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鬼を抱きし人の血脈
鬼さん争奪宣戦布告②
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鬼と妖魔の戦闘が終わったのを見届けた若い男性は、異変と目撃者の有無を確認してみる。
特に問題はないと判断して、フェンスを乗り越えて小道に着地した。そのまま魄に歩み寄ると、彼女の緊張した表情が緩むのが見えた。
「魄、首尾は?」
「上々です、鷹尾」
魄が粛々とした態度で報告すると、鷹尾はニヒルな笑みを浮かべた。
壱拾想鷹尾は二十一歳の男性だ。
オレンジブラウン色のベリーショート。顔は端麗な部類。目の色はこげ茶色。垂れ目で鼻は小さめ。身長は百七十五センチでやせ型である。
白い襟首シャツに黒いジーパン姿で、灰色のカーデガンを着て黒いリュックを背負っている。
妖魔を追って走っていたため額に汗が浮かんでいた。
「魄に出遭うなんて、運がない妖魔だ」
と言いながら、鷹尾は視線を落として地面を見る。
残っていた妖魔の欠片を黒い運動靴で踏みつけて消去した。
「出遭うって……」
何を白々しい。と呟きながら魄は両手を腰に当てて不満そうに唇を尖らせる。
「鷹尾が妖魔を誘導したんでしょ。じゃないとここに来る前に封印解けないってば。せめてメールくらいよこしてよ。人に化けながら妖魔の気配を探すって疲れし時間かかっちゃったじゃない。戻った方がもっと早く……」
「そして妖魔の大群と戦闘になると」
鷹尾の茶々に、魄はむうと口を噤む。
妖魔は半端者の匂いに敏感だ。封印を解いてしまえばそれだけでおびき寄せることができる。
しかし匂いに惹かれて大量の妖魔が集まってくる恐れがあった。
一体倒せば終わりになるものが五体とか十体に増えてしまっては元もこうもない。
魄は鬼に戻った後も、人に化けつつできる限り力を押させて動き回っていた。
例えるなら、背中に十キロの重しを背負ったままうさぎ跳びをして町内一周するようなものだ。
「だから私が見つけたときに封印解いてほしいんだけど……メールがダメなら通話とかさぁ。リアルタイムで来たって言えばすぐに解除できるでしょ? なのに切っちゃうし……」
疲労感が後押しとなりつらつらと恨み言を述べるが、鷹尾には全く反省の色がない。
魄は不満をぶつけても響かないと落胆した。少し乱れた長い髪を手櫛で整えて不満を消化する。
「まぁ。いいや。大変でも主の命令は絶対だから言ってもダメか。まぁ。もういいや。終わったし。いいや」
ブツブツと独り言を言う魄の様子を、鷹尾はジッと見つめる。彼の脳裏には猫の毛づくろいが浮かび、撫でたい衝動が起こった。だが少しだけ我慢して、遅まきながらこの度の考えを伝えた。
「帰宅民が多いところで発生したから魄のとこへ誘導したんだ。人が少ない方が退魔は楽だろ?」
「まー……そーですね」
魄は歯切れの悪さを前面に出しながら頷いた。
人気のない場所で行うほうが容易いという考えは理解できるのでその辺はいい。
文句を言いたいのは報告と連携が疎かであるということだ。
特に報告は早急に改善してほしい。いつも早めに連絡してほしいと伝えているが改善される気配はない。言っても無駄な気さえしてくる始末だ。
「でもそれ事これとは別。先に連絡がほしい」
魄が小声で不満を言うと鷹尾が数歩近づいた。おもむろに両手で魄の頭をガシっと掴んだ。
「え!? え!? なに!? 怒った!?」
びっくりして目を見開くと、鷹尾は満面の笑みを浮かべた。
「よくやった」
労いながら骨ぼったい手でわしゃわしゃと乱暴に撫でまわす。
「ああああ! 髪があああああ!?」
魄は整えた髪をぐちゃぐちゃにされて絶叫するが、不快そうに目を細めるだけにとどめた。
これは嫌がらせではなく鷹尾なりの褒め方である。犬が好きという理由で、褒めるときは犬扱いしてくるのだ。主人と式鬼なので間違っていないと考えた魄は終わるまでひたすら耐える。
三十秒ほど経過すると鷹尾が髪を触るのをやめた。
野外のこともあって多少なりとも人目を気にしたようだ。
魄がホッとしたのもつかの間、今度は角の付け根から先端まで鷹尾の指が這う。
様々な感覚器官が集まっている角は触れることに大変過敏である。
くすぐったくて笑いそうになり魄の口がへの字になった。
本音を言えば、角をあまり撫でないでほしくない。
しかし角を覆う皮膚は皺がなくツルツルスベスベしており、触り心地がいいと地元では有名だ。
癒しを求めて大人から子供、果ては老人までも撫でさせてほしいとお願いされるほど人気である。
「気持ちよかった」
三十秒くらい触った鷹尾は満足そうな笑みを浮かべて、手を離して二歩ほど後ろに下がった。
魄はすぐに乱暴に撫で回された頭を触った。髪がごじゃごじゃになっていることが解ってガックリと肩を下げる。大げさにため息をついて「ひどい」と呟き、恨みがましい目を鷹尾に向けた。
「じゃぁ。そろそろ私を封印してくれますかね。また『こんな場所でコスプレするな』って怒られるのは御免なので」
退魔のため鬼に戻った時に東京で何度か怒られたことがあった。
鬼で巫女服とはどのイベントから来たんだとか、鬼の仮装としては中途半端だとか、角ぐらいはずして歩けとか、ほかにも散々なことを言われてショックを受けた。苦い記憶は未だに頭の片隅にある。
鷹尾は上から下まで魄の姿を吟味して腕を組んだ。
「その姿のままでよくね?」
何を言ってるんだこいつは、という言葉をゴックンと飲み込んでから、魄は首を振って否定した。
「文句言われたとき一緒にいた癖にご冗談を」
東京は鬼の存在を一般認知していないため、コスプレしてるとか撮影だとか偽映像だと決めつけられてしまう。
さらに常識正義感大好人も多く生息しているため出会ったら即アウトだ。
ここでコスプレをするな、常識をわきまえろと怒鳴られる理不尽極まりないイベントが発生する。
「村じゃないんだからこの姿でうろうろできないよ。封印許可早くして!」
魄が生まれた集落――現在は村である――では、鬼は周知の事実である。
日本には鬼や天狗、河童、木霊、山姥、雪女など、妖怪と暮らしている地域が現代も存在しているが、基本的に極秘扱いとなっている。
妖気に耐性がない者達が妖魔と関わると心身に悪影響を起すことがあり、魔が差すことも多くなるという。
悪意を持つ人間と妖魔や妖怪が手を組んで日本転覆を志し、災いを起こしたことも歴史上あったそうだ。
そのため東京に滞在中は任務以外で鬼の戻るのは控えるようにと『天魔波旬監視局』から強めに言われている。
素直な魄はその意向に沿っていた。
鷹尾が一瞬だけ気に入らなさそうに目を細めてたが、思い出したようにパンと手を叩いた。
「そういえばそうだったな。化けていいぞ」
「封印!」
魄は人に変化して平凡な女性になった。
鷹尾はジト目で平凡な女性を上から下までじっくりと吟味すると、「ぶは!」と笑い出した。突然の笑いに魄はビックリする。
「え、どこかおかしなところが……」
「なんだこの垂れほっぺ。まじもちもちしてる」
おもむろに手を伸ばして、ふにふにふに、と魄の頬を強い力で掴む。
魄は頬を摘ままれて流石にイラっとしたのですぐに鷹尾の手首を掴んで――握りつぶしたい衝動を抑えて――優しく払いのけた。
「やめてくれるかなぁ?」
「やっぱ。化けてる姿は不細工だよな~」
グサリと魄の心臓に刺さった。乙女であるがゆえ容姿をけなされると地味に傷つく。
しかもこの姿は鷹尾のリクエスト通りでもあった。毎回不細工というのは如何なモノかと不満が募る。
「この姿をリクエストしたのはそっちでしょうが! 不細工いうな馬鹿! これでも気に入ってんだからあまり悪く言わないで!」
「しょうがないじゃん。不細工なんだから」
スパっと言い切った鷹尾に、カチンときた魄だったが握りこぶしをつくるだけにとどめた。いつもの如くこの男はデリカシーに欠けていると怒りに任せて怒鳴りたいが、残念なことにそれはできない。
魄は鬼の末裔であり先祖返りした者だ。『主』の制御下で人に化けて、人として生活する定めである。
『主』は陰陽師の末裔である鷹尾だ。誓約のため彼に危害を加えることはできない。
ぐぬぬぬと怒りを無理やり消化させてる。胃もたれがしそうだ。
百面相をしている魄を眺めて色々気が済んだ鷹尾は、くるっと背を向けた。
「帰ろうぜ。腹減った。今日の飯はなに?」
「うーん。肉じゃが」
冷蔵庫にある材料でパッとできる料理を答えると、鷹尾が首を左右に振った。
「カレー」
「一昨日もカレーだったでしょ!? 今日は肉じゃが!」
「カレーにしろよ。簡単だろ?」
「カレー大好きにもほどがある。毎日食べたら塩分の取りすぎで高血圧や腎臓病のなるかもだし、脂質糖質の影響で太るし、体臭がきつくなるから駄目。そもそも家のメニューは一週間に二回までって決めたよね。それに鷹尾はお昼とか結構カレー食べてるでしょ? 今日のお昼は?」
「カレーうどんとコロッケカレー」
「肉じゃがと酢の物にします!」
ピシャリと言い放つと鷹尾はちょっと不満そうに口を尖らせたが、魄が睨みながら首を左右に振ったのですぐに諦めた。
「それでいいや。彼女にしたい子の第一条件は料理上手でカレー好きに変更しよう」
「お好きなように」
カレーを嫌いな日本人は少数派のはずだ。食べる頻度の合格ラインが気になったがツッコミはしなかった。
「あと来週金曜日は合コンなので飯いらねーから」
「行ってらっしゃい。護衛しとくので場所教えて」
「職場近くの居酒屋だから必要ない。魄がいたら女の子逃げるだろ?」
「逃げるわけないでしょ」
「でもダメ。チャンスが逃げる」
鷹尾は絶賛彼女募集中だ。口を開けば彼女が欲しいと呟いている。
東京で伴侶をみつけるつもりだろうと魄は考えていた。
「万が一があったら困るもの。酔いつぶれたり、腹下して戦闘できないときに狙われたら困るでしょ?」
不測の事態に備えて主の護衛を行うことも魄の役目だ。
昼間は妖魔の動きは鈍くなるが深夜は活発になるため、鷹尾だけで行動させるのは推奨できない。
酒が入ればなおのこと一人にさせるわけにはいかなかった。過去にコップ一杯の日本酒で酔っぱらい、まともに戦えなかったこともあるからだ。
「酒かぁ。ちょっと弱いんだよなぁ」
すぐに泥酔して殺されそうになった過去を思い出し、鷹尾は少しだけ恥ずかしそうに手で顔を隠した。
「わかった。魄の言う事を聞く。俺も気を付けるけど、酔いつぶれたら人目がないところで運んでくれ。最初みたいに大勢の前で運ぶなよ」
「わかってるって」
魄は力を制限されているとはいえ鷹尾くらい片手で軽々と持ち上げられる。
東京に来て人前で担いで帰るのはおかしいことだと学習したので、酔いつぶれたときは腕を肩に回して引きずって運び、人気がなくなったら担いで帰宅することにしている。
「今度は出会いがあるといいね」
運命の出会いを応援するのも魄の役目だ。
「……そうだな」
ただ鷹尾は何故かいつもがっかりしたように肩を落とす。
「どうしたの?」
「可愛い子がいる確率を考えていただけ」
「今回の相手は?」
「5対5の部署違い。少し懸念がある。あそこムキムキゴリラが多い部署なんだよな。男も女も腕力でモノを言わせるタイプだから、好みの子がいない気がする……」
やる気なさそうな鷹尾をみて、魄は笑顔をひきつらせた。
「そんなこと言わないように。どこに耳があるかわからないでしょ?」
「いーのいーの。好みなんてそれぞれだし。俺は髪が長くて、美人長身の引き締まったボディに、笑うと可愛い顔してて、楽しい会話が続いて料理上手でたまに甘やかしてくれて、しっかり俺を支えてくれる女がいーの。今回はマジではずれな予感がする」
まだ会ってもいないのにダメ出しを始めたので、魄は呆れながら嗜める。
「見た目重視は失敗の元だよ。ちょっといいなって子がいたら付き合ってみたらいいじゃない。それに運命の出会いって目と目が合ったら胸がキュンとなるんでしょ? 無性に惹きつけられて頭から離れられないはず。時間経過で恋に落ちるとかあると思うな。とにかく第一印象から人格を察することが全ての始まり!」
「恋愛経験のないやつの指摘ってアテにならないくせに自信満々に言うよな」
「ひっど! 私だって恋愛したいんだけど、まだ禁止なんだから仕方ないでしょ!」
「俺の相手が見つかるまでは禁止だよなー」
にやにや、と鷹尾がいやらしい笑みを浮かべる。
魄は嫌そうに眉をひそめてから腕を組んだ。
「式鬼だけど恋愛したら駄目ってことないのに。主より先に結婚して子供作った式鬼もいるって聞くのに。なんで私はこんなことになってるのか分かんないんだけど」
ドンと胸を叩いた魄はドヤ顔をする。
「来るべき時のために、恋愛漫画とか小説とかドラマとか色々見て勉強してるんだから大丈夫! 間違ってない!」
鷹尾は耳の穴に指を入れてかきながら半眼で静かに見下ろす。瞳には若干哀れみが含まれていた。
「あーあれ夢物語だから。嘘の塊」
「嘘を言わないで!」
牙を向けて反論する魄をみて、鷹尾は笑う。
「お子様は純粋でいいなぁ。クリスマスにサンタがいるってまだ信じてるだろ」
「馬鹿にしないでよ。クリスマスはサンタじゃなくて、天狗がプレゼントくれるって知ってるんだから」
鷹尾が「ん?」と目を見開いた。すぐに目つきが鋭くなり魄に詰め寄る。
「天狗の知り合いがいるのか? いつから?」
「三年前から。鵯様の知り合いの方らしいけど名前は知らない。毎年誕生日とかクリスマスとかにプレゼントくれるの。沢山いただくけどお返ししなくていいって勇実さんが言うから何もしてないんだけど」
それにメッセージカードに記載されている名はいつも引き千切られていて読めないため、お返しすることもできない。
「あそこかー……断っているのに懲りない。乗り込むべきか……」
鷹尾が嫌そうに顔を歪ませていたが、ピタッと動きを止めて横に顔を向けた。
崖に這うように作られている石段を見上げて「いるぞ」と呟くと、魄も石段を見上げた。
特に問題はないと判断して、フェンスを乗り越えて小道に着地した。そのまま魄に歩み寄ると、彼女の緊張した表情が緩むのが見えた。
「魄、首尾は?」
「上々です、鷹尾」
魄が粛々とした態度で報告すると、鷹尾はニヒルな笑みを浮かべた。
壱拾想鷹尾は二十一歳の男性だ。
オレンジブラウン色のベリーショート。顔は端麗な部類。目の色はこげ茶色。垂れ目で鼻は小さめ。身長は百七十五センチでやせ型である。
白い襟首シャツに黒いジーパン姿で、灰色のカーデガンを着て黒いリュックを背負っている。
妖魔を追って走っていたため額に汗が浮かんでいた。
「魄に出遭うなんて、運がない妖魔だ」
と言いながら、鷹尾は視線を落として地面を見る。
残っていた妖魔の欠片を黒い運動靴で踏みつけて消去した。
「出遭うって……」
何を白々しい。と呟きながら魄は両手を腰に当てて不満そうに唇を尖らせる。
「鷹尾が妖魔を誘導したんでしょ。じゃないとここに来る前に封印解けないってば。せめてメールくらいよこしてよ。人に化けながら妖魔の気配を探すって疲れし時間かかっちゃったじゃない。戻った方がもっと早く……」
「そして妖魔の大群と戦闘になると」
鷹尾の茶々に、魄はむうと口を噤む。
妖魔は半端者の匂いに敏感だ。封印を解いてしまえばそれだけでおびき寄せることができる。
しかし匂いに惹かれて大量の妖魔が集まってくる恐れがあった。
一体倒せば終わりになるものが五体とか十体に増えてしまっては元もこうもない。
魄は鬼に戻った後も、人に化けつつできる限り力を押させて動き回っていた。
例えるなら、背中に十キロの重しを背負ったままうさぎ跳びをして町内一周するようなものだ。
「だから私が見つけたときに封印解いてほしいんだけど……メールがダメなら通話とかさぁ。リアルタイムで来たって言えばすぐに解除できるでしょ? なのに切っちゃうし……」
疲労感が後押しとなりつらつらと恨み言を述べるが、鷹尾には全く反省の色がない。
魄は不満をぶつけても響かないと落胆した。少し乱れた長い髪を手櫛で整えて不満を消化する。
「まぁ。いいや。大変でも主の命令は絶対だから言ってもダメか。まぁ。もういいや。終わったし。いいや」
ブツブツと独り言を言う魄の様子を、鷹尾はジッと見つめる。彼の脳裏には猫の毛づくろいが浮かび、撫でたい衝動が起こった。だが少しだけ我慢して、遅まきながらこの度の考えを伝えた。
「帰宅民が多いところで発生したから魄のとこへ誘導したんだ。人が少ない方が退魔は楽だろ?」
「まー……そーですね」
魄は歯切れの悪さを前面に出しながら頷いた。
人気のない場所で行うほうが容易いという考えは理解できるのでその辺はいい。
文句を言いたいのは報告と連携が疎かであるということだ。
特に報告は早急に改善してほしい。いつも早めに連絡してほしいと伝えているが改善される気配はない。言っても無駄な気さえしてくる始末だ。
「でもそれ事これとは別。先に連絡がほしい」
魄が小声で不満を言うと鷹尾が数歩近づいた。おもむろに両手で魄の頭をガシっと掴んだ。
「え!? え!? なに!? 怒った!?」
びっくりして目を見開くと、鷹尾は満面の笑みを浮かべた。
「よくやった」
労いながら骨ぼったい手でわしゃわしゃと乱暴に撫でまわす。
「ああああ! 髪があああああ!?」
魄は整えた髪をぐちゃぐちゃにされて絶叫するが、不快そうに目を細めるだけにとどめた。
これは嫌がらせではなく鷹尾なりの褒め方である。犬が好きという理由で、褒めるときは犬扱いしてくるのだ。主人と式鬼なので間違っていないと考えた魄は終わるまでひたすら耐える。
三十秒ほど経過すると鷹尾が髪を触るのをやめた。
野外のこともあって多少なりとも人目を気にしたようだ。
魄がホッとしたのもつかの間、今度は角の付け根から先端まで鷹尾の指が這う。
様々な感覚器官が集まっている角は触れることに大変過敏である。
くすぐったくて笑いそうになり魄の口がへの字になった。
本音を言えば、角をあまり撫でないでほしくない。
しかし角を覆う皮膚は皺がなくツルツルスベスベしており、触り心地がいいと地元では有名だ。
癒しを求めて大人から子供、果ては老人までも撫でさせてほしいとお願いされるほど人気である。
「気持ちよかった」
三十秒くらい触った鷹尾は満足そうな笑みを浮かべて、手を離して二歩ほど後ろに下がった。
魄はすぐに乱暴に撫で回された頭を触った。髪がごじゃごじゃになっていることが解ってガックリと肩を下げる。大げさにため息をついて「ひどい」と呟き、恨みがましい目を鷹尾に向けた。
「じゃぁ。そろそろ私を封印してくれますかね。また『こんな場所でコスプレするな』って怒られるのは御免なので」
退魔のため鬼に戻った時に東京で何度か怒られたことがあった。
鬼で巫女服とはどのイベントから来たんだとか、鬼の仮装としては中途半端だとか、角ぐらいはずして歩けとか、ほかにも散々なことを言われてショックを受けた。苦い記憶は未だに頭の片隅にある。
鷹尾は上から下まで魄の姿を吟味して腕を組んだ。
「その姿のままでよくね?」
何を言ってるんだこいつは、という言葉をゴックンと飲み込んでから、魄は首を振って否定した。
「文句言われたとき一緒にいた癖にご冗談を」
東京は鬼の存在を一般認知していないため、コスプレしてるとか撮影だとか偽映像だと決めつけられてしまう。
さらに常識正義感大好人も多く生息しているため出会ったら即アウトだ。
ここでコスプレをするな、常識をわきまえろと怒鳴られる理不尽極まりないイベントが発生する。
「村じゃないんだからこの姿でうろうろできないよ。封印許可早くして!」
魄が生まれた集落――現在は村である――では、鬼は周知の事実である。
日本には鬼や天狗、河童、木霊、山姥、雪女など、妖怪と暮らしている地域が現代も存在しているが、基本的に極秘扱いとなっている。
妖気に耐性がない者達が妖魔と関わると心身に悪影響を起すことがあり、魔が差すことも多くなるという。
悪意を持つ人間と妖魔や妖怪が手を組んで日本転覆を志し、災いを起こしたことも歴史上あったそうだ。
そのため東京に滞在中は任務以外で鬼の戻るのは控えるようにと『天魔波旬監視局』から強めに言われている。
素直な魄はその意向に沿っていた。
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「そういえばそうだったな。化けていいぞ」
「封印!」
魄は人に変化して平凡な女性になった。
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「え、どこかおかしなところが……」
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「やめてくれるかなぁ?」
「やっぱ。化けてる姿は不細工だよな~」
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しかもこの姿は鷹尾のリクエスト通りでもあった。毎回不細工というのは如何なモノかと不満が募る。
「この姿をリクエストしたのはそっちでしょうが! 不細工いうな馬鹿! これでも気に入ってんだからあまり悪く言わないで!」
「しょうがないじゃん。不細工なんだから」
スパっと言い切った鷹尾に、カチンときた魄だったが握りこぶしをつくるだけにとどめた。いつもの如くこの男はデリカシーに欠けていると怒りに任せて怒鳴りたいが、残念なことにそれはできない。
魄は鬼の末裔であり先祖返りした者だ。『主』の制御下で人に化けて、人として生活する定めである。
『主』は陰陽師の末裔である鷹尾だ。誓約のため彼に危害を加えることはできない。
ぐぬぬぬと怒りを無理やり消化させてる。胃もたれがしそうだ。
百面相をしている魄を眺めて色々気が済んだ鷹尾は、くるっと背を向けた。
「帰ろうぜ。腹減った。今日の飯はなに?」
「うーん。肉じゃが」
冷蔵庫にある材料でパッとできる料理を答えると、鷹尾が首を左右に振った。
「カレー」
「一昨日もカレーだったでしょ!? 今日は肉じゃが!」
「カレーにしろよ。簡単だろ?」
「カレー大好きにもほどがある。毎日食べたら塩分の取りすぎで高血圧や腎臓病のなるかもだし、脂質糖質の影響で太るし、体臭がきつくなるから駄目。そもそも家のメニューは一週間に二回までって決めたよね。それに鷹尾はお昼とか結構カレー食べてるでしょ? 今日のお昼は?」
「カレーうどんとコロッケカレー」
「肉じゃがと酢の物にします!」
ピシャリと言い放つと鷹尾はちょっと不満そうに口を尖らせたが、魄が睨みながら首を左右に振ったのですぐに諦めた。
「それでいいや。彼女にしたい子の第一条件は料理上手でカレー好きに変更しよう」
「お好きなように」
カレーを嫌いな日本人は少数派のはずだ。食べる頻度の合格ラインが気になったがツッコミはしなかった。
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東京で伴侶をみつけるつもりだろうと魄は考えていた。
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不測の事態に備えて主の護衛を行うことも魄の役目だ。
昼間は妖魔の動きは鈍くなるが深夜は活発になるため、鷹尾だけで行動させるのは推奨できない。
酒が入ればなおのこと一人にさせるわけにはいかなかった。過去にコップ一杯の日本酒で酔っぱらい、まともに戦えなかったこともあるからだ。
「酒かぁ。ちょっと弱いんだよなぁ」
すぐに泥酔して殺されそうになった過去を思い出し、鷹尾は少しだけ恥ずかしそうに手で顔を隠した。
「わかった。魄の言う事を聞く。俺も気を付けるけど、酔いつぶれたら人目がないところで運んでくれ。最初みたいに大勢の前で運ぶなよ」
「わかってるって」
魄は力を制限されているとはいえ鷹尾くらい片手で軽々と持ち上げられる。
東京に来て人前で担いで帰るのはおかしいことだと学習したので、酔いつぶれたときは腕を肩に回して引きずって運び、人気がなくなったら担いで帰宅することにしている。
「今度は出会いがあるといいね」
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「……そうだな」
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「どうしたの?」
「可愛い子がいる確率を考えていただけ」
「今回の相手は?」
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「恋愛経験のないやつの指摘ってアテにならないくせに自信満々に言うよな」
「ひっど! 私だって恋愛したいんだけど、まだ禁止なんだから仕方ないでしょ!」
「俺の相手が見つかるまでは禁止だよなー」
にやにや、と鷹尾がいやらしい笑みを浮かべる。
魄は嫌そうに眉をひそめてから腕を組んだ。
「式鬼だけど恋愛したら駄目ってことないのに。主より先に結婚して子供作った式鬼もいるって聞くのに。なんで私はこんなことになってるのか分かんないんだけど」
ドンと胸を叩いた魄はドヤ顔をする。
「来るべき時のために、恋愛漫画とか小説とかドラマとか色々見て勉強してるんだから大丈夫! 間違ってない!」
鷹尾は耳の穴に指を入れてかきながら半眼で静かに見下ろす。瞳には若干哀れみが含まれていた。
「あーあれ夢物語だから。嘘の塊」
「嘘を言わないで!」
牙を向けて反論する魄をみて、鷹尾は笑う。
「お子様は純粋でいいなぁ。クリスマスにサンタがいるってまだ信じてるだろ」
「馬鹿にしないでよ。クリスマスはサンタじゃなくて、天狗がプレゼントくれるって知ってるんだから」
鷹尾が「ん?」と目を見開いた。すぐに目つきが鋭くなり魄に詰め寄る。
「天狗の知り合いがいるのか? いつから?」
「三年前から。鵯様の知り合いの方らしいけど名前は知らない。毎年誕生日とかクリスマスとかにプレゼントくれるの。沢山いただくけどお返ししなくていいって勇実さんが言うから何もしてないんだけど」
それにメッセージカードに記載されている名はいつも引き千切られていて読めないため、お返しすることもできない。
「あそこかー……断っているのに懲りない。乗り込むべきか……」
鷹尾が嫌そうに顔を歪ませていたが、ピタッと動きを止めて横に顔を向けた。
崖に這うように作られている石段を見上げて「いるぞ」と呟くと、魄も石段を見上げた。
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