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浦登みっひ

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どうなるキスシーン

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「入れましょう、キスシーン!」

 新人デビューコンテストを二週間後に控えた部室で、天野部長は高らかに言い放った。部員たちは異様な盛り上がりを見せ、決して広くはない部室を万雷の拍手が満たしている。
 その中で苦笑しながら顔を見合わせた僕と福島さんを除いては。

 こうなるだろうな、という予感はあった。キスシーンのアイディアを出して以来、部長も副部長も明らかにそれを入れたがっているように見えたからだ。最近はしきりに、

『うーん、いいんだけど、何かこう、もうワンパンチ足りないな』

 とか、

『もう一息、ガッていうインパクトが欲しいんだよなあ』

 そんな類の感想を漏らしていた。他の高校がおそらくとても真面目な劇でコンテストに臨んでくる中、『走れメロン』のタイトルだけで良くも悪くも十分目立つような気はするのだが、二人はそれでもまだ足りないらしい。いや、二人だけではない。部長や副部長がさっきの台詞をこぼすと、他の部員たちもチラチラと僕たちの様子を窺ってくる。外堀は完全に埋められていたのだ。
 だから、部長の決断に驚きは全くなかった。しかもほぼ全部員が賛同しているこの状況で、僕たちに拒否権があるとも思えない。
 案の定、キスシーンの採用を決定事項として、天野部長は話を進めた。

「さて、じゃあクライマックスにキスシーンを持ってくるとして、今川くん、福島さん、二人はキスの経験は?」

 部長に尋ねられ、僕たちはまた顔を見合わせた。どうしてここでそんなことを報告しなければならないのかと疑問に感じたけれど、多分反論しても言いくるめられるだけだろうと諦め、僕は素直に答えた。

「い、一応、僕はありますけど……」
「ほほ~う、さすが今川くん、色男ね。福島さんは?」

 何がさすがなのかわからないが、部長は目を細めて含みのある笑みを浮かべ、それから福島さんへ視線を転じる。福島さんは今にも消え入りそうな声で答えた。

「私は……ない……です……」
「へえ? そうなの? 年の割に大人っぽい雰囲気あるから、それぐらい経験済みなのかと思ってたけど……そうかあファーストキスかあ。じゃあ、経験豊富な今川くんにエスコートしてもらわないとね」
「ち、ちょっと、僕だってそんなに経験ないですよ!」
「またまた~謙遜しなくてもいいのよ。お姉さんたちに話してみなさい。十人? 二十人?」
「そんなにいるわけないじゃないですか! 二人ですよ、二人」

 と、ここで『おぉぉ』と謎の歓声が上がる。真面目に答える僕も僕だとは思うけど。これっていわゆるモラハラじゃないか? 副部長が目を爛々と輝かせ、身を乗り出して尋ねてきた。

「ねね、相手はどんな人? ファーストキスは?」
「そんなこと聞いてどうするんですか?」
「だってぇ、出会いのない女子高に、恋バナ大好きな女子がこんなに集まってんだよ? ネタがあるなら聞きたいに決まってんじゃん!」

 僕は、十五年と少しの人生の中で二回しか経験のないキスを思い浮かべていた。
 一人目は更紗。僕の初めての彼女。そのすぐ後に更紗は……ダメだ、ここで笑って話せる内容じゃない。
 二人目は藍子さん。つい数日前の出来事だったから、藍子さんの唇の感触は今でも僕の唇に生々しく残っている。あれ以降藍子さんと会う機会はまだないが、いったい次はどんな顔をして会えばいいのだろう。こんなことを気にしているのは僕だけだろうか?

 ところで、最大の懸念事項であるお紺の呪いについてだが、藍子さんの身に何か起こったという連絡は今のところ届いていない。僕はスマホを持っていないので直接彼女に確かめられるわけではないのだが、姉貴がよくLINE等で連絡をとっているので、異変があったらわかるはずだ。このまま何事もなければよいのだけれど。

 そして、やっぱりこれも話せない。演劇部の皆が藍子さんのことを知っているからだ。名前を伏せて話す手もあるかもしれないが、口を滑らせてしまったらうっかりでは済まなくなるし、僕が藍子さんに家庭教師をしてもらっていることを既に皆知っているので、状況から推測されてしまうおそれもある。
 それに何より、こんな空気の中で迂闊に口にして茶化されたくない。
 僕は毅然と言い放った。

「……申し訳ないですけど、それは言えません。僕だけの問題じゃないので」

 僕の真剣な口調に驚いたのか、直前まで騒がしかった部室が突然水を打ったように静まり返る。
 沈黙を破ったのは天野部長だった。

「はいはいみんな、その辺にしときなさい。それ以上はプライバシーの侵害だよ。話を戻すけど、今川くんと福島さん、キスシーンはどうする? アングルとかを工夫して、したように見せるのが無難だとは思うけど。あとは、ラップ越しにするとかかな? まあ、小細工なしでブッチューっと行きますって言うなら、もちろんそれでも全然構わないけどね」
「いや、それはさすがにちょっと……ねえ?」

 と同意を求めると、福島さんは少し戸惑ったような表情で頷いた。

「え、ええ……うん」
「まあ、そうだよねえ。先輩達の時とは違って、異性同士だもんなあ。ましてや、福島さんにとってはファーストキスとなるとね。じゃあ、試しにラップ越しにやってみましょうか。舞、お願い」
「あいよっ!」

 部長の一言で弾かれるように立ち上がった副部長は、小道具の類が収められている箱からラップを取り出して持ってきた。スーパーなどで市販されている、食品の鮮度を保つためのごくありふれたラップだ。副部長はそれを手早く15センチほど引き出して切った。

「こんなもんでいいかな? どうでしょ、お二人さん」

 副部長から手渡された透明なラップ。幅30センチの規格のものなので、15*30の長方形になっている。副部長は、隣り合って座っている僕たちの間で、そのラップをこれ見よがしにひらひらと動かした。
 こうして間近で見てみると、ラップは想像していた以上に薄い。ちょっと鼻息がかかっただけで飛んで行ってしまいそうな頼りなさだ。もし本番のキスシーンの最中、何かの拍子にふわっと外れたりしたら……。透明なラップの向こうで、福島さんも少し不安そうな顔をしている。
 僕は一縷の望みを託して尋ねてみた。

「あ、あの……やっぱりキスシーンって必要なんですか? 他の学校の演劇部でもやってるんですか?」

 すると、副部長は悪びれもせず、弾けるような笑顔で答えた。

「ううん? 学生だもん、普通はあんまりやらないよ。でもだからこそ、やる価値があるんじゃないの!」
「そんな無茶苦茶な……」
「ほら、決心しなさい今川くん、レディをあんまり待たせたら失礼でしょ?」
「決心って……」

 ラップの向こうの福島さんは意を決した表情で小さく頷いた。彼女はもう覚悟ができているのだ。やっぱり女性の方が肝が座っているんだろうか?

「だいじょーぶだいじょーぶ、コンドームよりは破けにくいはずだから。ささ、ぶちゅーっとどうぞ」

 その比較対象はどうなんだ? コンドームなんて見たことないけど?
 ともあれ、副部長に再び促されて、僕も覚悟を決めた。
 副部長が持つラップを挟んで、僕たちは向かい合って正座し、少しずつ顔を近づける。直接の接触がないとはいえ、普段の生活でこんなに接近することはないから、やはりとても緊張する。
 しかし、あと少しというところで、福島さんが少し頬を赤らめながら口を開いた。

「あ、あの、今川くん……」
「え? な、なに? やっぱりやめる?」
「ううん、そうじゃなくて……あの、目、とか、つぶらないのかなって……」

 そうだ。衆人環視の中でラップ越しにキスをするというこの状況の異常さのせいで気が回らなかった。僕は近付いてくる福島さんの顔をまじまじと凝視してしまっていたのである。

「ご、ごめん、そうだよね……恥ずかしいよね」

 福島さんに謝ってから僕は目を閉じ、再びゆっくりと顔を前に押し出す。そして間もなく、唇が何か温かいものに触れた。
 感触としては柔らかいが、間にラップを挟んでいるため、キスをしているという実感はあまりない。肌が触れているわけではないし、少し滑るような感じもする。ビニールを剥がさずにソーセージを口に含んだような、そんな感覚だった。
 ラップ越しのキスは十秒ほどで終わり、個人的にはこれぐらいならあまり意識せずにできるかな、と思ったのだけれど、部長の反応は芳しくなかった。

「う~ん、やっぱり、違和感あるよねえ。劇の最中にラップをさっと出す動作ってどうしても目につくし、それに、舞台ではライトが当たるから、どうしても光って見えちゃうだろうし」

 たしかに、僕と福島さんの間に垂れ下がっているラップは、部室の窓から差し込む弱い自然光でもてらてらと光っている。本番の舞台の強い照明の中では、おそらくかなり目立ってしまうだろう。
 部長は暫し思案していたが、すぐに小さく頷きながら言った。

「うん、やっぱ普通に、キスした風に見えるようなアングルでいきましょう」

 最初からそうすればよかったのに。大勢の目の前でキスをさせられた僕と福島さんの苦労はいったい……。
 ともあれ、どうやら本物のキスシーンをさせられることだけは回避できたらしく、僕はほっと胸を撫で下ろした。
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