孤独になるぐらいなら、死を覚悟で新世界へ旅立つ。孤独は死よりも怖いものだ……と。
わたしだって同じだ。アニマリーヴに失敗するより、現世で確実に死を迎える方が怖い。
それに、母さんとの約束がある。これだけは、カイや父さんに譲りたくなかった。
何人もの人が、アニマリーヴ・プロジェクトをきっかけに揉め事を起こし、実際にアニマリーヴをするより早く家庭が崩壊していったのを、この目で見てきたからだ。
例えば、近所のおしどり夫婦だった二人はこんな感じだった。
――あなた! プルステラへ行くって言ってるけど、そんなつもりなんて初めっからないんじゃないの!?
――お前こそ、いざって時にボタンを押さないつもりだろう!? いなくなった隙に俺の財産を横取りしようって魂胆だな!?
……当時小学生だったわたしは、そんなアニマリーヴ・プロジェクトの被害者達を憐れんだ。
そして、いくら仲が良くとも、欲のためには、いざという時に家族を裏切ることさえある、ということも知った。
以来、家族の絆や、関係そのものが不安になり、家族への信頼と信用を、徐々に失くしていった。
母さんが死んでからは、本当に冷たい関係になってしまっていた。きっとそれが、カイにはつまらなく見えていたのかもしれない。
だから、わたしは、逆に計画に乗っかって、母さんの夢を意地でも叶えてやる、という気になったのだが、エリカの方はきっと、流されることそのものが嫌だったのだろう。
アニマリーヴ計画のために平穏な日々をかき乱され、家族や友人、大切なお兄さんまでもを失ってしまった。
そんな流れに、反発したかったのだ。
「……お兄ちゃん、どうしてるかな」
溜め息混じりに呟くエリカに、わたしはどうにかして元気付けてあげたいと思った。
肉親を思う気持ちは、わたしだって一緒なのだ。
「案外、こっちに来ているんじゃない?」
「うん、その可能性は考えたわ。……でも、まだ現世にいる。そんな気がしてならないの」
「直感?」
「そう、直感。もしかしたら、アニマポートかどこかで、ほんの少しでもすれ違ってたりなんかしてね」
エリカは何を期待しているのか。
お兄さんに、現世に留まって欲しい、などと考えているのだろうか。
それとも、生きていて欲しいという意味で、そんなことを言ったのだろうか。
訊いてみようか、とも思ったけど、さすがに気が引けた。
きっと、エリカ自身、無駄なことだと判った上で話しているのだ。
話すことで、気を紛らわせることだってある。そんな話には、何も訊かず、ただ聞いているだけでいい。
「……何か建物が見えるな」
話が一旦途切れた頃に、お兄ちゃんが前方を見据えて言った。
直ぐに確認したエリカが「ああ」と声を上げた。
「アレがフラグピラーよ。あそこからセントラル・ペンシルへ移動できるの」
◆
赤い円筒形をしたフラグピラーの内部は、以前、エリカが写真を送ってくれた通りの美しい光景だった。
赤いモミジの葉のエフェクトが天井のどこからか雪のように降り続けており、四角く取り囲んだ休憩用のベンチの後ろからは獅子威しの音も聞こえる。
日本らしいと言えばらしいが、こんな象徴が実際に見られたのは、一体何年前の日本だっただろう。
アカネちゃんの集落もそうだ。本物の日本を失ってから、それらしいものを造っても、何の意味もなさないはずなのに。
……でも、わたしは思うのだ。日本人の心だけは、絶対に失ってはいけないのだと。
このエフェクトも、獅子威しも、日本人の心を失う勿れ、という戒めに違いない。少なくともわたしは、そう思い続けたい。
日本の古き文化も、自然も、母さんが愛したものだから。
「えっと……そこのゲートね。アレを潜ったらセントラル・ペンシルへ行けるわ」
エリカが指差す赤いゲート。わざわざ鳥居を模した形をしており、その先が油膜のように絶えず虹色に歪んでいる。
プルステラへ来た時に一度だけ使った、あのゲートと同じ転送システムなのだろう。
経験済みのエリカがまず先行し、その次にわたし、最後にお兄ちゃんの順で潜っていく。
ゲートを潜った瞬間、身体が軽くなって浮かび上がる感覚と共に、景色が白み、見えない力がわたしの意識をあっと言う間に何処かへと運んでいった。
驚く間も無く、ものの数秒で景色が元通りになると、わたし達は全く違う場所に立っていた。
視界だけじゃない。雑踏の音や、匂いも、明らかにさっきと違っている。
そこは、広くて乳白色の、清潔感のあるロビーだ。
形状は概ね二等辺三角形で、出口は広い一辺、奥へ行くほど狭まっているが、それでも、通常の空港のロビーに匹敵する広さではないだろうか。
外側の壁沿いには様々なショップが並んでいる。ここだけ妙に近代的だなと思いきや、手作りの衣料品店に靴修理屋、革工房、雑貨屋、食品店といった、集落にもありそうな販売店ばかりだった。
やはり、欲しいものは自分で造る。そういう精神はここでも健在なのか。
中央の尖った角の部分には、扇状に膨らんだつるつるした壁と頑丈そうな扉があり、その前にNPCと思われる係員が待機している。
その手前には、手続きを行うらしいカウンターのような細長いブロックが、何列か放射状に広がるように並んでおり、扉方面へ近付くほどブロック同士の間隔が狭まっている。
「あれはなに?」
「そこで最初に、東ロシア行きの手続きをするの。タッチパネルの端末で行き先を選択して、手をかざすだけで大丈夫よ」
そんなエリカからの説明を受けながら、端末の前の行列に並び、順番を待つ。
真横に来てみると、長方形に伸びるブロックは、実は横向きに並べられた端末であることが判った。
一つずつ仕切りで分けられた端末の群れは、さながら銀行のATMコーナーのようでもある。
端末が多いお陰で、ほどなく順番が巡ってきた。
エリカの指示通り、行き先である「東ロシア」のボタンをタップし、掌マークに自分の掌を重ねる。
ピコン、と軽い音がしたと思うと、たったそれだけで手続きが完了してしまった。
受領の印として、手首には実体の無い、白い光の腕輪が嵌められている。行き先のサーバーに着くまで、この腕輪が通行証替わりになるらしい。
わたし達は、端末から少し離れた休憩用のソファーに集まった。
お兄ちゃんはその場に荷物を下ろし、ゴソゴソと何かを引っ張り出そうとする。
「エリカ、ヒマリ。ロシアは寒いだろうから、今のうちに防寒着を出しておこう」
「あ、そうだね」
インベントリを開くためにDIPを操作すると、何やら着信があることに今頃気づいた。
デリバリンクだ。何かが届いていたらしい。
「もしかして、これって……」
期待に胸を膨らませながら開けてみると、予想通り、ミカルちゃんからのお届けものだった。
今日、ロシアサーバーへ移ることを予想していたのか、たまたま偶然なのか。
どちらにせよ、ミカルちゃんはこの最高のタイミングで冬着を送ってくれたのだった。
「耳当てと手袋まで付いてる……。あ、こっちはお兄ちゃんとエリカの分だ」
「え、何だって!?」
荷物をいじっていたお兄ちゃんの手が止まる。
届け物には、ご丁寧に、添え状も一緒に入れてあった。
「えーと、『サイズが解らないので、当てずっぽうですが、フリーサイズのコートを用意しました。お気に召すよう祈っています。寒い所らしいので、気を付けて下さい』……だって」
「……小学生なのに良く出来た子だなあ。今度、何か土産を送らないと」
そうね、とエリカも感心しながら自分の分のコートを確認している。まるで、宝物に出会ったような目でうっとりとしながら。
「あぁ、いい手触りだわ。それに、わたしの赤毛に合わせて白と赤で色を合わせてあるのよ、これ」
友達が褒められると、まるで自分の事のように嬉しい。
今まで、家族の中でミカルちゃんの作品の良さを体感したのは自分しかいなかった。こうして、ミカルちゃんのファンが増えると、喜びを感じずにはいられないのだ。
すかさず、ありがとうのメールを打ち込みながら、一方ではミカルちゃんの事を二人に自慢する。
「ミカルちゃんってそういう子なんだー。いつもは天然っぽい感じでのほほーんってしてるけど、いざって時は人の事を気にかけてくれる。……わたしにとって、最高の友達だよ」
「そうね。これだけ想ってくれているから……別れた時のヒマリの気持ちが、少しだけ判った気がするわ」
改めてそう言われると、何だかくすぐったい気もするけど。
とにかく、簡単ではあるが、感謝のメールを送信した。夜頃にはまた、ちゃんとしたメールを送ることにしよう。
「よし、そろそろ準備はいいか?」
すっかり防寒着に身を包んだお兄ちゃんが言った。
わたしもエリカも、上から羽織るだけなので、既に着替えを終えている。
「大丈夫のようだな。……それで、エリカ、何処へ行けばいいんだ?」
エリカは丸い壁のある場所を指差した。
「そこの丸い壁の先が、ペンシルリードって呼ばれているところよ。各サーバーへ移動するためのフロアなの」
「同じサーバーなのに、わざわざ中央を通る必要があるのか?」
「ええ。何処へ行くにしても、あの場所は必ず通らなくちゃならないわ。ペンシルリードの出口、つまりゲートを潜ると、そのままフラグピラーへ転送されるからよ。私がイギリスから日本に来たように、他のサーバーへ行く時は、ペンシルリードの前にステップルームのある通路へと接続されるの」
なるほど、扉の向こうが必ずしも見た目通り、と言うわけではないのか。
つまり、あの扉を潜ると、違うサーバーならステップルームへ、同じサーバーならそのままペンシルリードへ繋がっているというわけか。
「そうそう、ステップルームのことで、ちょっと思い出したことがあるんだけど……今、少しだけ話していいかしら?」
エリカが深刻そうな顔をして告げたので、お兄ちゃんに、聞いていいかと目配せした。
お兄ちゃんは小さく頷いた。
「そこまで、急ってわけでもないしな」
「ありがとう。……実はね、ステップルームにはテレビが置かれていたの。点けてみたらニュースをやっていたわ」
ニュース? テレビ番組ということは……放送局がプルステラにあるってことなのか?
……いや、そういうわけじゃなさそうだ。テレビなんてものは、今までにプルステラで見たことがない。
そんな状況で放送しても何の意味も成さないだろう。
「それって……現世の映像ってこと?」
「ええ。もしかしたら動画かなって思ったんだけど、そうでもないみたい。……映像にね、カボチャが置いてあったのよ。ジャック・オー・ランタンが」
エリカが日本へやって来たのはハロウィンの前だ。ジャック・オー・ランタンを飾ることぐらい、珍しくないんじゃないのか。
「映像はイギリスのアニマ・ポートで、わたしも行った事がある場所なの。登山体験が出来るアトラクション施設があって、その脇には弁当屋さんがあったわ」
「……えっと、エリカ。話が見えてこないんだけど」
わたしの抗議に、エリカは構わず、尚も話し続けた。
「弁当屋のメニューには、一年分の限定商品の献立表が写真付きで載っていた。これから出すものを見て、アニマリーヴの前の、最後の記念にふさわしいものを選べるようにね。……そこに載っていた今年の十月のメニューは、ジャック・オー・ランタンを模したプラスチック製の容器に入ったバタールサンドだったの。その容器と同じものが、映像の隅に映っていたわ」
お兄ちゃんは眉に皺を寄せたまま何度かぱちくりと瞬きをした。
「……すまん、俺にはよく解らないんだが……それが、一体どうしたって言うんだ?」
エリカは結論を言うことを躊躇っているようだ。
うーん、と困った顔で頭を掻き、言い辛そうに、ゆっくりと話しだした。
「その……生中継が出来るのよ、現世と。……端的に言えば、何らかの手段で現世とプルステラは、映像で繋げることが出来る……ってこと」
結論を聞いたわたしとお兄ちゃんは唖然とした。一瞬、息を止めさえもした。
完全隔離されたはずのプルステラから、現世の様子が解る――もしかしてそれって、とても重要なことじゃないのか。
言い換えると、それは……。
『…………現世と、連絡が取れるって言うの?』
あまり大声で言わない方がいい、と判断して、わたしはチームチャットで二人にだけ聞こえるよう話した。
エリカは小さく、ゆっくりと頭を傾けて頷いた。
「恐らくは、だけどね」
……何となしに、天井を仰いだ。動揺したから、というのもある。
高い天井ではあるが、別段不思議な点はない。
ただ、上の階層が気になった。
ここは、仮想世界の中心地だ。世界中の人々が集結する、五つのサーバーで成り立つ巨大な塔だ。
だったら、上の階層には、この仮想世界を創った責任者でもいるんじゃないだろうか。
彼らは、一体何故、ステップルームにわざわざ秘密を暴露するような真似を施したのか。
わざと何かに気付かせようとしているのか……そんな意図を感じずにはいられない。
「……行こう、ヒマリ、エリカ。その話題は、キリルへの土産に取っておくべきだ」
お兄ちゃんは荷を背負い、歩き始めた。
確かに、わたし達だけではいくら話し合ったところで結論が出るわけでもない。
エリカが見たというカボチャも、たまたま同じ容器を使った、というだけかもしれない。
それを気のせい、で済ませるのも軽率ではあるが、こういう話は専門家に訊くべきだ。
◆
「わ、何コレ……!?」
さっきの部屋の何倍も大きなフロア――ペンシルリードに足を踏み入れた途端、エリカやお兄ちゃん……わたしの身体の色までもが、くすんだ色に変貌していた。
周囲を歩く人も同じだ。みんな、気にせずに何処かへ向かって歩いている。
背後を振り返ると、このフロアの中央、則ち、セントラル・ペンシルの芯となる壁といくつかの扉があり、ここが先程の丸い壁に相当する部分になっている。三角形が五つ集まって五角形、ということか。
「色が抜けたように見えるのは、転送中の負荷を軽減するため、らしいわ」色褪せた姿のエリカが説明した。「今回は同じサーバーの東ロシアヘ行くから、この通路を出れば直ぐに着けるはずよ」
足元には、行き先を示す矢印が浮かび上がっている。端末で入力した情報が、こんな所に反映されるわけだ。
「ここを通る人達は、同じセントラル・ペンシルの他のフロアにいる人達なのかな?」
「ええ。唯一、ここだけが共通のサーバーで接続されているわ」
しかし、身体がこんな色だと、何だか落ち着かないな……。
誰かに身体の隅々まで覗かれているような気分になる。こんな所、さっさと出て行きたい。
矢印の先を目で辿ると、奥の壁には「EAST RUSSIA」と書かれたゲートがあった。
「ここを抜けると、東ロシアなんだね」
さっさと潜ってしまいたいが、今更ながら、自分のいた国から遠ざかるというのは不安でもある。
……まぁ、そもそもプルステラ自体、現世に比べれば外国にいるようなものなのだが、わたしにとっての日本サーバーは、既に故郷のような安心感を抱いていた。
「ここからは私も初めての領域よ」
エリカは緊張の面持ちで告げ、胸に両手を当てて呼吸を整えた。
一方、お兄ちゃんは一見すると落ち着いているが、やはり緊張しているのか、表情が堅くなっている。
「……準備はいい? 行くよ?」
尋ねると、二人はぎこちなく首を縦に振り、歩みを進めた。
さっきと同様にエリカが先頭を切ってゲートを潜り、わたしが入り、そして、お兄ちゃんが潜るのを確認するか否かというところで、景色が白み――。
視界が開けると、そこは既に、東ロシアのフラグピラーだった。
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