白砂の咎人

杏仁みかん

文字の大きさ
上 下
10 / 17
第一章 荷台に棲む獣〈こども〉たち

#2:野菜とドレッシング - 1

しおりを挟む
 世界には、大きく分けて二つの大陸が存在する。陽の大陸エシャルと月の大陸ネレスだ。
 十数年前、ネレス大陸は突如現れた白い砂に覆われて瞬く間に砂漠と化し、やがて、被害は隣のエシャル大陸にまで及んだ。
 リアン達家族を襲った砂嵐や砂渦も各地で目撃されており、その度に大きな町や村が容赦なく砂の海に沈められていった。
 生き残った人々の殆どは行商をしながら車で旅をし続けて砂の被害を逃れようとしたが、稀に定住した方が砂嵐と遭遇しないと言って残る者もいた。
 どちらを選べば賢い選択なのかは誰にも分からない。ただ、自分に合った生き方を選択することが生き延びる確率の高い手段であるということだけは間違いないと考えられていた。

 燃料資源の枯渇によって人類が空を飛ぶ術を無くしてから約一世紀。
 今や移動手段は遺伝子改良を施されたクローン豚、「油豚」から抽出される万能な資源、「豚油とんゆ」を使った車での移動だけになっている。無論、徒歩で砂漠を渡ろうものなら自殺に等しい。
 豚油が飛行機械の燃料として応用出来ないのは、現時点の技術力ではそれだけの質量を動かす爆発力をどうしても生み出せないからだった。
 豚油の起源も浅く、石油の代わりの資源としてどうにか活用出来る、ということしか解明されていない。だから、現状での移動手段は、砂を完全に防げる四輪車が主となっていた。


   ◆


 東へ行き、海を渡ってエシャル大陸へ移動しよう――家族一行の当面の目標は、今はアステリオンと名を変えているリアンを救い出す半年前からそう決まっていたのだが、まだ大陸の中央部を進んでいた。
 気がかりなのはむしろ食糧の方で、東側の街が全滅していれば、大陸を渡る前に皆、餓死してしまう。それだけは避けなければならない。
 そんなわけで、多少時間をかけてでも小さな集落や街に頻繁に訪れては、干し肉の材料と共に日持ちのする食糧を出来るだけ買い込んでいた。代わりに自家製のアクセサリーを売って路銀の足しにする。その繰り返しだ。
 アクセサリーはどの街へ行ってもあっと言う間に完売するので、アステリオンは改めてスクァーレルの技術力に舌を巻いたのだった。

 だが、アステリオンも感心している場合ではない。一家の食糧調達と乾物の調理役に任命されたのである。
 するとアステリオンは、干し肉の他にも乾燥した野菜を作るべきだと提案した。
 肉ばかりでは栄養が偏るし、両親からはそういった乾物の作り方も教わっていたからだ。野菜は水分さえ無くしてしまえば、一年は保てる食糧が完成する。デュランとルーシーはこの提案に大いに賛成した。
 途中立ち寄った小さな街では、偶然にも近くにプラント施設があったので、ルーシーの思い切った決断で新鮮な野菜を買えるだけ買い込んでおいた。注ぎ込んだ資金は、当初予定していた二倍以上だ。決して安くはないが、家族の栄養事情を考えれば仕方のないことだと割り切った。

 アステリオン、クニークルス、コシュカ、ルーシーの四人で箱に詰めた野菜を抱えて持ち帰る途中、コシュカがこんなことを呟いた。

「野菜が次に食べられるのは、一年後かもしれねーな」

 冗談のつもりらしいが、可能性としては充分にあり得る、と皆は苦笑した。
 毎日、干し肉やコーンフレークばかりを交互に食べ続けることが如何に辛いか。
 栄養不足で一日中寝込むことだってあるし、酷い時には突然吐いたり、倒れることもある。そんなことは本来、当たり前と言っていいはずがない。

「提案してくれてありがとう、アスティ。野菜はたまに買うけど、どうしても長く持たなくて困ってたのよ」

 ルーシーはアステリオンに礼を言った。誰が言い始めたのか、呼び名は「アスティ」で浸透し始めている。
 アステリオンは、礼を言われるほどでもないよ、と言わんばかりに肩を竦めて見せた。

「でもさ、ルーシー。野菜を乾燥させるには、砂のないところで何日か天日干しにしなきゃならないんだけど?」
「もちろん分かってるわ。分かってて買ったんだけど、……何かいい方法はないのかしら?」

 コシュカは目を丸くした。

「え、何か方法があったんじゃないのかよ?」
「方法が無いなら無いで、食べればいいだけのことよ。いずれにしても私たちには栄養が足りてないんだから」

 とはいえ、腐る前に食べられる容量をとうに超えている。ルーシーは何故こんな無茶をしでかしたのか──コシュカは疑問に思うばかりだ。

「アスティはご両親から乾物の作り方を教わっていた。それはつまり、砂漠で旅をする時に役に立つ方法として学んだはずよ。
 ただ、乾燥に費やせる街の滞在期間が少ない場合はどうしたらいいか、その辺りは学んでなかったみたいね」

 アステリオンは力なくうなだれた。

「……ごめんなさい。聴いたのはつい最近のことだったから……」
「あら、責めているわけじゃないのよ。私こそちゃんと確認するべきだったわね」
「だったら、どうするの?」

 と、クニークルスが割り込んだ。ルーシーは肩を竦める。

「誰かに訊くか、或いは、腐らないうちに色々試すしかないんじゃない?」
「そんなの、馬鹿げてるわよ」

 アステリオンは左手で荷物を抱えたまま、右手を挙げた。

「ぼく、プラントへ行って訊いてみてもいいけど?」

 ルーシーは少し考えた後、頷いた。

「なるほど。それがいいわ。野菜を作っているんだから、方法ぐらい分かるはずよ。いい機会じゃない。社会勉強にもなるわね」
「うん。……他に誰か行く?」

 コシュカが勢い良く手の代わりに荷物を掲げた。

「はいはい! オレ行きたい! ルーシー、いいだろ?」
「別に構わないけど、プラントでふざけたりしないのよ?」
「分かってるって」

 コシュカはアステリオンに向けて、いつものように歯をむき出しにして笑って見せた。

「私は昼食の準備をするから、大人はデュランに同行してもらいましょう。三人で行ってらっしゃい」
「え、アタシは?」

 クニークルスが不満そうに自分を指差した。

「同じく昼食の準備があるわ」
「料理担当ってアスティじゃなかったの!?」
「アスティは食糧の調理。いつもの料理は女の子の担当。分かる?」
「…………何それ。ずるいわよ」

 クニークルスの痛々しい非難の目が向けられると、アステリオンとコシュカは苦笑するしかなかった。

「でもね」

 ルーシーは優しく声をかけた。

「二人には商売に関わる知識を少しでも身に付けて欲しいのよ。男の子だもの」
「どうして男の子なの?」
「女の子の肌はあまり日焼けするものじゃないからよ」

 納得したクニークルスは、途端ににやけ始めた。

「それもそうねぇ! じゃあ、男の子たちに任せましょ」
「…………」

 コロコロと表情を換えるクニークルスに、アステリオンとコシュカは呆然とした。
 二人は示し合わせたように顔を寄せあった。

(あいつ、今まで露店の店番やってたのにな……)
(このままだと、ずっとやらなさそうだよ?)
(だよなー)

 だが、料理をしたことのないアステリオンは、料理担当に割り振られなくて良かった、と内心ほっとしていた。以前の家族で料理を作っていたのは常に母親だったからだ。稀に父親が何かしらのスープを作ることはあるが、大抵は塩辛い味付けになり、必要以上に水を強いられることが多かった。──やはり、料理は女の子がやるべきなのだ。



 荷物を運んでいたアステリオンたちが車の前に戻ると、デュランは脚立に乗って車のフロントガラスを磨いていた。
 スクァーレルは車の中で眠っているらしく、動いている気配が感じられない。

「デュランー、工場見学に同行してくれねーか?」

 コシュカの呼びかけに、デュランは「何だ、藪から棒に」と眉を寄せた。

「社会科見学よ」ルーシーが補足した。「折角プラントのある街なんだから、あなたが同行してくれる?」

 デュランは泡だらけのスポンジを持ったまま諸手を上げ、肩を竦めた。

「洗車の途中なんだがな」
「そこでバケツの水を一杯かければ済む話だわ」
「やれやれ。人使いが荒いな。分かったよ」

 デュランは脚立を下りると、本当に言われた通りにバケツの水をフロントガラスにぶっかけた。

「それで? 一体何の話なんだ?」
「うん。実は……」

 アステリオンは手短に乾燥野菜とその必要性について説明した。

「なるほど。確かに干し肉やフレークだけでは身がもたんな。野菜を買うとは言っても、プラントから遠ざかるほど値段は上がるし、長持ちもしない。乾燥野菜という手段は実に効率的だ」

 アステリオンは得意気に大きく頷いた。

「よし。じゃあ、ルーシー、ちょっと行ってくる。昼飯の準備を頼むぞ」

 ルーシーは手を振る代わりにおたまを振った。

「行ってらっしゃい。アスティ、コシュカ。一家の健康に関わるんだから、しっかり教わってくるのよ」
『はーい!』

 うきうきと出かけ始めた男性陣に対し、クニークルスはやはりつまらなさそうな顔で鍋をコンロにかけるのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

処理中です...