100回目の螺旋階段

森羅秋

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団地マンションの一室にて

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 三森町八の瀬みしんちょうはちのせの裏地区ギリギリの場所にマンションが並んでいる。
 近くの工場の名前が団地名として書かれていたので、従業員がここに住んでいると推測できる。
 このどこかに陸侑りくうが住んでいるはずとメモをズボンのポケットに無造作に入れた。

 眞白ましろは団地に足を踏み入れる。
 コンクリで補強されているが老朽化しているのか、ひび割れて地面が顔を出している場所もあった。手入れされていないわりに雑草が殆ど生えていない。
 不思議に思い注意して見てみると虫の死骸が沢山転がっていた。大量の除草剤を撒いているのだろうと思いながら緑がほとんどない歩道を進む。

 一車線の車道と、細い歩道を挟んでマンションが四棟並んでいた。その奥側にもそれぞれ二棟あるので合計八棟あるようだ。
 マンションごとに形や高さが違っていて、高くて十二階、低くて八階といったところだ。
 ベランダがある場所では所々洗濯物が干されて風に吹かれてふわふわ揺れている。あまり人気を感じないが住人はいるようだ。ゴースト団地ではないと分かって眞白ましろはホッと胸を撫で下ろした。

 車道を渡って奥側の古びたマンションの前で足を止める。メモを取り出し確認する。住所はここだと踏んで、眞白ましろはゆっくりとマンションを見上げた。真四角の形をしている。ベランダがなく窓だけが並んでいるビルのようなデザインだ。窓の数を数えると八階建てだと分かる。

「本当にここなんだろうか?」

 眞白ましろは不安を隠すことなく呟いた。
 通りすがりの人に住所の確認や、陸侑りくうについて尋ねようと思ったが、団地内でも誰にも出会わなかった。ここまで人気がないのは変だと訝しがるが、こんな日もあるかもしれないと深く考えないことにした。


「お邪魔します」

 小さい声を出しながらマンション入り口から中へ入る。電灯がついていないので薄暗い。
 フロアはあちこちの壁がひび割れて欠片が床に落ちていた。
 天井の隅には蜘蛛の巣がはって小さな虫が沢山引っかかっている。
 マンションに管理人がいないのか、掃除は一切されていない。

 小汚いフロアを数歩進むとマンション全世帯のメールボックスがあった。近づいてみると部屋番だけ書かれている。郵便物を入れる隙間から内部を覗いてみると五〇一号室だけにチラシが入っていた。ここに誰か住んでいる。

「ここかなぁ?」

 部屋のあたりをつけて眞白ましろは覗くのをやめた。
 メールボックスから左に視線を向けると金属のドアがある。
 ドアノブを回して押すと、錆びた音をさせながらゆっくりと開いた。上の階にあがる細い階段がある。
 一度ドアを閉めてからフロアを見渡すが残りは壁でエレベーターはないようだ。上に行くには階段を使うしかない。

「よし! 行ってみよう!」

 金属のドアを開けて、勇み足で階段を上り始めた。
 一人が通れる程度の狭い幅に加えて階段の勾配は五六度。急斜面の階段である。一段の高さは通常より高めだったが、滑り止めと手すりがあるので案外登りやすかった。
 
 フロアの閑散ぶりで想像をしていたが階段も薄暗くて圧迫感が強い。
 かね折れ階段の踊り場の天井に照明器具があったが全く機能していない。明り取りの小窓がほのかに照らしているため今は問題ないが、夜になれば何も見えなくなりそうだ。

 眞白ましろは五階に直行せず、まず二階で足を止めた。
 本当に空き家か一つ一つチェックしてみようと好奇心が働いたためだ。

 二階の金属ドアを開けると真っすぐな通路があった。通路の突き当りにひび割れた小窓があるが明かり取りとしては不十分だ。
 通路の天井に照明器具はあるが電灯カバーが紛失しており、棒状電球が二つとも外されていた。

 通路を挟んだ両脇に錆色の金属ドアが二つある。階段からみて右側手前に一つ。左側置くに一つだ。
 ドアから少し横に一メートル幅の窓が左右に二つ、アルミ面格子が嵌められて外部の侵入を防いでいた。左側も同じ造りになっている。

 眞白ましろは二つのドアを確認する。表札に【二〇一号室】【二〇二号室】と書かれていた。
 一フロアに二軒の住宅がある。広さから考えると四LDKか五LDKはありそうだ。
 
 今は閑散としているが、以前はここで沢山の人が住んでいたかもしれない。
 否。使いにくさで最初から人気がなかったかもしれない。
 そんな邪推をしながら眞白ましろは二〇一号室のドアノブを捻ってみた。
 
 興味本位だったが、カチャリ、と音を立ててすんなり開いた。驚いて目をぱちくりさせた眞白ましろは、すぐに気配を沈めて隙間を大きくして目だけで奥を伺う。

 新鮮な空気が入ったため埃と砂埃が顔に舞った。埃が鼻腔をくすぐるが声を出さずじっと奥を覗く。
 玄関ドアから短い廊下があり、正面にドア、左側にドアがある。靴箱には何も置かれていない。カーテンが閉じられているのか中は真っ暗だった。

 そこまで見てから、眞白ましろはゆっくりとドアを閉めた。
 ドアノブに鍵がかかってないということは、誰かが潜んでいる可能性があると警戒する。浮浪者ならいいが、強盗や薬売りがいたら一目散に逃げなければならない。
 しばらく息を潜めるが、音や気配はない。
 誰もいないなら襲われる心配はなさそうだ。今回は運がよかったと安堵の息をつく。
 気を取り直して階段へ戻り、上の階にあがった。

 結論からいえば三階も四階も誰もいなかった。
 ドアはしっかり施錠されていたが、ドアノブや窓枠にうっすら埃が溜まっていた。しばらく人の出入りがない証拠である。
 上がるにつれて、この場所でよかったのだろうかと不安が強くなっていた。
 だが郵便物は五〇一のポストに入っていた。好奇心で違うフロアに行っただけでまだ希望は捨てられない。

「五階につい……え…………」

 眞白ましろは思わず息を飲んだ。
 電灯の明かりが灯っていて通路は明るかった。一歩踏み出してもゴミや埃がなくきれいに掃除されているのが分かる。特に五〇一号室の玄関前は入念に掃除されており、窓のアルミ面格子に鉢植えの小さな観葉植物が吊るされていた。

「ここが陸侑さんの事務所で正解かも!」

 他の階と明らかに違っていて、眞白ましろはぱぁっと表情を明るくさせながら素早く玄関に向かう。
 頑丈な黒いドアの横には最新型のインターホンがついていた。押そうとして指が震える。

「んんん……まずい。嬉しすぎて手が震えている」

 まだ正解とは限らないが、限りなく当たりに近い状況に興奮が収まらない。
 時間にして二分ほど。押す直前で固まっていた眞白ましろは、やっとインターホンを押せた。
 ピンポーンと鳴ると目を輝かせる。

「すいません! ここは何でも屋陸侑りくうさんの事務所ですか!?」

 返事はない。
 もう一度インターホンを押す。

「すいません! ここは何でも屋陸侑りくうさんの事務所ですか!? 依頼したいことがあるんですけど!」

 やはり返事はない。

 ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーンピンポーンピンポーン。
 
 最終的には悪戯レベルでインターホンを連打したが応答はなかった。
 眞白ましろはしおれた草のようになり通路に膝をつくと正座をする。まるで家から閉め出しを受けたかのようである。

「留守かなぁ……どうしよう……待つ? んー、でもなぁ……」

 依頼遂行中のため事務所を留守にしている可能性があった。
 だとするとしばらく帰ってこないはずだ。

 立ち上がって、ドアや周囲に連絡先かなにか書いてないかと探ってみるが、何もない。

「そういえば表札に名前がでてない」
 
 全く関係のない住人宅の可能性がでてきたため、困惑して眉間にしわが寄る。

「どうしよう。出直すか、待つか」

 眞白ましろはうろうろと通路を右往左往し始めた。考え事をするときに少し歩くとまとまりやすい。
 事務所の住所は教えてもらったが連絡先は教えてもらえなかった。
 今できることは、待つか出直すかの二者選択しかない。
 期待を砕かれて落胆してしまい肩を落とした。

「はぁ……困った。せめて連絡が分かれば依頼予約できるかもしれないのに……。このあたりに連絡番号とか、なにか暗号みたいなの書いてないかなぁ?」

 眞白ましろは目を皿のようにして玄関周囲を凝視する。丁寧に掃除されていて落書き一つもなかった。
 またしてもガクっと肩を落とす。右手で顔を触りながら残念だと不満を漏らす。

「綺麗に掃除されてなにもない。なにかあればいいのに」

『誰?』

「うわあ!」

 突然、インターホンのスピーカーから返答がきた。
 驚いた眞白ましろはザザッと虫のように逃げて壁際に背中を引っ付ける。

『誰?』

 小さな子供の声だ。
 これはチャンスとばかりに、眞白ましろはすぐにドアに駆け寄るとインターホンに縋り付いた。

「ここは何でも屋陸侑りくうさんの事務所ですか!?」

『誰?』

 ちょっと呆れたように子供の声が繰り返す。

「依頼したいことがありまして。お取次ぎをお願いしたく」

『誰?』

陸侑りくうさんはご在宅でしょうか?」

『誰?』

 子供は同じセリフしか言わない。

「あの……」

 眞白ましろが困ったように呟くと、子供のため息がスピーカーから聞こえる。ため息をつきたいのはこっちだと、ちょっとだけムッとしてインターホンを睨む。
 少し間を開けてから、子供はゆっくりと意を示した。
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