丘の上の嘆き岩

森羅秋

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孤児院に住む理由

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 街を一望できる小高い丘を、少女は駆け上がっていた。

 その中腹にぽつんと古い孤児院が建っている。教会を改築して住居スペースを作り、シスターが身寄りのない子供たちを集めて保護し、神を祭りながら慎ましく生活していた場所だ。

 「ただいま」

 静寂に包まれた建物の中に入る。
 コツコツと自分の足音を聞きながら台所に行くと、広い木のテーブルにバスケットを置き、簡素な椅子に座って一息ついた。

 パンを売っていた少女、フェールは孤児院で生活している。

 物心つく前に教会の前に捨てられたので、実の親の顔を知らない。
 拾ってくれたシスターをお母さんと呼び、彼女に拾われた子供たち全員がフェールの兄弟だった。

 ふぅ。とため息をつくと、その音が台所に木霊する。
 誰もいないと語っている台所を眺めつつ、フェールは疲れたように瞼を閉じて昔を思い出す。

 
 ほんの二か月前までは、シスターや子供達と一緒に食事をしたり、掃除したり、お祈りをしていた。
 皆でパンや装飾品を作り、売りに出て生計を立てていた。
 苦しいときもあったが、その分、楽しいこともあった。
 困っているときは互いの手を取り合い助け合い、こうして人は支え合って生きていくと教えられた。
 時々、里親がやってきて兄弟と別れる事はあったが、それも良縁。良き別れだと、言われていた。

 その日々がずっと続き、いずれはフェールも孤児院の運営を手伝い、多くの子供達を救おうと考えていた。

 でも今は……。

 フェールは目を開けた。

 「みんな、どこに行ったの?」

 か細く泣きそうな声色で独り言を呟く。一日何度、このセリフを口に出しているか分からない。
 彼女の言葉に返事を返す者は、ここには誰もいない。

 フェールはまた瞼を閉じた。

 ある日、本当に突然、裏の小高い丘に大きな岩が出現した。
 大人二人分の長さと、大人一人分の身長横幅くらいの、手触りがつるつるした妙な黒い岩だった。
 
 何事かとみんなで見に行った日を覚えている。
 不思議だねと談話したその夜、不気味な声が丘に響いた。焦燥感や不安感を煽られる悲痛な泣き声。孤児院の周囲だけではなく、町中に響き渡り人々の恐怖を駆り立てた。

 シスターや町の人達が丘の様子を見にいくと、泣き声は岩から聞こえていた。
 そのため『嘆き岩』と呼ばれて、何か良くない事が起こると噂がたった。

 近くにある孤児院も何か不幸な事が起こるのではと。近づけば不幸になるのではという。妙な噂も経ち始め、孤児院に近づく人がいなくなった。

 町からの援助が途絶え、夜な夜な響く泣き声で夜も眠れず、徐々に精神に異常をきたす者が出始めた。兄弟たちもから始まった心の病は、シスターの心も蝕んでいった。

 最初は気にしないようにしていたシスターも、二週間後には夜が寝られなくなり、表情が乏しくなり、ブツブツ何かを小声で喋り続けた。夜に脅え、耳を塞ぎ、常に死人のような顔をしていた。

 そして一か月前、ついにシスターに限界がきた。

 ガチャン! ガチャン! 

 貴重な皿が次々床に落下して割れる。

 『あああああ。声、こえが……私を!!! いやあああああああああ!!!』

 夕方、食事の支度をしていたシスターは嘆き岩の泣き声を聞いて頭を抱えて叫んだ。同じように精神を病んだ子供達も共鳴するように泣き始め暴れ出した。

 『いや、いやああああああああああああ!!!』
 『助けてえええええ!!!』
 『こわいよおおおおお!!!』

 頭を振りまわし、半狂乱になったシスターと数人の兄弟は狂ったように走り回る。

 『お、おかあさん。落ち着いて!?』

 突然のヒステリックに対応できず、フェール達は茫然とシスターを眺めていた。

 『たすけ、いやあああああああああああ!!!』

 シスターは孤児院から飛び出した。真っ青な顔色になり恐怖に慄いた表情をして、両手で耳を抑えつけ、足をもつらせながら丘を降りていく姿。それにつられるように、数人の兄弟も叫びながら丘を降りて行った。

 フェール達はシスターを連れ戻そうと追いかけるが、外は漆黒の闇である。すぐに見失ってしまった。
落ち着いたら戻ってくると思っていたフェール達だったが、その後、シスター達が戻ってくることはなかった。

 『いつかお母さんが戻ってくる』

 『分かってる。信じて待とう』

 残されたフェール達は、しばらく孤児院で生活していた。
 
 しかし食料が乏しくなり、何日も空腹が続くと精神状態が悪化した。
 嘆き岩の声を聞いていると不安に押しつぶされそうになり、気がつけば一人、また一人と逃げるように孤児院を去っていってしまった。

 フェールも孤児院から出ていこうと何度も思った。

 出ていこうと思うたびに、頼れる人は居ないという現実と、孤児院での思い出が、彼女の足を鈍くしてこの地に縛り付けていた。

 フェールは両手を握り、祈りを込める。

 「いつかは戻ってくる。皆戻ってくる。だから私が、ここで待ってなきゃダメなんだ。おかえりって言うために。だから頑張らなきゃ」

 自らを奮い立たせる言葉を口にしたあと、フェールはパンの売り上げで買った小麦粉と牛乳と少しの鳥肉を使って、今日の食事を作ることにした。

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