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Section4:遺されたメッセージ

30:仮想世界の中の仮想世界 - 2

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 暗闇の中で目を動かすと、白くて小さな光源が正面に来るよう追いかけてくる。目の焦点が光に定まると、光は途端に広がり、視野全体を覆い尽くした。
 視界が晴れると、蒸気灯が仄かに照らす、レンガ造りの古びたドーム状の地下道に立っていた。わたしはまだ、何者でもなく、首もとから足先までを覆う黒いタイツのようなスーツに身を包んでいる。

 道は一本。何も考えずに歩いた先に、また小さな明かりが見えた。出口は狭く、四つん這いで屈んで抜けていく必要があった。立ち上がって顔を上げると、そこには赤い絨毯で敷きつめられ、金のシャンデリアを吊るした、王室の如き豪勢な小部屋があった。振り返れば、今来たところは暖炉になっている。
 左右の壁には全身を映す鏡のように細長い肖像画が片側に三枚ずつ、全部で六枚が配置されている。左は男性、右は女性だ。右側の肖像画の前に立つと、わたしの姿がこの世界の姿として映し出された。――奥から順に、人間ヒューマン地底人グラウンダー機械人ギアウォーカーと。

 わたしは、今の自分にふさわしい右側の三枚から人間を映す肖像画の前に立った。頭、顔、胴体、手足――全てのパーツが感知され、肖像画で好きなようにいじるようにと文字で促される。
 少し考えてから、年齢をいじってみることにした。肖像画の縁の中央にあるダイヤルを右にカチカチカチと三目盛り回すと、ダイヤルの下に「??」と記される。いつの間にか鏡の中の自分の容姿が変わり、少し成長したヒマリの姿になった。身長も僅かに伸びている。
 肖像画に手を差し伸べると、その手が肖像画に沈み、僅かにその部分だけが水面のように波打った。同時に、向こう側からも分身の手が肖像画を突き抜けて伸びてくる。
 頭のつむじの辺りを撫でると、髪の長さが縮んでいった。わたし自身の頭も分身の指に撫でられ、少しずつ縮んでいく。肩口よりやや長いぐらいの長さにしたところで、思い切ってぐしゃぐしゃとかき混ぜ、わざと寝癖のような具合に整える。整髪料を使わなくてもその形状はしっかりと保たれた。
 肖像画の縁に描かれているパレットの絵のボタンを押しこむと、鏡面状に磨き上げられた床のタイルが正方形状に抜け落ち、中から金属製の細長いアームが伸びて目の前にパレットと絵筆と絵の具のセットが差し出された。と同時に、分身は糸を切った操り人形のようにだらりと両手を下ろし、直立の姿勢を保った。絵筆を掴み、空の青色を作ってから分身の目の部分を染め上げる。初めはドロリとした質感だが、一旦瞬きをすると、まるで初めからそうであったように瞳が空色に輝いた。
 髪は濃いめの金髪ブロンドがいい。わたしは外国人の美しい金髪に憧れていたのだ。筆で髪を軽くなぞるだけで、その色がみるみるうちに変わっていく。ついでに前髪とつむじだけ部分的に赤いメッシュを入れ、パンキッシュに仕立ててみた。
 調整を終えるや、パレットを閉じ、くるりと回って全身を確認し、問題なさそうだと判断した。そのまま鏡の中へ足を踏み入れていく。

 先程のように一瞬目の前がホワイトアウトし、再び視界が開けると、そこは揺れる列車の車両の中だった。いつの間にか鏡に映っていたレザーの服装に着替えていて、どこからか漂う石炭と機械油の苦々しい臭気が容赦もなく鼻を突いてくる。……そう言えばこんな臭いだった。
 目を凝らして席を探すと、一番奥の席だけ空いているのが見えた。ご親切にも、床には赤いペンキの文字で矢印が描かれている。

 奥の車両からすっと機械人の車掌がやって来て通路を塞ぎ、切符の代わりに書類への記入を求めてきた。わたしは少し頭を掻いてから、エリカからの呼び名を拝借して、羽ペンで「MARIEマリー」と記した。車掌は軽く会釈をし、そのまま立ち去っていく。
 席に落ち着いて眺める窓の外には、ヴィクトリア朝をスチームパンク調に仕立てた夜景が広がっていた。丸い蒸気灯と四角い窓の、輪郭が曖昧な黄金の光が暗い町並みをポツポツと彩っている。あちこちの屋根からはこれでもかと白い蒸気が噴き出しており、折角の夜景を台無しにするようでもある。
 ちょうど上空では、巨大な飛行船がいくつものプロペラを回しながら横断していた。レベルが上がると使えるようになる定期便だ。今はただの背景オブジェクトに過ぎないが、いずれ帝都へ向かうための手段となるだろう。
 遠方には明らかに宮殿とおぼしき建物があるのだが、壁や屋根はとても絢爛と思えない金属で出来ている。屋根から突き出た何本もの煙突は、やはり一際多い蒸気を撒き散らしていた。

『間もなく、アーデントラウムに到着します――』

 天井にあるラッパ型のスピーカーから聴こえるノイズ入りのアナウンスが一言告げた。汽笛が二度鳴り、しゅーっと蒸気が抜ける音と共にゆっくりと停車し、けたたましいブレーキ音を鳴らした。
 わたしはすっくと立ち上がり、服にぶら下げた金属類をガチャガチャと鳴らしながら列車を降りた。


 ◆


 アーデントラウム――ここはVAHヴァーポルアルミス・ヒストリアの世界で最初に訪れる首都である。
 RPGと言えば、最初の街はただの通過点に過ぎないというのがほとんどだが、VAHではしばしの拠点として扱われている。そのため、種族はおろか、低レベルから高レベルのプレイヤーまで実に多種多様な人々が街中を闊歩していた。
 街に来たばかりのわたしには、まだ武器がない。面倒だが、まずはクエストをこなして武器を受け取るところから始めなくてはならないだろう。何せ、オープニングでは主人公はただの一般人としてこの街にやって来る設定になっているのだ。主人公は仕事を請け負い、いつの間にか化物退治を任されることになる。

 この世界には様々な色の蒸気で溢れている。一般的な白い蒸気に加え、赤、青、黄、緑、紫、黒と言った六色の蒸気があり、それぞれ用途が異なる。そのうち、黒い蒸気だけは禍々しい力を秘めており、プレイヤーが扱うことはほとんどない。黒い蒸気は一般人を虫や獣に変えてしまうという力を持ち、ガラクタとなった機械でさえも強引に姿に変えて動かせるようになるのだ。
 プレイヤーは、各種石炭から得られる蒸気を複雑な機構で力に変える、ヴァーポルアルミスと言う蒸気兵器で戦う。ただし、扱える武器は種族とクラスごとに定まっていて、人間であるわたしは、まず初期戦闘クラスの銃使いガンナー剣使いフェンサーのいずれかのクラスしか選ぶことが出来ない。

 早速、クエストを請け負える管理局に訪れたわたしは、クラスの選択を迫られた。ユヅキだった頃も選んでいたので、初心者ニュービーからガンナーへとチェンジする。支給品の拳銃とライフルが差し出され、石炭はインベントリ替わりのバッグに直接送られた。
 背中にライフルを担ぎ、腰に拳銃を挿す。ようやく「らしく」なったところでメールの着信があった。
 ママからかな、と思い、コートの内ポケットにあるメールボックスから茶色の封筒を探り、引っ張りだして開けてみると、思いがけない差出人の名前に愕然となった。

「……KAIカイ……!?」

 そんなことはあり得ない。何故なら、このプルステラIDはヒマリのもので、カイはユヅキわたしがヒマリだということを知らないはずなのだ。そもそも、プルステラでしかこのゲームに接続出来ない、というのもある。……だとしたら、一体どこから、どうやって……?

 封筒には歯車の付いた鍵が一つ添付されていて、手紙には羽ペンの手文字で一言、こう記されてあった。「アーデントラウムの月が届かぬ箱で待つ」――と。
 カイにしては回りくどい呼び出し方だ。直接会話しようと試みたが、プルステラIDは非公開になっていた。
 ――どうしよう?
 街中のPK行為はないから死ぬってことはないと思うが、このゲームはそれなりの腕を持ったプログラマーの手に掛かれば幾らでもシステムに介入出来てしまう、「ある意味では」危険なゲームなのだ。どこまで安全かは解らない。
 ログアウト後の「ギャップ」に惑わされないようにと女性を選んだものの、やはり男性の方が防犯的な意味合いでも安全だったか。

 だが、それでも行くべきだろう。当初の目的こそ違うが、こんな偶然、二度と訪れないかもしれないのだ。
 騙されたなら、その時はその時だ。別に本気で攻略するためにこのゲームを買ったわけでもないのだから。

 改めてメールの謎かけの意味を考える。わざわざアーデントラウムの、と記してあるから、この街中なのは間違いない。
 せめて街を一望出来ればと、海辺にある灯台まで行き、螺旋階段を駆け上った。
 切らした息を整えながら、煙に満たされた夜空を見上げる。宮殿を正面にすると、背後の海側に三日月が浮かんでいるのが見えた。宮殿は少し高い場所にあり、そこから段々畑のように斜面となって海岸まで町並みが続いていた。
 箱というのは建物の中を指しているように思える。だが、窓のない家は多数だ。そんな曖昧なヒントでは謎かけにならないだろう。

 もしかして、建物の中ではなく、建物そのものが月明かりに当たらない、という意味なんだろうか。だとしたら、完全に明かりを遮断出来るような場所が、この街のどこかにあるということだ。

 灯台の壁の縁に掴まり、額のゴーグルをかけて、順番に建物を追う。
 初期装備のゴーグルは安物の双眼鏡並のズーム効果があり、建物に書かれた文字ぐらいは読めた。

「…………あれかな」

 港側の一角。工場が建ち並ぶ所に、一カ所だけ階段を下りていく場所がある。……確か、あの辺りには倉庫があったはずだ。そういえばクエストも特になく、暇な人がたまり場に使うような飾り物のスペースだった。

 灯台の螺旋階段をもどかしくも駆け下り、港の縞鋼板チェッカーズプレートの上を踏み鳴らしながらも、左手の工場地帯へ直進する。
 工場の建物や何らかの巨大な球体状の燃料タンクの傍には、現実なら明らかに身体に悪そうな蒸気が、ツタのように張りめぐらされたパイプや煙突からしゅうしゅうと立ち込めている。その一帯の蒸気を潜るように抜けていくと、先程ゴーグルで見た下層へ続く階段がそこにあった。
 階段を下りた直ぐ先に、暗闇に佇む古びた丸屋根の倉庫があった。その入り口を二分する分厚い鉄の扉は隙間なくピッタリと合わさっていて、これまた歯車の入った大きな南京錠でしっかりと取っ手部分を閉じている。
 バッグから先程の鍵を取り出して鍵穴に差し込む。鍵と南京錠の歯車が噛み合い、更に強く押し込むとギリギリと歯車がひとりでに回転し、錠のシャックルをパチンと開かせた。生唾を飲み込む。

「んう――っ!」

 取っ手に手をかけ、体重をかけて力任せに横に引っ張る。ガラン、ガランと車輪が回る規則正しい音を発し、両方が連動した扉が隙間を開けていく。
 人一人分入れるぐらいで手を止め、軽く手を叩いてから腰に留めてあるトーチを外し、軽く捻った。薄白い明かりが先端から放たれ、暗い倉庫の中を照らす。
 壁に手を触れながら探ると、扉の横にスイッチがあったのでパチンと切り換えてみた。ジジジと通電音がし、等間隔に配置された電球が瞬きながら灯される。
 床には工具や鉄板、ガラクタなんかがあちこちに散乱しており、何処に何があるのかさっぱり解らない。その上を跨ぐように歩いて行くと、突き当たりの壁際に、ガラクタの隙間から覗く機械人ギアウォーカーの顔があった。
 何とか五体満足ではあるが、まずは手前のガラクタを退けなければ話にならない。
 鉄板やパイプ、鋼材なんかを力任せに次々と引き倒し、ようやく金色のボディを露にした。

「……カイ?」

 囁くように問いかける。返事はない。
 ざっと見たところ、確かにカイのキャラに思える。あいつは地底人グラウンダーと掛け持ちで、特にこの機械人をメインキャラとして愛用していた。
 このゲームのもう一つの特徴は、フリーターゲット方式であるということだ。見知らぬ人の名前を知ることは出来ず、フレンドかパーティを組むことでようやくステータスと名前が判明する。
 つまり、この目の前にいる機械人が本当にカイかどうかは、本人が目覚めない限りどうしようもないということだ。
 どうしたものか、と考えあぐねていると、機械人の目が赤く光りだした。あらゆる関節から蒸気が吐き出され、固まっていた身体が動き出す。
 すると、機械人は何も言わずに、どこから取り出したのか、白いチョークを持ち、片膝を突いた。……つまり、筆談をしようというのだ。
 ガラクタを退けた僅かな隙間に、彼は正確に、且つ、素早く小さめの文字を滑らせた。

『久しぶり。やっと会えたね。本当はゆっくり話したいんだけど、悪い、兄ちゃん。黙ってこの会話を聞いていてほしい。見終わったら消して次の文章を書くから、この指のどれかを軽く二回叩いてくれ』

 わたしはその場に膝を突いて同じように座ると、トントン、と人指し指をつついてやった。
 ゴツい右腕がチョークを一瞬にして払い消し、再び文字を書くべく動き出した。

『聞いてくれてありがとう。先に結論を言うと、オレは今頃、現世で生きてるか、或いは死んでるかのどっちかで、プルステラには絶対にいないはずなんだ。本当にゴメン。
 いずれにしてもチャンスを逃しただろうから……もうそっちには行けないと思う。でも、兄ちゃんだけは、母さんの見たかった青空を見てくれよ? その代わり、オレが生きてたら現世の母さんの面倒を見るし、死んじまっても母さんの傍に行くからさ。一人にさせるなんて、あまりにも寂しいだろ?』

 ――チョークが止まる。
 わたしはただ、トントン、で応えるしかなかった。

『あ、何故ここにって顔してるよね、兄ちゃん。キチンと説明するよ。
 現世でこのゲームのサービスが終了する時、プレイヤーデータが丸ごと消されることが告知されていたのは兄ちゃんも知ってるだろ? でもそれ、プルステラで運営を再開するっていう前触れだったんだ。だって、完全に終わるんだったら、わざわざ消すって言わねーもんな?』

 ――ああ、言われてみれば。
 全然気付かなかったけど、確かにそのような変わった告知があったのは覚えている。

 わたしは、トントンと続きを促した。

『だからオレは、あの七夕の日、サービス終了と同時にキャラクター属性をNPCに変えるよう、時限設定の不正MODをセットしておいたのさ。この遺言MODも一緒に封じこめてね。
 NPCになったキャラクターは絶対に消されない。消されるのは唯一、プレイヤーのデータだけだからな。だから、NPCとしてデータベース内に残り、上手いこと潜伏したんだ。
 そして、プルステラでログインサーバーが再稼働するタイミングで、キャラクター属性を元のプレイヤーに戻し、GMに怪しまれないよう、ただの空き部屋として使えるここに隠した。メールだって、兄ちゃんが旧IDを引き継いでログインするタイミングで自動的に送るようセットしたんだ。……こいつは賭けだったけどな』

 アニマリーヴの直前にカイがいじっていたのは、そういう経緯があったのか。
 帝都のラスボスを倒しに……なんてのは全くの嘘で、カイはその間にこんな大掛かりな仕掛けを用意していたんだ。

 じゃあ、わたしがデバイスを持ち込んでいたら? カイはどんな行動をしただろう。

 ……いいや、それはあり得なかった。
 カイは、わたしが確実にデバイスを持ち込まないと知っていた上で、こんな真似をしたはずなのだ。

 例えば……そう、こんな風に言うだろう。――兄ちゃんは絶対にデバイスを持って来ないよ。だって、真面目な時には無駄なことをしたくない、クソ真面目主義な人間だからさ。

 ……そうやって嘲笑っているのが伺える。生意気で悔しいけど……ええ、全くその通りですとも。

 わたしは、悔し紛れに強めに指を叩いてやった。

『……けど、オレがそこにいないってことは、高い確率で何らかのトラブルがあったってことになるよね? だから、兄ちゃんも今頃は何かしらで困ってるだろうと思う』

 本当に、生意気な弟である。全くもってその通りだ。

『そこで、すげー頼りになる相談相手を用意しておいたよ。そいつはオレの親友でね、プログラムを提供してくれたのも、彼のお陰なんだ。彼はきっと、ハロウィンのタイミングでプルステラにやって来る。コミュは開かないらしいから、このゲーム内で待ち合わせが出来る場所を教えてあげるね』

 すると、今度は自分の胸元のパーツを開いて掌ほどの革の切れ端を取り出し、その指先の金属の爪でガリガリと何かを削りだした。
 そこには、ゲーム内に実在する都市の名前と、アルファベットと数字の組み合わせが記載されていた。

 ――BROSEN:A-10。

 わたしは厭味たっぷりの眼をカイに向けた。……当然ながら、彼は何も反応せず、最初からそうすることを定められていたのだろう、床を再び腕でゴシゴシと消して元の位置に立ち、ざざっという軽いノイズの後、モニタの電源がオフになるようなエフェクトと共にプツリと消滅した。……ごく普通のログアウトである。

「……はぁ」

 とんでもない試練である。ブロッセンとは、カイが最後にラスボスに挑んだと言っていたあの『帝都』のことで、最新のパッチによって追加された、ダンジョン同然のの都市の名称だ。「A-10」は、マップを十六分割した際の場所を示す記号のことで、横がアルファベット、縦が数字を指している。
 ……つまり、要約すれば、とんでもなくクライマックスなマップの南西側にその友人とやらが待っている、ということになる。

 だが、全く行けない、というわけでもない。
 パラメータがある程度上がれば、プレイヤースキルだけでどうにかなるというゲームだ。敵の目を掻い潜って逃げまくれば、或いは、目的の座標へ移動することも出来るかもしれない。

 わたしは立ち上がって埃を払い、倉庫を出た。
 念のために扉を閉め、鍵をかけ直す。鍵はスカスカのバッグに仕舞っておいた。

 時計を見ると、既に十七時半を超えていた。今から帝都に行くのには時間がかかる。
 残る三十分は装備を整えて、一旦ログアウトしよう。今後のことを、ママやエリカと話す必要だってあるのだ。
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