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誰もいないお屋敷

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 宮殿のような屋敷の玄関をくぐると、正面に伸びた廊下の先に大きな広間が見えた。高い天井から吊り下げられた大きなシャンデリア、ハンロ高校の音楽室にあるものよりずっと奥行きのある大きなグランドピアノ。全体を白で統一された内装は細かいところまで金銀の装飾が施されていて、いかにも貴族が舞踏会を催していそうな雰囲気だ。

「うわあ……すごい……」
「ここは来客用だから。居住スペースは、もっとシンプルだよ」

 大広間の横にあった階段を昇って二階へ上がる。二階の部屋は全てロザリーの居住スペースらしい。

 僕はそのままロザリーの部屋に通された。
 彼女はさっきシンプルと言っていたけれど、ロザリーの部屋はとても広くて、この一室だけで僕の家の敷地ぐらいの広さがありそうだ。確かに下の大広間と比べると派手さはなかったものの、それでも高そうな調度品がたくさん置いてある。花柄の模様の柔らかい絨毯、ふかふかのソファ、大きなセンターテーブルに、これまた大きな鏡のついたドレッサー。薔薇のレリーフが施されたチェストの上には、幼い頃の彼女と両親らしき人物が映った写真、そして馬の置物が所狭しと置かれ、壁には大きな額縁に収められた巨大な風景画が何枚もかけられている。

 中でも一際目を引くのは部屋の奥に設えられた天蓋付きの大きなベッドで、キングサイズというのか、とにかく見たこともないような大きさだ。

 しかし、彼女の部屋で最も特徴的なのは、窓がないことだった。先程見てきた一階の大広間には採光のための大きな窓がいくつもあったけれど、ざっと見たところ、二階の居住スペースには窓が一つもない。これはきっと、あまり日光に当たれないロザリーのための配慮なのだろう。
 もしかして、あの大きな風景画は窓の代わりだったりするのだろうか。天井には小さなシャンデリアが等間隔にいくつも下がっていて、日光が入らなくても暗さを感じることはなかった。

 ロザリーはベッドの横にあった猫脚のスツールに腰掛け、サイドテーブルの上に置かれたノートパソコンの電源を入れる。僕が所在なく立ち尽くしているのを見て、ロザリーはくすくすと笑った。

「何、ずっと立ってるの? 適当にその辺で休んでていいよ」
「あ、ああ、うん」

 と言われても、椅子もソファーもどれもこれもが高級そうで、僕なんかが尻の下に敷くのはためらわれてしまうような代物ばかりだった。僕はぶらぶらと歩き回りながら、部屋の中に並ぶ家具を観察するふりをして、横目でちらちらとロザリーの様子を窺っていた。
 豪奢な家具に囲まれて白いドレスを纏った彼女の姿はまるで動く絵画みたいで、こんなに近くにいるというのに、現実感が希薄だった。まあ、それは僕が庶民すぎて、このラグジュアリーな空間に馴染んでいないせいかもしれないけれど。
 ロザリーがキーボードを叩くカタカタという音が、意識を現実に引き戻す。

「なるほどね、海沿いの埋め立て地にある廃倉庫群か……。よし」

 ロザリーはそう呟くと、すぐにパソコンをシャットダウンして、そのままベッドに仰向けに寝転がった。パソコンの駆動音が止まると同時に、部屋は完全な静寂に満たされる。
 沈黙が気になって、僕はロザリーに話し掛けた。

「何を見てたの?」

 彼女はベッドに寝転がったまま返事をした。

「今回の任務の詳細。廃倉庫がどこにあるのか、その確認も兼ねて」
「こんな任務を、いくつもこなしてきたのかい?」
「う~ん、ちょっと違うかな……今までは、犯罪捜査に協力してきただけ。だから、今回が一番危険かも」

 その一番危険な任務に、僕は同行させられるのか……。いや、男子に二言はなし。同行することに不満があるわけではない。しかし、そんな重要な任務を何故ロザリーがやらなければならないのか。疑問があるとすればそちらのほうだ。

「正直言って、僕、さっぱりわけがわからないよ……」
「私のこと、怖くなった?」
「いや、そういうんじゃなくて……」

 再び沈黙。この不自然な間が怖い。でも、継ぎ穂となるうまい言葉も見つからなくて、やむを得ず、僕は話題を変えた。

「このお屋敷、ずいぶん静かだね」
「私たちしかいないから」
「……えっ?」
「誰もいないの、ここ。私だけ。そして、今は私とあなただけ」

 僕は思わず辺りを見回した。こんなに広い敷地に、こんなに広いお屋敷に、ロザリーしかいない……?
 いや、まさか。そんなわけが……。

「来て」

 ロザリーが唐突に呟いた。
 僕は言われた通り、彼女が横たわる大きなベッドの側に歩み寄る。
 ロザリーはこちらに手を差し伸べ、その細く滑らかな指先を、僕は卵を扱うように優しく手のひらで包み込んだ。
 すると、彼女は突然僕の手首を掴み、強く引き寄せた。バランスを失った僕の体は、彼女の上に覆い被さるようにして倒れこむ。

「ご、ごめん、ロザリー、そんなつもりじゃ……」

 ロザリーは答えなかった。彼女の手が僕の頬を撫で、徐々に首筋へと降りて、着崩した制服の襟の中にするすると忍びこむ。そして、体中にべたべたと貼られた絆創膏の上から、昨日の傷口を撫で始めた。
 その瞬間、僕は見てしまったのだ。
 長袖のドレスの袖口から。
 彼女の腕に刻まれた、無数の傷痕を……。

 シャツの中に潜り込んだロザリーの細い指先は、絆創膏を器用に剥がし、僕の傷口に直に触れる。

「痛かった……?」

 その一言が麻薬のように僕の意識を惑わせた。

「全然、痛くなかったよ」

 すると、ロザリーは妖しく微笑んで、僕の耳許に口を寄せた。その瞳の色は激しく蠢き、次第に深い紫に変わっていく。そして、こう囁いた。

「痛くしてもいいよ」

 その言葉を合図に、僕は荒々しくロザリーをベッドに押し付けた。馬乗りになり、彼女の小さな唇を貪って――噎せかえるような薔薇の香りが僕の最後の理性を手折り――喉元に舌を這わせる。彼女の華奢な体は今にも壊れてしまいそうなほど頼りなく、でも、力を緩めようとは全く思わなかった。

 僕はいったいどうしてしまったんだろう。
 突如として湧き上がってきた欲求と、それによって引き起こされた自分の行動に、僕自身が一番驚いていた。今までずっと健全な交際を続けてきたのに、いや、だからこそ、急に抑えきれなくなってしまったのだろうか。僕はロザリーの柔らかい唇の感触に溺れ、もっと彼女の秘密に触れたいと思った。

 だが、彼女の白いドレスは、背中のデザインがとても複雑で、どうやって脱がせたらいいのかがわからない。何本もの紐があやとりのように複雑に絡み合い、ロザリーの体をコルセットのようにきつく締め付けているのだ。ロザリーの背中の下になっていることもあって、幾重にも結ばれた紐を手探りで解くのは困難を極める。
 焦れば焦るほど指先に紐が絡まり、悪戦苦闘しているうち、ロザリーは僕の胸元に手を添えて、僕の体をそっと押し返した。瞳の色が紫から薄桃色へと滑るように変化していく。

「先に、一仕事してこよう?」

 ロザリーのその言葉で、僕の衝動は魔法が解けたようにシュルシュルと減退していき、

「う、うん……あれ……?」

 戸惑いながらも、僕は大人しくロザリーのベッドから体を起こした。
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