100回目の螺旋階段

森羅秋

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『何でも屋・陸侑』の事務所にて

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 眞白ましろは聞こえた声に耳を疑って固まった。瞬きを数回繰り返して「え?」と戸惑う声を漏らす。玄関から数歩下がって壁に背をつけると左右を見渡す。変わり映えのない廊下がある。心臓の鼓動がドッと大きくなって額に汗が浮かんだ。

「あの……今」

 インターホンから遠すぎて聞こえないと分かっていても、小声で問いかけてしまった。

『ドアノブはあいている』

 聞こえたのか、もう一度同じ返事が戻ってくる。
 眞白ましろはごくりと生唾を飲んで一歩踏み出す。踏み出す足は妙に重い。勿論、陸侑に会える期待はある。しかし罠かもしれないと不安が張り付く。玄関に立ち止まり、傍に置いたスーツケースを持ち上げた。

「こ、ここまできたんだ、毒を食らわば皿まで!」

 グッと気合を込めてドアノブを回した。抵抗もなくドアが開く。
 隙間を開けて目だけで中を覗くと、当たり前のように玄関があった。明かりが灯っており埃一つない。ゆっくりとドアを開けて視線を四方に向けながら、恐る恐る入ってゆっくりとドアを閉める。

「……」

 念のためにもう一度玄関ドアを開けてみた。自動ロックではないためすぐに開く。退路があると分かってホッとしてから、改めて正面に向き直る。

 白を基調とした小さな玄関は左横に傘立て、右横に靴置き棚がある。棚に一足も置かれてなかったので少し躊躇ったが、眞白ましろは棚に靴を置く。ボロボロの運動靴から砂と泥をいくつか落ちると、綺麗な玄関を汚した気がして恨めしそうに靴を見下ろした。

「お邪魔します」

 眞白ましろは玄関を上がって廊下を進む。それほど長くないため十歩ぐらいで目の前にあるドアに到着するだろう。間取りから考えればリビングだ。

「あ、トイレ……」

 五歩ぐらいでトイレマークがついたドアを発見する。対面もドアがある。
 眞白ましろはトイレマークを凝視する。緊張により急にもよおしてきた気がするが、気のせいだと頭を振って進む。初めて来たところのトレイを勝手に借りるわけにもいかないし、陸侑が待っているはずなので寄り道はできない。

「失礼、します」

 恐る恐るドアを開けると、こじんまりとしたリビングがあった。
 大きな窓には薄い白いカーテンがあり、窓の隙間の風からそよそよと風が流れ込む。
 窓の外は隣のアパートの壁が一面に広がり陽が差し込むことはないため、天井に設置されている一つの四角い電灯が昼間のように部屋を照らしていた。
 室内は古びたテーブル一台と、椅子が四脚置いてあるだけで、とても殺風景なリビングである。

「……誰もいない?」

 リビングは無人だった。眞白ましろはドアの前に突っ立ったまま部屋を見渡す。どうすればいいのか分からなかったので動かず待つことにした。
 いつまで待っただろうか。数秒の気もするし数分経った気もする。何も音がないため先ほど話した少年が幽霊や妖怪のように感じて、不安がどんどん大きくなり疑心暗鬼に成長する。心細さを紛らわせるようにスーツケースを胸に抱きかかえた。
 ただ待つことも依頼を頼む条件なのかもしれないと眞白ましろが気持ちを切り替えたところで、横から声がかかった。

「お待たせした、琴葉岬ことのはさき眞白ましろさん。席に座ってもらって構わない」

 眞白ましろはスピーカーから聞こえた声に反応して、弾かれたように横を向いた。三メートルほど向こう側に子供が立っていた。カップとポットを運ぶためお盆を持っている。先ほどまで誰もいなかった空間に突如として現れたので、眞白ましろはビクッと肩を震わせて一歩下がった。やはり魑魅魍魎の類なのかもと少しだけ警戒する。

 少年の年齢は十代前半で身長は百五十センチほど。ショートカットの茶髪で灰色ニット帽をかぶっている。やや丸顔だが器量の良い顔立ちで、少女のような華やかさを備えていた。目はヘーゼル色(茶色に緑色を混ぜた色合い)で細長い瞳孔をもつ。服装はだぼっとした青いストライプシャツに白いズボンで、大人サイズの室内スリッパを履いていた。

「あの……こんにちは」

 眞白ましろは内心の怯えを隠して、穏やかに頭を下げる。ゆっくりと顔を上げながら少年を上から下まで舐めるようにみた。視線が混じったときに猫の目のようだと、可愛らしい印象に感じる。
 子供はあからさまな視線を感じて少しため息をついた。だが気に留めずに愛想笑いを浮かべる。

「時間が惜しい、対面で座るからどっちでもいい。早く座れ」

 可愛い花のような笑みを浮かべているが、そこから放たれる言葉は厳声である。心地よい澄んだ声なため、より一層偉ぶった態度のように思えて、眞白ましろは笑顔を保ったまま生意気な子供と印象を改めた。

 子供はスリッパをパタパタと鳴らしてお盆をテーブルに置いた。二つのティーカップを対面に、耐熱ガラス製のティーポットをテーブルの隅に置く。

 陸侑りくうが来る前にセッティングしているのだと気づいた眞白ましろは、しっかりしているなぁと感心した眼差しを向けた。
リビングドアの開閉を邪魔しないよう少し横にずれて、陸侑が来るのを待つことにした。暇だったのでポットの中に入っていた赤い色を眺める。紅茶かなと思いながらテーブルが動くたびに波打つ水の動きを眺めた。

「できたっと」

 ポットの横にシュガー容器とクリープが入った小物入れを置くと、子供が眞白ましろに振り返って、リビングドア側に置いてある椅子を示した。

「どうぞ、こっちに座って。スーツケースは横に置いていいよ」

 眞白ましろはぱちくりと目を見開く。
 子供が勧めているのだから座っていい気もするが、初対面で礼儀がなっていないと思われたくないため、念のために確認する。

「まだ陸侑りくうさんきてないけど、勝手に座っていいの?」

「ぼさっと突っ立ってないでここに座って」

 子供が慣れた手つきでテーブルに収まっていた椅子を出したので、眞白ましろは軽くお辞儀をしてから近づいた。
 リビングに他の人の気配はない。招き入れたくせに何故来ないんだろうと首を傾げながら、椅子に座ってスーツケースを膝の上に置いた。

「有難うございます」

 眞白ましろが椅子に座ったので、子供はポットを持ち上げ片手でカップに注いだ。茶葉はないので前もって茶漉しで注いできたようだ。子供はカップを眞白の前に置いた。

「紅茶はアールグレイだ。嫌いではないだろう? ストレートで飲むよりも砂糖かミルクを使うと思ってそちらも用意させてもらった。好みに合わせて使ってくれ」 

「あ、はい。ありがとうございます」

 眞白ましろは軽く頭を下げた。
 子供はポットを元の位置に置いてから移動する。

 もうすぐ陸侑と話せると眞白ましろの期待が高まった。同時に強い緊張もやってくる。深呼吸をして両手を足の上に置いて姿勢を正すが、落ち着きなく視線が動いてしまう。挙動不審にならないよう紅茶が注がれたカップに視線を落とす。

 窓際に歩いていた子供は、一向に紅茶に手を付けない眞白ましろに気づいて、飲むように促した。

「飲んでいいよ。ここまで来たんだから喉がカラカラだろ? それとも何かお口汚しがいるかな?」

 眞白ましろは慌てて顔を上げた。

「いや大丈夫です! あの、お気遣いなく! 陸侑さんと話してから飲みます」

 陸侑に許可をもらって飲むのが礼儀のはずだと、やんわり断った。
 テーブルの端っこで立ち止まった子供は、苦笑しながら両腕を胸の前で組んだ。

「でもここに来るときに相当迷っただろ? 少し休憩してもいいんじゃないか?」

「そんなことないです……」

 と否定するものの、その通りだったので眞白ましろは引きつった笑みを浮かべた。
 子供は目を細めながら、眞白ましろの頭を指し示す。

「そのボサボサ頭と砂だらけの服は? それ見る限り、迷ってかなり時間を潰したって物語っているけど?」

「え!?」

 子供から指摘を受けて、眞白ましろは驚きで目を見開きながら立ちあがった。急いで服のチェックを行う。

「うっわ……」

 腕の後ろ側や袖口に砂がついている。さらに背中側の服を引っ張ってみるとそこにもついている。手で髪を触ってみるとざりっとした砂の感触がある。細い道を通り抜けたときについたとすぐにわかった。
 見た目を良くしようといつも以上に気合を入れたのに、不格好になっていると強いショックを受けた。

「やばい……こんな格好じゃ……今から会うのに」

 眞白ましろから血の気が引く。今から人と会って交渉しようとするいで立ちではないと狼狽し。

「あの! 鏡を……洗面台! 洗面台を貸してください!」

 とすぐに願い出た。しかし子供は些細なことだと肩をすくめる。洗面台を貸す気は全くないと察して眞白ましろは頭を抱えた。

「意地悪しないでください。あとで掃除しますから」

「大丈夫。そんなこと気にもしない」

「いえいえ、初対面は身だしなみが命です。この格好じゃ失礼になります。お願いします洗面台を貸してください」

 眞白ましろは両手を合わせてお願いポーズをすると、子供は片目を閉じてクスっと笑う。性格の悪いやつだと眞白ましろが内心で毒づく。子供は指先でつぅっとテーブルをなぞりながら窓側にある椅子の後ろで足を止めた。

「それより座りな。依頼を煮詰めていこうじゃないか」

「だからちょっと砂を払ってきたいんですってば」

陸侑りくうはもう来ている。座れ」

 子供は椅子に手を置くとグイっと引っ張って席に座った。眞白ましろは驚いて目を見開くと、子供を立たせようと身振り手振りを行いつつ注意する。

「だ、駄目だよ、勝手に座ったら!」

「いいのいいの」

 子供は鬱陶しそうに手を振りながら、にやりと人を食ったような笑みを浮かべる。

「もしかしてご子息さんですか?」

 だとしたら依頼者を接待しているのも納得できるが、それでも面識のない相手をさせるなんて不用心だと眉をひそめる。噂に嘘が混じっている可能性が浮かんで、眞白ましろはため息をついた。

「すぐに陸侑さんを呼んでください」

「どうしたの? 機嫌悪くなったけど?」

 子供が不思議そうに首を傾げた。

陸侑りくうさんに文句を言いたい。君みたいな子供が一人で接客業をするのは大変危険です。依頼を確実に受けてもらうために誘拐して人質にされてしまうこともある。この場に他の大人が居て僕を観察していると思っていたけど、誰もいる気配はない気がする。危険なことこの上ない。こんな常識のないことをするなんて……」

 依頼を頼むことなど頭からすっぽ抜けてしまい、眞白ましろが苦々しい表情で非難する。
 子供は嬉しそうに目を細めて「そうだなぁ。シロはそういう奴だった。うっかりしていた」と呟いた。
 眞白ましろが「ん?」と聞き返すと、子供は不敵な笑みを浮かべて立ち上がる。

「ようこそ。依頼者『琴葉岬ことのはさき眞白ましろ』さん。オレは陸侑りくう弧杜こと。『何でも屋・陸侑りくう』の創立者になる。以後お見知りおきを」

 颯爽と言いながら、最後にぺこりと丁寧に会釈を行った。
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