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Section3:揺れる魂(アニマ)
24:激戦! はじめての運動会 - 2
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西暦二二〇三年十月九日
仮想世界〈プルステラ〉日本サーバー 第〇六三一番地域 第五五三番集落
運動会当日。整備された土の運動場に集まったのは父兄だけじゃない。集落に住まうあらゆる人が仕事を止めてまで見に来ていた。
この運動会はただの学校行事というだけではない。既に一世紀も前に大気汚染で廃れてしまった屋外行事全般を代表しての「復活祭」でもあるのだ。
本当は八月に花火大会がその第一弾として開催される予定だったのだが、黒竜ディオルクの襲撃で延期となってしまっていた。……まぁ、秋祭りとか収穫祭とかにした方が断然楽しい。プルステラの秋は食べ放題なのだから。
赤と白の帽子を被った児童達が校庭を綺麗に埋め尽くし、トラックの外側では保護者が見守る中、朝礼台に立つ校長は開会式の挨拶を長々と述べた。このプルステラの美しい青空の下、運動会が開催出来たことを嬉しく思い……等と例によって形式張った長ったらしい話だったのだが、この日ばかりは誰もが感慨深く一言一句を噛みしめていた。
次に、代表の生徒から真新しい優勝旗が校長に手渡され、高らかに選手宣誓の言葉が述べられた。
第一回目の運動会。優勝旗には何も付いていない。今日、日が沈む頃には紅白いずれかのリボンが確実に取り付けられることだろう。
トラックの外側の指定席に戻ると、デジタルの魂だというのに、生徒達の熱気、或いは闘気のようなものを肌に感じた。
横を見れば、トラックのラインすれすれにずらりと並んだ紅白の戦士たち。普段は天然でぽやーっとしているミカルまで、きゅっと唇を締め、膝を抱える手に力を込めながら、真剣な眼差しを優勝旗に送っている。
更にぐるっと周囲を見渡してみると、斜め後方にタイキや両親の姿。偶然にも目が合ってしまい、彼らは笑顔で手を振ってきた。ほんの少しだけ手を振り返してみせたが、途端に恥ずかしくなって直ぐに前に向き直った。
「あ、ヒマリちゃんの家族、みんな来てたんだ」
いつもの調子に戻ったミカルちゃんが身を丸くして話しかけてきた。
「うー、何だか恥ずかしいよぉ……」
「ははは……だよねー。ずっと見られてるもんね。こういうのも」
普段見せないコスプレのような体操着姿。それを見て両親やタイキが微笑み、喜ぶのだ。持ってきたハンディカメラで立体録画だってされるだろうし、そう思うと、下手に顔は見せられない。こうして自分の出番を待つ間はじっと耐えるしかないのだ。
運動会の種目は予め父兄にも配られたプログラム通りに進んでいく。ミカルが出場するクラフト競走は二番手なので、彼女は直ぐに立ち上がり、準備に向かった。横がスカスカに空いてしまったので、競技の見学に集中することにする。
……そのつもりだったのだが。
『ヒマリー! こっち向いてー!』
突然個別チャットで話しかけてきたユウリママにがくっと肩を落とす。
振り返ってはいけない。これは罠だ。
『ヒーマーリー!』
あまりにもやかましいので振り返らずにそっと応える。
『んもー! 必要ないところで録画しないでよー!』
『えー! 何でぇー?』
『恥ずかしいんだってば……』
『んー! そんなヒマリが可愛くて録っちゃうっ!』
『…………』
僕はチャット相手をポチポチと操作し、タイキに切り換えた。
抱えた膝の中でぶつぶつと呪文を唱えるように話しかける。
『……お兄ちゃん? ママがストーカー紛いの録画してくるの、何とかして』
『はっははは! 分かった分かった。何とかするから』
個別チャットで話しているユウリの声を聞いたのだろう。話しかけた時にはタイキは既に笑っていた。
そんなやり取りを何度かしている間にクラフト競走が始まった。
一体どんなものがお題の候補になっているのだろう、と目を凝らすと、トラックの中央に横並びで置かれた生徒用の机の上に木片やら金属片やら、紙などもある。
――紙なら折り紙を作れば直ぐに終わるけど……みんな知っているのだろうか。
ミカルなら大丈夫だろう。制作ルールを見つけ出した時に僕が伝授したわけだし。多分、紙が置かれたのは、僕が以前の集会で折り鶴を見せたからかもしれない。だとすると少々懐かしさを感じる。あれから三カ月も経ったのだ。
しかし、ミカルの出番は一番最後……つまりアンカーだ。折り紙も毎回用意されるわけじゃないし、必ず使えるとも限らない。
『第一走者、位置に着いて』
進行役の女先生の声が響く。
『よぉーい!』
スターターのピストル音が空気を震わせた。
五年生の子六人が一斉に駆け出し、二十メートル先のテーブルに詰め寄る。素材をボロボロと落としながらもあれやこれやと取り合いをし、必要ないものはそこら中に散らかされる。
「投げなければ必要のない素材は落としてもいい」――このルールに則った結果がこれなのだが、落とした素材にも群がろうとするものだから、結局押し合いへし合いとなり、先生がピーピーと笛を吹いて待ったをかけている。
「……なんだか……すげーシュールな競走だなぁ……」
レンが率直な感想を後ろから述べた。
「はは……ミカルちゃん、大丈夫かな」
「さーな」
体育座りをして第一走者を見守るミカルは、何かを悟ったように目を細め、ただじっと自分の出番を待っていた。
……あぁ、きっと練習で相当な修羅場を乗り越えたのだろう。あれはそういう目なのだ――。
第一走者達に向き直ると、あの紙を手にしたのは赤組の子だった。
空いたテーブルを利用して紙を折り、あっと言う間に鶴を作り上げる。合同練習でミカル辺りが教えたのだろうか。判定の教師が旗を揚げたのでその先のゴールへ走っていく。実に快調な滑り出しだった。
続いて白、赤、白、白、赤の順でゴールする。先頭の三人が点数となるので、赤二点、白一点が校舎の得点ボードに加算された。
ところが、快調なのは最初だけだった。二組目からどんどん難しい素材に変わっていくのだ。中には既に完成されたモノも置かれてあり、カスタマイズによる制作が要求されている。
なお、何の素材が出るかは、用意された素材セットから完全ランダムで選ばれるのだそうだ。五組目を越えた辺りで、さすがのミカルの目の色も変わりだした。
「うーん、何だか判らないのも混じってんな。魚の形をした……容器……?」
と、レンが身体を乗り出して机の上の小さな物体を指差した。
「あれ、見たことある。弁当に付いてくるやつだよ。えっと、醤油が入ってる」
「あ、あれかー!」
しかし残念なことに、その小さな赤い蓋は机の下に落ちていて、醤油差しを選んだ赤組の子は見つけられずにおろおろと辺りを探し回っていた。
他にも、ボールペンの組み立てだとか、ビーズを針金に通してアクセサリーを作るだとか、ラッピング用のリボンを作るだとか……段々、クラフトと聞いて疑問が頭に浮かぶようなものばかりが登場してくる。
「……一円ぐらい稼げそうかな、アレ」
「ぜってー手抜きだろ、アレ」
僕らは半ば呆れた表情でその成り行きを見守っていた。
ところが、ミカルの出番であるアンカーになると、途端にお題の方向性が一転、選手達の緊張は最高潮に達した。
スタート前にテーブルに並べられたモノを確かめてみる。
粘土、大きさの違う竹の筒、太さの違う竹の棒、笹の葉、斜めに削られた竹の板……などなど、似たような竹の素材ばかりが目につくが、粘土だけは唯一、これだけを用いれば何かを作って終わらせることが出来る。ただし、このような実にアナログな物体は、規定の形状にならないとアイテムのプロパティでは「制作中」と見なされるのだ。簡単そうで実に難しい。
ピストル音が鳴り、アンカーが一斉に駆け出した。ミカルがまず手に取ったのは大きめの竹の筒である。あれこれと観察していると、どうやら底に穴が空いていることに気付いたようだ。思い当たる節があるのか、更にテーブルに手を伸ばすが、要らない、と白の選手に捨てられた紐が土の上に転がってしまった。
ミカルはそれが欲しかったのだろう。紐に手を伸ばすが、他の選手に踏まれてしまう。それでも無理矢理足を押し退けて糸を引き抜くと、紐についた土をさっと払い、残るパーツを一気にかき集めた。
細い竹の棒に布を巻き付け、玉状にしたところで先端を紐できつくしばる。余った紐を歯で噛み切り、根元も固定。更に棒の反対側の部分には直角に小さな竹筒を取り付け、最後に穴の空いた大きな筒にその棒を布の巻いた側から押し込む。――水鉄砲の完成だ。
同じ頃、白組の生徒が別のパーツで竹トンボを作り上げた。ミカルははっとなって判定の旗が揚がると同時に慌てて駆けだし、僅差でゴールした。これで、一位はミカル、二位は白組の生徒が確定した。
三位決定戦は熾烈を極めた。
粘土をこねる白組の子と、笹の葉をいじる赤組の子。
笹の葉はしばらく考えていたその女子生徒が、ふいに両端を二つに折り曲げた。その両端に二つの切れ込みを、爪でそれぞれ等間隔に入れ、三つに分けた部分のうち、端の一房をもう一つの房の中に入れて組み合わせた。これを反対側も同様にして行い、簡単な笹の船が完成した。
粘土をいじっていた生徒は象を完成させたが、置いた瞬間に足が折れ、いわゆる「正体不明」状態になる。残念ながらそれは認められないということで失格となった。
よって、笹船を作った赤組の生徒が三位となり、これで赤組が一点リードしたわけだが、途中までの結果と合わせると残念ながら白組が僅かにリードしてしまった。
「うーん、残念残念。負けちゃったー」
種目が終わって戻ってきたミカルがペロッと舌を出し、横に座った。
「何言ってるの。ミカルちゃん、大活躍だったじゃない」
うーん、と彼女は苦笑した。
「そりゃー個人だったら勝ってたけど、団体戦だもん。もうちょっと指導すればよかったなぁって」
「そっか……。でも、やっぱりミカルちゃんが教えてたんだね」
「どれもこれもってわけじゃないよ? ゲンロクさんから教わったのだってあるし。手だけで作れるものってありませんかーって訊いてね」
「へえ」
さすが集落でも年輩の職人だ。竹細工のことを教えたのはゲンロクだと言う。
「先生からは、お題のアタリを付けてくれたの。こういう素材から出ますよーって」
「そうだったんだ。それなら後は作り方を教わるだけだったんだね」
まるで中間か期末テスト前の試験範囲を知らされるかのようだ。
ゲンロクさんは差し詰め、塾の講師といったところか。
「でも、あのボールペンとかはないよぉ。お母さんが現世で時々やってた在宅ワークみたいだもん」
「ははははは」
まぁ、分解した部品、つまり制作中となった部品を再度組み立てることで一つのアイテムに変えるわけで、クラフトという意味合いとしては異なるが、プルステラの制作ルールとしては正しい制作に含まれるのだろう。アイデアとしては悪くないと思う。
その後、僕も参加する一〇〇メートル走もあり、これに関してはぶっちぎりで一位を取ってしまった。加減はしていない。
思い返せば、現世じゃこんなことは体験したことがなかった。小学生時代の僕は、運動神経もなく、クラスで平均よりやや下ぐらいの速さをキープしていたのだ。一位なんて夢のまた夢だった。
だから、今日は大人げもなく本気を出してしまった。確かにプルステラの仕様上、それなりに鍛えれば大人並の足の速さが生み出せるとは言うが、二位の子と二倍ぐらい差を出してしまったのだ。先生は勿論、録画をしていた両親やミカルも驚いていた。レンやコウタはやっぱりな、と言うように親指を立ててみせたが、正直、やりすぎてしまったと反省している。
『へー。ヒマリにこんな才能があったなんてねぇ。ママ、感心しちゃったー』
『うーむ。さすが洞窟を一人で探索しただけのことはある。将来は陸上選手だろうか?』
と、席に戻るなりユウリやダイチに個人チャットで讃えられたものの、タイキからは半ば呆れたように睨まれてしまった。
流れる汗は冷や汗に取って代わり、もはや引きつった笑いで誤魔化すしかなかった。
昼休み前の最後の種目としてコウタが出場する開拓競走は、当初の予想を遥かに上回る面白さだった。
何よりその、校庭に設置されたオブジェクトが凄まじい。二メートルはあるいくつもの木や二〇メートル四方の泥沼、中を潜るためのネットなど、あらゆる障害物が一つのコンテナから一挙にその場に現れたのだ。まるで魔法でも見るかのような演出に、観客は大いに沸いた。
「へぇー、あの箱にインベントリ機能があったんだー!」
と、ミカルは一式を収めていたコンテナ自体に着目し、目を輝かせた。
ミカルのことだ。早くも部屋から溢れそうになっている衣類を収納したいと考えているに違いない。
「でも、許容データ容量が決まってるから、何でも入るってわけじゃないと思うよ?」
「そうなんだ?」
これは、タイキから口頭で教わった高校の授業の範囲で、誕生日にユウリがローストチキンにやった「圧縮」とほぼ同等の機能である。
どちらの圧縮もアイテムデータを一つに固めるという意味では変わりないのだが、熱などの「状態」まで圧縮データ内に閉じ込める方法は、容量を縮めるどころか、熱データの分だけ容量が大きくなってしまう。
一方、今回のように持ち運びをする場合は、熱などの重いデータを無視する代わりに、データ容量を最大限まで減らすことが出来る、というわけだ。こうして圧縮すれば、インベントリに入れた時の重みも多少和らぐようになっている。
ただ、いくら縮めたとは言っても、PCのデータなんかとは違う。入れ物にはインベントリの役割をするものと、通常の鞄のように中にオブジェクトを入れるものと二種類あり、前者はどんな大きさのものでも縮められる代わりに、物理的な大きさとデータ容量、そのどちらも許容範囲の条件を満たさなければ収めることは出来ない。逆に、後者で収める場合、大きさや重量を気にしないのであれば、データ容量がいくら大きくても相応の大きさであればオブジェクトとして入れて運ぶことが出来る。これが、プルステラにおける容器や鞄といった入れ物の必要性、というわけだ。
……こんなことをミカルに話しても多分理解出来ないので、基本的に軽くて運べそうなものはインベントリに、データ容量が大きいものや重たいものは鞄なり入れ物に、と教えておいた。
そんな話をしている間に、種目の準備が整った。
コウタ達選手は横一列にずらりと並んでいた。両チーム五人ずつ、全部で十人。彼らは事前に配られた工具一式をインベントリに蓄えている。
「開拓競走も面白そうだよね。コウタ、大丈夫かな」
と僕が呟くと、後ろのレンは鼻を鳴らした。
「ああ見えて根性だけはあるんだよな、コウタのやつ。ちょろっと練習見たけどさ、すげー猛特訓してたんだぜ」
「へえー」
オブジェクトを再設置するのも大変なので、この種目だけはクラフト競走のように分けず、一斉に競走が行われる。そのため、トラックの中央に置かれた木は十本あり、反対側のトラックが見えなくなるほどの小さな林と化していた。
だいぶ聞き慣れたピストル音が鳴ると、選手達は一斉に第一関門である木に群がった。それぞれがインベントリを素早く操作し、小型のレーザー斧を取り出す。
カン、カカンと小気味良い音が次々とトラック中に鳴り響いた。十人が一斉に斧を振るうものだから、若干忙しない気もしないではない。
なお、木は本物ではなく、伐採の実習時に使われる特別な練習用オブジェクトで、倒れる際に直ぐに消えるようになっている。切り倒した後には丸太だけが残り、しばらくするとまた元の木に戻るらしい。
「見ろよ! コウタのやつ、結構速いぜ」
レンの言う通り、コウタは最初の伐採を抜け、三位だ。第二関門の草刈りのために斧をインベントリにしまい、直ぐに鎌を取り出す。
その場にしゃがみながら、鷲掴みにした雑草を一気に刈り、少しずつ前進していく。レーザー鎌とは言っても、鎌そのものの性質は変わらない。刃に触れただけでは切れないので、ちゃんと草を立たせる必要があった。
そこでコウタは若干遅れ、四位で第二関門を突破した。
第三関門は泥沼だ。真っ白な体操着を泥まみれにしながらジャブジャブと進んでいくのだが、足が取られて思うように進めない。
「がんばれぇコウター! ぜってー止まんじゃねーぞー!」
レンが立ち上がって熱い声援を送っている。
……何だか意外だった。レンはいつもコウタを苛めているように見えていたのに、実際はその真逆だったのだ。レンはコウタを一番の友達として認めており、むしろ仲がいいからこそ意地悪をしていたのだ。
――意地悪をしても険悪にならない間柄。弄られても笑っていられる間柄。僕には予想も付かないが、互いに認め合っているからこそ出来るのかもしれない。
コウタが泥を撒き散らしながら泥沼を突破した。レンの声援もあってか、二位にまで浮上。次に置かれた丸太の上の薪を素早く鉈で真っ二つにし、そのままスピードを落とさずに駆けていく。
最後の第五関門はネットだ。潜るだけでいい。これも相当練習したのだろう、ネットを手で浮かせながらしゃがみ歩きする姿はさまになっている。
ネットをはね除け、二人の選手が同時に最後の直線を走る!
すっかり泥だらけで赤も白も判らない姿だが、ゴールのテープを切ったのは――。
「うおおおおおーっ! コウタがやりやがったー!!」
レンの雄叫びに僕らもすっかり感化され、いつの間にか立ち上がって精一杯の拍手でコウタを称賛した。
泥だらけの彼が笑顔で走って戻ってくるや、皆から一斉にバケツの水が振りかけられる。……いやいや、既に寒いはずなのだが。
「わぷっ! さむっ!? こ、ここ、こんなの聞いてないよ!!?」
一瞬戸惑った表情を見せたコウタは、どこか嬉しそうでもあった。直ぐに何枚もタオルがかけられ、ゴシゴシと目茶苦茶にされていく。
「苛められてるのか讃えられてるのか、これじゃわかんないね」とミカルは苦笑する。
僕も笑いながら応える。「きっと、どっちもだよ」と。
午前の部のプログラムが終了したという旨のアナウンスが告げられ、一時間の昼休みとなった。
僕は両親とタイキの待つ後方へ小走りで駆けていった。
「おつかれさーん」
ダイチが水筒のコップを差し出し、僕はそれを軽く飲み干した。
「大活躍だな、ヒマリ。友達も凄かったぞ」
「うん、まあね」
言いながら靴を脱ぎ、シートの上に膝を曲げて座る。
この話題はあまり引っ張りたくないのだが、もはや回避不可能だろう。
「ほんと、驚いちゃった。いつの間に練習してたの?」
ユウリは弁当を広げながら訊ねた。
「えっと、朝練のお陰だよ! 最近お兄ちゃんと素振り……だけじゃなくてマラソンしてるもん」
ねー、とタイキに振ると、渋々彼は相槌を打ってくれた。
「へえー。そうだったの」
それで何とか誤魔化せたようで、ほっと一息つく。タイキも肩の荷が下りたような表情をしていた。……一応心配をかけてしまったのだ、後で謝ろう。
弁当は日の丸弁当に新鮮な玉子焼き、ご近所さんから貰った自家製ウインナー、もぎたてのプチトマトにレタス……などなど。
あの圧縮方法をすっかり覚えたユウリは、出来立ての状態を保ったまま弁当にしてくれた。お陰様で、湯気漂う豪勢な弁当となっている。
「凄いね。味が弁当の域を超えているよ」
「ええ。ほとんどご近所さんのお陰なんだけどね。運動会と聞いてみんなで作物を出し合ったのよ。……ほら、うちからはこのレタスとプチトマト」
ああ、そう言われてみれば、庭にあった畑にあった野菜だ。何度か怪物の襲撃でダメにしたが、根気よく続けていたらしい。幸い、育つのは現世の数倍早いので、運動会までには充分間に合っていた。
「午後は何に出るの、ヒマリ?」
「んぐんぐ……えっと、チャンバラ騎馬戦だよ」
「へー。どんな種目?」
そこで軽くルールを説明すると、ダイチが興味津々に身を乗り出した。
「いいなぁ! MMOみたいじゃないか。俺も出場したいぞ」
「……パパはそのお腹じゃ、騎手なんて絶対あり得ないよ」
「むぐ……それもそうか、はははは」
僕らは一斉に笑い合う。
温かい日射しに温かい弁当……そして温かい談笑。最高の一日だ。
運動会……か。本当に懐かしい。母さんが運動会に見に来ていたのは小学校でも最初の何年かだったから、あまり覚えていなかった。
学校も学校だし、形式ぶった運動会であまり面白みもなかったと記憶している。大気汚染が酷かったため、会場も広めの体育館だったし、青空の下で、だなんてまずあり得なかった。
だから、何もかもが新鮮だった。この時ばかりはヒマリであることに感謝した。二度と体感出来ないと思っていた、小学生の運動会というものを味わわせて貰ったのだ。
――いや、そうでもないか。この世界には転生というシステムがあったのだ。年月はかかるが、何度でも、僕は子供になって運動会を楽しむことが出来る。それも悪くない――。
「ところでヒマリ、最近メールでやり取りしているイギリスの人とはどうなったんだ?」
と、突然タイキに振られ、僕は、あっと思い出した。
「うん。エリカさんね、日本サーバーに来たいって言ってたよ」
「あら、いいじゃない。うちに泊めてあげたら?」とユウリ。
「でも、なんか事情があるっぽくて、誘ったんだけど来づらいみたい」
「そうなの? 出国の手続きかしら」
エリカとはだいぶ仲良くなれた、と思う。彼女はどちらかと言えば積極的で、遠慮もあまりしないタイプである。
なのに、何かしらの悩みを抱えているようで、日本に来ることを薦めても「考えさせて」の一点張りだった。
先日、どんな悩みでも相談に乗るから良かったら事情を話して欲しい、と返答しておいた。その返事はまだ来ていない。……後は、彼女の気持ち次第だろう。
余った時間でミカルと会話をしたりしていると、あっと言う間に時間は過ぎ去った。
アナウンスが告げられ、いよいよ午後の部が開始される。
途端に、重い緊張がのしかかってきた。
ちらと得点ボードを見ると、赤組は148、白組は163となっている。ほんの僅かに劣勢だが、巻き返すにはまだまだ余地がある。
僕は靴紐を結び直し、頬を強く叩いて気合を入れ直した。
仮想世界〈プルステラ〉日本サーバー 第〇六三一番地域 第五五三番集落
運動会当日。整備された土の運動場に集まったのは父兄だけじゃない。集落に住まうあらゆる人が仕事を止めてまで見に来ていた。
この運動会はただの学校行事というだけではない。既に一世紀も前に大気汚染で廃れてしまった屋外行事全般を代表しての「復活祭」でもあるのだ。
本当は八月に花火大会がその第一弾として開催される予定だったのだが、黒竜ディオルクの襲撃で延期となってしまっていた。……まぁ、秋祭りとか収穫祭とかにした方が断然楽しい。プルステラの秋は食べ放題なのだから。
赤と白の帽子を被った児童達が校庭を綺麗に埋め尽くし、トラックの外側では保護者が見守る中、朝礼台に立つ校長は開会式の挨拶を長々と述べた。このプルステラの美しい青空の下、運動会が開催出来たことを嬉しく思い……等と例によって形式張った長ったらしい話だったのだが、この日ばかりは誰もが感慨深く一言一句を噛みしめていた。
次に、代表の生徒から真新しい優勝旗が校長に手渡され、高らかに選手宣誓の言葉が述べられた。
第一回目の運動会。優勝旗には何も付いていない。今日、日が沈む頃には紅白いずれかのリボンが確実に取り付けられることだろう。
トラックの外側の指定席に戻ると、デジタルの魂だというのに、生徒達の熱気、或いは闘気のようなものを肌に感じた。
横を見れば、トラックのラインすれすれにずらりと並んだ紅白の戦士たち。普段は天然でぽやーっとしているミカルまで、きゅっと唇を締め、膝を抱える手に力を込めながら、真剣な眼差しを優勝旗に送っている。
更にぐるっと周囲を見渡してみると、斜め後方にタイキや両親の姿。偶然にも目が合ってしまい、彼らは笑顔で手を振ってきた。ほんの少しだけ手を振り返してみせたが、途端に恥ずかしくなって直ぐに前に向き直った。
「あ、ヒマリちゃんの家族、みんな来てたんだ」
いつもの調子に戻ったミカルちゃんが身を丸くして話しかけてきた。
「うー、何だか恥ずかしいよぉ……」
「ははは……だよねー。ずっと見られてるもんね。こういうのも」
普段見せないコスプレのような体操着姿。それを見て両親やタイキが微笑み、喜ぶのだ。持ってきたハンディカメラで立体録画だってされるだろうし、そう思うと、下手に顔は見せられない。こうして自分の出番を待つ間はじっと耐えるしかないのだ。
運動会の種目は予め父兄にも配られたプログラム通りに進んでいく。ミカルが出場するクラフト競走は二番手なので、彼女は直ぐに立ち上がり、準備に向かった。横がスカスカに空いてしまったので、競技の見学に集中することにする。
……そのつもりだったのだが。
『ヒマリー! こっち向いてー!』
突然個別チャットで話しかけてきたユウリママにがくっと肩を落とす。
振り返ってはいけない。これは罠だ。
『ヒーマーリー!』
あまりにもやかましいので振り返らずにそっと応える。
『んもー! 必要ないところで録画しないでよー!』
『えー! 何でぇー?』
『恥ずかしいんだってば……』
『んー! そんなヒマリが可愛くて録っちゃうっ!』
『…………』
僕はチャット相手をポチポチと操作し、タイキに切り換えた。
抱えた膝の中でぶつぶつと呪文を唱えるように話しかける。
『……お兄ちゃん? ママがストーカー紛いの録画してくるの、何とかして』
『はっははは! 分かった分かった。何とかするから』
個別チャットで話しているユウリの声を聞いたのだろう。話しかけた時にはタイキは既に笑っていた。
そんなやり取りを何度かしている間にクラフト競走が始まった。
一体どんなものがお題の候補になっているのだろう、と目を凝らすと、トラックの中央に横並びで置かれた生徒用の机の上に木片やら金属片やら、紙などもある。
――紙なら折り紙を作れば直ぐに終わるけど……みんな知っているのだろうか。
ミカルなら大丈夫だろう。制作ルールを見つけ出した時に僕が伝授したわけだし。多分、紙が置かれたのは、僕が以前の集会で折り鶴を見せたからかもしれない。だとすると少々懐かしさを感じる。あれから三カ月も経ったのだ。
しかし、ミカルの出番は一番最後……つまりアンカーだ。折り紙も毎回用意されるわけじゃないし、必ず使えるとも限らない。
『第一走者、位置に着いて』
進行役の女先生の声が響く。
『よぉーい!』
スターターのピストル音が空気を震わせた。
五年生の子六人が一斉に駆け出し、二十メートル先のテーブルに詰め寄る。素材をボロボロと落としながらもあれやこれやと取り合いをし、必要ないものはそこら中に散らかされる。
「投げなければ必要のない素材は落としてもいい」――このルールに則った結果がこれなのだが、落とした素材にも群がろうとするものだから、結局押し合いへし合いとなり、先生がピーピーと笛を吹いて待ったをかけている。
「……なんだか……すげーシュールな競走だなぁ……」
レンが率直な感想を後ろから述べた。
「はは……ミカルちゃん、大丈夫かな」
「さーな」
体育座りをして第一走者を見守るミカルは、何かを悟ったように目を細め、ただじっと自分の出番を待っていた。
……あぁ、きっと練習で相当な修羅場を乗り越えたのだろう。あれはそういう目なのだ――。
第一走者達に向き直ると、あの紙を手にしたのは赤組の子だった。
空いたテーブルを利用して紙を折り、あっと言う間に鶴を作り上げる。合同練習でミカル辺りが教えたのだろうか。判定の教師が旗を揚げたのでその先のゴールへ走っていく。実に快調な滑り出しだった。
続いて白、赤、白、白、赤の順でゴールする。先頭の三人が点数となるので、赤二点、白一点が校舎の得点ボードに加算された。
ところが、快調なのは最初だけだった。二組目からどんどん難しい素材に変わっていくのだ。中には既に完成されたモノも置かれてあり、カスタマイズによる制作が要求されている。
なお、何の素材が出るかは、用意された素材セットから完全ランダムで選ばれるのだそうだ。五組目を越えた辺りで、さすがのミカルの目の色も変わりだした。
「うーん、何だか判らないのも混じってんな。魚の形をした……容器……?」
と、レンが身体を乗り出して机の上の小さな物体を指差した。
「あれ、見たことある。弁当に付いてくるやつだよ。えっと、醤油が入ってる」
「あ、あれかー!」
しかし残念なことに、その小さな赤い蓋は机の下に落ちていて、醤油差しを選んだ赤組の子は見つけられずにおろおろと辺りを探し回っていた。
他にも、ボールペンの組み立てだとか、ビーズを針金に通してアクセサリーを作るだとか、ラッピング用のリボンを作るだとか……段々、クラフトと聞いて疑問が頭に浮かぶようなものばかりが登場してくる。
「……一円ぐらい稼げそうかな、アレ」
「ぜってー手抜きだろ、アレ」
僕らは半ば呆れた表情でその成り行きを見守っていた。
ところが、ミカルの出番であるアンカーになると、途端にお題の方向性が一転、選手達の緊張は最高潮に達した。
スタート前にテーブルに並べられたモノを確かめてみる。
粘土、大きさの違う竹の筒、太さの違う竹の棒、笹の葉、斜めに削られた竹の板……などなど、似たような竹の素材ばかりが目につくが、粘土だけは唯一、これだけを用いれば何かを作って終わらせることが出来る。ただし、このような実にアナログな物体は、規定の形状にならないとアイテムのプロパティでは「制作中」と見なされるのだ。簡単そうで実に難しい。
ピストル音が鳴り、アンカーが一斉に駆け出した。ミカルがまず手に取ったのは大きめの竹の筒である。あれこれと観察していると、どうやら底に穴が空いていることに気付いたようだ。思い当たる節があるのか、更にテーブルに手を伸ばすが、要らない、と白の選手に捨てられた紐が土の上に転がってしまった。
ミカルはそれが欲しかったのだろう。紐に手を伸ばすが、他の選手に踏まれてしまう。それでも無理矢理足を押し退けて糸を引き抜くと、紐についた土をさっと払い、残るパーツを一気にかき集めた。
細い竹の棒に布を巻き付け、玉状にしたところで先端を紐できつくしばる。余った紐を歯で噛み切り、根元も固定。更に棒の反対側の部分には直角に小さな竹筒を取り付け、最後に穴の空いた大きな筒にその棒を布の巻いた側から押し込む。――水鉄砲の完成だ。
同じ頃、白組の生徒が別のパーツで竹トンボを作り上げた。ミカルははっとなって判定の旗が揚がると同時に慌てて駆けだし、僅差でゴールした。これで、一位はミカル、二位は白組の生徒が確定した。
三位決定戦は熾烈を極めた。
粘土をこねる白組の子と、笹の葉をいじる赤組の子。
笹の葉はしばらく考えていたその女子生徒が、ふいに両端を二つに折り曲げた。その両端に二つの切れ込みを、爪でそれぞれ等間隔に入れ、三つに分けた部分のうち、端の一房をもう一つの房の中に入れて組み合わせた。これを反対側も同様にして行い、簡単な笹の船が完成した。
粘土をいじっていた生徒は象を完成させたが、置いた瞬間に足が折れ、いわゆる「正体不明」状態になる。残念ながらそれは認められないということで失格となった。
よって、笹船を作った赤組の生徒が三位となり、これで赤組が一点リードしたわけだが、途中までの結果と合わせると残念ながら白組が僅かにリードしてしまった。
「うーん、残念残念。負けちゃったー」
種目が終わって戻ってきたミカルがペロッと舌を出し、横に座った。
「何言ってるの。ミカルちゃん、大活躍だったじゃない」
うーん、と彼女は苦笑した。
「そりゃー個人だったら勝ってたけど、団体戦だもん。もうちょっと指導すればよかったなぁって」
「そっか……。でも、やっぱりミカルちゃんが教えてたんだね」
「どれもこれもってわけじゃないよ? ゲンロクさんから教わったのだってあるし。手だけで作れるものってありませんかーって訊いてね」
「へえ」
さすが集落でも年輩の職人だ。竹細工のことを教えたのはゲンロクだと言う。
「先生からは、お題のアタリを付けてくれたの。こういう素材から出ますよーって」
「そうだったんだ。それなら後は作り方を教わるだけだったんだね」
まるで中間か期末テスト前の試験範囲を知らされるかのようだ。
ゲンロクさんは差し詰め、塾の講師といったところか。
「でも、あのボールペンとかはないよぉ。お母さんが現世で時々やってた在宅ワークみたいだもん」
「ははははは」
まぁ、分解した部品、つまり制作中となった部品を再度組み立てることで一つのアイテムに変えるわけで、クラフトという意味合いとしては異なるが、プルステラの制作ルールとしては正しい制作に含まれるのだろう。アイデアとしては悪くないと思う。
その後、僕も参加する一〇〇メートル走もあり、これに関してはぶっちぎりで一位を取ってしまった。加減はしていない。
思い返せば、現世じゃこんなことは体験したことがなかった。小学生時代の僕は、運動神経もなく、クラスで平均よりやや下ぐらいの速さをキープしていたのだ。一位なんて夢のまた夢だった。
だから、今日は大人げもなく本気を出してしまった。確かにプルステラの仕様上、それなりに鍛えれば大人並の足の速さが生み出せるとは言うが、二位の子と二倍ぐらい差を出してしまったのだ。先生は勿論、録画をしていた両親やミカルも驚いていた。レンやコウタはやっぱりな、と言うように親指を立ててみせたが、正直、やりすぎてしまったと反省している。
『へー。ヒマリにこんな才能があったなんてねぇ。ママ、感心しちゃったー』
『うーむ。さすが洞窟を一人で探索しただけのことはある。将来は陸上選手だろうか?』
と、席に戻るなりユウリやダイチに個人チャットで讃えられたものの、タイキからは半ば呆れたように睨まれてしまった。
流れる汗は冷や汗に取って代わり、もはや引きつった笑いで誤魔化すしかなかった。
昼休み前の最後の種目としてコウタが出場する開拓競走は、当初の予想を遥かに上回る面白さだった。
何よりその、校庭に設置されたオブジェクトが凄まじい。二メートルはあるいくつもの木や二〇メートル四方の泥沼、中を潜るためのネットなど、あらゆる障害物が一つのコンテナから一挙にその場に現れたのだ。まるで魔法でも見るかのような演出に、観客は大いに沸いた。
「へぇー、あの箱にインベントリ機能があったんだー!」
と、ミカルは一式を収めていたコンテナ自体に着目し、目を輝かせた。
ミカルのことだ。早くも部屋から溢れそうになっている衣類を収納したいと考えているに違いない。
「でも、許容データ容量が決まってるから、何でも入るってわけじゃないと思うよ?」
「そうなんだ?」
これは、タイキから口頭で教わった高校の授業の範囲で、誕生日にユウリがローストチキンにやった「圧縮」とほぼ同等の機能である。
どちらの圧縮もアイテムデータを一つに固めるという意味では変わりないのだが、熱などの「状態」まで圧縮データ内に閉じ込める方法は、容量を縮めるどころか、熱データの分だけ容量が大きくなってしまう。
一方、今回のように持ち運びをする場合は、熱などの重いデータを無視する代わりに、データ容量を最大限まで減らすことが出来る、というわけだ。こうして圧縮すれば、インベントリに入れた時の重みも多少和らぐようになっている。
ただ、いくら縮めたとは言っても、PCのデータなんかとは違う。入れ物にはインベントリの役割をするものと、通常の鞄のように中にオブジェクトを入れるものと二種類あり、前者はどんな大きさのものでも縮められる代わりに、物理的な大きさとデータ容量、そのどちらも許容範囲の条件を満たさなければ収めることは出来ない。逆に、後者で収める場合、大きさや重量を気にしないのであれば、データ容量がいくら大きくても相応の大きさであればオブジェクトとして入れて運ぶことが出来る。これが、プルステラにおける容器や鞄といった入れ物の必要性、というわけだ。
……こんなことをミカルに話しても多分理解出来ないので、基本的に軽くて運べそうなものはインベントリに、データ容量が大きいものや重たいものは鞄なり入れ物に、と教えておいた。
そんな話をしている間に、種目の準備が整った。
コウタ達選手は横一列にずらりと並んでいた。両チーム五人ずつ、全部で十人。彼らは事前に配られた工具一式をインベントリに蓄えている。
「開拓競走も面白そうだよね。コウタ、大丈夫かな」
と僕が呟くと、後ろのレンは鼻を鳴らした。
「ああ見えて根性だけはあるんだよな、コウタのやつ。ちょろっと練習見たけどさ、すげー猛特訓してたんだぜ」
「へえー」
オブジェクトを再設置するのも大変なので、この種目だけはクラフト競走のように分けず、一斉に競走が行われる。そのため、トラックの中央に置かれた木は十本あり、反対側のトラックが見えなくなるほどの小さな林と化していた。
だいぶ聞き慣れたピストル音が鳴ると、選手達は一斉に第一関門である木に群がった。それぞれがインベントリを素早く操作し、小型のレーザー斧を取り出す。
カン、カカンと小気味良い音が次々とトラック中に鳴り響いた。十人が一斉に斧を振るうものだから、若干忙しない気もしないではない。
なお、木は本物ではなく、伐採の実習時に使われる特別な練習用オブジェクトで、倒れる際に直ぐに消えるようになっている。切り倒した後には丸太だけが残り、しばらくするとまた元の木に戻るらしい。
「見ろよ! コウタのやつ、結構速いぜ」
レンの言う通り、コウタは最初の伐採を抜け、三位だ。第二関門の草刈りのために斧をインベントリにしまい、直ぐに鎌を取り出す。
その場にしゃがみながら、鷲掴みにした雑草を一気に刈り、少しずつ前進していく。レーザー鎌とは言っても、鎌そのものの性質は変わらない。刃に触れただけでは切れないので、ちゃんと草を立たせる必要があった。
そこでコウタは若干遅れ、四位で第二関門を突破した。
第三関門は泥沼だ。真っ白な体操着を泥まみれにしながらジャブジャブと進んでいくのだが、足が取られて思うように進めない。
「がんばれぇコウター! ぜってー止まんじゃねーぞー!」
レンが立ち上がって熱い声援を送っている。
……何だか意外だった。レンはいつもコウタを苛めているように見えていたのに、実際はその真逆だったのだ。レンはコウタを一番の友達として認めており、むしろ仲がいいからこそ意地悪をしていたのだ。
――意地悪をしても険悪にならない間柄。弄られても笑っていられる間柄。僕には予想も付かないが、互いに認め合っているからこそ出来るのかもしれない。
コウタが泥を撒き散らしながら泥沼を突破した。レンの声援もあってか、二位にまで浮上。次に置かれた丸太の上の薪を素早く鉈で真っ二つにし、そのままスピードを落とさずに駆けていく。
最後の第五関門はネットだ。潜るだけでいい。これも相当練習したのだろう、ネットを手で浮かせながらしゃがみ歩きする姿はさまになっている。
ネットをはね除け、二人の選手が同時に最後の直線を走る!
すっかり泥だらけで赤も白も判らない姿だが、ゴールのテープを切ったのは――。
「うおおおおおーっ! コウタがやりやがったー!!」
レンの雄叫びに僕らもすっかり感化され、いつの間にか立ち上がって精一杯の拍手でコウタを称賛した。
泥だらけの彼が笑顔で走って戻ってくるや、皆から一斉にバケツの水が振りかけられる。……いやいや、既に寒いはずなのだが。
「わぷっ! さむっ!? こ、ここ、こんなの聞いてないよ!!?」
一瞬戸惑った表情を見せたコウタは、どこか嬉しそうでもあった。直ぐに何枚もタオルがかけられ、ゴシゴシと目茶苦茶にされていく。
「苛められてるのか讃えられてるのか、これじゃわかんないね」とミカルは苦笑する。
僕も笑いながら応える。「きっと、どっちもだよ」と。
午前の部のプログラムが終了したという旨のアナウンスが告げられ、一時間の昼休みとなった。
僕は両親とタイキの待つ後方へ小走りで駆けていった。
「おつかれさーん」
ダイチが水筒のコップを差し出し、僕はそれを軽く飲み干した。
「大活躍だな、ヒマリ。友達も凄かったぞ」
「うん、まあね」
言いながら靴を脱ぎ、シートの上に膝を曲げて座る。
この話題はあまり引っ張りたくないのだが、もはや回避不可能だろう。
「ほんと、驚いちゃった。いつの間に練習してたの?」
ユウリは弁当を広げながら訊ねた。
「えっと、朝練のお陰だよ! 最近お兄ちゃんと素振り……だけじゃなくてマラソンしてるもん」
ねー、とタイキに振ると、渋々彼は相槌を打ってくれた。
「へえー。そうだったの」
それで何とか誤魔化せたようで、ほっと一息つく。タイキも肩の荷が下りたような表情をしていた。……一応心配をかけてしまったのだ、後で謝ろう。
弁当は日の丸弁当に新鮮な玉子焼き、ご近所さんから貰った自家製ウインナー、もぎたてのプチトマトにレタス……などなど。
あの圧縮方法をすっかり覚えたユウリは、出来立ての状態を保ったまま弁当にしてくれた。お陰様で、湯気漂う豪勢な弁当となっている。
「凄いね。味が弁当の域を超えているよ」
「ええ。ほとんどご近所さんのお陰なんだけどね。運動会と聞いてみんなで作物を出し合ったのよ。……ほら、うちからはこのレタスとプチトマト」
ああ、そう言われてみれば、庭にあった畑にあった野菜だ。何度か怪物の襲撃でダメにしたが、根気よく続けていたらしい。幸い、育つのは現世の数倍早いので、運動会までには充分間に合っていた。
「午後は何に出るの、ヒマリ?」
「んぐんぐ……えっと、チャンバラ騎馬戦だよ」
「へー。どんな種目?」
そこで軽くルールを説明すると、ダイチが興味津々に身を乗り出した。
「いいなぁ! MMOみたいじゃないか。俺も出場したいぞ」
「……パパはそのお腹じゃ、騎手なんて絶対あり得ないよ」
「むぐ……それもそうか、はははは」
僕らは一斉に笑い合う。
温かい日射しに温かい弁当……そして温かい談笑。最高の一日だ。
運動会……か。本当に懐かしい。母さんが運動会に見に来ていたのは小学校でも最初の何年かだったから、あまり覚えていなかった。
学校も学校だし、形式ぶった運動会であまり面白みもなかったと記憶している。大気汚染が酷かったため、会場も広めの体育館だったし、青空の下で、だなんてまずあり得なかった。
だから、何もかもが新鮮だった。この時ばかりはヒマリであることに感謝した。二度と体感出来ないと思っていた、小学生の運動会というものを味わわせて貰ったのだ。
――いや、そうでもないか。この世界には転生というシステムがあったのだ。年月はかかるが、何度でも、僕は子供になって運動会を楽しむことが出来る。それも悪くない――。
「ところでヒマリ、最近メールでやり取りしているイギリスの人とはどうなったんだ?」
と、突然タイキに振られ、僕は、あっと思い出した。
「うん。エリカさんね、日本サーバーに来たいって言ってたよ」
「あら、いいじゃない。うちに泊めてあげたら?」とユウリ。
「でも、なんか事情があるっぽくて、誘ったんだけど来づらいみたい」
「そうなの? 出国の手続きかしら」
エリカとはだいぶ仲良くなれた、と思う。彼女はどちらかと言えば積極的で、遠慮もあまりしないタイプである。
なのに、何かしらの悩みを抱えているようで、日本に来ることを薦めても「考えさせて」の一点張りだった。
先日、どんな悩みでも相談に乗るから良かったら事情を話して欲しい、と返答しておいた。その返事はまだ来ていない。……後は、彼女の気持ち次第だろう。
余った時間でミカルと会話をしたりしていると、あっと言う間に時間は過ぎ去った。
アナウンスが告げられ、いよいよ午後の部が開始される。
途端に、重い緊張がのしかかってきた。
ちらと得点ボードを見ると、赤組は148、白組は163となっている。ほんの僅かに劣勢だが、巻き返すにはまだまだ余地がある。
僕は靴紐を結び直し、頬を強く叩いて気合を入れ直した。
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