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Section3:揺れる魂(アニマ)
21:十二歳の誕生日 - 1
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早朝から鳴り止まぬセミの鳴き声をアラームに目が醒めた。
伸びをし、ベッドからズルズルと這い出る間に日は昇り、黄金の日射しが部屋を突き抜けると、瞬く間に汗をかく程の気温になる。
着がえる服はどうしよう。薄着にしようか。いくら直ぐに乾くとはいえ、汗で服を濡らすのはもう嫌だ。本来なら特別な日だから思い切ってドレスなんかで着飾るべきなんだろうが、最近は妙な羞恥心が付いちゃって、胸元が見えそうな服だけは着たくない。
ディオルクのせいだ、と心の中で毒突いた。「あれ」以来、どうしても肌を曝け出すのが苦手になってきてしまっている。中身は男だってのに。
「ヒマリー!? 起きてるー!?」
階下から急かすユウリママの声に、
「起きてるよママー!」
と、クローゼットの中をがちゃがちゃと漁りながら大声で応える。
「急がないと、お友達が来ちゃうわよー!」
「今行くよぉー!」
時計を見るとまだ七時過ぎではあるが、これから色々準備しなくてはならないのだ。
散々考えて、ヒマリの象徴でもある向日葵が描かれた白いTシャツにジーンズのホットパンツという無難な格好になった。ワンピースは我慢できるのに、スカートを穿くというのにはまだ抵抗があった。
ドアを開けると、階下から美味しそうな匂いが漂ってきた。これはオーブンで焼いているローストチキンの匂いだろう。
緊張と、興奮と、堪えきれない楽しさ……その全てがこの胸に集まり、鼓動を高鳴らせている。
八月十日。今日はプルステラに来て初めて迎える誕生日だ。
無論、ユヅキのではない。
この身体――ミカゲ ヒマリの、記念すべき十二回目の誕生日である。
◆
西暦二二〇三年八月十日
仮想世界〈プルステラ〉日本サーバー 第〇六三一番地域 第五五三番集落
欠伸を噛み殺しながら階段を一段ずつ下りていくと、僕の姿を見たユウリママが呆れたふうに言った。
「ちょっと、ヒマリ? そんな格好じゃなくて、ドレス着なさいよ。ミカルちゃんに貰ったのがあるでしょ?」
「えー? これだってミカルちゃんのだよぉ?」
ぶっちゃけ、全部ミカルちゃん作なのだが。
「白いドレスがあったでしょう? アレにしときなさいよ。頭にはリボンも付けて」
「うー。また着替えるのー?」
「もう十二歳になったんだから、少しは女の子らしくしなさいな。……でも、汚すといけないから、朝食食べてからでいいわよ」
「……はーい」
汗は落ちるけど食べ物などの第三の介入による汚れはどうしても洗うしかない。プルステラで洗濯の手間は無くなったかと思ったら、実はそうでもないのだ。
二股トカゲのウイルスのワクチンを作り出してから、ユウリはようやく家事を引き受けるようになった。料理の腕は相変わらずだが、仕事の合間に洗濯やら掃除やらは欠かさず行っている。
ユウリはそんな相変わらずの腕で、今日はレシピブックを見ながら僕やゲストのためにローストチキンを作ってくれていた。まぁ、匂いから察するに焦げる心配はないだろう。レシピを見ながら忠実に再現しようという姿勢は研究者ならではの性格だ。
――しかし。
「ねぇ、ママ。今から焼いたら三十分で出来ちゃうよ? みんなが来る頃には冷めちゃうんだけど」
「えっ!?」
三時間も四時間もかける料理ではない。そこまでは頭が回らなかったのだろう、ユウリママは「しまったー!」と頭を抱えてうずくまった。
「まぁ、でも大丈夫だよ。アイテムデータを圧縮すれば、熱情報は半日まで保てるから」
「はー……良かった。一羽まるまる無駄になるかと思ったわ。……ねぇ、それ、どうやるの?」
「もー、しょうがないなあ。インベントリからダブルタップしてサブメニュー開くのー」
「あ、これかー。サンキュー」
家事になるとどこかそそっかしいのがユウリママの欠点である。多分、八割方は慣れていないのが原因だろう。
タイキの話では、ユウリはプルステラへの移住や、ヒマリの魂をアニマ・バンクに入れるために看護士として働いて稼ぎ、空いた時間にはプルステラでの医療技術をも先に勉強していたという。それ故に、こうして失敗しながらも家事が出来るのは全てが片づいた証拠、とも言える。怪我人が来れば面倒を見ることもあるが、ようやく、今になって主婦に生まれ変われたのだ。
「パンがあるから、それ食べてなさい。お隣のおばちゃんからジャムも貰ってるわよ」
「うん」
机の上は様々な調理器具でごたついている。これからケーキかクッキーも作る予定らしく、星やハートの型や、泡立て器まで置いてある。
その僅かなスペースに小さな皿を置き、僕は一人で黙々とジャムを塗りたくったパンを齧り始めた。誕生日に限ってこんな状態で朝食を食べるのは如何なものか。
「ところで、お兄ちゃんはどうしたの?」
「タイキは昼までに戻ってくるわよ。早朝からバイクで出かけてるわ」
「えー? こんな時に遠出? 一体どこへ行ったの?」
「それが、誰にもナイショなんだって。GPSは使わない方がいいわよ。『ネタバレになる』そうだから」
恐らく誕生日プレゼントのことだと思うけど……どういうことだろう。
まぁ、知らない方が楽しいだろうから、そのままにしておこう。
一切れのパンを食べ、冷蔵庫から直接牛乳を注いで飲み、着替えをするために改めて二階へ戻った。
――やれやれ。あのドレスは油断すると全体的に透けちゃうんだけどなぁ……。
◆
正午になって、約束通り今日のゲスト達が続々とやって来た。
最初に来たのはミカルだ。ディオルクの襲撃以来、こうして毎日のように元気な顔を見せてくれると、無事で良かったと嬉しくなる。
「……だからって、毎回抱きつかなくていいんだよ、ヒマリちゃん……」
「はっ!」
いけないいけない。これじゃ、軽いセクハラ行為じゃないか。
「でもね」と、ミカルは恥ずかしそうに俯いた。「あたしからしたら、ヒマリちゃんが元気なのがホント嬉しいよ」
「ミカルちゃん……」
不覚にも、その言葉だけでじーんとしてしまった。
……なんだか、最近涙脆くなっちゃったな。
次に来たのはレンとコウタだった。アレ以来、大人っぽい性格に成長しつつあるレンは、顔を合わせるや誕生日おめでとうと言ってくれた。
コウタもミカルの助けで少しばかりカッコいい服に身を包むようになった。ただ、それでも苛められっ子なのには変わりなく、ミカルからは女子受けしそうな可愛い系の服装にいじられてしまっている。本人は満更でもないのか、何も言い返すことは無く、レンはそんなコウタを見る度に笑いを堪えているようだった。
「ヒマリー、あと誰が来るんだ?」
先にテーブルの席に着いたレンが訊ねた。
「お兄ちゃんと、パパだけど?」
「なんだ。お前、英雄だからもっと呼んで来ると思ったんだけどな」
「それを言うなら『ヒロイン』だって。……今日は水曜日だもん。わたしたちは夏休みだけど、大人はみんなお仕事だよ?」
ダイチパパは最近、防衛用の柵を作る仕事に就いたらしいが、それも今日は娘のためと午後休を取るらしい。気楽なものである。
しかし、考えてみればこのヒマリという少女の誕生日は、ミカゲ家にとって最も重要なイベントと言えるだろう。
何せ、ヒマリが大気汚染病で亡くなったのは、十歳の時だ。家族に祝して貰うこともなく、見知らぬ無機質なベッドの上で果てた彼女や家族の想いは……さぞかし無念だったに違いない。それが二年ぶりに祝せるというのだから、どれだけ嬉しいことか。
そこへ、噂をすればタイキが帰って来た。数分遅れて、ダイチも帰って来る。
それぞれが席に座り、僕だけは両側から注目を集める誕生日席に陣取る形になった。
――仮初めの主賓、ヒマリの影武者として。
テーブルには「解凍」したばかりのローストチキンと、僕の前には大きなバースデーケーキ。
明かりが消され、十二本の蝋燭がぼんやりとした光を放つ。そのひとつひとつが、まるでヒマリを形成する魂のように思えた。
皆が手を叩いて高らかにバースデーソングを歌い、大きな喝采に包まれる中、僕は一つずつ長い息で小さな火を吹き消し、敢えて真ん中の一本だけを残した。
「ヒマリ? ふざけてないで、全部消さなきゃ」
怪訝そうな顔を向けるユウリに、僕は静かに首を振った。
「ここまでで十一歳の誕生日なんだよ」
「あ……」
ユウリはその事に気付くと、咄嗟に両手で顔を覆った。
「……ご、ごめんなさい。やだな、私ってば」
かろうじて泣き笑いで留めるも、大粒の涙は次から次へと頬に零れ落ちる。そんな彼女に、ダイチパパが気遣ってハンカチを渡す。
「そうね……十一歳、無かったものね。おめでとうヒマリ。もう一回歌わなくちゃ」
ミカル達は何のことかときょとんとしていたが、面白がって付き合ってくれた。
歌い終わると、僕はとうとう最後の一本を、そっと吹き消した。……これで、正真正銘、十二歳になれたのだ。
「まずはあたしから、ヒマリちゃんにプレゼント! はいっ!」
ミカルはインベントリからオブジェクト化したプレゼントボックスを僕に差し出した。
「ありがとう!」
多分服だろうなぁ、と思って包みを開けてみると、いい方に期待を裏切ってくれた。
「わ、すっごーい!」
何と、テディベアである。手足には肉球まで別の素材で作られていて、胸元には赤いストライプのリボン。
手触りで判る。これは紛れもなく何かの毛皮を使っている。フェイク・ファーなんかじゃない。
「ありがとう、ミカルちゃん!」
「えへへー。服はまた今度ね」
考えてみれば、服は毎日のように貰っているので、それじゃあ誕生日プレゼントにならないだろう、と考えたに違いない。
リボンの表面には「HIMARI」と、金の刺繍まで施されている。芸が細かい。
「くっそー。ミカルのプレゼントはレベル高ぇよな。……はい、次はオレとコウタから」
「改めて、誕生日おめでとう、ヒマリちゃん」
レンが半ば諦めたように差し出したのは、コウタと一緒に作ったという、ウイスキー瓶のボトルシップだった。
意外にも渋いところを突いて来る。瓶の中には水に浮かんだヨットが漂っていた。
何というかこれは……ヒマリよりも僕自身が欲しいものだった。
「あまり揺さぶるなよ。直ぐ壊れちまうからな」
照れくさそうに注意するレンと、照れくさくて俯いているコウタに、最高の笑顔でありがとう、と礼を言った。
「何だかみんなのが凄くて、私達のが霞んでしまうけど……」
と、まだ顔を赤くしているユウリママが渡してくれたのは、丸い真鍮製のペンダントだった。表面には向日葵の絵が彫られていて、パカッと蓋を開けると、中に家族写真が納まっていた。
「これ……」
写真には見覚えがない。ヒマリも何だか少し幼く見える。
「あなたが八歳の時の写真ね。家族みんなで撮った時のものよ。……忘れちゃったかな」
……じっと見入ってしまった。
両親と、その横に立つタイキ。そして、ユウリに抱えられるように前に立つ、ヒマリ。
ヒマリは両手を揃え、お行儀のいい姿勢で自然な笑顔を見せている。八歳とは思えないほどしっかりした性格を感じさせる風貌だ。
僕は蓋を閉じ、胸の中で一度ぎゅっと握り締めてから、チェーンを首にかけた。
「ありがとうママ、パパ。大切にするね!」
ユウリとダイチは互いに顔を見合せ、満足そうに微笑んだ。
最後に、タイキが前に出て薄い包みを渡してくれた。手に持った感触は少し固めの板状である。大きさも両手に収まるほど、割と小さい。
「そいつは後で、一人になってからじっくり見てくれ。多分、その方がお前にとっても嬉しいと思うからさ」
「うん? わ、わかった」
誰もが何だろう、と興味を示すものの、立ち入ってはならない領域と思ったか、一人として口を挟むことはなかった。
◆
ローストチキンを空にし、ケーキも食べ尽くし。
日が傾くまで外で遊び――そして、今日という大事な日の夜が訪れる。
またね、と別れる友達に手を振ると、一抹の寂しさを感じた。
何か大事なものを失ったような、そんな切ない感覚。
でも、友達は絶対にいなくならない。また明日会えばいい。チャットだって使えばいい。……だから、直ぐに寂しいなんて気持ちはなくなるのだ。
僕は半ば放心状態で部屋に戻り、まだ残された愉しみを開封することにした。
タイキは何も言ってこない。多分、朝からコイツを取りにいったのだ。ここに全ての答えがある。
「あ……」
ゆっくりと包みを剥がすと、それは濃い空色のフォトフレームだった。ちらと横を見ると、タンスの上にも、色は違うが同じものがある。
でも……これは知っているものだ。僕が知っている色だった。
伸びをし、ベッドからズルズルと這い出る間に日は昇り、黄金の日射しが部屋を突き抜けると、瞬く間に汗をかく程の気温になる。
着がえる服はどうしよう。薄着にしようか。いくら直ぐに乾くとはいえ、汗で服を濡らすのはもう嫌だ。本来なら特別な日だから思い切ってドレスなんかで着飾るべきなんだろうが、最近は妙な羞恥心が付いちゃって、胸元が見えそうな服だけは着たくない。
ディオルクのせいだ、と心の中で毒突いた。「あれ」以来、どうしても肌を曝け出すのが苦手になってきてしまっている。中身は男だってのに。
「ヒマリー!? 起きてるー!?」
階下から急かすユウリママの声に、
「起きてるよママー!」
と、クローゼットの中をがちゃがちゃと漁りながら大声で応える。
「急がないと、お友達が来ちゃうわよー!」
「今行くよぉー!」
時計を見るとまだ七時過ぎではあるが、これから色々準備しなくてはならないのだ。
散々考えて、ヒマリの象徴でもある向日葵が描かれた白いTシャツにジーンズのホットパンツという無難な格好になった。ワンピースは我慢できるのに、スカートを穿くというのにはまだ抵抗があった。
ドアを開けると、階下から美味しそうな匂いが漂ってきた。これはオーブンで焼いているローストチキンの匂いだろう。
緊張と、興奮と、堪えきれない楽しさ……その全てがこの胸に集まり、鼓動を高鳴らせている。
八月十日。今日はプルステラに来て初めて迎える誕生日だ。
無論、ユヅキのではない。
この身体――ミカゲ ヒマリの、記念すべき十二回目の誕生日である。
◆
西暦二二〇三年八月十日
仮想世界〈プルステラ〉日本サーバー 第〇六三一番地域 第五五三番集落
欠伸を噛み殺しながら階段を一段ずつ下りていくと、僕の姿を見たユウリママが呆れたふうに言った。
「ちょっと、ヒマリ? そんな格好じゃなくて、ドレス着なさいよ。ミカルちゃんに貰ったのがあるでしょ?」
「えー? これだってミカルちゃんのだよぉ?」
ぶっちゃけ、全部ミカルちゃん作なのだが。
「白いドレスがあったでしょう? アレにしときなさいよ。頭にはリボンも付けて」
「うー。また着替えるのー?」
「もう十二歳になったんだから、少しは女の子らしくしなさいな。……でも、汚すといけないから、朝食食べてからでいいわよ」
「……はーい」
汗は落ちるけど食べ物などの第三の介入による汚れはどうしても洗うしかない。プルステラで洗濯の手間は無くなったかと思ったら、実はそうでもないのだ。
二股トカゲのウイルスのワクチンを作り出してから、ユウリはようやく家事を引き受けるようになった。料理の腕は相変わらずだが、仕事の合間に洗濯やら掃除やらは欠かさず行っている。
ユウリはそんな相変わらずの腕で、今日はレシピブックを見ながら僕やゲストのためにローストチキンを作ってくれていた。まぁ、匂いから察するに焦げる心配はないだろう。レシピを見ながら忠実に再現しようという姿勢は研究者ならではの性格だ。
――しかし。
「ねぇ、ママ。今から焼いたら三十分で出来ちゃうよ? みんなが来る頃には冷めちゃうんだけど」
「えっ!?」
三時間も四時間もかける料理ではない。そこまでは頭が回らなかったのだろう、ユウリママは「しまったー!」と頭を抱えてうずくまった。
「まぁ、でも大丈夫だよ。アイテムデータを圧縮すれば、熱情報は半日まで保てるから」
「はー……良かった。一羽まるまる無駄になるかと思ったわ。……ねぇ、それ、どうやるの?」
「もー、しょうがないなあ。インベントリからダブルタップしてサブメニュー開くのー」
「あ、これかー。サンキュー」
家事になるとどこかそそっかしいのがユウリママの欠点である。多分、八割方は慣れていないのが原因だろう。
タイキの話では、ユウリはプルステラへの移住や、ヒマリの魂をアニマ・バンクに入れるために看護士として働いて稼ぎ、空いた時間にはプルステラでの医療技術をも先に勉強していたという。それ故に、こうして失敗しながらも家事が出来るのは全てが片づいた証拠、とも言える。怪我人が来れば面倒を見ることもあるが、ようやく、今になって主婦に生まれ変われたのだ。
「パンがあるから、それ食べてなさい。お隣のおばちゃんからジャムも貰ってるわよ」
「うん」
机の上は様々な調理器具でごたついている。これからケーキかクッキーも作る予定らしく、星やハートの型や、泡立て器まで置いてある。
その僅かなスペースに小さな皿を置き、僕は一人で黙々とジャムを塗りたくったパンを齧り始めた。誕生日に限ってこんな状態で朝食を食べるのは如何なものか。
「ところで、お兄ちゃんはどうしたの?」
「タイキは昼までに戻ってくるわよ。早朝からバイクで出かけてるわ」
「えー? こんな時に遠出? 一体どこへ行ったの?」
「それが、誰にもナイショなんだって。GPSは使わない方がいいわよ。『ネタバレになる』そうだから」
恐らく誕生日プレゼントのことだと思うけど……どういうことだろう。
まぁ、知らない方が楽しいだろうから、そのままにしておこう。
一切れのパンを食べ、冷蔵庫から直接牛乳を注いで飲み、着替えをするために改めて二階へ戻った。
――やれやれ。あのドレスは油断すると全体的に透けちゃうんだけどなぁ……。
◆
正午になって、約束通り今日のゲスト達が続々とやって来た。
最初に来たのはミカルだ。ディオルクの襲撃以来、こうして毎日のように元気な顔を見せてくれると、無事で良かったと嬉しくなる。
「……だからって、毎回抱きつかなくていいんだよ、ヒマリちゃん……」
「はっ!」
いけないいけない。これじゃ、軽いセクハラ行為じゃないか。
「でもね」と、ミカルは恥ずかしそうに俯いた。「あたしからしたら、ヒマリちゃんが元気なのがホント嬉しいよ」
「ミカルちゃん……」
不覚にも、その言葉だけでじーんとしてしまった。
……なんだか、最近涙脆くなっちゃったな。
次に来たのはレンとコウタだった。アレ以来、大人っぽい性格に成長しつつあるレンは、顔を合わせるや誕生日おめでとうと言ってくれた。
コウタもミカルの助けで少しばかりカッコいい服に身を包むようになった。ただ、それでも苛められっ子なのには変わりなく、ミカルからは女子受けしそうな可愛い系の服装にいじられてしまっている。本人は満更でもないのか、何も言い返すことは無く、レンはそんなコウタを見る度に笑いを堪えているようだった。
「ヒマリー、あと誰が来るんだ?」
先にテーブルの席に着いたレンが訊ねた。
「お兄ちゃんと、パパだけど?」
「なんだ。お前、英雄だからもっと呼んで来ると思ったんだけどな」
「それを言うなら『ヒロイン』だって。……今日は水曜日だもん。わたしたちは夏休みだけど、大人はみんなお仕事だよ?」
ダイチパパは最近、防衛用の柵を作る仕事に就いたらしいが、それも今日は娘のためと午後休を取るらしい。気楽なものである。
しかし、考えてみればこのヒマリという少女の誕生日は、ミカゲ家にとって最も重要なイベントと言えるだろう。
何せ、ヒマリが大気汚染病で亡くなったのは、十歳の時だ。家族に祝して貰うこともなく、見知らぬ無機質なベッドの上で果てた彼女や家族の想いは……さぞかし無念だったに違いない。それが二年ぶりに祝せるというのだから、どれだけ嬉しいことか。
そこへ、噂をすればタイキが帰って来た。数分遅れて、ダイチも帰って来る。
それぞれが席に座り、僕だけは両側から注目を集める誕生日席に陣取る形になった。
――仮初めの主賓、ヒマリの影武者として。
テーブルには「解凍」したばかりのローストチキンと、僕の前には大きなバースデーケーキ。
明かりが消され、十二本の蝋燭がぼんやりとした光を放つ。そのひとつひとつが、まるでヒマリを形成する魂のように思えた。
皆が手を叩いて高らかにバースデーソングを歌い、大きな喝采に包まれる中、僕は一つずつ長い息で小さな火を吹き消し、敢えて真ん中の一本だけを残した。
「ヒマリ? ふざけてないで、全部消さなきゃ」
怪訝そうな顔を向けるユウリに、僕は静かに首を振った。
「ここまでで十一歳の誕生日なんだよ」
「あ……」
ユウリはその事に気付くと、咄嗟に両手で顔を覆った。
「……ご、ごめんなさい。やだな、私ってば」
かろうじて泣き笑いで留めるも、大粒の涙は次から次へと頬に零れ落ちる。そんな彼女に、ダイチパパが気遣ってハンカチを渡す。
「そうね……十一歳、無かったものね。おめでとうヒマリ。もう一回歌わなくちゃ」
ミカル達は何のことかときょとんとしていたが、面白がって付き合ってくれた。
歌い終わると、僕はとうとう最後の一本を、そっと吹き消した。……これで、正真正銘、十二歳になれたのだ。
「まずはあたしから、ヒマリちゃんにプレゼント! はいっ!」
ミカルはインベントリからオブジェクト化したプレゼントボックスを僕に差し出した。
「ありがとう!」
多分服だろうなぁ、と思って包みを開けてみると、いい方に期待を裏切ってくれた。
「わ、すっごーい!」
何と、テディベアである。手足には肉球まで別の素材で作られていて、胸元には赤いストライプのリボン。
手触りで判る。これは紛れもなく何かの毛皮を使っている。フェイク・ファーなんかじゃない。
「ありがとう、ミカルちゃん!」
「えへへー。服はまた今度ね」
考えてみれば、服は毎日のように貰っているので、それじゃあ誕生日プレゼントにならないだろう、と考えたに違いない。
リボンの表面には「HIMARI」と、金の刺繍まで施されている。芸が細かい。
「くっそー。ミカルのプレゼントはレベル高ぇよな。……はい、次はオレとコウタから」
「改めて、誕生日おめでとう、ヒマリちゃん」
レンが半ば諦めたように差し出したのは、コウタと一緒に作ったという、ウイスキー瓶のボトルシップだった。
意外にも渋いところを突いて来る。瓶の中には水に浮かんだヨットが漂っていた。
何というかこれは……ヒマリよりも僕自身が欲しいものだった。
「あまり揺さぶるなよ。直ぐ壊れちまうからな」
照れくさそうに注意するレンと、照れくさくて俯いているコウタに、最高の笑顔でありがとう、と礼を言った。
「何だかみんなのが凄くて、私達のが霞んでしまうけど……」
と、まだ顔を赤くしているユウリママが渡してくれたのは、丸い真鍮製のペンダントだった。表面には向日葵の絵が彫られていて、パカッと蓋を開けると、中に家族写真が納まっていた。
「これ……」
写真には見覚えがない。ヒマリも何だか少し幼く見える。
「あなたが八歳の時の写真ね。家族みんなで撮った時のものよ。……忘れちゃったかな」
……じっと見入ってしまった。
両親と、その横に立つタイキ。そして、ユウリに抱えられるように前に立つ、ヒマリ。
ヒマリは両手を揃え、お行儀のいい姿勢で自然な笑顔を見せている。八歳とは思えないほどしっかりした性格を感じさせる風貌だ。
僕は蓋を閉じ、胸の中で一度ぎゅっと握り締めてから、チェーンを首にかけた。
「ありがとうママ、パパ。大切にするね!」
ユウリとダイチは互いに顔を見合せ、満足そうに微笑んだ。
最後に、タイキが前に出て薄い包みを渡してくれた。手に持った感触は少し固めの板状である。大きさも両手に収まるほど、割と小さい。
「そいつは後で、一人になってからじっくり見てくれ。多分、その方がお前にとっても嬉しいと思うからさ」
「うん? わ、わかった」
誰もが何だろう、と興味を示すものの、立ち入ってはならない領域と思ったか、一人として口を挟むことはなかった。
◆
ローストチキンを空にし、ケーキも食べ尽くし。
日が傾くまで外で遊び――そして、今日という大事な日の夜が訪れる。
またね、と別れる友達に手を振ると、一抹の寂しさを感じた。
何か大事なものを失ったような、そんな切ない感覚。
でも、友達は絶対にいなくならない。また明日会えばいい。チャットだって使えばいい。……だから、直ぐに寂しいなんて気持ちはなくなるのだ。
僕は半ば放心状態で部屋に戻り、まだ残された愉しみを開封することにした。
タイキは何も言ってこない。多分、朝からコイツを取りにいったのだ。ここに全ての答えがある。
「あ……」
ゆっくりと包みを剥がすと、それは濃い空色のフォトフレームだった。ちらと横を見ると、タンスの上にも、色は違うが同じものがある。
でも……これは知っているものだ。僕が知っている色だった。
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