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Section2:赤の異端者

15:救いの手 - 2

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 あんな事件があったのに、私は前向きで、尚且つ冷静だった。

 その場で木を伐るのは気が引けたので、同じような木を元の場所で探し、斧を振るった。
 コーン、コーンと小気味良い音が森中に鳴り響き、デジタルの木屑がリアルに飛び散る。――その音だけでも、何だか心が洗われるようだ。

 確か、少しだけ削ったら、反対側を思いっきり削って、それで押し倒すんだったか。
 倒す方向を考えなかったが、既に遅かった。直ぐ近くにツリーハウスがあるわけでもないので、まぁよしとするが。

「倒れーるぞぉー!」

 と、どっかで見たような叫び方を真似し、えいやっと蹴飛ばす。ただでさえ脚力は強いので、支えを失った大木は面白いほど簡単に倒れてしまった。
 ゾーイがびっくりし、それから面白がった。
 蹴るところだけやりたいと言ってきたが、二本も要らないのでまた今度、と断っておいた。

 更に頑張って鋸を振るい、大木は何とか木材らしきものに形を換えた。
 それを荷台に積み上げ、来た時よりも歯を食いしばって引っ張る。

「ふんぐぐぐぐぐぐぐ……!」

 一旦勢いが付けば後は慣性でどうにかなった。ようやく我が家の前に辿り着き、荷台を下ろす。
 そこで力尽きてすとん、と腰を落としてしまった。
 今日はもう限界だ。食事をしたら、また明日続きをやろう。

 夕飯は森で摂ってきたキノコと冷蔵庫にあったホールトマト、ベーコンでスパゲッティを作った。
 幸い、キノコについてはキノコ図鑑が本棚にあったので、数日前に採りにいった。
 ご丁寧にも誰も食べないような毒キノコもある。トラップのつもりなのか、或いは生態系を保つ意味でもあるのか解らないが、恐らくは食べても腹を壊す程度で済むだろう。プルステラとはそういうものだ。

 しかし、安全とも言い難い。今日のリザードマンと言い、初日に襲ってきたドラゴンや二股のトカゲなんかもそうだ。あの日、空に描かれたメッセージはプルステリアでもない、第三者の介入を意味していた。
 恐らく、これからはこういった怪物の脅威に怯えることになるのだろう。私のような獣人プルスセリアンでさえ、少し危なかったのだ。集落の人々はどうやってそれを凌ぐというのか。倫理コードもあるし、武器だって持てないじゃないか。

 あの唾液は紛れもなく毒だったが、直ぐに目を閉じたお陰で何とか無事だった。しばらく目は開けられなかったが、近くの川で洗ったお陰で失明は避けられた。いわゆる現世の病原体とは違い、コンピュータウイルスという意味のウイルスらしく、粘膜や傷口――つまり体内に一定量が入らない限りは平気らしい。

 フォークに巻き付けた麺を口に運びながら、正面の壁に戻った斧をぼんやりと見つめる。
 集落ではこういったものを武器にするのだろうが、今日みたいに私の力を持ってしても太刀打ち出来なかったすばしっこい怪物がいる。
 やはり体力に合った武器が必要なのだ。でなければ、人里はあっと言う間に壊滅してしまうだろう。

(力に……なれないだろうか……)

 ふいにそんなことを考えるが、あの怯えた男の言葉が愚かな考えを打ち消した。

 ――化物。

 ハッカーが具体的にどんな化物を送り込んだか、なんてことは判っていない。だから、私がその化物だと思われてしまったのだ。
 こんな状態でどうやって人里へ行けというのか。いっそ、このまま森の中で静かに暮らした方が互いのためになるのではないか。

 ……止めよう。敢えて波風を立てる必要なんてないのだ。ここでゾーイと永遠に暮らしていければ、それでいい。

 二人で一人分の食事を食べた後、片づけを済ませ、外の階段から二階の寝室へ上がる。
 昼と違って不気味な獣の鳴き声が聞こえてくるのが欠点だが、これも大自然の醍醐味だと思い込めば素敵なものだ。

 ゾーイは既に眠ってしまった。
 心の中でおやすみ、と声をかけ、私自身もベッドで横になり、タオルケットを被る。

 何気なく大きな手を上に翳した。血は洗い流したが、その感触は未だに残っている。
 あのガラスのような堅い鱗を引き裂いた、鋭い爪。私自身が持っている、持てるはずのない『武器』。

(………………)

 私という存在は、何のためにここに生まれてきたのだろうか――。
 あれだけ反対したプルステラにやって来た。このまま現世で死ぬぐらいなら、と。

 あるべき姿の大地に、それにふさわしいヒトとなり、改めて生活をする――それが新人類プルステリアのコンセプトのはずだ。
 なのに、私は人間でも獣でもなく、曖昧な姿でヒトを脅かす存在となっている。つまり、それはプルステラにとっても想定外――ハッカーの送り込んだ化物と同じく、脅威となる異物である。

(それが……どうしたって言うのよ……)

 心の葛藤から逃れるように、タオルケットを頭まで目深に被る。

 ――泣いていた。
 悲しくて、寂しくて……武器を携えた手で顔さえも覆い隠した。

 感情が伝わったのだろう。ゾーイが起きて、どうしたのかと訊ねたが、直ぐに私の心底を悟り、悲しみは二倍に膨れ上がった。
 ゾーイもゾーイで、困っている私に何もできないことを嘆いていた。主人の役に立つはずの自分が、ただ見ているだけ、というのがもどかしく、悔しいのだと。

「いいのよ、ゾーイ。傍にいて。それだけでいいから」

 私はその腕で、自らの身体を抱き締めた。
 ゾーイの温もりが私に伝わる。私の温もりもゾーイへ伝わる。……それだけで充分だった。
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