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浦登みっひ

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通夜

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 更紗が亡くなった次の日の朝。

 教室に入ると、僕のことを心配したクラスメイトの女子たちが、何人かこちらに駆け寄ってきた。

「今川くん、大丈夫?」

「由比さんのこと……悲しいけど、あんまり気を落とさないでね」

 そんな趣旨の言葉が、そよ風のように僕の周りを素通りしていく。更紗が死んだことと、僕がその横で気絶していたことは、もうクラス中の、そして学校中の話題になっているらしい。

 校舎のすぐ傍で死人が出て、しかも構内には朝から警察が出入りしているのだから、隠しておくほうが難しいだろう。今頃現場付近は野次馬でごった返しているかもしれない。確かめようとも思わないけれど。

 ふと廊下側の一番前にある更紗の席を見ると、そこには細いガラスの花瓶に生けられた白菊が飾られていて、その花弁の白さが、さらに現実の重みを突き付けた。男子校に通っていた中学のころ、僕もクラスメイトに同じことをやられた経験があるけれど、それはもちろんただの嫌がらせ。無心になりさえすれば、耐えるのは難しいことではなかった。

 けれど、今更紗の机に飾られている白菊は、いじめでも嫌がらせでもなく、純粋に彼女の死を悼んでのものだ。まっさらな死装束のようなその白さが、僕の心に一層重くのしかかってくる。

 クラスメイト達の言葉に軽く礼を述べ、その間を縫うようにして、僕は窓際の自分の席に向かった。前の席には武田が、大きな体を狭い椅子に押し込むようないつもの態勢で座っていて、俯いたままじっと机を見つめている。

 僕と更紗が親密になったきっかけは、元はと言えば、武田が僕に更紗との仲を取り持つように頼まれたことだった。だが結果として、僕はそれを横取りするような形で更紗と親しくなってしまった。僕と更紗の関係について、武田は他のクラスメイト達よりもよく知っていたはずだけれど、だからといって彼女のことをすっぱり諦められたとは思えない。武田はまだ更紗のことを少なからず想っていたはずなのだ。

 現に、あれ以来武田とは一度も言葉を交わしていなかった。いや、言葉どころか、目すらも合わせていないかもしれない。

 しかし、無言のまま武田の横を通り過ぎようとした瞬間、ぼそりとした声で、彼は呟いた。

「悲しいな」

 ガラの悪い顔つきでいつも何か悪だくみをしているように見える武田だけれど、その時の武田の表情は、心の底から更紗のことを悲しんでいるように、僕には見えた。そして僕は一言だけ答えた。

「お互いね」

 それ以上の言葉は必要なかった。いつもより小さく見える武田の背中が、言葉よりも雄弁に彼の気持ちを表している。何かと気を遣って話し掛けてくれる女の子たちの言葉にも、もちろんそれはそれで感謝したけれど、今はむしろ、武田のこの不器用さのほうがずっと有難かった。

 その日の夜、僕は太原先生と共に、更紗の通夜が行われる会場に向かった。

 会場は花倉高校からそう遠くない場所にあるセレモニーホールで、僕たちが会場についた頃には既に喪服に身を包んだ、能面のように無表情な参列者たちがいた。参列者は喪服の大人だけではなく、花倉高校とは別の制服を着た学生の姿も見られ、中には瞼を腫らして涙を流している子もいた。あれは更紗の中学時代の同級生や後輩だろうか。

 玄関から広いホールに入ると、正面に大きな祭壇が見え、その中央に、更紗の大きな遺影が飾られている。正面を向いて横並びに整然と並べられた椅子は前半分ぐらいが既に埋まっており、その中央を貫くように、祭壇へと続く通路が伸びていた。

 向かって右側の最前列が遺族席のはずだけれど(なぜそう思ったかというと、僕の両親の葬式のとき、僕たちの席がそこだったからだ)、こちらに背を向けて座っているため、顔まではわからない。更紗の両親は誰だろう?

 先生と並んで席についた僕は、改めて祭壇をじっくりと眺めた。朗らかに微笑む遺影の中の更紗はとても綺麗だったけれど、それでも、生前の彼女には遠く及ばなかった。最後に更紗と交わした口づけの感触が、今でもはっきりと思い出せる。

 この柔らかい唇の感触だけが、僕に残された唯一の更紗の痕跡。

 それから数分後、僧侶が重々しく入場し、読経が始まった。

 こうしてじっとお経を聞いていると、両親が死んだときのことを思い出してしまう。僕の両親の通夜や葬式がどんな宗派だったかはもう忘れてしまったし、もしかしたらお経だって全然違う内容かもしれないけれど、幼心に感じたあの重苦しい空気は、なかなか忘れられるものではない。

 読経から焼香、法話と滞りなく進んで、最後に喪主からの挨拶となった。遺族席から大柄でハンサムな男性が立ち上がり、こちらを向いて祭壇の前に起立すると、参列者に向かって深く頭を下げる。更紗の父親だった。

 喪主の挨拶のあと、太原先生の手引きによって、僕は更紗の両親と話す機会を得た。

「そうか、君が、今川くんか……」

 太原先生は、僕を事故当時現場に居合わせた生徒、とだけ紹介した。更紗の両親も、一緒に現場にいた僕のことを知っていたようだった。

 近くで見ると、更紗の高校生離れした大人びた容姿は、どちらかというと、端正な顔立ちの父親から譲り受けたものだったとわかる。口を真一文字に結び僕を眺める更紗の父親の目には、何とも形容しがたい複雑な色が浮かんでいるように見えた。お前が傍に居ながら――とでも言いたげな、しかしそれを必死で噛み殺しているような。僕もそれぐらいのことは言われるかもしれないと覚悟していたのだけれど、結局更紗の父親は、『今川くんか』の一言きりで、そのまま黙り込んでしまった。

 一方の母親は、高校生の子供がいるとは思えないほど小柄で、やや幼さの残る容貌だった。セーラー服を着ても違和感はないかもしれない。更紗とこのお母さんが並んだら、親子というよりは、きっと姉妹のように見えたのではないだろうか、と僕は想像した。

 けれど、当然ながら母親にも笑顔はなく、胡乱な眼差しで視線を宙に泳がせ、まるで全ての感情が死に絶えてしまったかのように虚ろな表情をしていた。

 この人が作った弁当を、僕は昨日も一昨日も食べさせてもらったのだ。愛情のこもった手作り弁当の、優しく、そしてどこか懐かしい味が、口の中に蘇ってくる。

 自己紹介をすると、僕の名前に反応したのか、終始呆然としていた更紗の母親の顔に、突如として活気が戻った。

「今川くん……今川くん? ああ、更紗が言ってたわ、仲のいいクラスメイトの男の子で、とっても可愛いんだって……」

 母親はそう言ってにこやかに微笑んだ。けれど、その笑顔はどこかぎこちなく、失礼を承知で言うならむしろ不気味さのほうが勝っていて、精神状態の不安定さが窺える。

「今川くんと一緒に食べたいから、明日はお弁当多めに作ってちょうだいって、そう言ったのよ、更紗は」
「は……はい。お弁当、いただきました。更紗と一緒に」
「あら、そうなの。おいしかった?」
「はい、とても」
「そう……それはよかったわね……じゃあ、明日もたくさんお弁当作って更紗に持たせてあげるから、また一緒に食べてあげてちょうだいね」

 それっきり、更紗の母親はまた焦点の定まらない眼つきでぼんやり中空を見上げ、一言も喋らなかった。更紗の母親は、まだ更紗の死を受け止めることができていないようだ。

「すみません、家内はちょっと疲れがたまっているようで……ほら、少し奥で休もう」

 更紗の父親はそう言いながら頭を下げ、母親の肩を抱いていそいそとホールを出て行ってしまった。

 僕と更紗が最後の数分間だけ恋人同士であったことを、ご両親に伝えるべきか否か。ここに来るまでずっと迷っていたのだけれど、結果として、それを伝えることはできなかった。呼び止めてでも伝えるべきだったのだろうか。でも、今となってはもうどうしようもない。

 そしてその後、更紗の両親と会うことはなかった。


 更紗の母親の様子を目の当たりにした僕と太原先生は、通夜の会場を出てタクシーに乗ってからも、しばらくは何も言えなかった。数分後、タクシーが僕のボロアパートの前に止まって、太原先生がようやく口を開く。

「こんなことを言っても何の気休めにもならないかもしれないけど、あまり気を落とさないでね。今川くんには何の責任もないんだから。何かあったら、私でも北条先生でも、誰でもいいから、ちゃんと話してほしい。あまり内に溜め込んじゃダメだよ……それじゃ、また明日、学校でね。お姉さんにもよろしく」

 タクシーの去り際、後部座席から手を振る太原先生は、努めて明るい笑顔を作っているように見えた。
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