水面下ならば潜ろうか

森羅秋

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瞬とカンゴウムシ事件と夏休み

ピンチの水中戦

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 水の中に落ちた瞬は、水の流れが予想以上に速いと感じた。水温は少し冷たいが丁度いい。
 夏場でよかったと心底思う。冬なら水に落ちた瞬間に心臓麻痺を起していたはずだ。

(油断した。痛い。足を切られちゃった)

 薄目を開けて足の状態を見てみる。左側のズボン、太ももの前側が一文字に破けている。透明度の高い水に赤色が混じっているので出血している。水中なのでどのくらい血が流れ出しているのか想像ができなかった。
 ズキン、ズキンと鋭い痛みが頭に響く。
 ゆっくり足を曲げても痛みが強い。あまり動かさない方が良いだろうが、そんなことを言っている場合ではない。
 
 目をもう少し開けて水中を確認する。バイクに乗ったスピードで景色が流れている。水の流れに乗り、建物にぶつからないようコントロールする。

(芙美は……いない。大丈夫だといいんだけど……)

 一緒に流れていないので見逃してくれたと思いたい。
 不安を押し殺して、瞬はやるべきことを決める。まずは水面に顔を出して呼吸の確保。水から出て足場の確保だ。
 瞬は水面へ向かう。バタ足で動かすと傷を負った足に激痛が走るが、奥歯を噛みしめて鞭打って泳ぐ。
 泳ぎが不得意な上に足の傷が加わり、なかなか浮上できずにいた。

(よし、水面がみえた……)

 頑張って水面まで1メートルのところに近づいた。
 もう少しで呼吸ができる、と期待に胸を膨らませたが。

(……なのに、もうっ)

 横から来る物体に気づいて瞬は急いで下に潜る。
 数秒後、剣をもつ白金鎧が物凄いスピードで頭上を通り過ぎた。
 青魚のようなスマートな動きを見て、不覚にも惚れ惚れした。

(流石ミズナビト。綺麗な泳ぎっぷり。鎧を着こんでいるとは思えないなぁ)

 感心している場合ではないのだが、一度でいいからあんな風に綺麗に泳いでみたいという気持ちは沸き上がる。
 ミズナビトの泳ぐパターンは基本的に一直線だ。左右に曲がる場合には一度止まるか、大きく旋回する必要がある。ガリウォントも旋回して戻って来た。

(呼吸したいんだけどなー。秒で戻ってくるんだけど。これをどうしろと……)

 剣を掲げて突進してくる姿はカジキマグロのようだ。とても力強い。
 ガリウォントの突進を避けるため、直前まで引きつけてから、瞬は体を捻って回避する。しかし水流で体がくるくると回転する。

(うわ! なんだこの威力! やっぱゲマインは見た目通り先祖返りなんだ。すっご)

 水で暮らしていた名残が強く残っていると、水流も攻撃として使えるヒトがいる。と匠から教えてもらったことがある。ガリウォントはまさしくそのタイプ。歴史上、水中戦において一番リクビトを葬ってきた恐ろしい相手である。

 突進を回避するたびに体がくるくる回転して、どっちが水面かわからなくなってきた。

(ひえー。一応、水中戦もやらされたけど、アルとは違ってこっちは荒いなー! やっぱアルは手加減してたんだな!)

 くるくる回るのを何とか落ち着かせて、体勢を立て直す。
 泳いでこの場から逃げるか、水面にでようと動くが全て妨害されている。

(マズイっていうか完璧にピンチ。私は水中戦駄目だし、なにより呼吸! 肺活量あるけど息継ぎしないと……もう数分もたないよ。どうしよう)

 起死回生を狙うが、逃げきれない予感がヒシヒシとする。とりあえず水中から出なければ溺死コースだ。今は水面を目指すしかない。瞬はまた浮上を試みた。
 ガリウォントが泳ぐのをやめて剣を鞘に納めた。次に両腕を体に引っ付ける。
 あれ。と瞬が目で追う。
 ガリウォントは両足を尾びれのように動かし前進する。

(ん? ドルフィンキック? ゲマインの泳ぎが変わった……)

 ガリウォントのスピードが格段に速くなった。旋回も滑らかになり、直線ではなく曲線で泳ぎ始めた。スピードに強弱が付き、細かい位置調整が行われている。

(うっわーーーー! なんだあれーー!)

 突進が来るかと思いきや、ガリウォントは道路ギリギリまで深く潜る。瞬の真下に到着すると、上を見上げた。
瞬の背中に悪寒が走る。

(いや待って。真下に来たんだけどおおお。確実にヤバイよね! 左右に逃げても軌道修正で突き上げられそうなんだけど!)

 そう思った次の瞬間、ガリウォントが急浮上した。
 瞬は右側に逃げようとしたが――――――左足に衝撃が走る。ガリウォントが足首を掴んでいた。

「クソガキが! やっと捕まえたぞ!」

 水中なのにクリアに声が聞こえる。と驚く間もなく、そのまま水の底に引きずり込まれる。ガリウォントの手を右足で蹴ってみるが、篭手に守られ打撃のダメージはなさそうだ。

(籠手がかてええええええええええええ!)

 鎧の防御力凄い、と妙な部分で感心した。もう感心することが多すぎる水中戦だ。

「死ね!」

 ガリウォントは瞬をコンクリート道路に叩きつけた。肩と背中が激しく打ちつけられる。

「ごぼっ!」

 その拍子に瞬は大量に空気を吐く。咄嗟に水を飲まなかっただけマシだが、非常に苦しい。これ以上空気が漏れないよう両手で口を塞ぐが限界に近い。

「苦しんで死ね!」

 ガリウォントは瞬の鳩尾部分を足で強く押さえつけた。心の中でぐげっとカエルが潰れた音を出す。これでは浮かび上がれないうえ、反撃もできない。

(このまま溺死させるつもりだ! ああもうっ)

 押える力がどんどん強くなり骨が軋む。痛みに耐えきれず口を開けたらジ・エンドだ。口から空気が漏れていかないよう、右手で抑え込む。

(この足邪魔っ!)

 左手で足を殴り怯ませようとするが、足当ての防御力には効果がなかった。地上ならもう少し力が入るのだが、無重力な水中では思うように力が入らない。反撃は徒労に終わってしまった。

(どうしようかなぁ?)

 パニックになったら酸素が勢いよく減ってしまうので、早鐘の心臓を抑え込みながら瞬は思考を巡らせた。
 とりあえず動くのをやめて目を瞑る。ガリウォントは足で踏みつける以外は何もしてこない。このまま溺死するのを待っているようだ。彼の狙いはあくまでも事故死で、それを変更する気はなさそうだ。

(とりあえず溺死狙いみたい。まぁ、刺殺だったら殺害って思われるもんね。とはいえ、どうするかなー。息を止めるのももってあと五分くらい。ポーチは外れて流されたから武器になるものはないし、あってもゲマインに手が届かないから無駄だよねぇ。足は動くけど、流れてる水だと上手く狙いが定まらない。どうしたものかー)

 瞬の眉間にしわが寄る。いい案が浮かばなくて意気消沈してきた。
 それをガリウォントは静かに見下ろしている。そろそろ息が続かなくなってきたと感じた。もうすぐ無様にじたばたするだろうと想像して、歓喜に震える。

(そもそも。私が泳ぎが上手かったら捕まらなかったのに。こうなったら油断を誘う方法で……溺れたふりをしてみよう)

 息苦しくて暴れる仕草は以前、匠から呼吸が止まった動きを教わった。あれを真似をすれば大丈夫。必死の抵抗をしたあとに死んだふりをすればいい。

(口を開くからちょっとドキドキする。でも沈んで結構時間経つし、騙すなら今だ)

 死んだふりをしてもそのまましばらく水中に固定されるかもしれない。一抹の不安を胸に抱きながら、瞬は両手で押さえつけている足を掴んだ。全力にみせかけた少量の力で持ち上げながら、口腔に溜めていた空気を歯の隙間から出す。
 そしてまた口を押えて足をばたつかせた。じたばたして、せき込む動作もやってみる。水を飲んだようなジェスチャーもやってみる。

(騙せていますように!)

 淡い期待を抱きつつ、瞬は目を瞑って力を抜こうとして

 ガン! ドガン!

 何かがぶつかった鈍い音がして、腹にあった圧迫感が消えた。
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