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Section2:赤の異端者
11:赤の異端者 - 3
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短くも長い残りの三カ月は我が身とゾーイの身辺整理だけに費やした。
死の宣告を受けた病人か死刑囚とはこのような心持ちなのだろうか。一日一日が削られていくのを、まるで他人事のように惚けて眺めるが如く、時折カレンダーや時計に向かっては疲れたため息を吐き出している。元々部屋の中も余計なもので埋めていない私には片づけるものなどほとんど無く、そうして何度も何度も念入りに整理をしている間に、むしろ何の意味もなさないことにようやく気付いたのだった。
プルステラに持ち込めるモノは何一つない。強いて言えば魂と、あらかじめ送る財産と呼ぶなけなしのお金のみ。その程度だ。
ちゃんと説明を受けたっていうのに、ようやく気が付いたのが出発から僅か三日ほど前である。残りの三日は一応休日と称してゾーイと散歩に出かけた。もちろん、汚染された屋外ではない。アニマポートの中を、だ。
アニマポートはいわゆる空港のような施設、というだけではない。これから「旅立つ」人が苦もなくアニマ・リーヴ出来るようにと考えられた施設でもある。そのため、各種レジャー施設はもちろん、格安の一流レストラン、無意味なショッピングモール、映画館、美術館などもあり、最も驚いたのは登山施設なるものがあることだ。
周囲の景色こそ超高解像度のCGで表現されたものだが、実際に登るのはVRなんかではない。三百メートルに設定された人工の山、しかも屋内に設置されたものがそこにあり、植えられた多数の針葉樹林に、こんもりと積まれた本物の土と芝を踏みしめながら最後のハイキングを楽しめる、というものだ。
室内だからといって侮るなかれ。頂上に着く頃にはうっすらと雲や霧が立ち込め、気圧もそれなりに変化していた。確か日本のとある企業が頑張ったとかで、山の空気に近い澄んだ空気を完全に再現しているらしい。まったく、日本という国はこういうところに無駄な技術を費やすんだから、その考えが分からない。
しかし、そんな呆れた考えも感心に変わる。実際に息を切らしながら登ってみると、何と空気の美味しいことか。これが何十年も昔に失われた、大自然の空気というものなんだろう。恐らくは、プルステラにはこれよりももっと大きな自然が広がっている。そう思うだけで胸が躍った。
ゾーイも満足したようで、ようやく辿り着いた山頂でのんびりとくつろいでいる。かつて犬連れの登山はマナー違反だとかなんとか言われていたらしいが、こういう人工の施設ならばそこまで問題はない。ゾーイも色々わきまえている淑女なので、本当に助かる。
トドメとばかりに持ってきたザックからサンドイッチの詰まった弁当を取り出し、ベンチに座った。麓で買ってきた登山弁当だった。蓋を開けるや否や、ゾーイが食事なの? と尻尾をふりふり近寄ってきた。
「ゾーイ、一緒に食べましょ」
ゾーイにはゾーイのための弁当を用意した。これも麓で売っていたのだが、ペット用の登山弁当である。確か、最高級の肉が入っているとかで、むしろ人間様よりも贅沢なんじゃないかというぐらいだ。値段もそれなりに高かった。
基本的に山道は狭い一本道で、周囲の木々も一、二列ぐらいは本物、あとは立体投影が使われていた。眼を凝らさなければ判らないほどの精巧さに舌を巻くばかりだが、頂上のそれは遥かに群を抜いている。
うっかりサンドイッチを口に運ぶことを忘れてしまう程に綺麗な景色だった。たった三百メートルだが、景色は何千メートルもの高さを想定しているのだろう。どこまでも澄んだ青い空と、遠方には雄大な緑の山々、眼下には雲海が広がっていた。
なんて――なんて美しい景色なんだろう。これが、人間が壊してしまったものだと思うと、その罪の重さを痛感する。
なるほど。このような大自然、人間如きちっぽけな存在がいくら頑張っても治しようがないじゃないか。だからこそ、プルステラへ旅立つというのだ。今更ながら、「彼ら」の気持ちが理解できた。
「登山、楽しんでいるかね?」
と、後ろからかかる声に、はっと現実へと呼び戻された。
登山用の私服姿だったが、紛れもなくオーランド・ビセットその人である。
「何してるんですか? こんなところで」
とがめるつもりはなかったが、何となく強い口調で訊いてしまった。
「まぁ、休日なんでね。……隣、空いてるかな?」
「他にベンチはありませんから」と、私は肩を竦めた。彼は礼を言って、軍人とも思えない重そうな腰を下ろした。
それから、足元でオーランドを見上げているゾーイの頭をゴツゴツとした手で撫でた。
「賢そうなワンちゃんだな。一緒に連れて行くのだろう?」
「ええ。彼女をここに残していくわけにはいきませんので」
オーランドは小さく頷くと、自分の分の弁当を開けた。日本の弁当らしく、日の丸を象徴した白い米と赤いモノが目についた。
「辛い選択だったろう。ペットは自分の意志では選べないからな」
「……そうですね」
私は素直に肯定した。オーランドは何かとうさん臭い人物だと感じていたが、こうして話すと真っ当な人間のようにも思えてくる。
「そもそもの発端は人間が作り出した罪だ。ヒトはこういう自然を忘れてしまっていた。バチが当たったんだよ。仏教にだってこんな話がある。天に唾をかければ自分に返って来るってね」
「重力には逆らえませんからね。宇宙空間なら違いますが」
オーランドは顔をしかめた。
「キミは冷たいな」
「無神論者ですから」
そんなやり取りをするも、私の心は晴れやかだった。むしろ笑い飛ばしたいぐらいに。
この仮想的な大自然がそうさせたのだろうか。だとしたら、やはり大気汚染は人類にとって毒だったのだろう。
「この景色、イギリスじゃありませんよね」
私は目前に広がる光景を見て感想を述べた。
「そうだな。こんな高い山はない。景色で判断出来る程山には詳しくないんだが、何処にしろ、これのモデルになった光景はあるだろうな」
「だとしたら、そこへ行ってみたいです。プルステラにはあるでしょうか」
オーランドはちょび髭を撫でながら、うーんと唸った。
「あれは一から考えた世界だからなぁ。この山じゃないにしろ、似たようなところはあると思うよ」
そこでオーランドは赤いモノをぱくっと口に入れ、少し噛んでから眉間に皺を寄せた。
確か、日本のピクルスのようなものでウメボシとか言うやつだ。私は思わず笑ってしまった。
「仕方ないじゃないか。コイツは慣れてないんだよ」
彼は嫌なものを見る表情でウメボシの種を弁当の蓋にぺっと吐き出した。
「だったら何で買ったんです?」
「唯一食ったことがない弁当だからだ。キミが登山する理由と変わらないと思うがね」
笑いを必死で堪えながら、否定はしません、と応えた。
ここで何かをする理由、それは生きている内に体験していない何かをすることだったから。言い換えればそれは未練とも言える。
「あなたは、プルステラへ行く予定なんですか?」
だから、知りたかった。オーランドがここにいるという理由を。
彼は「ああ」と応え、一旦箸を弁当の上に置いた。そういえば、箸を使う手つきは慣れているように見受けられる。日本食は初めてではないのか。
「キミよりは遅いがね。何せ軍人だから、搭乗するのは最後だ」
「それまではここの警備を?」
「まぁ、そんなところだ。まるで定時に帰宅する平社員を見送りながら残業をやっているような気分だよ」
そう言って苦笑する。その顔が、何だか寂しそうにも見えた。
考えてみれば、最後に残るのは彼ら軍人である。家族を先に行かせ、自分達は人類最後の砦として残り、国民の希望者全員が行った後、ようやくプルステラに旅立てる。その中には現世に留まる者もいるかもしれない。
きっと、その心境は辛いだろう。仲間はいても、外を歩けば誰もいないのだ。
だから、オーランドは私を気遣ったのかもしれない。一般人に軍人と同じ荷を背負うのは重すぎる、と。
「オーランドさん」
私は彼を名で呼んだ。
「いつかまた、プルステラで会いましょう」
彼はその言葉に意外と思ったのか、目を丸くした。それから、にっこりと微笑み、深く頷いてみせた。
「ああ。その時にはまた、一緒に登山でもしようじゃないか」
死の宣告を受けた病人か死刑囚とはこのような心持ちなのだろうか。一日一日が削られていくのを、まるで他人事のように惚けて眺めるが如く、時折カレンダーや時計に向かっては疲れたため息を吐き出している。元々部屋の中も余計なもので埋めていない私には片づけるものなどほとんど無く、そうして何度も何度も念入りに整理をしている間に、むしろ何の意味もなさないことにようやく気付いたのだった。
プルステラに持ち込めるモノは何一つない。強いて言えば魂と、あらかじめ送る財産と呼ぶなけなしのお金のみ。その程度だ。
ちゃんと説明を受けたっていうのに、ようやく気が付いたのが出発から僅か三日ほど前である。残りの三日は一応休日と称してゾーイと散歩に出かけた。もちろん、汚染された屋外ではない。アニマポートの中を、だ。
アニマポートはいわゆる空港のような施設、というだけではない。これから「旅立つ」人が苦もなくアニマ・リーヴ出来るようにと考えられた施設でもある。そのため、各種レジャー施設はもちろん、格安の一流レストラン、無意味なショッピングモール、映画館、美術館などもあり、最も驚いたのは登山施設なるものがあることだ。
周囲の景色こそ超高解像度のCGで表現されたものだが、実際に登るのはVRなんかではない。三百メートルに設定された人工の山、しかも屋内に設置されたものがそこにあり、植えられた多数の針葉樹林に、こんもりと積まれた本物の土と芝を踏みしめながら最後のハイキングを楽しめる、というものだ。
室内だからといって侮るなかれ。頂上に着く頃にはうっすらと雲や霧が立ち込め、気圧もそれなりに変化していた。確か日本のとある企業が頑張ったとかで、山の空気に近い澄んだ空気を完全に再現しているらしい。まったく、日本という国はこういうところに無駄な技術を費やすんだから、その考えが分からない。
しかし、そんな呆れた考えも感心に変わる。実際に息を切らしながら登ってみると、何と空気の美味しいことか。これが何十年も昔に失われた、大自然の空気というものなんだろう。恐らくは、プルステラにはこれよりももっと大きな自然が広がっている。そう思うだけで胸が躍った。
ゾーイも満足したようで、ようやく辿り着いた山頂でのんびりとくつろいでいる。かつて犬連れの登山はマナー違反だとかなんとか言われていたらしいが、こういう人工の施設ならばそこまで問題はない。ゾーイも色々わきまえている淑女なので、本当に助かる。
トドメとばかりに持ってきたザックからサンドイッチの詰まった弁当を取り出し、ベンチに座った。麓で買ってきた登山弁当だった。蓋を開けるや否や、ゾーイが食事なの? と尻尾をふりふり近寄ってきた。
「ゾーイ、一緒に食べましょ」
ゾーイにはゾーイのための弁当を用意した。これも麓で売っていたのだが、ペット用の登山弁当である。確か、最高級の肉が入っているとかで、むしろ人間様よりも贅沢なんじゃないかというぐらいだ。値段もそれなりに高かった。
基本的に山道は狭い一本道で、周囲の木々も一、二列ぐらいは本物、あとは立体投影が使われていた。眼を凝らさなければ判らないほどの精巧さに舌を巻くばかりだが、頂上のそれは遥かに群を抜いている。
うっかりサンドイッチを口に運ぶことを忘れてしまう程に綺麗な景色だった。たった三百メートルだが、景色は何千メートルもの高さを想定しているのだろう。どこまでも澄んだ青い空と、遠方には雄大な緑の山々、眼下には雲海が広がっていた。
なんて――なんて美しい景色なんだろう。これが、人間が壊してしまったものだと思うと、その罪の重さを痛感する。
なるほど。このような大自然、人間如きちっぽけな存在がいくら頑張っても治しようがないじゃないか。だからこそ、プルステラへ旅立つというのだ。今更ながら、「彼ら」の気持ちが理解できた。
「登山、楽しんでいるかね?」
と、後ろからかかる声に、はっと現実へと呼び戻された。
登山用の私服姿だったが、紛れもなくオーランド・ビセットその人である。
「何してるんですか? こんなところで」
とがめるつもりはなかったが、何となく強い口調で訊いてしまった。
「まぁ、休日なんでね。……隣、空いてるかな?」
「他にベンチはありませんから」と、私は肩を竦めた。彼は礼を言って、軍人とも思えない重そうな腰を下ろした。
それから、足元でオーランドを見上げているゾーイの頭をゴツゴツとした手で撫でた。
「賢そうなワンちゃんだな。一緒に連れて行くのだろう?」
「ええ。彼女をここに残していくわけにはいきませんので」
オーランドは小さく頷くと、自分の分の弁当を開けた。日本の弁当らしく、日の丸を象徴した白い米と赤いモノが目についた。
「辛い選択だったろう。ペットは自分の意志では選べないからな」
「……そうですね」
私は素直に肯定した。オーランドは何かとうさん臭い人物だと感じていたが、こうして話すと真っ当な人間のようにも思えてくる。
「そもそもの発端は人間が作り出した罪だ。ヒトはこういう自然を忘れてしまっていた。バチが当たったんだよ。仏教にだってこんな話がある。天に唾をかければ自分に返って来るってね」
「重力には逆らえませんからね。宇宙空間なら違いますが」
オーランドは顔をしかめた。
「キミは冷たいな」
「無神論者ですから」
そんなやり取りをするも、私の心は晴れやかだった。むしろ笑い飛ばしたいぐらいに。
この仮想的な大自然がそうさせたのだろうか。だとしたら、やはり大気汚染は人類にとって毒だったのだろう。
「この景色、イギリスじゃありませんよね」
私は目前に広がる光景を見て感想を述べた。
「そうだな。こんな高い山はない。景色で判断出来る程山には詳しくないんだが、何処にしろ、これのモデルになった光景はあるだろうな」
「だとしたら、そこへ行ってみたいです。プルステラにはあるでしょうか」
オーランドはちょび髭を撫でながら、うーんと唸った。
「あれは一から考えた世界だからなぁ。この山じゃないにしろ、似たようなところはあると思うよ」
そこでオーランドは赤いモノをぱくっと口に入れ、少し噛んでから眉間に皺を寄せた。
確か、日本のピクルスのようなものでウメボシとか言うやつだ。私は思わず笑ってしまった。
「仕方ないじゃないか。コイツは慣れてないんだよ」
彼は嫌なものを見る表情でウメボシの種を弁当の蓋にぺっと吐き出した。
「だったら何で買ったんです?」
「唯一食ったことがない弁当だからだ。キミが登山する理由と変わらないと思うがね」
笑いを必死で堪えながら、否定はしません、と応えた。
ここで何かをする理由、それは生きている内に体験していない何かをすることだったから。言い換えればそれは未練とも言える。
「あなたは、プルステラへ行く予定なんですか?」
だから、知りたかった。オーランドがここにいるという理由を。
彼は「ああ」と応え、一旦箸を弁当の上に置いた。そういえば、箸を使う手つきは慣れているように見受けられる。日本食は初めてではないのか。
「キミよりは遅いがね。何せ軍人だから、搭乗するのは最後だ」
「それまではここの警備を?」
「まぁ、そんなところだ。まるで定時に帰宅する平社員を見送りながら残業をやっているような気分だよ」
そう言って苦笑する。その顔が、何だか寂しそうにも見えた。
考えてみれば、最後に残るのは彼ら軍人である。家族を先に行かせ、自分達は人類最後の砦として残り、国民の希望者全員が行った後、ようやくプルステラに旅立てる。その中には現世に留まる者もいるかもしれない。
きっと、その心境は辛いだろう。仲間はいても、外を歩けば誰もいないのだ。
だから、オーランドは私を気遣ったのかもしれない。一般人に軍人と同じ荷を背負うのは重すぎる、と。
「オーランドさん」
私は彼を名で呼んだ。
「いつかまた、プルステラで会いましょう」
彼はその言葉に意外と思ったのか、目を丸くした。それから、にっこりと微笑み、深く頷いてみせた。
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