式鬼のはくは格下を蹴散らす

森羅秋

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鬼を抱きし人の血脈

鬼さん争奪宣戦布告①

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 早歩きで細い道を進みいくつもの住宅を通り過ぎる途中で、彼女はふと足を止めて空を見上げた。
 薄紫色と深い青と藍色のグラデーションが広がって、夜の帳がゆっくりと降りてきている。雲一つないためか透き通るような濃い色合いであれど眩しさを感じて少しだけ目を細める。バサバサと遠くから鳥の羽ばたく音に反応するように視線を向けると、左側の上空、鳩の群れだと思われるシルエットが円をえがいていた。洗礼された集団行動のように右へ左へと動きながら建物の遥か奥へ消えていく。それに入れ替わるように蝙蝠が、一匹、二匹と屋根の上で遊ぶように飛行していた。

 特に問題なし、と思って、前方に視線を戻す。
 アスファルトで舗装された歩道の片側、黒いシルエットの一軒家が立ち並んでいる。反対側は低い金網フェンスで区切られた広い公園がある。ここは子供が遊ぶ遊具類は殆どないが、その代わりに、老人向けの健康器具が備わっている。公園というよりは広場と言った方が正しいのかもしれない。健康器具以外の目玉スポットといえば、広場を囲うように木々が植えられているところだろう。左側に桜、右側に紅葉が植えられており、お花見と紅葉狩りを楽しめるため一定の時期は人が多く集まる。今の時期は秋の終わり。紅葉狩りのピークが過ぎているため人気はなく、紅葉の葉が地面を彩っているだけだった。

 気配に気づいて、あ、と声を上げる。
 広場の奥から毒々しい――妖魔の気配が近づいてくる。ここでいいだろうと、彼女は足を止めた。
 
 広場のフェンスを越え、一体の黒い影が細い道に飛び出してくる。
 十メートル前方に着地して、背筋を伸ばしながら後方を確認していた。それは小道を塞ぐほど大きく全長三メートルほどの――オラウータンのようであった。ただし、額に角が生えており、三つの赤い目をもっている。瞼はなく魚のようにぎょろっとした目が四方を凝視していた。鼻っ面に皺をよせ、激しく周囲の匂いを嗅ぐ。分厚い唇から覗く犬歯は太く長く、口を開けるとワニと遜色がない歯並びと鋭さであった。
 分厚い瞼や皺がソレの心情を色濃く伝えてくる。さしずめ、追ってから逃げているといったところだろう。

『キュオアアアアアアン!』

 ウォーターフォン(アコースティックのパーカッション楽器)の音色のような、不安感をあおる甲高い音が響いた。仲間を呼ぶ救難信号でまるが、この声を人が聞けば恐慌状態になり冷静な判断ができなくなる厄介なものだ。
 黒い影は化け物――妖魔だ。普通の人間には視えないモノだが人間への悪影響は大きい。五感の中で聴覚――音は最も影響をもたらす。周囲に誰もいなくてよかった、と彼女はホッとした。

はく、そっち行ったぞ!」

 妖魔から少し遅れて、広場の奥から馴染みの低い男の声が聞こえた。わりと大きな声だったが、それを聞きつけて家の窓から顔を出す者はいなかった。この辺りはガラの悪い人間も多いので、喧嘩やいざこざと間違われているかもしれない。今回はそれで丁度良かったので正す必要もない。

 彼女こと、都野窪つのくぼはくは、わかってますって、と心の中で返事をした。
 妖魔を静かに見つめるのは十九歳になったばかりの女性である。身長百五十五センチ、中肉中背で体の凹凸は少ない。大人しそうな印象をうける平凡な顔立ちだが、鋭い大きな濃藍こあい色の目が印象的だ。腰まで届く鉄紺てつこん色の髪が風で揺れている。
 今日はワンサイズ大きい茶色のニット服、ゆったりした黒いレザーパンツ、黒い運動靴を履いていた。学校帰りのため背中にリュックサックを背負っている。

『キュオンッ』

 妖魔は男の声を聞いて怯えるように肩をすぼめたものの、前方に佇んでいる魄に気づいて、にやり、と口角を上げた。人間に憑いて操りこの場から逃げるか、食らって回復を図るか、人質として使うか、様々な使いどころを考える。妖獣にとって人間は食料であり重宝する道具でもあった。危機から回避するため瞬く間に方針を固める。

『キュオアアアアアアン!』

 妖魔は手足を使い、猿が地面を走るかのような姿勢で猛ダッシュしてきた。
 噛みちぎらんばかりに口を開いて魄の肩を狙った。どうやら、食らって回復を図ることにしたようだ。
 素早く近づくと、ジャンプして距離を縮めながら両手足を広げて上方からとびかかって来た。相手を逃がさないためと自分を大きく見せるためである。驚いて動きを止めた獲物に頭から覆いかぶさり、血肉をすするつもりのようだ。

 魄は上を見上げた。濃藍目に大口をあけて迫ってくる妖魔が映る。
 一歩足を引いたため腰まで届く鉄紺色の髪がゆらっと揺れる。人間の反射神経では対応しきれず、あっさりと妖魔の餌に――――なるわけがない。

「変化解除願う」

 と主に乞うた瞬間、魄の姿が大きく変化した。
 髪と右目の色が天色に染まり、右半分の皮膚に天色の虎模様が浮かぶ。二重のぱっちりした目、鼻筋が高くなり頬がシュと細くなる。額の右側に十五センチほどの角が生えてくると、背がグッと伸びて身長が百七十五センチになった。ワンサイズ大きかった服がピッタリになり、筋肉質ながらしなやかなS字ラインがくっきりと浮かぶ。

「い すい い とう……」

 ごぉぉぉっ。と滝つぼにおちる水の如く賑やかな音を発しながら、魄の右手の平から水があふれ出てくる。太いホースの口を持っているかのように透明な水がドボドボとあふれだすと、地面に落ちず蛇のように右腕にまとわりつく。二重、三重になった水の塊が右肩から指先までとどまり、独楽のように回旋する。

『ナエ!』

 妖魔の目が驚きで見開かれて、魄の角に視線が集中する。
 あれは鬼だと気づいて嗤笑していた顔が絶望に変化した。これはマズイと脂汗を浮かべた妖魔は、苦肉の策として空中落下の目標地点を変えるべく腰を左にひねった。
 鬼の隣に着地して全力で走ろうと計画したが、そんな浅はかな計画はすぐに見抜かれてしまう。

「ウォータージェット!」 

 逃げる隙は与えない、と魄が妖魔に手を振りかざした途端、極限まで圧縮された水流が高速の三倍速度で飛び出す。
 チュィン。
 と高い音が鳴り、妖魔の体を袈裟懸けに切断した。

『ギェア』

 妖魔は悲鳴を上げ、仰け反りながら空中を旋回した。遠心力により左肩から右腹部がぱっくりと割れて分離し始めた。空中落下の変更は上手くいかず、絶叫をあげながら魄の前方に飛び込んでくる。
 これ幸いにと、ギラリとした鋭い目に喜びが浮かぶ。

「い すい い とう ウォータージェット!」

 魄は右手を指揮棒のように素早く動かした。
 あまりにも速い動きで一度だけ振ったように思えたが、妖魔の胴体がコマ切になってしまった。縦横を数回ほど動かしたのだろうと想像がつく。
 水流の勢いによって後方に押しやられ、鮮血をまき散らしながら地面に散乱すると跡形もなく消滅した。断末魔もだせない最後であった。

 魄は一息もつかず顔を大きく左右に動かし、くるくると四方八方に体の位置を変えながら、周囲を注意深く目視する。仲間を呼ぶ声を発したので周囲に妖魔がいるならここにやってくるはずだ。
 数分待ってみたが、変な影や妙な気配はない。

「……もういないかな?」

 魄は気が抜けたように表情を緩ませる。緩みに連動するように腕にまとわりつく水が、ごぽぉう、と波打った。制御が切れたかのように荒波をおこして全身を飲み込もうとするが、右腕を振るうとすぐに水が引いて右腕に集まった。ちゃぷちゃぷっと穏やかにたゆたう。
 人間に変化しようと思ったタイミングで、ざり、ざり、と土を踏む音がした。妖魔の足音ではなく人間の足音だ。第三者ではないはずと想像できるが、もし万が一そうであればすぐにここから逃げなくてはならない。無関係の人間に妖魔やそれに近い存在を知られるわけにはいかないからだ。
 
 魄は警戒を怠らず、やってくる人間を見た。
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