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体験入部
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テニス部の勧誘(?)を受けて数日経った放課後。
僕と武田はジャージと半袖のシャツに着替えて、花倉高校の敷地のはずれにあるテニスコートにやってきた。テニスコートでは既にテニス部の先輩たちがラリーで汗を流していたのだけれど、ざっと見たところ、二面のテニスコートとその周りに、人数は二十人を少し超えるぐらいだろうか。部員全員がいるとは限らないから、実際にはもっと多くの部員が所属しているかもしれない。
ふと隣を見ると、武田は練習風景を眺めながら、
「あれ……?」
と困惑した表情を浮かべている。
「どうしたの、武田?」
気になって尋ねてみたが、返事はない。その時、テニスコートの端で立ちすくむ僕たちに気付いた岡部さんが、声を弾ませながらこちらに駆け寄ってきた。
「今川くーん! ……と武田! いらっしゃい! 二人のことは、もう部長にも話してあるからさ、ゆっくり見ていってよ」
「お、おい、岡部……」
武田は辺りを見回しながら、やや気まずそうに岡部さんに声をかける。
「ん? 何だよ武田」
「あ、あのさ……その、なんで皆、スカート履いてないんだ?」
……どうやら、いざ実際にテニスコートで練習風景を眺め、武田が困惑しているのはその点らしかった。ミニスカートと生足目当てでテニス部に興味を持ったはずなのに、そこで練習しているテニス部員たちは皆ハーフパンツのジャージ姿なのだ。岡部さんも当然白いTシャツに紺のハーフパンツ姿。健康的に細く引き締まったふくらはぎは見えるけれど、期待していたであろうテニススコートから伸びる生足には程遠く、武田が『見放題』と言っていたスカートの中身なんかは望むべくもない。
岡部さんはすっと目を細めて言った。
「露出狂じゃあるまいし、練習でいちいちテニススコートは着ないっつの。スケベの武田には残念だろうけどな」
「そ、そんなぁ……」
すると、武田はあんぐりと口を開け、ムンクの叫びのように悲嘆に暮れた表情のまま固まってしまった。そんな彼を見て、僕は笑いを堪えるのが大変だった。岡部さんもさすがに少し気の毒になったらしく、苦笑しながら声をかける。
「ま、当ては外れたかもしれないけど、せっかく来たんだからさ、武田もラケットぐらいは握っていきなよ。パンチラだけがテニスじゃないから――そういえば、二人はテニスの経験は?」
落胆のあまり呆然としている武田に代わって、僕は答えた。
「僕は全然。武田もやったことないって言ってたはずだけど……だよね? 武田」
「あ……ああ……」
武田の反応は極めて薄い。もう心ここにあらずで、僕の質問が聞こえているのかどうかも怪しい感じだ。スカートを履いていないだけでこんな状態になるなんて、こいつ、本気でパンチラだけが目的だったのか……。
「そっか。全くの未経験なのに、興味を持ってくれて嬉しいよ。ま、そっちの武田はテニスがやりたかったわけじゃないみたいだけど……」
岡部さんのジト目が武田の顔面に突き刺さったが、武田はそれにも何の反応も示さなかった。沈黙は即ち岡部さんの言葉を認めたことになってしまうと思うのだが、武田が答えないのだから仕方がない。これじゃあフォローもしようがないし。
僕はただ武田に巻き込まれてここに来てしまっただけで、取り立ててテニスに強い興味があったわけじゃないんだけど、言い出しっぺの武田がこの調子だから、僕が話を合わせる必要がある。それに、ここでいきなり『じゃあ帰る』なんて言ったら、期待させてしまった上、わざわざ部長に話を通してくれた岡部さんに申し訳が立たない。いや、何より怖いのは、僕までパンチラ目当てでここに来たと思われてしまうこと。それだけはどうしても避けたかった。そのために、僕は不本意ながらも、しばらくはテニスに興味があるフリをしなくちゃならない。
「う、うん、実はちょっと興味があったんだ。ほら、最近、錦織選手とかすごい活躍してるじゃん、かっこいいなって……」
すると、岡部さんは一重のまぶたを大きく見開いて、ぱっと目を輝かせた。
「ほんと!? そうだよね、かっこいいよね錦織選手。つい最近までは、男子テニスといえば松岡修造しか有名人がいなかったし、修造もどっちかといえばバラエティやレポーターのイメージが強いし……でも、錦織選手が世界のトップクラスで活躍するようになって、男子テニスにもようやくスターが出てきたって感じなんだ!」
「……そ、そうだね。僕も、錦織選手と松岡修造しか知らないけど」
「うちのテニス部もね、去年まではそれなりに強い人がいたらしいんだけど、その先輩が辞めちゃってから、相当レベルが落ちちゃったみたいなんだ。でもさ、今川くんが入ってくれたら――今川くんがうちの錦織選手になってくれたら、テニス部もかなり盛り上がると思うんだよね!」
「えええ? 僕が? いや、そんな大袈裟な……」
うちの錦織選手って、比喩にしてもあまりにオーバーすぎないか?
「全然大袈裟じゃないよ! 今川くんみたいなカワイイ男子が、テニスで爽やかな汗を流して、その上試合で活躍してくれちゃったりなんかしたら、もう、入部希望者大殺到間違いなしだよ!」
岡部さんはキラキラと希望に目を輝かせている。しかしちょっと待ってほしい。『爽やかな汗』なんて表現として矛盾している(その割によく耳にする言葉ではあるが)し、活躍すること前提で話されると無理がありすぎる!
「ちょ、待ってよ岡部さん。僕は今まで全然テニスやったことないんだよ? 運動神経も良くないし、試合で活躍なんてできっこないよ!」
「大丈夫! 一緒に練習すれば、絶対上手くなれるから!」
絶対上手くなれる。絶対とまで言い切れる自信は、いったいどこからやってくるのだろう。僕には純粋に疑問に思った。花倉高校のテニス部って全然有名じゃないし、その花倉のテニス部に入った岡部さんだって、福島さんが言っていた通り決して優秀な選手というわけじゃないはず。それなのに――。
「無理だよ、僕には……」
「そんなこと、やってみなくちゃわからないじゃない? 今まで全然やってなかったってことは、才能があるかどうかもわからないってことなんだから。もしかしたら、今川くんには実は物凄くテニスの才能があるかもしれないでしょ?」
「あ、あるわけないよ、僕なんかに……」
「どうしてそう言い切れるの? とにかくさ、ラケット握って、やってみようよ! ねっ!」
と、岡部さんは僕の手をとって、半ば強引に僕をテニスコートに引きずり込んだ。相変わらず棒立ちのままの武田を置き去りにして。――これって、なんだかデジャヴを覚える状況なんだけど……。
それから岡部さんは、三年生の部長に僕を紹介してくれた。女子ばかりの部活、それも運動部にいきなり男子が紛れ込んで迷惑なんじゃないかと心配もしたのだけれど、部長は快く僕を受け入れてくれた。もしかしたらこの部長も、岡部さんと同様、僕に過剰な期待を抱いているんじゃないだろうか。少なくとも、パンチラ目当ての武田に強引に誘われて仕方なくついてきた、なんて言えるような空気ではない。
参ったな、これは……。
そして、ラケットを渡された僕は、岡部さんと一緒にいきなりテニスコートに立たされた。
「はい、みんな、注目~!」
部長がコート全体に響き渡るような大きな声で叫ぶと、練習中のテニス部員たちが一斉に手を止めて、こちらを振り向いた。だいぶ前からチラチラと盗み見るような視線は感じてはいたのだけれど、改めて僕と岡部さんに全員の視点が集まる。
「今日体験入部に来てくれた、一年の今川くんです! 皆優しくしてやってね!」
すると、コートのあちらこちらから、一斉に黄色い歓声が上がった。
「ひゃ~、かわいい!」
「よろしくね~、今川くん!」
花倉高校に入ってから『かわいい』って言われるのはこれで何百回目だろう。未だに慣れないしあんまり嬉しくもないんだけど、相手は褒め言葉のつもりで言っているんだし、一応喜んでいるように見せることにしている。僕は笑顔を作り、軽く頭を下げながら『よろしく』と返した。
「じゃあ今川くん、早速だけど、試しにちょっとラリーしてみようか?」
岡部さんはそう言うと、ネットの反対側へ小走りで駆けてゆく。
「えっ、いきなり?」
僕は思わず聞き返した。まだラケットでボールを打ったことすらないのに、いきなりラリーなんてできっこないじゃないか!
しかし、岡部さんはそんなことお構いなしだった。
「だって、せっかくの体験入部なのにさ、素振りとか壁打ちじゃあつまんないでしょ?」
足を踏み出すリズムに合わせて彼女のショートカットの髪が躍り、細かい珠のような汗の雫が、日光に輝きながら爽やかに弾ける。
ネットの向こうに移動した岡部さんは、おもむろに黄色いボールを手に取った。
「じゃあ、いくよ~! 今川くん!」
「あっ……は、はい!」
「そんなに緊張しないで、リラックス、リラックス!」
ラケットを握り締めガチガチになった僕の姿を見て、彼女はクスクスと笑いながら、ゆったりとした動作でラケットを振る。スコン、という小気味よい音と共に、黄色いボールが大きく山なりの軌道を描きながらこちらに飛んできた。かなり手加減してくれているのだろう、打球のスピードは子供のキャッチボールみたいに遅く、これなら僕でもどうにか反応できそうだ。
ボールの軌道を予測して速やかに移動した僕は、タイミングを合わせて思い切りラケットを振り切った。ラケットがボールを捉えた感触が手のひらから伝わり、スコン、という音の直後に、ボールは低い弾道でネット目がけて飛んで行く。『おお』という歓声が上がり、僕は一瞬だけ本当に錦織選手になったかのような錯覚を起こした。
しかしその刹那。あと数センチでネットを超えるかというところでボールの軌道が落ち始め、明らかに勢いを失ったボールは、ネットの上部に当たってポトリとテニスコートに落ちてしまったのだ。
「あ~……やっぱりダメか……」
束の間の夢だった。まあいきなりそんな上手くいくわけないよな……。ほんの少しがっかりしたけれど、周りで見ていたテニス部員の皆は温かい拍手を送ってくれたし、岡部さんも弾けるような笑顔でガッツポーズをして見せた。
「すごいじゃん今川くん! 初めてラケット握ったのにボールを打ち返せるなんて!」
「はは……ありがとう」
「もしかしたら今川くん、天才なんじゃない?」
「いやぁ……そんな」
僕はポリポリと頭を掻いた。十五年と少しの人生の中で、こんなにオーバーに褒められたことがなかったから、こういう時にどう反応したらいいかわからないのだ。
「じゃあ今川くん、もう一回いくよ、それ!」
「あっ、ちょっと待っ……」
と言った頃には既に、テニスボールは岡部さんの手を離れて宙に浮いていた。さっきよりほんの少し早いスイングから放たれる、やはりさっきよりほんの少し強い打球。不意を突かれた僕は反応が一瞬遅れ、
「あっ……!」
ボールに追いつこうと慌てるあまり、足が縺れて体のバランスが崩れる。
ラケットの先をすり抜けてゆく黄色いボール。そして次の瞬間には、僕の身体はまさにボールのようにテニスコートに転がっていた。
僕と武田はジャージと半袖のシャツに着替えて、花倉高校の敷地のはずれにあるテニスコートにやってきた。テニスコートでは既にテニス部の先輩たちがラリーで汗を流していたのだけれど、ざっと見たところ、二面のテニスコートとその周りに、人数は二十人を少し超えるぐらいだろうか。部員全員がいるとは限らないから、実際にはもっと多くの部員が所属しているかもしれない。
ふと隣を見ると、武田は練習風景を眺めながら、
「あれ……?」
と困惑した表情を浮かべている。
「どうしたの、武田?」
気になって尋ねてみたが、返事はない。その時、テニスコートの端で立ちすくむ僕たちに気付いた岡部さんが、声を弾ませながらこちらに駆け寄ってきた。
「今川くーん! ……と武田! いらっしゃい! 二人のことは、もう部長にも話してあるからさ、ゆっくり見ていってよ」
「お、おい、岡部……」
武田は辺りを見回しながら、やや気まずそうに岡部さんに声をかける。
「ん? 何だよ武田」
「あ、あのさ……その、なんで皆、スカート履いてないんだ?」
……どうやら、いざ実際にテニスコートで練習風景を眺め、武田が困惑しているのはその点らしかった。ミニスカートと生足目当てでテニス部に興味を持ったはずなのに、そこで練習しているテニス部員たちは皆ハーフパンツのジャージ姿なのだ。岡部さんも当然白いTシャツに紺のハーフパンツ姿。健康的に細く引き締まったふくらはぎは見えるけれど、期待していたであろうテニススコートから伸びる生足には程遠く、武田が『見放題』と言っていたスカートの中身なんかは望むべくもない。
岡部さんはすっと目を細めて言った。
「露出狂じゃあるまいし、練習でいちいちテニススコートは着ないっつの。スケベの武田には残念だろうけどな」
「そ、そんなぁ……」
すると、武田はあんぐりと口を開け、ムンクの叫びのように悲嘆に暮れた表情のまま固まってしまった。そんな彼を見て、僕は笑いを堪えるのが大変だった。岡部さんもさすがに少し気の毒になったらしく、苦笑しながら声をかける。
「ま、当ては外れたかもしれないけど、せっかく来たんだからさ、武田もラケットぐらいは握っていきなよ。パンチラだけがテニスじゃないから――そういえば、二人はテニスの経験は?」
落胆のあまり呆然としている武田に代わって、僕は答えた。
「僕は全然。武田もやったことないって言ってたはずだけど……だよね? 武田」
「あ……ああ……」
武田の反応は極めて薄い。もう心ここにあらずで、僕の質問が聞こえているのかどうかも怪しい感じだ。スカートを履いていないだけでこんな状態になるなんて、こいつ、本気でパンチラだけが目的だったのか……。
「そっか。全くの未経験なのに、興味を持ってくれて嬉しいよ。ま、そっちの武田はテニスがやりたかったわけじゃないみたいだけど……」
岡部さんのジト目が武田の顔面に突き刺さったが、武田はそれにも何の反応も示さなかった。沈黙は即ち岡部さんの言葉を認めたことになってしまうと思うのだが、武田が答えないのだから仕方がない。これじゃあフォローもしようがないし。
僕はただ武田に巻き込まれてここに来てしまっただけで、取り立ててテニスに強い興味があったわけじゃないんだけど、言い出しっぺの武田がこの調子だから、僕が話を合わせる必要がある。それに、ここでいきなり『じゃあ帰る』なんて言ったら、期待させてしまった上、わざわざ部長に話を通してくれた岡部さんに申し訳が立たない。いや、何より怖いのは、僕までパンチラ目当てでここに来たと思われてしまうこと。それだけはどうしても避けたかった。そのために、僕は不本意ながらも、しばらくはテニスに興味があるフリをしなくちゃならない。
「う、うん、実はちょっと興味があったんだ。ほら、最近、錦織選手とかすごい活躍してるじゃん、かっこいいなって……」
すると、岡部さんは一重のまぶたを大きく見開いて、ぱっと目を輝かせた。
「ほんと!? そうだよね、かっこいいよね錦織選手。つい最近までは、男子テニスといえば松岡修造しか有名人がいなかったし、修造もどっちかといえばバラエティやレポーターのイメージが強いし……でも、錦織選手が世界のトップクラスで活躍するようになって、男子テニスにもようやくスターが出てきたって感じなんだ!」
「……そ、そうだね。僕も、錦織選手と松岡修造しか知らないけど」
「うちのテニス部もね、去年まではそれなりに強い人がいたらしいんだけど、その先輩が辞めちゃってから、相当レベルが落ちちゃったみたいなんだ。でもさ、今川くんが入ってくれたら――今川くんがうちの錦織選手になってくれたら、テニス部もかなり盛り上がると思うんだよね!」
「えええ? 僕が? いや、そんな大袈裟な……」
うちの錦織選手って、比喩にしてもあまりにオーバーすぎないか?
「全然大袈裟じゃないよ! 今川くんみたいなカワイイ男子が、テニスで爽やかな汗を流して、その上試合で活躍してくれちゃったりなんかしたら、もう、入部希望者大殺到間違いなしだよ!」
岡部さんはキラキラと希望に目を輝かせている。しかしちょっと待ってほしい。『爽やかな汗』なんて表現として矛盾している(その割によく耳にする言葉ではあるが)し、活躍すること前提で話されると無理がありすぎる!
「ちょ、待ってよ岡部さん。僕は今まで全然テニスやったことないんだよ? 運動神経も良くないし、試合で活躍なんてできっこないよ!」
「大丈夫! 一緒に練習すれば、絶対上手くなれるから!」
絶対上手くなれる。絶対とまで言い切れる自信は、いったいどこからやってくるのだろう。僕には純粋に疑問に思った。花倉高校のテニス部って全然有名じゃないし、その花倉のテニス部に入った岡部さんだって、福島さんが言っていた通り決して優秀な選手というわけじゃないはず。それなのに――。
「無理だよ、僕には……」
「そんなこと、やってみなくちゃわからないじゃない? 今まで全然やってなかったってことは、才能があるかどうかもわからないってことなんだから。もしかしたら、今川くんには実は物凄くテニスの才能があるかもしれないでしょ?」
「あ、あるわけないよ、僕なんかに……」
「どうしてそう言い切れるの? とにかくさ、ラケット握って、やってみようよ! ねっ!」
と、岡部さんは僕の手をとって、半ば強引に僕をテニスコートに引きずり込んだ。相変わらず棒立ちのままの武田を置き去りにして。――これって、なんだかデジャヴを覚える状況なんだけど……。
それから岡部さんは、三年生の部長に僕を紹介してくれた。女子ばかりの部活、それも運動部にいきなり男子が紛れ込んで迷惑なんじゃないかと心配もしたのだけれど、部長は快く僕を受け入れてくれた。もしかしたらこの部長も、岡部さんと同様、僕に過剰な期待を抱いているんじゃないだろうか。少なくとも、パンチラ目当ての武田に強引に誘われて仕方なくついてきた、なんて言えるような空気ではない。
参ったな、これは……。
そして、ラケットを渡された僕は、岡部さんと一緒にいきなりテニスコートに立たされた。
「はい、みんな、注目~!」
部長がコート全体に響き渡るような大きな声で叫ぶと、練習中のテニス部員たちが一斉に手を止めて、こちらを振り向いた。だいぶ前からチラチラと盗み見るような視線は感じてはいたのだけれど、改めて僕と岡部さんに全員の視点が集まる。
「今日体験入部に来てくれた、一年の今川くんです! 皆優しくしてやってね!」
すると、コートのあちらこちらから、一斉に黄色い歓声が上がった。
「ひゃ~、かわいい!」
「よろしくね~、今川くん!」
花倉高校に入ってから『かわいい』って言われるのはこれで何百回目だろう。未だに慣れないしあんまり嬉しくもないんだけど、相手は褒め言葉のつもりで言っているんだし、一応喜んでいるように見せることにしている。僕は笑顔を作り、軽く頭を下げながら『よろしく』と返した。
「じゃあ今川くん、早速だけど、試しにちょっとラリーしてみようか?」
岡部さんはそう言うと、ネットの反対側へ小走りで駆けてゆく。
「えっ、いきなり?」
僕は思わず聞き返した。まだラケットでボールを打ったことすらないのに、いきなりラリーなんてできっこないじゃないか!
しかし、岡部さんはそんなことお構いなしだった。
「だって、せっかくの体験入部なのにさ、素振りとか壁打ちじゃあつまんないでしょ?」
足を踏み出すリズムに合わせて彼女のショートカットの髪が躍り、細かい珠のような汗の雫が、日光に輝きながら爽やかに弾ける。
ネットの向こうに移動した岡部さんは、おもむろに黄色いボールを手に取った。
「じゃあ、いくよ~! 今川くん!」
「あっ……は、はい!」
「そんなに緊張しないで、リラックス、リラックス!」
ラケットを握り締めガチガチになった僕の姿を見て、彼女はクスクスと笑いながら、ゆったりとした動作でラケットを振る。スコン、という小気味よい音と共に、黄色いボールが大きく山なりの軌道を描きながらこちらに飛んできた。かなり手加減してくれているのだろう、打球のスピードは子供のキャッチボールみたいに遅く、これなら僕でもどうにか反応できそうだ。
ボールの軌道を予測して速やかに移動した僕は、タイミングを合わせて思い切りラケットを振り切った。ラケットがボールを捉えた感触が手のひらから伝わり、スコン、という音の直後に、ボールは低い弾道でネット目がけて飛んで行く。『おお』という歓声が上がり、僕は一瞬だけ本当に錦織選手になったかのような錯覚を起こした。
しかしその刹那。あと数センチでネットを超えるかというところでボールの軌道が落ち始め、明らかに勢いを失ったボールは、ネットの上部に当たってポトリとテニスコートに落ちてしまったのだ。
「あ~……やっぱりダメか……」
束の間の夢だった。まあいきなりそんな上手くいくわけないよな……。ほんの少しがっかりしたけれど、周りで見ていたテニス部員の皆は温かい拍手を送ってくれたし、岡部さんも弾けるような笑顔でガッツポーズをして見せた。
「すごいじゃん今川くん! 初めてラケット握ったのにボールを打ち返せるなんて!」
「はは……ありがとう」
「もしかしたら今川くん、天才なんじゃない?」
「いやぁ……そんな」
僕はポリポリと頭を掻いた。十五年と少しの人生の中で、こんなにオーバーに褒められたことがなかったから、こういう時にどう反応したらいいかわからないのだ。
「じゃあ今川くん、もう一回いくよ、それ!」
「あっ、ちょっと待っ……」
と言った頃には既に、テニスボールは岡部さんの手を離れて宙に浮いていた。さっきよりほんの少し早いスイングから放たれる、やはりさっきよりほんの少し強い打球。不意を突かれた僕は反応が一瞬遅れ、
「あっ……!」
ボールに追いつこうと慌てるあまり、足が縺れて体のバランスが崩れる。
ラケットの先をすり抜けてゆく黄色いボール。そして次の瞬間には、僕の身体はまさにボールのようにテニスコートに転がっていた。
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