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Section6:北方への旅路

44:パウオレアの森 - 3

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 昨晩、日が沈むと同時に始まったマウ・ラの歓迎の宴は、篝火の炎が尽きるまで続いた。
 ここ最近、ほとんど健全な時間に寝ていたわたしは、今も何度目か判らない欠伸を噛みしめながら、井戸で顔を洗っている。
 眠ったのは僅か三時間だった。体調は万全とは言えない。今すぐにでも寝てしまいたい気分だが、今日はそうもいかないのだ。

「ふあぁ……あ」

 油断していたら自然と口が開いてしまう。
 首筋にそっと水をかけてみたが、あまりの冷たさに「ひゃっ!」と声を上げてしまい、背筋がぶるぶると震えた。

「十一月……だった」

 既に紅葉が進んでいるパウオレアの森は、黄金の銀杏イチョウや、燃えるように赤い楓の葉でびっしりと覆われている。
 眠気で霞む視界とも相まって、目に映るもの全てが黄金や紅に輝いて見える。わたしはしばらく、その幻想的で美しい光景に酔いしれていた。

「おはよう、ヒマリ」
「あ……おはよう、ナル」

 顔を洗いに来たナルと遭遇した。彼は井戸に空の桶を放り込むと、慣れた手つきでロープをたぐり寄せた。
 両手で掬うのかと思いきや、彼は突然桶に頭を突っ込ませ、それで顔を洗ったことにした。見ているこっちが寒くなる。

「モアナはどうしたの?」
「昨日、寝る、遅かった。今頃、こうだ」

 ナルはその場に大の字になり、「がーがー」といびきを立てているモアナの様子を真似て見せた。
 わたしはモアナに悪いと思いつつも耐えきれずに大笑いしてしまった。

「モアナに聞かれたら、怒られちゃうよ?」
「これ、秘密。二人だけ、絶対だ」

 ナルはそっと唇に指を立てて片目を瞑ってきたので、迷った挙げ句、彼の我が儘に一度だけ付き合うことにした。
 わたしが聞いた話のせいで二人が破局したら、寝覚めが悪いのだ。

「ヒマリ」

 お兄ちゃんに声をかけられ、わたしは振り返った。
 ほんの少ししか寝ていないというのに、お兄ちゃんは平気そうに見える。

「お前、留守しとけよ。酷い顔してるぞ」
「ううん、平気。ナルと会話してたら目が覚めたもの」
「……そうかぁ?」

 確かに万全とは言わないが、僅か二歳しか違わない二人がリザードマン狩りに参加するのだ。黙って留守番するわけにはいかない。


 ◆


 朝食を終え、わたし、お兄ちゃん、エリカ、ナル、アドニアさん、そして遅れて起きたモアナを加え、リザードマン討伐へと赴いた。
 こんな少数で大量にいるリザードマンを退治出来るのか、という疑問に対し、アドニアさんは、何も虐殺をするのではない、と答えた。

「蜥蜴、森の生き物。我ら、変わらない。線引く、大事」

 マウ・ラもリザードマンも、同じパウオレアの森に住まう民だと言う。
 追い出すのでもなく、全滅させるわけでもなく、彼らと境界線を引き、互いに干渉し合わないようにする。そのために止むなく狩りを行うことを、マウ・ラでは「討伐」と呼んでいるのだそうだ。

 ちなみに、一度狩りを体験したモアナは、本来なら来なくても良かったのだが、ナルが行くのなら、と弓を片手についてきてしまった。
 ナルは断るに断れず、アドニアさんも二人の問題だと言って判断をナルに任せてしまった。
 結局、モアナの面倒は、お兄ちゃんから戦力外通告を受けたわたしが引き受けた。わたしが傍にいれば、彼女も無理はしないだろう、と考えたのだ。

「ヒマリ、安心するのです。アタシ、守る、絶対なのです」

 ――本人は、まるで反対のことを考えているようだが。

 北に三、四キロ程進むと、表面は反射しているが、明らかにドロドロと見て取れる沼地が目の前に広がっていた。迂回する道はなく、この先へ行くにはどうにかして渡っていくしかない。
 沼にはいくらかマングローブのような植物が生えており、長くて太い枝を横に張り巡らせている。人が乗っても折れそうにないので、枝を橋替わりに伝って行けば、この先へ行く事も不可能ではなさそうだ。

 まずはナルが先導した。彼は猿のような軽い身のこなしであっと言う間に先の枝へと次々飛び移っていき、渡るべきルートを先に切り拓いてくれた。
 そして、お兄ちゃん、エリカ、わたし、モアナ、と続き、最後にしんがりをアドニアさんが引き受けた。

「しっ」

 沼の中央まで来たところで、ナルが静かにするよう促した。彼が指差した方に細く立ち上る煙が見えたのだ。

「あれ、棲家、蜥蜴の」

 アドニアさんが後ろからそっと囁き、報せた。

 ナルが先に枝から岸へ飛び下りようとした、その時。
 後方でパキッと枝の折れる音がし、わたし達はギクリとして一斉に振り返った。

「うああっ!?」
「アドニアさん!」

 枝が折れた!?
 ……と思う間もなく、背後の目の前には斧を持った赤色のリザードマンが現れていた。
 その一瞬の驚愕の隙に、アドニアさんは沼に落ち、一方で傍にいたモアナは、リザードマンの斧の柄で羽交い締めにされてしまった。

「武器ヲ捨テロ!」

 アドニアさんの事を気にする隙も与えず、リザードマンの口から流暢な言葉が聞こえた。
 エリカやお兄ちゃんを振り返ると、二人にも言葉が理解できたようで呆気に取られているのが伺えた。
 ナルは、モアナを取られた怒りで今にも飛び掛かりそうだが、いずれにしても手が出せずにいるようだ。

「オ前タチ、我々ノ言葉ガ通ジルハズダ。武器ヲ捨テルヨウニ言エ!」

 それはわたしに向けられて命じられた。首を締められて身動きが出来ないモアナは小さく震え、怯えながらナルの方を見つめている。
 ちらりと目を動かして確認したアドニアさんは、一応無事のようだ。沼に足を取られて動けずにいるが、あの状態でリザードマンから手を出されることはないだろう。……彼には悪いが、自力で這い上がって貰うしかない。

 わたしはもう一度ナルの方を振り返った。

「ナル、武器を捨てて」
「……判る……のか!?」

 言葉が通じたことに驚いたナルは、訝しげな目を向けてきた。どうやら、ナルの方には自動翻訳機能がないらしい。
 どの道、そうするしかないと判断したナルは、大人しく弓と矢筒を投げ捨てた。沼に落ちた武器はゆっくりと沈み、やがて見えなくなった。

「先へ行ケ。ソウ伝エロ!」

 わたしはナルにその言葉を告げた。ナルは一層疑いを持った目でわたしを見ると、モアナを気にしながらも岸へ飛び下りた。
 お兄ちゃんとエリカ、そしてわたしも下りると、リザードマンはモアナを抱えたまま大きくジャンプし、目の前にまで飛び下りてきた。
 どうやら、リザードマンはわたし達よりも更に上にある枝に潜んでいて、その鋭い斧でアドニアさんの足下の枝を伐りながら着地したらしい。枝が折れる僅かな間に飛び移り、偶然にも直ぐ傍にいたモアナはあっさりと捉えられてしまったというわけだ。

 モアナを連れたリザードマンはわたし達に斧を向けながらゆっくりとにじり寄ってくる。
 リザードマンは強い口調で命じた。

「進メ! コイツノ命ガ惜シクハナイノカ!?」

 ……とんだ失敗だと思った。
 彼らマウ・ラの流儀だか何か知らないけど、それに従ったからこんな目に遭ってしまったのだ。責めたくはないけど、わたしは心の中で何度も舌打ちをした。こんなところで道草を食っている場合でもないのに。

 リザードマンの集落に入ると、ヤツらは直ぐにわたし達を縄で拘束した。
 そこまで知能のない、RPGで言うところの雑魚モンスター程度にしか考えていなかった彼らだが、こうして見ると、ちゃんとした文明があり、独自の文化を築いている。
 これも、七夕の日に集落を脅かした、あのハッカーが組み立てたシナリオなのだろうか。
 だとしたら、一度放り込めばプルステラに住まう生物の一として、放っておいても増えていくことは間違いないのではないか。

 先程のリザードマンよりも一際身体の大きいヤツが現れ、わたし達の前に立った。貝殻などで出来たきらびやかな装飾品を身につけており、その位の高さが何となく伺える。恐らくはここの長なのだろう。
 わたし達は後ろから両膝の裏を蹴られ、無理矢理膝頭をつかされた。

「我ラノ仲間ヲ殺シテイルノハ貴様ラカ」野太い声が鼓膜を震わせた。「ソレニ飽キ足ラズ、今度ハ我々ヲ襲ウツモリダッタラシイガ、ソウハイカヌ」

 こうして咎められると、確かにわたし達は彼らにしてみればとんでもない悪者に見える。
 おかしい。彼らは絶対的な悪ではないのか?
 わざわざ捕らえ、こうして会話をしてくる理由が理解出来ない。

「我ラノ言葉ヲ理解スル者ヨ。貴様達ハ何ダ? 白イ連中ト仲間ナノカ?」

 白い連中とは、マウ・ラのことを指しているのか。

「そうだと言ったらどうする?」

 わたしが答えるより先に、お兄ちゃんが答えた。
 赤いリザードマンの長はフン、と鼻を鳴らし、お兄ちゃんの顎を二つの指で摘み上げた。

「害ニナルナラ貴様ラトテ殺スダケダ」

 ……害になるなら……?
 彼らは躊躇しているのか。言葉が通じる我々を、ただの敵とは見なしていないのかもしれない。

「……ヤレ!」
「待って!!」

 わたしは、とうとう行動に移した。
 お兄ちゃんやエリカは驚いてわたしを見、ナルは鋭い目をわたしに向けている。
 モアナは震えながらもわたしの次の言葉を待っているようだった。……恐らく、マウ・ラの二人にはわたしの言葉が通じていないとは思うが。

「何ダ、小娘? 命乞イカ?」
「……わたし達はここを通りたいだけなの。別に危害を加えるというわけじゃない。よく見れば、あなたたちはわたしの集落を襲った連中とは少し違って見えるし、だからこそ、交渉をしたい」

 リザードマンの長の目が細くなり、彼はおもむろにわたしの顔に自分の顔を近付けてきた。
 わたしは顔色一つ変えずに毅然とした態度を保った。

「……言エ。ドンナ内容ダ?」
「手が動かせないんじゃ何も出来ない」
「ソノ手ニ乗ルト思ッタノカ? 武器ヲ使ウツモリダロウ」
「片手……いや、指が二本、目の前で動かせればそれだけでいい」

 一か八かだった。
 交渉に失敗すれば、わたしは一撃で死に至る。
 ……だからだろう、エリカもお兄ちゃんも、何も言わずに固唾を飲み込んで見守っていた。

「……マア、イイダロウ。ダガ、少シデモオカシナ真似ヲスレバ……」
「その時は、遠慮なく殺していい。でも、これから出すものを見たら、気が変わるかも」

 長は一言吼えて部下に何かを命じた。翻訳でも解らないところを見ると、これは言葉ではなく、合図なのだろう。
 剣を持った一匹がわたしの背後にやってきて、手首の縄を切った。
 わたしは痛む手首をしばらく撫でた後、指先を目の前に持ってきた。
 リザードマンの兵士達が、統率された動きで一斉に武器を構える。……額に汗が浮かび、一筋、頬へと伝った。

 わたしは二本の指を広げるジェスチャーでDIPを開いた。驚いた兵士たちが身体を震わせ、威嚇の声を洩らしたが、構わずに素早くインベントリを操作し、あるアイテムを目の前にドロップし、オブジェクト化させた。
 目の前に現れた物体を見た長は、驚きと畏怖に満ちた声を上げ、兵士達は見てはいけないものを見た、と言わんばかりに武器を顔の前に持ってきた。

 それは、咄嗟の思いつきだった。
 わたしとリザードマンを結びつける唯一の要素――それは、レン達を探しに行った時に洞窟で拾った、あの本しかないと思ったのだ。
 自分自身、このアイテムにどんな意味があるかは解らない。しかし、もしかしたらこの処刑を中断させるに至る、数パーセントの要素には成り得るんじゃないか、と。

 結果はこの通り、予想以上のものだった。彼らにとってこの本は、大変重要なアイテムらしい。
 リザードマンの長はワナワナと震え、唾を撒き散らしてまで喚いた。

「ドコデ、ソレヲ手ニシタノダ!? 貴様ハ、ソレガ何ダカ判ッテイルノカ!?」
「知らないよ。だから、コレと取引しようって言ってるんだ」

 わたしは敢えて強気で構えると、長は少し唸ってから考え、とうとう観念した。
 まず、モアナが開放され、本を渡すと同時にお兄ちゃん達の縄が切られた。

「それは何なの? 本に見えるけど……」

 尽きない疑問に、わたしは思い切って尋ねてみた。
 リザードマンの長は牙を見せて顔をしかめたが、本を持ってきた礼のつもりなのか、「マア、貴様ニナラ話シテモ、害ハアルマイ」と、諦めたように穏やかな声で話した。

「貴様達ガ出会ッタノハ、我々ノ敵トナル、『青ノ部族』ダ。コレハ彼ラノ文化ニ関ワル記録ヤ、兵士ノ教育ニツイテ記サレテイル」
「ということは、この本があれば、相手の事を理解できるってこと?」
「ソウダ。貴様ハ我々ニトッテトンデモナイ偉業ヲ成シ遂ゲタノダ。今マデハ、彼ラノ棲ム場所サエモ判ラズ、ドウ攻メレバ良イカスラ判ラナカッタノダカラナ」

 パウオレアの森とディオルクの洞窟の間には、わたし達の集落がある。直接通らなくてもここへ来る手段があるのかは不明だが、少なくとも、今までこの赤い連中に遭遇したことは一度もなかった。恐らく、それはマウ・ラとの戦いで精一杯だったからに違いなく、彼らは森を出られずに、わたしの良く知っているリザードマン……青の部族のリザードマンを迎え撃つようにして戦っていたのだろう。

「青ノ部族ハ、貴様達ニ気付カレヌヨウニ森ニ立チ入リ、我々ガ気ヲ取ラレテイル隙ニ奇襲ヲカケテクル。ツマリ、我々ハ貴様達と青ノ部族ヲ同時ニ相手ニシテイタトイウワケダ。コレデハ勝チ目ハナイ」

 抗議するように言ってくる長に、わたしは少しばかり同情した。
 彼らは好き好んで人間を襲っているわけではなかったのだ。攻めてくるから倒す。自分の領地を脅かされるから戦う。……ただそれだけのことだったのだ。

「ヒマリ、話す、アイツらと、出来る、何故?」

 夢中になって話を聞いていると、ナルが疑いの目で追求を始めてきたのでぎょっとした。

「ナル……その、言いにくいんだけど、『外の兄弟』はみんな、この世界に住む誰とでも会話が出来るんだよ」
「嘘だ! 習ってもいない、話せる、オカシイ!」

 わたしは、確信してしまった。それが、決定的にマウ・ラとわたし達との違いなのだと……。
 リザードマンは勿論だが、マウ・ラという民もプルステリアではない。彼らは、彼ら自身が主張するように、プルステラの本当の原住民だったのだ。
 だから、ナル――恐らくモアナも、わたし達が同じようなヒトであって全く同じヒトでないことに恐れている。開きもしないDIPに困惑し、敵であるはずのリザードマンと会話し、打ち解けていることに、疑念を抱いている。

 わたし達の様子を見ていたリザードマン達は、バラバラと囁くような笑いを振りまいた。言葉は通じずとも、その様子を見ただけで嘲笑するに充分だった。
 貶されたと思ったナルはリザードマン達に素手で掴みかかろうとしたが、お兄ちゃんがそれを押さえた。

 リザードマンの長は落ち着き払った口調で言った。

「貴様達モ同族争イトハ、結局、我々ト何ラ変ワリナイデハナイカ」

 ……違う、とは言えなかった。
 ヒトとは、ヒトである限りそういう生き物なのだから。
 逆に、仲間を傷つけられれば仕返しをするし、それはリザードマンとて同じことだろう。

 リザードマンも、マウ・ラも、そしてわたし達も……皆同じ、プルステリアとしてこの仮初めの世界に生きている。
 違うのは、この世界に対する認識の違いだけだ。DIPが開けるだとか、自動翻訳が付いているだとか……そんなのは大まかに見れば、弓が扱えるか否かという些細な違いに過ぎない。

「オイラ……失望した」

 ナルはお兄ちゃんの腕を振り払い、どういうわけかエリカを一度きっと睨み付けた。

「オメエも、獣。ヒト、違う」

 エリカはその一言で傷ついたようで、哀しそうに俯いたが、反論する気はないようだった。
 判っているのだ。ここで逆上してしまったら、それこそ悪い一線を超えてしまうのだと。

「……モアナ、来い! 父さん、迎える。帰る、一緒」

 ナルはわたしの傍にいるモアナの手首を引っ掴むと、強引に引っ張って歩いていった。
 モアナは強く握られる手首を痛がりながら、必死でナルの手を剥がそうとしたが、抵抗も虚しく、ズルズルと引きずられていく。
 彼女はわたしに向けて手を伸ばしたが、わたしから手を差し伸べることは出来なかった。

「ま、待つのです、ナル! ヒマリ達、悪さ、ないのです! ヒマリ、助けたのです!」
「信じない!」

 ナルは、まるで憑き物を振り払うかのように何度も強く首を振ると、わたし達を順番に指差し、まだ幼くも一人前の狩人の目で言い放った。

「いいか! オイラの村、来る、あったら、殺す、絶対!」

 もはや振り返らずに背を向けて帰っていくナルと、わたし達を気遣いながらナルに付いていくモアナを見て、わたし達はただ、黙って見送ることしか出来なかった。
 残ったわたし達の一部始終を見届けていたリザードマン達は、どこか面白がりながらも同情するかのような――そんな複雑で、寂しそうな目を、いつまでもわたし達に向けていた。
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