水面下ならば潜ろうか

森羅秋

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瞬とカンゴウムシ事件と夏休み

アルの頼み事

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 公共の広場の中にある役所の自動ドアへ向かう。中に入ると案内窓口センターと書いてあるカウンターが見える。人の混雑はほどほどで、手続きを進めている人達や座って順番を待つ人達がいた。
 そのフロアを突っ切って奥をずっと進むとエレベーターに到着する。
 そこから50階まで進み、今度は室内を移動してエスカレーターでさらに上へ上がる。4階まで上がるとフロアを移動して、今度は階段であがる。ここまで進むともう一般人の姿は少なく、アクアソフィー内で働く人や兵士の姿が多くなる。
 明らかに浮いている瞬だったが、本人は周りの目を気にせず、目的地に一番近い位置にある階段を使って駆け上がった。
 バタバタと足音をたてて階段や廊下を走っていたが、周りの兵士もそんな感じで走っているので、音はあまり目立たない。さらに上に上がると空気も音もスッと静かになり、鎧の色も代わってきた。チラリ、チラリと人の視線が確実に刺さってくるが全く気にせずに、残り三階分駆け上がる。
 階段から脇に逸れると長い廊下が続いている。迷路のように入り組んでいるが、いつも通っている道なので慣れた足取りだ。
 空を映すガラス窓に自分が映る姿を一瞥しながら、部屋の名前を確認する。西側地区担当箇所と書かれているのを確認しつつ、いくつかのドアの前を通り過ぎ、目的の場所へ到着した。

「……」

 気持ちを切り替える為、瞬は小さくため息を吐く。プレートには『環境警備課・部長室』。その下に小さく『シフォン』と書かれていることをもう一度確認して、前開きのドアをノックした。
 中から
「はい」
 と、声が返ってくる。

「瞬だよ。入るよ」

 自分の名前を言うと中で動く気配がする。間もなく
「入って良いよ」
 とドアが開いて、笑顔を浮かべたアルが出迎えてきた。
 遅かったなと挨拶代わりに言いながら、瞬を招き入れる。

「ごめん、遅刻しちゃった」

 瞬は入る早々謝るが、アルは遅れた事に対して気にしておらず、苦笑しつつからかう。

「迷っていたとか?」
「あはは。実はそうだったりして」
「何か飲むだろ? 持ってくるから適当に座ってて」

 言いながらアルは部長室から出ていった。給仕場は廊下にあるので飲み物を取ってきてくれるようだ。しばし待つ。
 家のリビングくらい大きい一室には様々な棚が置いてあって、資料がぎっしりと詰め込まれていた。
 電子ロック式の棚が一壁占領して、ここには重大な資料などが置かれている。
 ここで会議することも多く、小さな楕円が二つくっ付いたテーブルがあって、柔らかいソファー型の小さな椅子が数個置いてあった。
 瞬はドアが見える位置の椅子に座る。
 ドアから一番遠くにアル専用の机がドンと置かれていて、その上にパソコンや内線電話、小さなコピー機が設置されていた。それ以外にも本やらノートやら資料やらが置かれており、荷物は多いはずなのにやけにすっきりとした印象だ。
 机の奥側の壁に兜がかけられている。そのふさっとした部分を眺めていると、コップを二つ持ったアルが器用にドアを押しのけて入ってきた。
 器用だな。と視線を向けていると、目が合って彼はにこっと笑った。

「いつもそこへ座る」
「私の定位置だもん」

 一番ふかふかな椅子に座っている瞬。
 アルは対面に座って
「どうぞ」
 とコップを差し出すと、瞬はニコニコしながら手にとってすぐに飲み始める。

「うまいか?」
「うん」

 部長室に呼んだ時、瞬に出す珈琲はいつもアルが入れている。
 隣の事務所に購入したコーヒー豆とお揃いの可愛いカップを置いて、彼女が来た時にだけ出している。最初は、まずい。などと言われていたが、数年前からは、美味しい。と言ってくれるようになった。

「段々、美味しくなってきてるよ! アルの入れてくれた珈琲飲むの、毎回楽しみなんだ~」

 感想を述べる瞬を見て、アルはほんの少し顔を赤くした。
 その言葉が聞きたかった。と内心ガッツポーズをする。
 彼が率先して珈琲を入れるのは家族以外では瞬だけである。

「それならよかった」

 彼女の嬉しそうな表情を間近で見られる、この瞬間がアルの何よりの楽しみだ。
 じっと見たら、何? と聞かれてしまい言葉に詰まるが、ついついじっと見てしまう。
 こうして、いつものようにじっと眺めていると視線に気づいたのか、瞬は顔を上げてアルを見返したので、慌てて視線を逸らす。
 彼の心情を全く知らない瞬は、用事を話さないのでしびれを切らし、こちらから問いかけることにした。

「ところで、アルは私になんの用?」 
「そうだ、忘れるところだった」

 赤くなっている顔を見られたくなくて、アルは冗談を言ってそっぽを向く。

「もぉ、冗談言うなら帰るよ」

 ムっとしながらアルを見返すと、彼は軽く笑ってすぐに真顔になった。

(あれ? 大事な用みたい)

 瞬は何を言われてもすぐに返答できるよう身構える。

「実はな……」

 声のトーンを落として用件を伝える。

「悪いんだけど、カンゴウムシの種類調べ、手伝って欲しい」

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