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浦登みっひ

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ロミオかジュリエット

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 記録的な猛暑に見舞われた溶けるような夏休みが終わり、新学期が始まった。

 クラスメイト達とは約一月ぶりの再会になる。何人か日焼けしている子もいたけれど、男子校に通っていた時と比べたらその割合はかなり少なかった。やはり女子高だから、みんな日焼けには気を遣っているのだろうか。隣の席の朝比奈さんなどは、むしろ一学期より白くなったんじゃないかとすら思えるほどだった。
 武田と顔を合わせるのも久しぶりだったが、元々どちらかといえば地黒な彼は、夏休みを経て黒糖かりんとうみたいな色に変貌していた。いったいどんな過ごし方をすればこんなにこんがりと焼けるのだろうか。運動が得意なわけではないはずだが。
 一学期で立て続けに三人が亡くなり沈鬱としていたクラスの雰囲気も、夏休みを挟んだことでだいぶ明るさを取り戻した感がある。
 気掛かりなのは演劇部の方だった。部にとって期待の一年生だった麻美さんを失い、その姉で副部長でムードメーカーでもある舞さんがひどく憔悴した状態で一学期を終えた。果たして以前と変わらずに活動していけるのだろうか。放課後、不安を抱えながら僕は部室の扉を開けた。

「おつかれさ……」
「よ~ぉぉぉぉ! 待ってたよ今川くん!」

 と、挨拶を言い切る間もなく、ちょこちょことハムスターのような俊敏さで駆け寄ってきたのは当の副部長だった。

「あ、あの、おひさし……」
「主役だよ! ロミオだよ今川くん! 文化祭まで時間がないんだから、今日から毎日がんばろーね!」
「本当に僕がロミオに決まっちゃったんですか?」
「決まるも何も、他にいないでしょうよ。今川くん以外に誰ができるってゆーの?」
「は、はあ……大丈夫かなぁ」
「ただね、ジュリエットの配役がまだちぃっと決まってないんだよね。今川くんの意見は?」
「い、意見? ……というと?」
「よーするに、誰とブッチューってしたいかってこと」

 その一言の『ブッチュー』の部分で副部長が口を窄めながら顔を近づけてきたので、僕は思わず少し身を引いた。副部長は弾けるような笑みを浮かべる。

「あははは、やっぱかわいいなあ今川くんは」
「……ど、どうも……」

 久しぶりに会う副部長は、以前と変わらないどころかむしろパワーアップしているようにすら見えた。その様子を穏やかな表情で見守っていた天野部長が、僕に手招きする。

「久しぶり、今川くん。舞が言った通り、ロミオは正式に君に演じてもらうことになったから。大変だろうけど、新人デビューコンテストの演技を見る限り、私はやれると思うよ」
「……ありがとうございます。全然自信はないですけど……姉貴や藍子さんにも、夏休みの間に色々教えてもらいました」
「ホント? それならもう期待大だね。で、問題はジュリエット役なんだけどさ……まあ、もう少し待って、皆が集まってから話そうか」


 それから数分後。武田や他の部員が一通り揃ったところで、天野部長は集まった皆の顔を見渡しながら言った。

「さて、前々から話していた通り、文化祭の演目は去年と同じく『ロミオとジュリエット』に決まりました。で、ロミオ役は今川くん。茉莉花先輩の弟で話題性もあるし、男性であること、演技力を総合的に判断すれば、彼が一番適任だと思う。異論はある?」

 部員皆の視線が僕に集まる。入部したばかりの一年の僕が主役を演じることで反感を買う可能性もあるんじゃないかと密かに心配していたのだけれど、これは既定路線だったらしく、誰からも異論は出なかった。

「おっけ。で、あとはジュリエットなんだけど……我こそは、っていう子はいるかな?」

 部長が尋ねたが、皆顔を見合わせるばかりで手を挙げる人は誰もいない。部長は小さくため息をつきながら肩を竦めた。

「だよねえ……去年が凄すぎたからプレッシャーかかるよねえ。でもこればっかりはジャンケンで適当に決めるわけにもいかないし……」

 同じくプレッシャーを感じる立場でありながらほぼ反論の機会すらなく決められた僕はいったい……?

「去年までは先輩たちに頼りっきりだったからなあ。じゃあ、みんなで練習してみながら、とりあえずもう少し考えてみよっか」


!i!i!i!i!i!i!i!i!i


 というわけで、ジュリエットを誰が演じるかについては、候補となる数人に演じてみてもらった上で最終的な決定を下すことになった。
 姉貴と藍子さんが所属していた去年までは、主に二人が主役を演じていた。だから部長や副部長を含む先輩たちは脇役の経験こそ豊富なものの、劇の中心となる役はあまりやったことがないらしい。二人の引退後に取り組んだ劇でも、配役は難航していたそうだ。
 新人デビューコンテストの後に何かやろうという案もあったようなのだが、それも部活動の休止と共に立ち消えになってしまった。もし麻美さんがいたら、彼女がジュリエットを演じることになっていたのかもしれないけれど――。

 文化祭までは約一ヵ月。三年生は進路のことも含めて何かと忙しく、先送りするといっても残された時間は多くない。遅くとも一週間という期限を設け、それまでにどうにかしてジュリエット役を決める。それが天野部長の方針だった。
 二、三年の部員がそれぞれ十数人いるとはいえ、その全員がずっと舞台で演じ続けるわけではない。重要な役の数人を除いては、小道具、大道具、音響、メイクなどそれぞれ役割を分担しながら脇役として少しずつ舞台に上がったりする。その全体像を考慮に入れて配役を決めなければならないから、主役候補は必然的に絞られてくる。
 候補として選ばれたのは三人だ。まず一人目は福島副部長。天野部長の評価によれば、声の通りが良いのが長所ではあるが、おてんばな彼女に名家の令嬢であるジュリエットの上品さを出せるかどうかが課題になるという。
 二人目は同じく三年の菅沼鞠絵まりえさん。演技力は三年の部員の中でも指折りだが、彼女の場合はジュリエットを演じるにはややぽっちゃり気味で、これまでも脇を固める役が多かったそうだ。
 三人目は二年の奥平華音かのんさん。こちらも二年の先輩たちの中では随一の声量と演技力を誇るが、プレッシャーに弱く、主役を張らせるにはまだ少し不安がある。だからこそ任せてみたい気もするけど――と天野部長は渋い顔。要するに三人とも一長一短で、藍子さんのジュリエットに近付くのは難しいと部長は考えているようだ。違う演目ならばここまで人選に苦労しなかったのかもしれないが、今から演目を変えてまた一から考え直すとなると、文化祭までに間に合わなくなる可能性がある。それだけはどうしても避けなければならない。

 しかし、何日かかけて三人のジュリエットと一通り読み合わせや流れの確認をしてみたが、部長の反応は芳しくなかった。ジュリエットだけではない。僕のロミオの演技にも、部長はあまり満足していない様子だ。

「う~ん……今川くんさ、もっとこう、何ていうかなあ……執念っつーか、激情っつーか、こう内面から熱く燃えたぎるパトス! みたいな感じは出せない?」
「パトス……ですか?」
「そう。ロミオはさあ、ジュリエットに一目惚れして障害のある恋を貫いたり、激昂して親友の仇を取って追放されたり、ジュリエットが死んだと思って自殺しちゃったり、感情の振れ幅が大きいタイプじゃない? その感じがまだイマイチ出てないのよね。まだちょっと大人しいっていうかさ」
「ん~、はい……」

 激情。パトス。たしかにいずれも普段の僕には縁の遠い言葉かもしれない。姉貴はそれをどうやって出していたのだろうか、と僕はふと思った。

 それからさらに数日後。本番で使う衣装やメイクを施し、実際に二人のシーンを演じてみてジュリエット役を決めることになったのだけれど、僕と三人のジュリエットの演技を見ても、部長はまだ迷っている様子だった。
 ちなみに、当然ながら僕は化粧なんて生まれてこの方一度もしたことがないので、メイクからメイク落としまでほぼ全ての工程を、メイク担当の三年の先輩、鵜殿五月うどのめいさんにしてもらっている。メイク落としに関しては、他の三人は自分でもできるが、僕は何をどう落とせばいいかすらさっぱりわからない。ただ顔を洗い流せばいいってわけじゃない程度の知識しかないので、鵜殿さんの手助けが必要なのだ。
 化粧台代わりに使っている机の前に座り、さっきの部長の反応を伝えると、鵜殿さんはショートボブの髪を後ろで束ねながら唇を曲げた。

「ん~、まあね~、難しいよな実際。去年が凄すぎただけにね」
「やっぱりそうなんですか……」
「うん。メイクとかも去年の先輩たちの感じに寄せてみてはいるんだけど、元々の顔の造形が違うからどうしてもね」

 鵜殿さんはそう言うと、何かの液体を染み込ませたコットンで僕の目元を優しく拭き取る。アイラインというのかアイシャドウというのかよくわからないが、素人目にもだいぶ濃く施されていたため、拭き終わった後のコットンはかなり汚れていた。
 そのまま次の作業に移るのかと思いきや、鵜殿さんは鏡に映った僕の、まだメイクの取り切れていない顔をじっと見つめている。何か問題が発生したのだろうか、不安になった僕は尋ねた。

「あ、あの……どうかしたんですか?」
「いや、ちょっと待って」

 と言うや否や、鵜殿さんは新たにメイク道具を持ち出して来て、ロミオ役とは異なるメイクを僕の顔に施し始めた。さっきより鮮やかな口紅、艶やかなアイシャドウ、頬には淡いチークまで。これじゃあまるで……。
 一通り作業を終えた鵜殿さんは、鏡を見ながら感嘆とも嘆息ともとれない吐息を漏らす。

「ああ……なんてこと……今川くん、その顔のまま、もう一回ダリアのところへ行って来て」


 鵜殿さんに言われるまま天野部長のもとへ向かう。部長は椅子に深く腰掛け、まさにロダンの『考える人』の姿勢で、ジュリエットの人選にまだ頭を悩ませている様子だった。

「あの、部長……」

 声をかけると、部長ははっとしたように顔を上げた。

「あ、今川くん、お疲れさま。ジュリエットのことなんだけ……ど……」

 と、部長は何かを言いかけたまま、僕の顔を見て数秒間固まってしまった。そしてその硬直が解けたかと思うと、今度は弾かれたように椅子から立ち上がり、小道具の中から長髪のウィッグを持って来て僕の頭に被せたのである。
 突然女性のメイクを施され、さらには女物のウィッグまで被せられた僕はもちろん戸惑ったが、それでも部長の困惑ぶりには遠く及ばなかったと思う。部長は震える声で言った。

「そんな……まさか、こんなことって……」
「……いや、あの、僕にこんなメイクをしたのは鵜殿さんなんですよ? そこまでドン引きすることないじゃないですか」

 部長はゆっくりと首を横に振って否定する。

「いえ、違う。そういう意味じゃないの。今川くん、今の君は……」
「はい?」
「今の君は、去年の織田さんを髣髴とさせる……いえ、瓜二つと言ってもいいぐらい、とても綺麗よ」
「……え?」

 そして、一度大きく唾を飲み込み、軽く咳払いをしてから、部長は宣言した。

「今、決めました。『ロミオとジュリエット』、ジュリエット役は、今川葉太郎くん、あなたに任せます」
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